あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

いのち その尊きもの

2016-08-30 08:24:49 | 日記
朝日新聞で、「小さないのち」と題する特集記事がスタートしました。
幼くして命を亡くした さまざまな事故や事例を検証し、どんな配慮や対応をすればかけがえのない命を救うことができたのか
そのことを 読者に問いかけ 考えさせる内容となっています。
そこには、子を亡くした親の 二度と同じような悲しみを体験することがないようにと願う悲しみを背負って生きる親としての
切実な思いも込められていて、心が打たれます。

幼い子どもが不慮の事故で亡くなるニュースを耳にするたび、その子を失った親の悲しみと
その子が描くことのできなかった未来を想います。

長野で、帰省中の小学校1年の女の子が行方不明になるというニュースを知り、北海道で行方不明になっていた男の子と同様、
無事見つかってくれるといいなあと願っていたのですが、残念ながら亡くなっていたのですね。帰省先での悲しい出来事に、
親は胸がはりさけるような辛い心の状態にあることと思います。公開捜査となり、女の子の写真も公開されたわけですが、その
あどけない1年生としての表情を見て、心が痛みます。

今日の新聞の一面には、国内全体の自殺者が減る中で、中高生の自殺が増えていることが報告されています。
中学生の自殺者は、71人から78人になった2012年以降四年連続増加傾向にあり、昨年1年間で102人になったとのこと。
高校生の昨年の自殺者は、241人。過去三番目に多い人数だったとのことです。
子どもの自殺は、時期的には夏休み明けに集中することが多く、内閣府が過去約40年間の18歳以下の自殺者数を月別に集計した
ところ、9月1日だけが100人を超え、131人にのぼったとのこと。

それだけ、夏休み明けは 中・高校生の周りにいる大人たちは、心のSOSに耳をすまし、その異変や心痛を感じとり、子どもが
心の内に抱え込んでいるものを受け止めてあげることが必要になってくるのだと思います。

それにしても 夏休み明けには、学校生活が再スタートすることになるのですが、学校生活そのものの中に、ストレスや心痛のもとが
内在しているということなのでしょうか。
友達との人間関係・進路・部活・授業等がさまざまにからみあっ て心の負担となっている面があるのでしょう。

そこに行けば明日への力がわいてくる。〈宮沢賢治の理想郷としたポランの広場のような〉

理想の学校は、主役である子どもたちが自分の夢や理想を大切にし、お互いに学び合いながら生きる力や明日への希望を
育む場所であってほしいものです。

子どもたちのために何ができるのか、何をしてやれるのか、
子どもたちの命の守り手として 大人として果たすべきことを改めて自問し、行動できたらと思います。


朗読劇「月光の夏」を観て

2016-08-29 19:48:44 | 日記
朗読劇だからこそ、言葉の可能性や広がりを実感する演劇だったように感じます。
登場人物の動き、表情、言葉が立体的表現となって感じる演劇とは異なり、
四人の朗読者から発せられる言葉の一つ一つに観客は耳を傾け想像力を掻き立てられます。
表現された内容と言葉とが相乗された世界を 観客の脳裏につくりあげていく 構成のすばらしさ、
それは 事実に基づく 原作そのものの力が引き出すものでもあったのでしょう。
四人がそれぞれの登場人物に扮し、演劇的世界に導く 流れも 不自然な感じがなく、その状況や
登場人物の思いや感情が 切々と伝わってきました。

