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那珂川賛歌。


 筑前、那珂川(なかがわ)は脊振山系に源を発し、那珂川郷から福博の街を貫流する。源流域は五ヵ山と呼ばれる山峡、筑前と肥前の国境いである。脊振山系の山々が連なり、網取、桑河内、小河内、倉谷、大野といった集落が点在する佳境。が、2017年に完成予定の五ヵ山ダム建設のためすべての集落が廃村となり、今は荒涼とした風景が広がる。

 五ヵ山を抜けた那珂川は南畑の険難を下り、山々が重畳と重なる四箇畑の谷を流れる。市ノ瀬、成竹、埋金、不入道の集落を抜け、やがて谷はひらけ、岩戸河内に出る。そして、那珂川郷に広がる水田地帯を南北に貫いた那珂川は福博の街を貫流し、那ノ津から博多湾へ注ぐ。

 那珂川が貫流する福岡平野は列島開闢(かいびゃく)の地。大陸から稲作をはじめとする文化が、わが国で最も早く齎された地。その起源は日本最古級の稲作集落、板付遺跡などが縄文晩期に派生することに始まる。
 那珂川流域のもうひとつの起源譚、魏志倭人伝にいう「奴国」の中枢とされる弥生王墓、須玖岡本遺跡の存在が、列島で最も古く繁栄した国家の痕跡をみせる。
 そして、那珂川下流域には古く、那ノ津の入江が彎入していたとされる。この入江には那津官家が置かれ、大陸や韓半島との外交、軍事の舞台とされ、中世には自治都市、博多の繁栄を齎している。


 那珂川中流域、四箇畑の谷がひらける南面里の上方に「戸板」の集落がある。ここは那珂川流域を見下ろす天空の集落。集落のはずれには神さびた祠(ほこら)が在り、天の岩戸と呼ばれる岩盤を神体としている。大日如来の座像が彫られた盤石は、天照大神が籠もった岩戸の片戸とされ、岩戸郷の名の起源とされる。麓の山田に鎮座する伏見神社では毎年、7月に岩戸神楽が演じられる。

 福岡藩の国学者、青柳種信は伊邪那岐命(いざなぎ)が禊ぎをした「筑紫の日向の橘の小戸の檍原」とは、この那珂川流域の岩戸河内であると述べ、日本の国はこの地から始まるとした。

 岩戸河内の下手に岩戸郷23村の総社、現人神社(あらひと)が鎮座する。由緒では「伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の檍原にて、禊はらい給ひし時に生まれし、住吉大神を祭祀した最も古い社」として元住吉ともいわれ、博多の住吉本社の元宮であるとする。
 青柳種信は太古の那ノ津はこの域まで彎入して、底筒男命、中筒男命、表筒男命の住吉大神は、この地の洲に生まれたと述べる。また、現人とは神功皇后の軍船の舳先に現われし住吉大神を示す。神の如き働きをした武内宿禰に、神代の名が与えられた話が重なる。


 現人神社の由緒は「神殿に水を引かむと山田の一の井堰を築き、裂田の溝(さくたのうなで)を通して五穀豊穣の誠を捧げられる」と述べ、日本書紀に記される灌漑水路、裂田の溝に纏わるとする。
 武内宿禰が造ったとされる裂田の溝は日本最古の灌漑水路。前述、山田の伏見神社の社前、一の井堰で取水され、水路は安徳台と呼ばれる台地を廻って仲の平野を潤し、現人神社付近で那珂川に合流する。

 日本書紀は「神功皇后が那珂川の水を神田に入れようと溝を掘らせたが、迹驚崗(とどろきのおか)で大岩に塞がれたため、武内宿禰が神祇に祈るや、雷が大岩を砕き水を通した。故に、裂田の溝と呼ぶ」と記す。落雷によって裂けたという岩が在り、裂田神社が鎮座する。
 こういった説話は「蹴裂(けさく)伝説」と呼ばれ、各地にみられる。古代の鉄器による岩盤掘削を示し、鍛冶に由来する氏族が拘わるといわれる。

 岩盤を掘削するには、鍛治技術による鋼(はがね)の鑿(のみ、たがね)を使う石工技術が必要とされ、4、5世紀の刳抜式石棺がその技術。裂田の溝はその時代のものとも。記紀の応神天皇紀には武内宿禰が灌漑を行った事象や韓鍛(からかぬち、鍛治工)の記事がある。
 安徳台の脇の林の中に風早神社が在る。寂びた祠であるが風の神、級長津彦命(しなつひこ)が祀られる。古代製鉄では鞴(ふいご)と季節風で火を焚いたという。風早神社の社地は安徳台で塞がれた風が抜ける道。そして、安徳台上からは最古級の鉄器工房も検出されている。


 裂田の溝の取水口、一ノ井堰に鎮座する伏見神社には「鯰」の伝承が遺されている。この社では鯰は神使とされ、社前の「なまず淵」の大鯰は天下の変事に現れるという。大阪の陣や島原の乱、日清、日露の戦争の折に現れたという。また、ここの鯰は三韓征伐の折、群をなして神功皇后の船団を導いたとされ、社殿には鯰の絵馬が飾られる。
 この社の祭神は淀姫命(よどひめ)。由緒では神功皇后が肥前の與止日女神と京都伏見の御香宮を合祀して、那珂川の守り神としたという。肥前、嘉瀬川の比売神、與止日女神(よどひめ)は、背振山地を越えて那珂川の守り神となっている。肥前、與止日女神社でも「鯰」は神使とされる。

