あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

春を告げる福寿草

2014-03-27 09:53:17 | インポート

春の訪れを告げるかのように、福寿草の可憐な花が咲きました。さんさんと降り注ぐ陽光を受け、空からこぼれ落ちた 子どもの太陽のように、黄金色の光をふりまいています。

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「春は、ここから始まるんだよ。」 そんな声が、福寿草の咲く一画から聞こえてくるような気がしました。庭の木々の芽ぶきと共に、確かに春が動き出したような実感があります。

この福寿草は、震災が縁で、隣の地区の方から分けていただいたものです。断水が続き、生活用水にも不自由を感じていた時に、自宅の裏にある用水路の水が使えるのではと考え、そこに汲み取り用のロープ付きのバケツを設置し、誰でも自由にご利用下さいと表示しました。それを使った方が、そのお礼にということで持って来てくださったのが、この福寿草だったのです。断水と停電が長く続き、お互いにその苦労を共にした者同士の絆を思い出させる花でもありました。

畑では、植えっぱなしのキャベツが寒かった冬を乗り越え、新たな緑球をつくりはじめています。枯れたハクサイの根元から、鮮やかな緑葉も顔を出しています。ニンジンやタマネギも、新たな葉を伸ばし始めたようです。

梅の枝には花芽ができ、暖かい日が続けば開花しそうです。

例年フキノトウが顔を出す一画を観察しているのですが、まだ姿は見えないようです。かくれていて 一斉に 「こんにちは」と声をかけられるような気がしています。

カタクリも、そのうち恥ずかしそうに顔をだしてくれそうです。

冬の後には春が来る。当たり前のことなのですが、それが繰り返されることの幸せを改めて実感しています。震災があった3年前の春は、春の訪れさえ感じることが出来ずにいたように思います。季節の色が消え、無彩色の景色をただ淡々とながめているような思いがしたものです。悲惨で悲しい出来事が心に覆いかぶさり、目に見える景色が心のうちまで届いてこなかったのかもしれません。それでも、季節だけは巡り来て、その色や光や姿を通して 時を知らせてくれていたのですね。

柔らかな春の日差しを受けながら、柔らかなハートで 春探しを続けていけたらと思います。

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「蜩の記」を読んで

2014-03-24 09:25:15 | インポート

池井戸潤の小説に続いて、葉室麟の時代小説に夢中になっています。

最初に読んだのは、2012年に直木賞を受賞した「蜩の記」でした。

藩の要職にあった主人公:戸田秋谷は、前藩主の側室と密通した罪で、十年後の切腹と 歴代藩主の事跡の記録をまとめることを命じられます。幽閉された主人公のもとで、その監視と記録の手伝い、密通の真相の究明を命ぜられたのが、壇野庄三郎です。壇野は友との間に不始末を犯し切腹となるところでしたが、その引き替えに家老の指示で秋谷のもとへ遣わされました。物語は、この壇野から見た秋谷の姿を中心に描かれていきます。秋谷という人物がどんな人柄や考えの持ち主か、また罪とされた事実が本当のことなのかどうか、その背景にどんな企みが隠されていたのかが、壇野の視点を通して明らかにされていきます。その過程で、壇野自身が変わっていきます。秋谷という人物を知り、真実が明らかになることで、自分に課せられた役目を越えて、秋谷への信頼と敬愛の念を抱くようになっていきます。そんな壇野の思いに、読み手である私も深い共感を覚えました。

助かる道もありながら、それは未練とみなして切腹を受け入れる秋谷、その姿を見守る家族の悲しくも辛い思い、秋谷という人物を慕いその死を惜しむ人々の思い、最後の場面ではそれらが蜩の鳴き声と共に重なり合って心に響いてくるような気がしました。

歴代藩主の事跡をまとめた三浦家譜ができあがり、切腹を前にした秋谷が、心をよせる慶仙和尚と対話する場面があります。家譜が仕上がり、娘の祝言と息子の元服を見届けた秋谷が、この世に未練はないと語ると、和尚は「それはいかぬな。まだ覚悟が足りぬようじゃ」と語り、さらに

