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易経批判:易経の父権的国家イデオロギー化:陰陽論が二項対立に変質:儒家と道家

2013-01-05 13:00:29 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
易経批判:易経の父権的国家イデオロギー化:陰陽論が二項対立に変質:儒家と道家

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

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易経批判:易経の父権的国家イデオロギー化:陰陽論が二項対立に変質:儒家と道家



『易経(上)』(岩波文庫)の解説を読み続けて、易経の陰陽論としての性格を喪失した事態が史的に生じたと確信した。それは、易経の父権化である。これは理論・哲学的に由々しき事態である。何故なら、無双陰陽原理から見ると、陰陽原理とは、基本的には、陰と陽とは対等であり、陽が主、陰が従となることはありえないからである。あえて言えば、陰陽原理は、名前から、陰が先で、陽が後であるから、陰が主であり、陽が従である。

 この点では、『老子』の玄牝(げんひん)を根源とする視点は正鵠を射ていると考えられるのである。

 『易経』は『老子』の視点、母権主義、無双陰陽原理の視点で理解、認識されないといけない。以下、問題の箇所を引用する。尚、問題個所に下線をつける。



「・・・、『太極とは天地未だ分れざるの前、元気混じて一と為るをいう』とあるのが、おそらく最も古義を得ていると思われる。この一元の気が変化してあるいは陰となりあるいは陽となって無限の作用をなすのである。ゆえに太極は陰陽を包括する大陽の気であるということができる。易の思想は、陰陽を対待して説くけれども、最も重んずる所は生成と発展を主とする大陽にあるのである。ゆえに太極もまた―を以って表わしている。易は『一陰一陽、これ道と謂う』といって、陰陽二気の作用を説くのであるが、それが未だ陰陽に分かれないであるいは陰となりあるいは陽となるところの根元的な一元気は、活動的流行作用を説く易にあっては、それが凝集静止する陰に属すべきものではなくて、活動流行の陽的なものであることが予想されなければならない。この一元気が陰陽に分かれて剛柔変化の作用をなし、陽徳を以って剛健となし陰徳をもって柔順となし、陽を以って陰をひきい、陰を以って陽に従うとなすのが、易の本旨である。ゆえに易は陰陽の二元を以って万物の理を明らかにするのであるが、尊ぶところは陽にあって、陰は陽に従いこれをうけるものである。道家が虚静無為を主とするのに反して、儒家が剛健正大の徳を尊ぶのは、またこれに基くのである。」p. 42)



「 3)国家、家族、朋友、処世

 繋辞伝の冒頭に『天は尊く、地は卑しくして乾坤定まる』とある。これは易における根本観念である。陰陽は相対するものであるが、易は陽を尊び陽を以って陰を兼ねることのできるものである。乾を君となし、坤を臣となす。君主は天の如く絶対的に尊厳であり、臣は坤道の如く柔順であらねばならぬ。これを易における国家に対する君臣思想とすることができる。」(p. 52)



以上の下線部から、易の陰陽論が、父権国家二項対立イデオロギーで変質しているのがわかる。変質というよりは、反陰陽論化である。陰陽論の破壊である。易経はこの時点で陰陽論ではなく、父権二項対立イデオロギー、西洋文明的イデオロギーに捻じ曲げられてしまったのである。

 まだ、詳述したいが、今は、ここで留める






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