阿羅漢果までの道のり

悟りの階梯 阿羅漢果までの道のりで感じた事、
この世界の真理について時間の許す限り記事を書いていこうと思います。

最後の投稿

2014-08-20 18:26:08 | 自己紹介
この記事を最後に記事を投稿するのを止めます。

このブログの記事はほとんどが不還果の時に書いたものです。

不還果の時にはこのブログの記事が正しいと感じました。
(訂正する部分としては、現象に意味も何もないという事です。
 生まれた意味、生きる意味、死ぬ意味、個人で考えれば、
 そこに善や悪などの意味もありますが、本質的には意味も何もありません。)


それから、たぶん、阿羅漢果に到達する人は私以外にも出てくると思います。
このブログを読まれている方、気が向いたらで良いと思うので、
自分の体験している事を記録して下さい。
その記録は自分にも、また、他の人にも役に立つと思います。
預流果の時、一来果の時、などの体験談があれば、
他の人が悟りを開く助けになると思います。


私にはあまり時間が残されていません。
今、存在しているのも奇跡的なことだと思っています。

ブログを再開した時に、
今は、阿羅漢果の状態ではない、と説明しました。
この部分の説明をします。

阿羅漢果の状態は、自分がない状態です。
ただそこにある状態なので、自主的に何かをする事ができないんです。

別の存在に頼まれて何かをするという事はありますが、
自分で何かをするという事ができなくなります。
(意思を伴う事ができなくなるという表現が正しいでしょうか。~したいという事がない。
 つまり、本能的な部分、最低限の食事、排泄、睡眠など)
そういう訳で、阿羅漢果の状態じゃなくなるまで待ってからブログを再開しました。


最後に、多くの人が考えるほど、悟りを開く事は難しいことではないと思います。

誰かが出来るなら、誰でも出来る事だと思います。


更新再開をする予定です。

2014-06-06 23:25:08 | 自己紹介
一度、阿羅漢果に到達しました。

今は阿羅漢果の状態ではないのですが、
阿羅漢果の状態だった時を思い出して記事を書こうと思います。

合わせて、過去の記事で自分が勘違いをしていた部分があるので
それも訂正したいと思います。

阿羅漢果ではない状態で

阿羅漢果について書いて大丈夫なのか? と思うかもしれませんが、

阿羅漢果の状態では書けないという事も含めて、

今後の記事で書いていきたいと思います。

1週間程度で記事を書きあげる事ができると思います。

全ての記事を書いたら、もう二度と記事を更新する予定はありません。

今日はこれで終わりにします。

今後の予定

2013-07-08 15:10:00 | 自己紹介
とりあえず、自分がこれから歩みそうな道は大きく分けて2つです。

1つ目は、“死ぬ”ことです。


推論ですが、“この世”と“あの世”の大きな違いは

時間の感覚だと思ってます(自分には確かめる術が今はないですが)。

ここで死ぬと、効率が悪いなって思いますが、

自分ではどうすることもできませんからね。


2つ目は“生きろ”って言われた時ですね。
(生死は強引な手段を使わない限り、コントロール出来るものじゃない、
 と思ってるので、こういう表現をしました。)

不食なり、ものすごい少食で元気に生きていけないと
生きていくのは厳しいですから。

私からすると、それは“奇跡”に感じます。
(不食を実践できている人は阿羅漢果の精神レベルに到達してる気がします。)


この“生きろ”と言われた場合、重要になってくるのは

何を生業にして、仕事を通して、この世に貢献していくか?、です。
お金のために仕事をするのは私には不可能です。

私は山(一応火山)のある県に住んでいるのですが、

そこに移住して、仕事をしようかと思ってます。
(今も同じ県内の田舎にすんでますが、
 さらに田舎なので、秘境のように感じます。)