何より素晴らしかったのは、ピアノ演奏そのものでした。

太平洋戦争末期の昭和20年初夏に、音楽を愛する学徒出身の二人の特攻隊員が 佐賀県鳥栖市にある
学校を訪れます。
そこにグランドピアノがあることを知り、今生の別れに 思いっきりピアノが弾きたい、そんな願いを果たそう
とやってきたのです。
許可をもらった二人は、女教師の見守る中、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を弾き、沖縄の空に
出撃していったのです。
最後の演奏に立ち会った 吉岡公子先生は、深い感動とともにその二人の演奏の様子をしっかりと心にとどめ、
二人の無事を祈り、空襲にあってもピアノを守り続けていました。
戦後45年を迎え、鳥栖小学校にあるそのグランドピアノも古くなり、傷つき、廃棄されることになりました。
そのことを知った吉岡先生は、ピアノを平和の願いの証として保存しようと願い、全校集会で 戦争中にピアノを弾いた
二人の兵士の思い出を語ります。
そのことが、多くの人々に感動を与え、共感と協力を得て ピアノは保存されることになりました。
現在、ビアノは修復され、小学校にほど近い多目的施設、サンメッセ鳥栖の1階ロビーに展示されているそうです。

月光の曲が何度か生演奏され、平和な世界で思う存分ピアノを演奏し、音楽のすばらしさを多くの人々と分かち合い
たいという願い。その願いを果たすことができないまま、敵艦に突入していった 特攻隊兵士の無念の思いが切々と
心に伝わってくるような気がしました。

学校を訪れたもう一人の兵士は、出撃した飛行機がエンジントラブルを起こし、基地に戻らざるを得なくなってしまい、
再度の出撃ができないままに終戦を迎えることになります。
エンジントラブルは特攻の役目を放棄したことになるのではと、上司に責められ、親しい友と一緒に死地への旅に赴く
ことのできなかったことに強い自責の念を抱き、生き残った兵士は戦後も苦しみ続けます。

そんな彼のもとに、ピアノの存続運動の話が聞こえてきます。

吉岡先生と再会し、ピアノを目の前にし、そのピアノで月光の曲を演奏する友の姿を見出すことで、彼の背負ってきた
ものが 少しは解きほぐされたのではないでしょうか。

ピアノを自由に弾くこと事のできる平和な世界がいつまでも続いてほしい、
音楽のすばらしさを通して平和な世界の尊さを 実感してほしい、

戦地に旅立つ前に 今生の別れとして弾いた 月光の曲に込めた 二人の兵士の思いが エンディングの演奏から
月光の祈りのように しみじみと伝わって来ました。

いつか佐賀県の鳥栖市で、このピアノと会いたいものだと思います。


秋の気配

2016-08-29 08:47:47 | 日記
昨日、草刈りをしていて ミズヒキの花を見つけました。
日陰となって 普段は立ち入らないところに ひっそりと咲いていました。
薄暗い中に その鮮やかな 小さな赤花の点々が 隠された宝石のように輝いて見えました。
もう 秋なんだなあと、心地よく吹き抜ける風を感じながら 思いました。

まどみちおさんが、ミズヒキについて書いた詩を思い出しました。

  ミズヒキ

だれも しらない なにかが
だれも しらない なにかへ
つげている わかれなのか
さ・よ・う・な・ら・さ・よ・う・な…
とつらなって わたっていく
ゆうやけて
とおい カリに なりながら
まっかな てんてんに なりながら
ふしぎに いつまでも
いつまでも
みえて…

もう少し秋が深まり 渡り鳥の姿が見られるようになった頃に ミズヒキを見つけたら
この詩を もう少し深く受け止めることができるような気がします。

一つ一つの花が 飛翔するカリの姿に見え 隊列をつくって飛んでいます。
そういった花の列が いくつも 重なって 咲いていると、そこだけが 別空間で
小さな赤いカリが 限りなく つらなってわたっているように 感じることでしょう。

それにしても 別れは 何を意味するものなのでしょうか。

夏が秋に 秋が冬へと 季節の主役が変わることを つげているのでしょうか。

悲しい別れではなく それは 大切な思い出のように 心に残るもののような気がします。

長崎への思い

2016-08-09 18:46:19 | 日記
今日は、71年前に長崎に原爆が投下された日です。
ラジオで平和祈念式での長崎市長の言葉が紹介され、その内容に深い共感を覚えました。

