あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

東京旅行

2013-07-24 09:20:05 | インポート

20,21日と妻と二人で東京に出かけてきました。「レオ・レオニ絵本のしごと」展 を見にいくことと娘との再会が目的だったのですが、それ以外にも楽しい体験や発見がありました。

1日目は、娘と築地で会い、「魚河岸千両」という店で、「元祖海鮮ひつまぶし」という海鮮丼を味わいました。マスコミでも取り上げられた有名な店ということで、混雑を予想していたのですが、お昼前の時間帯だったせいか、それほど待たないで食べることができました。ウニ・いくらなど魚介類がふんだんにのせられた海鮮丼で、はじめはわさびしょうゆをかけて味わい、次は店員がていねいに混ぜ合わせもの〈うにが他の具や酢飯にからみ合った状態〉を味わい、仕上げは 専用のだし汁を注いでもらい お茶漬けのような状態で 味わいました。それぞれの食感や味が異なり、三種類の海鮮丼を一度に堪能できました。絶品の味わいでした。

そこから地下鉄で東銀座に移動し、改装模様替えした〈歌舞伎座〉の建物を見に行きました。周辺のビルの大きさに比べると、やや小さく感じたものの、建物の外装が歴史と伝統を感じさせる装いで、歌舞伎を演じるのにふさわしい外観でした。運よく、一幕見席という 上演されている演目を一幕分だけ見れる券を購入し、立ち見席ではありましたがその四幕目・大詰め〈加賀見山再岩藤〉を見ました。4階席であるため、舞台を斜め上から見降ろすという形でしたが、花道も含めて舞台全体を視野に入れながら、歌舞伎の一端に生でふれることができました。新装となった歌舞伎座で、その良さを体感できたことが、何よりの思い出となりました。

次に、レオ・レオニ展を見るために渋谷に向かいました。駅前では、参議院選挙の候補応援合戦が、繰り広げられていました。大音響の音楽が鳴り響き、人・人・人であふれていました。会場の東急本店に行く道沿いにも、若者を中心とした人々がいっぱいで、都会のもつ喧騒に圧倒されるような印象がありました。

会場もたくさんの見物客がいて、展示されている原画を見るのに列をつくって順番を待つような混雑ぶりでした。それだけ、立ち止まって原画の魅力を味わおうと考えた人が多く集まったのではないかと思います。レオ・レオニの絵本が、それだけ多くの人から愛され読まれていることに大きな喜びも感じました。残念だったのは、「ペッテェテイーノ」や「アイウエオの木」の絵の前が比較的すいていたことです。絵としては地味な印象があり、他の作品よりはあまり読まれていない絵本なのかもしれません。内容的には、レオ・レオニの生きる哲学や考えが込められた作品であり、この展示会を通してさらに多くの方に読んでもらえたらいいなあと思いました。

原画は、切り絵が効果的に使われ、色彩的にも、デザイン的にも 絵本で見た以上に、レオ・レオニの感性や芸術性を実感できるものでした。特に感じたのは、柔らかな曲線で描かれるネズミやカタツムリなどの形状です。鋭利な直線のない 世界が、作品世界を優しく温かいものに創り上げているような印象がありました。

会場の一角に、スイミーの世界を映像で体感するコーナーがあり、小さな子どもたちが歓声をあげながら走り回っていました。目となる黒い魚のスイミーを中心に 赤い魚たちが、子どもたちの動きに合わせて さまざまな集まり方をするように 工夫されているのです。スイミーの周りに魚たちが集まって大きな魚の形をつくりあげる瞬間を、子どもたちも、大人たちも、心待ちにしながら 見ていました。私も、妻も、娘も その一人となって 見とれていました。

この日は、その後の夕食を含め、久しぶりに楽しい一日を 娘と一緒に過ごすことができました。娘にとっても、明日からの仕事のための 有意義な骨休みになってくれると いいのですが……。

二日目は、スカイツリーを見たいという妻の希望もあり、両国にある「江戸東京博物館」を見学し、そこから隅田川沿いに歩いてスカイツリーに向かうコースを考えました。

広大な敷地の上に立つ博物館は、タイムスリップしたように 江戸時代から明治・大正・昭和に至る歴史や生活の様子を、目で見て味わうことができるように、本物そっくりのミニチュア模型で江戸の町並みや人々の生活の様子が再現されていました。建物も橋はもちろんのこと、通りを歩く人々も一人ひとりの服装や動きが異なり、当時のにぎわいを見て感じられるように精巧につくられていました。千両箱や火事場で使ったまといなども手に持ってその重さを体験できたりするコーナーもありました。じっくりと見て回れば、そこで半日は過ごせそうな感じがしました。