「未練がないと申すは、この世に残るもの者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が生き暮れよう」 と諭します。

生きることと死ぬことの意味を深く問いかける 心に残る言葉だと思いました。葉室麟の書かれた他の物語にも、こういった心に残る文言が織り込まれています。

 ~『秋月記』 より~  

「山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。ひとだけが、おのれであることを迷い、疑う。それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ。」     

~『いのちなりけり』 より ~

「ひとは生きて何ほどのことができるか、わずかなことしかできはしない。山に苗を一本植え、田の一枚も作ることぐらいのことかもしれない。しかし、そのわずかなことをしっかりとやることが大事なのです。ひとはなぜ死に、つぎつぎ生まれてくるのか。一人がわずかなことをやりとげ、さらに次の一人がそれに積み重ねていく。こうして、ひとは山をも動かしていく。ひとはおのれの天命に従う限り、永遠に生きるのです。そう思えば死は怖れるに足らず、生も然りです。」

~『潮鳴り』 より~

「落ちた花は二度と咲かぬと誰もが申します。されど、それがしは、ひとたび落ちた花をもう一度咲かせたいのでございます。それがしのみのことを申し上げているのではございません。それがしのほかにもいる落ちた花を、また咲かせようと念じております」

「所詮は高望みだな」

「さようかもしれません。ただ、二度目に咲く花は、きっと美しかろうと存じます。最初の花はその美しさを知らず漫然と咲きますが、二度目の花は苦しみや悲しみを乗り越え、かくありたいと咲くからでございます」

時代小説でありながら、人としての在り方や生き方を問う『哲学書』のような側面を持った小説であることに、魅力を感じています。また、登場人物の人柄や志、愛する人への一途な思いにも深い共感を覚えます。全作品を読みとおしてみたいと思っています。

 

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閉校式に参加して

2014-03-20 09:22:22 | インポート

先日、最後の職場となった小学校の閉校式があり、参加してきました。なつかしい校舎、お世話になった地域やPTAの方々、先生方、子どもたちとの再会もあり、心に残るひとときを過ごしてきました。4月からは旧町内の小学校5校と中学校が統合し、小中一貫校として新たにスタートすることになります。少子化や時代の要請に沿った流れと言えますが、閉校には一つの歴史や故郷が失われてしまうような寂しさを感じてしまいます。

個人的には、私が卒業した母校を含め、今回で3校目の閉校となります。そこで過ごした思い出は在り続けるものの、そこに集う子どもたちの生き生きした姿は見ることができなくなります。学校は子どもたちを真ん中に地域の人々の集う場である という感慨を改めて感じます。

『そこに行けば明日への希望がわいてくる』 という宮沢賢治が求めた「ポラーノ(ポランの)広場」に通ずるものが、学校という存在自体に息づいているように感じていました。

主役である子どもたちは、たくさんの学びや友だち、地域の方々とのふれあいの中で明日への力を体感し成長していく。その姿を支え見守る 教師や地域の方々は、子どもたちの向こうに未来と明日への力を実感する。そんな日々の営みが、学校では繰り返されていたのではないかと思います。

今後、学校再編の流れの中で、閉校を余儀なくされる学校が増えていくのではないかと思います。願うのは、閉校が文字通り閉ざされた学校とはならないであってほしいということです。それは、地域から新たな学校へと出ていく子どもが、また地域にもどってこれるような教育環境をつくるということでもあります。具体的には、地域の教育力を生かすという方向で、その地域の人材、史跡や文化財、伝統芸能といったものから学ぶ教育活動を積極的に展開していくということです。総合的な学習の時間などを、子どもたちが地域に出かけて行って学ぶ時間として活用していく方法が考えられます。その地域に住む子どもたちが他地域に住む子どもたちの案内役として関わっていくなど、子ども同士がお互いの地域を理解し学び合う機会ともなるのではないでしょうか。また、さまざまな教育活動を地域に紹介し、子どものいない地域の方でも学校に足を運ぶことができるような機会や場を設けるなど、開かれた学校づくりを推進していくことも大切だと思います。