国は、一方では核廃絶を唱え、一方では核抑止力による安全保障を受け入れている。
唯一の被爆国として とるべき道は、核に頼らない安全保障の枠組みづくりに世界のリーダーシップをとりながら
率先して取り組むことなのでは…

安倍総理は、核保有国・核を保有していない国双方に核廃絶に向けた国際的な働きかけを継続していくことを語った
ようですが、矛盾した立場に立つ限り、核廃絶に向けた国際的な働きかけは、空論でしかありません。

唯一の被爆国として 世界的な視野に立って何ができるのか、そこにスタンスを置くことによってこそ 日本の立場
や在り方が見えてくるのではないでしょうか。

核兵器が行使されることによって、どれだけの人命が失われ、どれだけの人々が後遺症におびえ辛い日々を生きなけ
ればいけなかったのか、悲惨な事実と痛切な痛みを受け止めながら、核兵器のない平和な世界の到来を心から願いた
いと思います。

原爆投下の意義を アメリカでは 戦争の早期終結のためと主張する考えもあるようですが、果たして広島に続いて
3日後に長崎に投下する必要はあったのでしょうか。
広島に投下された原爆はウラン型で、長崎に投下された原爆はプルトニウム型であったという事実は、異なる核兵器
を使用する実験場として、広島と長崎に投下されたという疑念を抱かさせるものでもあります。

原爆の非人道性という視点から、改めて原爆投下の不当性という問題にもふれる必要があるのかもしれません。
核兵器のもたらす罪悪を広く世界に知ってもらうためにも…。

核兵器のみならず 原発も含め 核に頼らない世界であってほしいものだと心から願います。
 福島の原発事故から学んだことは、なんだったのでしょうか。
 核の力は、人間のコントロールできる範囲を超えているということ。
 汚染された土地を再生するために多くの年月を要するということ。
 さまざまな問題や課題が山積し、原発で使用された核燃料の処理方法がいまだ見つからない中で、あえて原発を再稼働
 し処理不能な核ゴミをつくり続けていくことの愚かさ。
 いまだに初めてのことなので、汚染水の処理も含め廃炉までの手順が見えない状況にあるということ。

これらの問題を踏まえると、核は 人間の制御能力を超えた 手をふれてはいけない 存在なのではないでしょうか。

ともあれ 来年の夏には、是非 核廃絶を願い、広島と長崎への平和を祈念しての旅を実現したいものだと思います。

広島・長崎への思い

2016-08-06 10:08:10 | 日記
8月6日を迎えてしまいました。
原爆投下の日に合わせ、広島や長崎を巡る平和の旅に出たいと思っていたのですが、
次回に持ち越すことになりそうです。

広島は、今日 被爆71年を迎える。
3月現在の被爆者の平均年齢は、80.86歳。
被爆者健康手帳を持つ人は、174,080人。最も多かった1081年の半分以下になったとのこと。
6日に原爆死没者慰霊碑に納められる名簿は、303,195人。

失われた命の重さと 平和の尊さを 痛感します。
核兵器の地球上からの廃絶と 恒久の平和を願います。
憲法9条の持つ意味と重さを感じながら 不戦の誓いを新たにします。

今でも 地球上のどこかで 戦闘が行われ 傷つき・命を失う人がいる。
無差別テロで 命を失う 多くの市民や子どもがいる。

一方では 平和の祭典であるリオのオリンビックが始まりました。

戦争という負の連鎖が断ち切られ 本当の平和が世界に訪れますようにと
あらためて 願わずにはいられません。


     にんげんをかえせ

              峠 三吉

  ちちをかえせ ははをかえせ
  としよりをかえせ
  こどもをかえせ

  わたしをかえせ わたしにつながる
  にんげんをかえせ

  にんげんの にんげんのよのあるかぎり
  くずれぬへいわを
  へいわをかえせ


にんげんをうしなわないためにも 
けっして くずれることのない 頑丈な平和の砦を 自らの心の内に築きあげていきたいものです。