この博物館に隣接している建物が、両国国技館でした。ここは外側から眺めるだけとし、隅田側沿いに出ようとしたら、そこに水上バスの発着場がありました。隅田川を船で下って見るのもいいなあと思っていましたし、出航時刻にも間に合うようなので、乗ってみることにしました。結局船には、約3時間近く乗り続け、隅田川沿いに 林立する高層ビル群、築地市場、浜離宮庭園、新旧織り交ぜた橋,往き交う船、お台場の近代的なビル群などをながめながら、のんびりと船旅を楽しむことができました。風が心地よく、ビルの向こうに見える空が 広く感じました。 両国からお台場までの往復コースでした。最終的に船を降りたのは、スカイツリー近くの吾妻橋というところでした。

そこからスカイツリーまで歩き、展望台には行きませんでしたが、中のレストランで遅めの昼食をとり、東京ツワーを終えました。 振り返ると、夢のような 心に残る旅でした。

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「こころ」谷川俊太郎詩集から

2013-07-15 11:15:58 | インポート

 一つ一つの詩が、さまざまな心を描く詩集です。ある日・ある時の自分の心に向かい合うことができます。見えない心の姿が言葉を通して見えてきます。言葉の力と言えるのでしょうか。その言葉も心の前では無力であり、言葉を超えたところに心が在るのだと語っているようにも感じます。そばにおいて、その時々の心に向かい合いたくなった時に、また読み返してみたい詩集だと思います。朝日新聞に連載された詩をもとに編まれた詩集ということです。その中から印象に残った二つの詩を紹介します。

                        ※ 詩集「こころ」 谷川俊太郎作 朝日新聞出版

    ありがとうの深度

心ここにあらずで

ただ口だけ動かすありがとう

ただ筆だけ滑るありがとう

心得顔のありがとう

    心の底からこんこんと

    泉のように湧き出して

    言葉にするのももどかしく

    静かに溢れるありがとう

         気持ちの深度はさまざまだが

         ありがとうの一言に

         ひとりひとりの心すら超えて

         世界の微笑がひそんでいる

 気持ちの深度に応じた いろいろな 「ありがとう」にふれる日々。その深度を推し量ることは無意味なのかもしれません。ありがとうの意味するものは その内に込めた心を はるかに超えたものなのですから。ありがとうは、相手を受け入れ 認める 広さと 人間としての温もりを包みこんだ 言葉なのだと思います。個人と個人、国と国、さまざまなふれあいや関係の中で、世界中に微笑があふれる地球でありたいものです。その意味でも、ありがとうは世界の人々の心をつなぐ言葉なのかもしれません。日々の生活の中で、大切に 心を込めた「ありがとう」を発していけたらと思います。

    そのあと

そのあとがある

大切なひとを失ったあと

もうあとはないと思ったあと

すべて終わったと知ったあとにも

終わらないそのあとがある

     そのあとは一筋に

     霧の中へ消えている

     そのあとは限りなく

     青くひろがっている

           そのあとがある

           世界に そして

           ひとりひとりの心に

 震災や原発事故で 大切な家族、家や財産、故郷や思い出を失った被災者の方々にとって、「そのあと」は、どうなっているのでしょうか。「そのまえ」の幸せを想うたびに、辛く苦しい「そのあと」を過ごされてきたのではないでしょうか。背負う悲しみが、少しずつでも癒され、前に進んでいける「そのあと」であってほしいと心から願います。

 悲しく辛い出来事に出会うたびに、人は誰でもその重さと痛みを抱えながら、「そのあと」を生きてきたのだと思います。

 V.E.フランクルは、人が生きる意味について次のように語っています。人生に何かを期待する〈何かを求める〉のではなく、人生に対して何を与え、何をすることができるか『人生があなたを待っている』のだと…。

 「そのあと」そのものが、自分を待っている人生そのものなのだと思います。誰にでもそのあとの道が用意されているのだということを忘れてはいけないのだと思います。絶望と隣り合わせの ドイツの強制収容所での生活の中から フランクルが見出した結論でもありました。

