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原初美術の誕生 12 : 美術を誕生させた人々 1

2013年04月09日 | 連載完 原初美術の誕生

< チェコのDolni Vestonice 遺跡の再現図、約29000年前、Don’s Mapsより >

これからは原初美術誕生の意味と謎を探ります。

原初美術を誕生させた人々に迫ります。

人々が、なぜこの地に、またこの時期に芸術を開花させたのかを明らかにします。

今回は、現世人類の各大陸への展開を追います。




< 現世人類の展開 >

地図は、我らの直系の祖先(現世人類)が、世界各地に移住していった様子を示す。

線と矢印は最初期の移動時期と代表的な経路を、数値は千年前を示す。

この図はJOURNEY OF MANKIND (Bradshaw Foundationと0ppenheimer氏製作)を簡略化したものです。

我々人類は約500万年前にチンパンジーの祖先からアフリカで分岐し、その後、幾度も新しい種が誕生しては絶滅していった。30万年前には、ヨーロッパにネアンデルタール人が暮らしていた。しかしアフリカで誕生した現世人類(クロマニヨン人)は約4万年前、ヨーロッパに進入して来ると、ネアンデルタール人は生存競争に負けて、やがて絶滅した。

両者の身体を比較すると、ネアンデルタール人の方が脳や体重が大きく、クロマニヨン人より約10%消費エネルギーが多く、また寿命は短く、幼児死亡率も高かった可能性が高い。これがクロマニヨン人との競争に負けた理由の一つかもしれない。

ヨーロッパの原初美術の担い手は、考古学的な証拠により、ほぼクロマニヨン人だとされている。




< 地球の平均気温の16万年間推移、「地球環境変動とミランコビッチ・サイクル」」より >

人類がアフリカから各大陸へ移住した時期は気候変動に左右された。寒冷化による海面低下は、アジアやオーストラリア、後の日本やアメリカ大陸への進入を可能にした。また温暖湿潤化は、砂漠や氷床を草原に変え、ヨーロッパへの進入、後の北欧進入、アフリカとアメリカ大陸南下を可能にした。このことが原初美術の開始時期にバラツキが出た理由の一つです。

ビーナス像が精彩を放ったのは32~25千年前、ラスコーやアルタミラの絢爛たる洞窟壁画が生みだされたのは19~15千年前でした。この間の21千年前は最も氷床が拡大した時期だった。その後、温暖化が急激に進行すると原初美術は急速に衰え、やがてケルトの青銅器文化が訪れるまで、ギリシャを除いてヨーロッパの美術は沈黙してしまった。



< 最終氷期最盛期LGM(21千年前)の植生、PNASより >

この極寒期の中央ヨーロッパは夏の草原と冬の氷雪に覆われたステップ・ツンドラ地帯、南側は半乾燥地帯であった。アフリカとインドは今より乾燥していた。オーストラリアの北西部(キンバリー辺り)は東南アジアと海峡を挟んで近く、森林もあった。日本は大陸と一部繋がっており、今より森林に覆われていた。北アメリカは氷河で覆われており、人類は北から南進することが出来なかった。この前後の各数万年間は少し温暖湿潤であり、人類は移動しやすかった。

こうして現世人類の移動展開が行われ、その移住先でやがて原初美術が花開くことになった。

次回は、ヨーロッパのクロマニヨン人の生活ぶりを見て、美術誕生の要因を探ります。








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