閉校によって生まれる喪失感を払拭できるような 新たな学校づくりが展開されていくことを心から願います。

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震災から3年目を迎えて

2014-03-11 22:33:49 | インポート

今日は、亡くなった子どもたちと教職員の皆さんへの哀悼の思いを抱き、石巻市立大川小学校へ出かけてきました。

あの日と同じように時折雪の舞う寒い日でした。地震と津波で破損した校舎は、当時のまま 骨身をさらすような形で建っていました。でも、その立ち姿には、生々しさが消え、3年という時の経過を感じました。

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校舎と向かい合うように設置された慰霊の祭壇は3年前と変わらずそのままでしたが、新たに慰霊碑が校庭の一画につくられていました。裏山と校舎との中間に位置する慰霊碑の中央には、亡くなった子どもたちと教職員の名が刻まれ、その左手の碑には 大川小学校校歌「未来をひらく」が、刻まれていました。

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碑の手前には、「子まもり」の像と 「Angel of Hope」の天使像が立っていました。まるで亡くなった子どもたちが地蔵様や天使となって、この世界を見守ってくれているような感じがしました。

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この碑を前にすると、何とも表現できない 込み上げる感情がありました。子どもたちの失われた未来、愛する我が子を失った親の方々の悲しみ、教職員の方々の無念さを 感じるからでしょうか。

ただ思うのは、こんな悲しい出来事は二度と繰り返してはならないということ。人智のすべてを尽くして、かけがえのない命が守られる 環境をつくるということ。

帰りのラジオから、「今日の雪は、亡くなった人たちの涙雪」 という言葉が聞こえてきました。それはまた、亡くなった人たちに寄せる 生きている人たちの思いでもあるのだろう と感じました。

大川小学校の対岸からながめた北上川は、無数のきらめきを湛え輝いていました。一つ一つのきらめきが、亡くなった方々の命の輝きのようにも見えました。

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飲み会と詩

2014-03-10 17:42:49 | インポート

8日の土曜日に、かっての職場の仲間たちとの飲み会がありました。酒が進むにつれて、当時のいろんな出来事が話題になり、まるでその頃にもどったような気持ちになりました。少しずつ歳はとったものの、目の輝きや表情はもちろん、ハートも笑い声もかってのままでした。信頼という温かい感情が根底にあふれているような楽しく心安らぐ飲み会でした。

その仲間の一人からうれしい話を聞きました。現在6年生を担任していて、卒業のしおりの中に、私の拙い詩を入れさせてもらったということでした。著作権の侵害にあたるかもしれませんが……と語る言葉の内に、今担任している子どもたちへの熱い思いを強く感じました。

詩は、親と担任としての思いを重ね合わせ 子どもたちに向けて書いたものです。改めて読んでみると、卒業式で見た子どもたちの姿が浮かんできました。その成長を見守ってきた親の方々の笑顔と涙も。担任の一人ひとりの子どもたちによせる思いも。

高校や中学校は卒業式も終わったようですが、小学校は再来週あたりが卒業式のようです。新たな旅立ちの時を迎えた子どもたちの未来が、希望に満ちた幸多い未来であることを心から祈りたいと思います。

     あれから十二年

 

あれから十二年

 あなたの誕生を

 だれよりも 喜び

 あなたの命を

 だれよりも 愛しく感じた

 あの日から もう十二年

 

今はもう

 この手で抱き上げるには 重すぎる

 健康な体と心を持ち

 卒業という旅立ちの時を迎えた あなた

 

あふれる夢と希望を その翼に乗せ

 目の前に 大きく広がる未来を

 力強く そして高く

 翔び続けてほしい

 

限りない未来は

 いつだって あなたのために

 用意されているのだから

 

あなたの成長と幸せが

 これからも

 母の柔らかな笑顔と

 父の穏やかな微笑みを

 つくってくれるのだから

 

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