 阿蘇神話にも「鯰」の逸話がみられる。阿蘇の主神、健磐龍命は湖水を流すため外輪山を蹴破る。が、大鯰が横たわり水流を止めたため、健磐龍命は大鯰を退治して湖水を流す。これも蹴裂(けさく)伝説。
 「鯰」をトーテムとする阿蘇の古族、山部氏族は鉄器や鍛冶に纏わる氏族とされる。草部吉見神(くさかべよしみ)を氏神として、神職は「日下部(くさかべ、草部)」を称する。そして、那珂川で裂田の溝を管理する氏族が日下部氏であった。「鯰」トーテムや鉄器、蹴裂伝説を通じて阿蘇の氏族と那珂川の氏族が繋がる。

 安徳台の下手に「隈(くま)」と呼ばれる域がある。今も西隈、東隈の地名を残す。古層の隈(くま)地名は火(肥)の民に由来するとも。三韓征伐では火(肥)の兵が御手長として武内宿禰に従っていた。
 裂田の溝を掘削した氏族とは武内宿禰に従った火(肥)の山部氏族(日下部)であろうか。


 安徳台(あんとく)は阿蘇火山堆積物の侵食台地。周囲は10数米の高さで切り立ち、山田の小平野の前面を塞ぐ。台上には平坦地が広がり、上る通路は北側一ヶ所のみ。のちの時代、平家都落ちの折、岩戸少卿、原田種直が安徳天皇をこの台地に迎えたため安徳台の名を纏う。
 安徳台は「奇跡の崗」とも称される。台上からは多彩な弥生遺跡群、飛鳥期の建物遺構、そして、平安から室町期に至る居館の遺構が検出され、いまは蜜柑畑ともなったこの小さな台地は、弥生期から飛鳥、平安、戦国期に到る歴史に彩られ、常に歴史の表舞台にあった。

 安徳台弥生遺跡は130を超える竪穴住居からなる弥生中期の大集落跡で、住居は大型のものばかり。最古級の鉄器工房跡や弥生最大級の住居跡も検出している。首長墓とみられる甕棺墓からは大型の鉄剣、鉄弋、ガラス勾玉が出土、のちの弥生王墓の性格をみせる。そして、被葬者は43個のゴホウラ貝輪をつけていた。

 古く、ゴホウラなどは南西諸島に産し、琉球や南薩で貝輪に加工され、威信財として交易品とされた。貝輪交易ルートは「貝の道」とも呼ばれ、南西諸島から南薩、八代海あたりを経て、有明海へも入っている。吉野ケ里丘陵域、弥生中期後半の甕棺墓には腕に36個の貝輪をつけた女性の存在があった。

 吉野ケ里あたりで上陸した貝の道は、脊振山系(坂本峠)を越え、五ヶ山から那珂川流域を下ったとみえる。古く、このルートは筑前道と呼ばれる幹道であった。安徳台あたりは地峡、有明海と奴国域を結ぶルートを扼する要衝でもあった。

 4世紀、安徳台対岸の丘陵に地域最大の安徳大塚古墳が築かれる。そして、その丘陵は「王塚台」と呼ばれる。この域で王と呼ばれた人物とは、弥生中期の安徳台に在った領袖の裔であろうか。それとも、中流域、須玖岡本の奴国王に纏わる人物であろうか。


 そして7世紀、安徳台では柱間が1mを超える大型建物4棟が造られている。この遺構を伝承の「磐瀬行宮(いわせのみや)」とする説がある。磐瀬行宮は661年に斉明天皇が白村江の戦いに臨むため筑紫に構えた宮、その場所は謎とされている。
 日本書紀は斉明天皇を「興事を好む」と評する。灌漑などの工事を飛鳥で行い、酒船石などの石造遺構が知られる。さすれば、裂田の溝などは斉明天皇の仕業に相応しい。そして、この女帝をモデルに神功皇后の伝承がつくられたいう説がある。


 「川の神祇」と呼ばれるものがある。古く、瀬織津比売神(せおりつひめ)が川の早瀬に在って罪穢れを浄め、海へおし流す役を負うとされる。
 那珂川中流域、警弥郷に「警固(けご)神社」が鎮座する。警固大神として祓戸神の神直日神、大直日神、八十禍津日神の三神を祀る。そして、祓戸神は罪、穢を祓う神であり、瀬織津比売神と同神とされる。
 摂津、西宮の「廣田(ひろた)神社」は天照大神荒魂を祭神とする。が、古くは瀬織津比売神が祭神であったという。この宮を奉祭する摂津の廣田連は神功皇后の三韓征伐に拘わる氏族。そして、警弥郷で警固神社を奉斎する氏族がやはり廣田氏族であった。摂津と那珂川流域で、祓戸神、瀬織津比売神の祭祀氏族が重なる。

 また、廣田神社の神宴歌や住吉大社神代記に、「廣田大神と住吉大神が睦みを成した」とあり、摂津の廣田神社と住吉大社が淀川を挟んで対の関係にあった。那珂川でも警弥郷の警固神社と住吉神を祀る現人神社が同じ構図を見せる。
 淀川とは那珂川の守り神、與止日女神(よどひめ)に由来して、那珂川は摂津、難波あたりとの繋がりをみせる。

 現人神社の社伝は、博多の住吉本社は現人神社の分霊であり、摂津国一宮の住吉大社はその和魂(にぎたま)であるとして、那珂川流域から摂津への祭祀の流れを示す。那珂川流域から摂津への氏族の移動の痕跡がみえる。


 那珂川流域は太古に始まる歴史が凝縮され、多くの歴史ストーリーに彩られている。那珂川流域は私にとって宝箱。伝説、伝承の類は数知れず、上古の遺跡から中世、戦国の史跡まで散在させて、次は何が出るのかと退屈させない。(了)

 

 

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