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西洋的個人主義と東洋的共存主義

2004-12-30 16:23:22 | プラトニック・シナジー理論

[叡智学] 西洋的個人主義と東洋的集合主義

 これは、ステレオタイプなものの見方ではあるし、オリエンタリズム的でもある。しかし、それを承知の上でなお、これをベースに考察したい。これまで、キリスト教批判を行い、イスラーム教を肯定的に捉えてきた。その根拠は、反動暴力的であるか、肯定能動的であるか、あるいは、差異共存性があるかどうかである。超越的一神教と内在的一神教の質的相違を私は考えた。
 さて、西洋の個人主義を考えると、それは、排他的個人主義である。自己中心的個人主義である。しかし、東洋は、個人主義であっても、共存性を帯びている。(もっとも、現代日本はこれが失せているが。)これは、宗教的に説明できるだろう。超越的一神教は当然、超越的自我が形成されやすく、排他的になるだろう。しかるに、内在的一神教ないし内在的多神教の場合は、差異共存的なのである。
 ということで、未来は東洋型にあるだろう。だから、東洋的差異共存主義である。しかし、日本人はアメリカに操縦されて、主体性を喪失しているだろう。東洋人、アジア人であることを忘却している。非常に、小共同体的に、ナショナリズム的村共同体になっていて、閉鎖的である。個における特異性を肯定しないと脱出口がないだろう。閉塞牢獄である。

p.s. たぶん、現代日本は、いわば、アメリカ=天皇制型小共同体国家であろう。

p.p.s. 実際のところ、西洋の中に東洋はあるし、東洋のなかにも当然西洋はあるのである。ただ、考察上、二分化したのであるから、これを二項対立、二元論にとるのは完全に誤りであり、偏見的である。

3p.s. つまり、二つの原理と考えればいいだろう。一つは、父権的個人主義=排他的個人主義と、一つは母権的差異共存主義である。

4p.s. 私はイスラーム教が月をシンボル・ロゴにするのを、不思議に思っていた。しかし、実は、アッラーとは、母なのではないか。女神ではないのか。いわば聖母マリア、イシス等が、アッラーに変身しているのではないかと想像する。つまり、古代的母権的宗教が父権化したように思う。この問題は後で検討しよう。

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