< 左は現世人類、右はネアンデルタール人、Wikipediaより >
前回は現世人類がヨーロッパに進出した状況を見ました。
なぜクロマニヨン人が原初美術を始めたのだろうか?
その理由を探ります。
< ヨーロッパにおけるネアンデルタール人とクロマニヨン人の道具を比較 >
図Aはネアンデルタール人が70~50千年前に作った石器です。図BとCはクロマニヨン人が作ったもので、石器は20~12千年前、骨角器の銛は17~11千年前のものです。骨角器はクロマニヨン人になってから急速に発達した。
クロマニヨン人の石器は精緻で鋭い刃物になっている。このことが槍投器と相俟って効率の良い狩猟を可能にし、また穿孔器と針を使い体にフィットする服を造り、極寒対応をも可能にした。一方この寒さが、大群で移動するトナカイや馬、バッファローの生息に適していた。そのことが集団による河谷での待ち伏せ、追い込み猟を発展させた。さらに極寒は大量の肉の保存を可能にした。こうして季節移動する大群を待ち伏せる好適地に、彼らは集団で冬の数ヶ月間の定住を行うようになった。
群れがどのルートを通るのか、数少ないマンモスを発見することが出来るのか、これは彼らの大きな懸念であった。彼らは先住民と同様に、予測出来ない事は祈りや呪いに託したのだろう。
こうして狩猟動物の頭骨や自ら描いた動物の壁画を拝んだのだろう。ライオンマンの像や魔術師の図は、後の偶像崇拝を想わせる。
< 住居の比較 >
図Aはネアンデルタール人が、図B,Cはクロマニヨン人が作った。
図Aはフランスのテラアマタ遺跡にある避難所の想像図で、長さ約15m、約40万年前のものです。穴に木を立て石で固定した。これはヨーロッパで最初の築造住居跡ですが、アフリカでは180年前の最古の小さな住居跡が見つかっている。
図Bはウクライナのメジリチ遺跡の復元で、直径約6m、約18千年前のものです。木で枠組みし、毛皮で覆い、マンモスの骨を重しにした。
図Cはドイツのゲナスドルフ遺跡の復元図で、直系約6m、約15千年前のものです。木で枠組みし、馬の皮を張って作られた。その中にはマンモスの骨を組んだ調理器と調理穴がある。この数棟に冬の数ヶ月間、集団で生活していた。この時期以外は狩猟動物を求めて移動生活をしていたのだろう
炉の存在は共通するが、図B,Cは強固で極寒での定住に適応している。元来、狩猟採集民は短期に移動を繰り返す為、道具や資材を現地調達し、持ち運ばないので、図Aのように避難所は非常に簡便となる。
壁画が描かれた深い河谷にある洞窟の入口や周辺の岩陰にテントを張って暮らしていた。そこは風が遮られ、低木も茂り、水場も近かった。
この氷河期の定住は、人々に変化をもたらした。
彼らは素焼きや彫刻のビーナス像を作って、身近に持つことを可能にした。集住は作業分担を可能にし、壁画を巧みな者に任すことにもなった。これらが美術や技術の発展につながった。繰り返す離散と集住は、知識や情報、物資の交換を促進した。石器材料の入手範囲は、それまでの数十kmから数百kmに広がった。
こうしてクロマニヨン人が氷雪の極寒の中、原初美術を生むことになった。
次回は、さらに定住が引き起こした重要なインパクトを探ります。
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