具体的に何をするかは、まだ、決めてません(見当はつけていますが)。
体が元気じゃないと何もできませんからね。

移住するために準備がいるのかどうかまで、きちんと考えてやるつもりです。


それと、精神世界関連で商売する気はありません。
(だって在り方に反するから。)


前から言っているように、記事更新は今日で終わりです。
(コメント返しはすると思いますが)

これ以上書けないんです。
書けば書くほど、蛇足になるので。

今の私に悟りの階梯に関して書けるのはここまで、って事です。

もし、記事更新する時は阿羅漢果に到達した時だと思います。

これも以前に書きましたが、生かされている間は

日月神示に専心しようと思ってます。

それに関してのブログはここ以外でやってくと思います。

間違いなく言えるのは日月神示に出会えたのは

悟りの階梯を上ったからだと思います。

凡夫のままでは、日月神示に出会えなかったでしょう。


人を介在する事の弊害は大きなものがあります。

それは宗教も同じです。

誰かが言っているから、こういう文献が残っているから

だから、正しい、って事はありません。

いろんなことを参考にしながら、

真理を自分で探し当てるしか道はありません。

悟りの階梯を上ってきた話をする前に知っておいて欲しい事

2013-07-02 23:53:42 | 自己紹介
この記事は書きたい事が複数あるのをまとめて書いてます。
突然の話題変更がありますが、ご容赦願います。


私がブログを始めたきっかけは
http://blog.goo.ne.jp/arakan_26/e/d06f818e4b7e682d5089ec0a665ba45e
ここに書いたとおりです。

ただ、ここ数日思うのは
いわゆる“人気”ブログと呼ばれるブログで
他人の悟りの階梯を邪魔しようとするブログ主が多いという事です。

“悟り”と謳って、“偽物”を流布するのは
非常に良くない事です。
それを流布する人にとっても、信じてしまう人にも。

正しい言葉、ニュアンスが世の中に伝わって欲しいとも思います。


話は変わって、

“悟り”に関してどういう風に思っていますか?
(漠然としてて申し訳ないです。)


“悟りの境地”に至る事って非常に困難な事なんじゃないのか?って感じてる人は
多いんじゃないかと思います。

その認識は間違いです。

預流向さえ迎える事が出来れば、すぐです。


私が“悟りの境地”に至る事が困難な事じゃないとする根拠は
お釈迦さまにあります。

あの人は6~7年という期間で
人類史上初の阿羅漢果に到達した訳です。
(あえて阿羅漢果と表記しましたが、正しくは仏陀です。)

この意味がわかりますか?

誰にも教わることなく、正しいやり方であれば、
ごく短期間で“悟りの境地”に至れるという事を
お釈迦さまご自身が教えてくれているのです。

お釈迦様の形跡を知る事が出来る現在なら、
もっと早くに“悟りの境地”に至れると私は思います。


さらに、話は変わって、

“悟りの階梯”を上っていくのに
お金はいりません。

基本的に全て、無料です。

考えてもらえば、確実にわかると思うのですが、

そもそも“悟りの階梯”を上っていけば、

それが本物であるのなら、“欲”というものは薄らぎ、やがて消えます。

つまり、“悟った”とかと言って、過剰なお金を取るのは
世界の“在り方”から反するんです。

“悟りの階梯”を上っていく人の“在り方”から反するんです。


現代では、お金は生活するために大事です。
他人の欲望に費やすのではなく、もっと有意義な物に使って下さい。


さらに、話は変わって、

このブログでは“悟りの階梯”を上った体験談、体験してる時の悩み、
微妙なニュアンスを伝えていく予定です。
あと、こういう情報を求む!みたいな記事とか。

ただ、内容は薄いです。おそらく、1か月もあれば記事に出来ると思います。
一か月もかからないかもしれません。
一人の体験談だし、そもそも本質が簡単です。
じゃなきゃ、お釈迦さまがあんな短期間で出来ていないと思うので。