 そのあとを生きることがたとえ辛く苦しいものであっても、待っていた人生は生きる意味を気づかせてくれるのではないかと思います。

 生きること と 心は、深く結びついているのだと思います。

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山の花との出会いから

2013-07-03 22:11:37 | インポート

       ワタスゲ

あなたと出会うために

ここまで来たのに

こんなにも たくさんの仲間と一緒に迎えてもらうなんて

ようこそ! と 風に揺れながら 告げる言葉に

こんにちは と 心の中でつぶやいた声は

届いたでしょうか

あっちからも こっちからも 真っ白な笑顔での

ようこそ!  が聞こえてくるので

少し 恥ずかしく とても うれしくなってしまいます

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      ミズバショウ

水から 生まれたから

ミズバショウ という名前が ついたのでしょうか

花は 水になる前の雪のおもかげを

忘れないから あんなにも 真っ白なのでしょうか

雪解けの流れに沿って

命の花を開く 姿に 見とれてしまいます

大きさがさまざまなので

まるで 生まれたての赤ちゃんから

大人までが そろって 

水音に合わせて 歌っているようで

ときおり 軽やかに 笑っている声も 聞こえてきたりします

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    ハクサンチドリ

何を 夢見ているのでしょうか

つつましやかに

ほほ笑む姿に 

見とれてしまいます

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原発は必要か

2013-07-02 23:16:12 | インポート

MOX〈使用済み核燃料を再処理して作られたプルトニウム・ウラン混合酸化物〉燃料が、フランスから届き、これを使うプルサーマル発電が再開されようとしています。原発から生まれた使用済み核燃料が増え続けている中で、果たしてそれを再利用することが本当に理にかなった方策なのか、疑問に感じます。なぜなら、それは原発の再稼働を前提にするからです。核廃棄物のリサイクルを意図したプルサーマル計画ですが、先の原発事故を通して、原発を再稼働させるかどうかが問われるようになりました。

福島の原発事故からいったい何を学ぶことができたのでしょうか。住む故郷を失い、除染がままならず、今でさえ多くの人々が避難生活を余儀なくされています。事故の補償に莫大な費用がかかり、廃炉に至るまでにはさらに多くの費用と年月が必要とされます。放射能で汚染された水の流出が今でも起こり、事故の後処理には多くの課題が山積しています。そういった現状の中でも、原発の再稼働に向けた動きが進んでいる状況にあります。

電力不足の解消のためには、本当に原発の再稼働が必要なのでしょうか。

原発は、本当に効率的で経済的な電力をつくりだすシステムと言えるのでしょうか。

今必要だからと急ぐ中で、どんな未来を後世に残していけるのでしょうか。

原発を稼働させることで、新たに使用済み核燃料が生じてきます。現状では、国内で再処理できる施設がないため、フランスやイギリスに依頼し、MOX,燃料に変えてもらうしかないのですが、輸送費や再処理の費用を考えると、かなり高額なコストとなり、それがまた電力料金に反映されることになります。プルサーマル計画を断念したとしても、使用済み核燃料は放射能漏れが起こらないようにするために 安全な管理施設や体制が必要になります。さらには原発を廃炉にするだけでもたくさんの費用と年月が必要とされます。

未来に向けて原発をどう取り扱うのか、進むべき方向性をしっかりと定め、その方針に基づいて取り組む時期を 今 迎えているように思います。

原子力の平和利用ということで、原発は希望の星でもありました。しかし、チェルノブイリや福島で起こった事故を通して、決して原発は安全ではなく 事故が起こった場合に どれだけ危険なのかを身をもって知ることになりました。どんなに科学技術が進歩しても、いざ事故が起きると 人間の手では制御できないほど 恐い存在が原発だということを 目のあたりにしました。まして日本は、世界でも有数な地震大国でもあります。揺らぐ大地の上に、たくさんの原発がつくられてきたわけで、それだけ事故の確率が高い環境にあります。

経済的な発展のために電力が必要とされ、その電力を生みだすために原発がつくられてきました。原発は、ある意味では経済発展の原動力となってきたわけです。しかし、原子力の平和利用という希望と 一体であったはずの安全神話が崩れる中で、それまで見えなかったのものが見えるようになりました。電力と言う有益なものがつくりだされる一方で、危険なゴミが大量に生乱されてきたということ。今の科学力では、そのゴミを無にする処理はできず、放射能漏れが生じないようにその周りを包みこむか、地中深く埋めることでしか 核廃棄物を管理できないということが 見えてきました。

原発は、果たして必要なのでしょうか。稼働させて新たに危険なゴミを誕生させ、その処理を未来に託すことでいいのでしょうか。今後、想定外の事故が起こることも考えられます。

ドイツが先陣を切ったように 安全で安心なクリーンエネルギーへの依存に切り代え、脱原発の方向性に大きく踏み出すことこそ 今は必要なのではないかと思うのですが……。

未来に対する責任を どう果たすのか。原発をどう取り扱うかは、その問いに対する答えでもあると思えるのですが……。

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