< 秦の始皇帝 : >
今回は中国の西安にある秦始皇帝陵の兵馬俑を紹介します。
この遺跡は紀元前3世紀に造られた巨大な墓と地下の兵隊人形群からなります。
この遺跡を残した人物は中国初の巨大帝国の皇帝でした。
彼は600年続いた戦乱を終わらせたが、残虐横暴で巨大な造営を行い、死ぬとたちまち帝国は滅んだ。
彼は地下宮殿に埋葬され、その上に一辺350m、高さ76mのピラミッド型の土が盛られた。
さらにその東側の地下に戦車100台、馬600頭、兵士8000体の陶製人形が埋められていた。
< 遠くに陵墓が見える : >
< 墓の地下宮殿予想図 : >
発掘はされていませんが、黄河と長江を模した水銀100トンが埋蔵されている。
< 秦俑博物館の広大な敷地 : >
< 大部隊全景 : >
実際の戦闘配置さながらに指揮官、長柄の武器を持つ歩兵、弓兵、戦車が隊列を組んでいる。
< 拡大図 : >
この兵士人形の身長は1.8~2.0mあり、その顔は総べて異なる。
服装や髪型も階級や個性によって精緻に描き分けられている。
< 拡大図 : >
この兵士達は鎧を身につけ冠を被っている者がおり、階級が高いことを示している。
< 指揮所全景 : >
護衛兵が兵舎を守っている。
< 石弓兵 : >
実に写実的に表現されている。
当時はこれらに彩色が施されていた。
< 青銅製馬車 : >
原物の1/2の大きさである。青銅鋳物でこれを製作出来る技術があったことに驚くばかりである。
< 陵墓の配置、上が北 : >
この遺跡は中国西端にあり、秦の宮殿(咸陽:西安中心部より少し西)の東にありました。
そして陵墓の東側に兵士は皆お尻を向けて隊列を組んでいます。
皇帝は200万の軍隊をもって東方のあまたの敵国(斉、楚など)を倒し天下統一を成し遂げた。
その皇帝は死後も東側に兵士を配置し、敵に恐れ不安を抱いたのでしょうか。
< 秦の前、戦国時代の像 >
< 漢の陵墓の人形 : >
これは半世紀後、秦の次ぎに統一を行った漢帝国皇帝の陵墓副葬品の人形です。
人形の身長は60cmぐらいで、衣は布製、腕と鎧は木製であったため腐って残っていません。
私が最も関心を持つのは、秦の兵馬俑以前に中国ではまったく写実的な彫像が出現していないことです。
他の文明では徐々に表現様式が精緻で写実的になっていきます(短くても数百年)。
これだけ大量に、個性ある写実的表現を短期間になし得るものかと不思議に思った。
表現様式にギリシャの影響がないように思える以上、始皇帝が過去の表現形式から一気に脱却したと言うことになります。
ここにも始皇帝らしい文化の破壊者と社会改革者の一面が見られます。
この西安は中央アジアを通じて交易や人の交流があり、アレクサンダー大王統一から約1世紀経っていますので、写実表現を知る人は居たでしょう。
不思議なことに漢墓の人形の表情には凡庸さや柔和さがあるが、秦のものには冷たさしか感じません。
実に大胆に歴史を塗り替えた現場に居合わせたような気がしました。
この「最古を巡る旅」シリーズは今回で終わります。