それで、これはお願いです。

出来れば、コメントを下さい。
(疑問などに全て答える自信はありませんが、
 私が答えられる範囲でお答えします。)


お釈迦さまが説法をしていたのは、
たぶん、それが一番良い“やり方”だったんだと思います。
人を導いていくのに。

私は阿羅漢果に到達していないので、
人を導くなんて出来ませんが、一緒にやっていければ、って思ってます。


次に、私は単なる普通の人です。
ただの病人です。
私の今の身分は、病気療養中の無職の男です。
こんな人間でも“悟りの階梯”を上る事が出来ました。

自分には出来ないと思わずに、自分を信じて、
“悟りの階梯”を一緒に上りましょう。

最後に、“悪魔の誘惑”と比喩されるものについてお話して終わります。
これは私の実体験でしかないので、信じなくても結構です。

“悪魔の誘惑”と聞いて、また、宗教が商売してる、と初めは思ったのですが、

“悪魔の誘惑”は確かに存在します。
不還果以降は神と呼ばれる領域だと感じるのですが、
“悪魔の誘惑”に負けると一瞬で人界に引き戻されます。
その誘惑に負け続けると、たぶん、さらに堕ちていく事になると思います。

油断や慢心、驕り、非常に危険です。

ただ、それをなくそうとするのではなく、正しい“在り方”でいる事に
焦点を当てなければ勝てないと思います。

ここからは推測ですが、

“悪魔の誘惑”とは“自我”の残りかすではないか?と最近、感じます。

最近の私は諸法無我を理解しているからこそ、
“存在”に対して執着してます。
諸行無常を理解しているからこそ、
本当の意味での“終わり”がある事もわかっています。

今は“自我”の“最後の抵抗”に遭っている気がします。
“消える”事が悲しいでもない、何とも言えない感情があります。


阿羅漢果に関する阿羅漢果の人が書いたと思われる文章を探しています。
私が探した限りでは、一つも見当たりませんでした。
もし、見つける事が出来たら、是非、教えて下さい。
お願いします。

私が預流向を迎えたきっかけとブログを始めようと思った理由

2013-06-26 03:53:38 | 自己紹介
初めまして。仙人老師と名乗らせてもらいます。

私が預流向を迎えたきっかけは
病気になり、現代の医学に絶望し、
“死”というものを目の前に突き付けられた事がきっかけです。

今も命が助かった訳ではなく、近い将来、死ぬ可能性は残されています。
自分が死ぬかもしれない、と感じた時から
悟りの階梯を上り始めていた気がします。

申し訳ないですが、どのタイミングかは正確に覚えていません。
当時は何も意識していなく、その後に学んだ事と照らし合わせると
“あれは預流向だったんじゃないか、うん、そうに違いない。”
というぐらいの感覚です。

病状の悪化とともに
悟りの階梯を上る事が出来ました。
おかげで病状が悪化しているにも関わらず、平穏に過ごせています。

ブログのタイトルに
“阿羅漢果までの道のり”
としましたが、阿羅漢果まで至っていません。
ただ、死ぬ間際までには完成したいな、と思っています。
出来なければ、あの世で完成させようと思います。

私は、無事、欲界の執着が消え、不還果に達し、
阿羅漢向を迎える事が出来ました。

私がブログを始めようと思ったきっかけは
今、自分が出来る事で出来る事はないか、と自問自答した結果です。
“正しくありたい”と思っているので
正しいと思っている事をやらない理由がないんです。
わかりますか?この感覚?

こういう精神世界の事は眉唾物もいいとこなので、
何を信じたらいいのか、よくわからないと思います。

私が間違っているかもしれません。
その時は教えて下さい。

私は、私が正しいと思う事を発信していきます。
それを鵜呑みにせず、自分で一度、考えてから
納得してから自分の中に入れていって下さい。

世界の真理に反する教えは
自分の中で噛み砕く時に違和感を感じます。
自分の感覚を信じて下さい。