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アジア ぶらり歩きーバンコクの渋滞

2008-08-28 20:32:39 | 旅ばなし
お昼に古い問屋街を歩きまわって、車を拾うために大きなデパートの前に行きました。
そこはタクシーの争奪戦、タクシー乗り場は延々と人の列が続いていました。
やっとのことで乗り込んでホテルまでというと300バーツ(900円くらい)というのです。
インドネシア在住の娘が「だめだよ100バーツでしょ!」運転手「渋滞で動かないから300バーツでないとだめ」だと押し問答。
娘が「じゃ降りる」と車のドアを開ける。動き出した車のドアですよ!
思わず危ないからと私が止めかけたのですが、本当の所、何せすごい渋滞で危ないほどスピードが出ていない。
私は「やっとの思いで車を捕まえたのにもう良いじゃない…」と言いかけたところ、運転手が「じゃ良いよ」と明るく言うではありませんか、それからはお互い気まずい思いもしないで談笑しあってホテルまで。
これがなんともタイ人の人の良さです。
そしてタイ名物の渋滞です。


アジア ぶらり歩きータイ アユタイ遺跡

2008-08-24 20:48:59 | 旅ばなし
アユタヤの遺跡を見学した帰り、船でバンコクへ戻るとき、その橋(映画「戦場にかける橋」)のすぐ近くから船に乗った。
この映画は誰もが知っている有名な名画で、その昔私も見ていて、とても良い映画だと記憶はあるが、実際行ってみて、こんなところまで日本軍が侵略していたのだと、実感させられた。
東南アジアを回る時には覚悟が必要なんだと改めて思い知らされた。

この橋はかなり長い鉄橋で、400m位とか。実際かなり大きな橋だった。ミャンマー(ビルマ)とタイとの国境の橋で、カンチャナプリ市西方にある。

映画と実話はもちろん違うと思うが、あの鉄橋は日本軍が捕虜を使って作り、爆破されたのは事実である。

さてアユタヤの遺跡に行き、アユタヤの歴史を知らないことを、とても残念に思った、アユタヤ王朝は1350年くらいから400年以上も続き、その全盛期にはマレー半島からアンコールまで収めた、またその間、絶えずカンボジアの攻撃にあい、最後はカンボジアに滅ぼされる。この間マレー半島はイスラム教の影響で独立してアンコールは実際には収め切れなかったらしいなど説明を聞いた。
ちなみにアユタヤは「平和」という意味とのことだが、本当に平和な時間がどれくらいあったのだろうか?

どこへ行っても戦いの連続の歴史を見て、人間ってあまり賢くないのかもしれないなとおもってしまう。

数日後に行ったバン・パイン宮殿はアユタヤ王朝の24代目のプラサート・トォン王が立てた宮殿で、夏の別荘地として使われていたらしい。もちろん修復され、復興されたものだが、とてもきらびやかで華やかなタイらしい建物とヨーロッパ調の建物がミックスされた宮殿だった。

そういえばここで、修学旅行か高校生か中学生のタイの学生が沢山来ていて、私と一緒に行った友人の子供(インドネシア在住)に突然「写真撮らせてくれませんか?とって良いですか?」と、カメラを向けてきた。
「えっ?、ええぇ、良いですよ」とポーズをとる娘、「えっ?どうして?」と私とその子の姉、
思いがけないハプニングに大笑い!!

歴史に浸り、ゆったりと船で半日過ごしバンコクの市中に戻った後は、喧騒の中の夜のマーケットにまたまた繰り出した。


アジア ぶらり歩きータイ郊外

2008-08-23 23:23:53 | 旅ばなし

半日の間船中で食事をしたりお茶したり、時々うとうとうたたね寝したり、のんびり過ごしました。時間と川が共にゆったりと流れていました。
こんな時を持ったのはいつだったか、はるか昔にあった気が…

東南アジアの川が土色をして濁っているように見えるのは川のそこの土が赤いからなのだそうです。水はすんでるということでした。

水上生活者の家は30年前と比べると雲泥の差がありました。とてもきれいで衛生的な家が多くなってました。

飛行機から見るとバンコクは、まるで道のように川が碁盤の目のように流れています。郊外へ出ると良く解りますが湿地帯の中に街が造られ家が建っているのです。

やはり米どころ、バンコクから少し出ると水田がいたるところにあります。

東南アジアの現状を見てこようと出かけた旅で改めて歴史をもっと深く知るべきだと認識させられました