
< アフリカの牛牧畜民、記事の民ではない >
これまでに大規模な戦争の流れを見てきました。
そこでは兵士達の顔が見えず、複雑な社会状況が絡まり、戦争の実態が見にくい。
今回は、小規模で未開社会の戦いを見ます。そこでは感情や欲望が露骨に出ています。
アフリカのサバンナ、ニューギニアや南米のジャングルに暮らす無文字社会の人々の戦争を見る。
アフリカ・サバンナのある牛牧畜民は牛略奪の戦争を起こすことがある。10~20年毎に乾燥が深刻化してくると、村の牛の頭数が激減する。すると村の長老は呪術者に襲うべき村を尋ね、その占いに従って数十人の成人男子は槍を持って出撃する。目標の村を襲い、総べての牛を略奪し、村民を皆殺しにするか、場合によっては幼い男の子だけを誘拐して養うことがある(記憶が定かでない)。最近まで宗教と政治、民族がらみで内乱が続いていた南スーダンでは、突如として一村が襲われ牛の略奪、銃と大鉈で村人の大量虐殺が起こっている。

< ニューギニア高地民、マリン族ではない >
ニューギニア高地の焼畑農耕と豚の飼養を行うマリン族の戦争を見る。村の規模は数百名である。他集団の間で密猟、作物の窃盗、邪術、女性の誘拐が起こり不満が溜まり時期が来ると報復の戦争を行う。最初は、約束の場所に大盾と弓矢を持って集まり、射程内に横一列で対峙し、お互い矢を射る。これを数週間繰り返すことになる。これで解決しない時は、投げ槍や斧を持ち縦列を組み、前列から一対一の決闘を行い、順次後方と交代する。これは数ヶ月続くことがある。これらの戦いは毎日、村に戻り翌日来て行う。畑仕事の為に休戦することもある。
その戦闘形式を遵守する様は古代ギリシャの戦いやオリンピアの祭典で休戦するのと同じである。戦争が終わると、村をあげて祖先に感謝して大量の豚を供儀する。戦争に概ね10年以上の間隔が必要で、供儀用の豚が成育する年数である。もっとも死者が多い段階は襲撃である。敵の村を襲い、火を放ち、村人を無差別に殺戮する。生き残った村人は遁走する。その村の家屋と畑を徹底的に破壊し、墓地を汚す。
ブラジルのジャングルを遊動する十数名の狩猟採集民が引き起こした戦闘の様子をレヴィ・ストロースが「悲しい熱帯」に記している。彼らは遊動途中で別のバンドなどに合うと、儀礼的な意味合いも含めて物々交換を行うことがある。ある時、交換後、それが不公平で名誉を傷つけられたと考え、そのバンドを襲い皆殺しにした(記憶が定かでない)。

< ヤノマメ族 >
最後に名高いヤノマメ族の戦争を見る。彼らはブラジルのジャングルで、焼畑農耕と狩猟採集で暮らしている。ヤノマメの男性は、少年の頃から獰猛さ、残忍さを重視する。とくに女性に対して暴力的にふるまう。ヤノマメは、呪術によって死が引き起こされると信じている(多くの先住民も)。
ある時、B村の子供数人が死亡し、村のシャーマンは隣村Kの男の呪術が原因だと占った。そこで隣村Kの男が招待され、歓待の後、背後から斧で頭を殴られ殺害された。するとその隣村Kは友好関係にあるC村に依頼し、B村を歓待する饗宴を主催させた。B村の男女子供達は、無警戒にC村の饗宴に参加した。そこで、突然棍棒などで殺され、逃げた者は待ち伏せしていたK村の者によって成人男性が殺された。生き残った村人は村を捨て、遁走した。
これらの村は平時において交易で結ばれている。時折、饗宴が行われ、同盟関係にある村が招待される。しかし緊張はある。食物や贈り物への不満などでいざこざが起こり、「胸叩きの決闘」に発展することがある。皆の前で、双方から男が一人づつ、広場に進み出て、両手を後ろに組んで胸を突き出す。片方が、拳骨で全力を込めて胸を殴る、これをどちらかが倒れるまで行う。死者が出ることはない。
「棍棒の戦い」がある。原因は姦通であることが多い。寝とられた者と間男がおたがい順番に、長さ3mほどの棍棒で脳天をなぐりあう。一方が流血して倒れると、双方を支持する集団どおしの闘いになり、死者が出ると、「襲撃」に発展する。他村の場合であれば、十数人の襲撃隊が深夜村はずれで待ち伏せし、だれか一人を殺して、すばやく撤退する。最終戦争は前述の「だまし討ち」で、敵をいつわり饗宴に招き、多数を撲殺し、敵の女性は戦利品として分配する。
多くの未開社会の兵士は、戦闘時、エスカレートした結果、欲望のまま残酷な行為に至る、ここではふれなかったが。また首狩り、食肉などの行為には彼らなりの信仰や意味がある。
上記の先住民の戦争記述はほぼ半世紀から1世紀昔前のもので、現在の話ではありません。
こうして未開社会の戦争を見ると、いくつかの共通点がある。
* 初期の戦闘は形式化されており、死傷者や被害が少ないように文化的に規制されている。
* しかし、死傷者が出ると憎悪が沸き起こりエスカレートしてしまうことがある。
* エスカレートしてしまうと、殺戮や略奪に歯止めが効かない、相手の人権などない。
* 戦闘が状態化している社会では、男は暴力的である。
* 現代から見れば、村を壊滅させてまで戦争する理由があるとは思えない。
現世人類は、紛争原因になる窃盗、姦通、呪術、名誉毀損などの軋轢を解消する文化や法を蓄積して来た。同様に20世紀の両大戦を踏まえ、戦争を減らす工夫を施している。
参考図書
「未開の戦争、現代の戦争」栗本英世著
「男の凶暴性はどこからきたか」リチャード・ランガム&デイル・ピターソン著
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