カプアン通信

偽サラリーマンだった


4月ですね
来週から新入生になる方もいらっしゃるでしょうし
新社会人の方もいらっしゃるでしょう。

カプアン通信の読者に、新社会人の方がいらっしゃるのかわかりませんが
自分が社会に出たときのことを思いだしましたので昔話を書きます。
ちなみに、虚構(4月馬鹿)は無しです。

これから書く話は、現代の新社会人の方にはほとんど役に立たない話だと思います。
時代が違います。
現代は、コンピュータや通信機器(PC、スマホなど)によって社会が動いている
といっても過言ではありませんが
私が社会に出たときは、オフィスにパソコンはありませんでした。
かろうじて、職種によっては「ワープロ専用機」を使いだした。そんな時代です。
もちろん、スマホどころか携帯電話もありませんでした。


昭和59年に都内の美大を卒業した私は
4月に中小の広告代理店に入社しました。
と言っても広告代理店が何をする会社かよくわかっていませんでした。
普通の会社と違うような気がしましたし
もしかしたら楽しい所かも? と思いました。

本当は一番の理由は、自分が受けた会社が銀座に移転することが決まっており
銀座のBarに行きたかった。というのが大きかったのかもしれません。
(実際に銀座では毎晩Bar通いをしました。汗)

私が入った会社は某新聞社系列の広告代理店で
当時、自分の仕事は、新聞や系列雑誌に載せる広告を作ることでした。

会社としては珍しいことだと思いますが、入社から辞めるまでのおよそ5年間
ある「チーム(部)」から異動しませんでした。
そのチームは、小さな規模のクライアントが多く、上司も放任主義だったので
1年目から、自分の好きなように仕事をやらせてもらいました。
クライアントへ広告の企画提案に行くとき、
営業担当者抜きでコピーライターと二人で出かける
なんてこともよくありました。



33年前のワタシ


先日来、大手広告代理店D通の社員自殺問題で、残業のことが厳しく問われてますが
自分のときは、上司の命令ではなく、自主的に会社で徹夜をすることが何度もあり
月の残業時間はいつも100時間を超えてましたが普通のことだと思ってました。
というのも、美大に入るための予備校時代は課題提出前は徹夜でしたし
美大時代の課題提出前もかならず徹夜でした。

D通に比べ小さな会社だったので、仕事の規模も大きく無く
現代のように複雑な仕事ではなかったので比較はできませんが
D通の事件は、パワハラの問題も含んでいたのだろうと思います。

仕事が辛かったわけではないですが、5年もしないで私は会社を辞めてしまいます。

広告代理店には、いろんな職種の協力会社社員やフリーランスの制作者がやってきます。
上司に仕事を教わった記憶はあまりありませんが
協力会社の方々に、仕事の仕方やお酒の飲み方や生き方を沢山教わりました。
よく社外の人と飲んでましたし、いまでも私的なつきあいがある人がいます。
協力会社はいわゆる「零細」な会社が多かったですし
結局、脱サラ・開業したのは、そういう方たちの生き様を見てきたからかもしれません。
有り難いことに、会社員だったときと同じように
今もお仕事を発注してくださるお客様もいらっしゃいます。


ところで・・・
さらに若いときした仕事のことをよく思い出します。

学生時代、一時期、偽会社員だったことがあります。
たしか、大学2年の夏休みだったと思います。
大学で知った、ある設計会社のアルバイトに募集しました。

その会社は、私が通っていた美大で、社長が建築科の講師をしている会社で
会社の規模は大きくはありませんが、造園の世界でいい仕事をしており
海外の仕事を何度も受注している会社でした。

バイトの内容は「指名参加願いを各地の自治体に届ける」というものでした。

ちょっと解説がいりますが、建設会社や設計会社などは
各自治体の仕事を受注(入札)するには、会社のプロフィールなどを記載した
「指名参加願い」という書類を決まった時期に提出しないとなりません。
大きな提出先は都道府県ですが、市や、町や、村に提出することもありました。

近年、合併が進んで自治体の数はだいぶ減りましたが、当時は3,000以上ありました。
手分けして回らないと、多くの自治体に提出できませんし
社員数の少ない会社では、スタッフの多くを、書類運びに使えないので
アルバイトに頼ったのだと思います。

いまは知りませんが30数年前は、
郵送は不可で、実際に社員が、自治体まで届けないといけない決まりでした。
なぜ社員か、というと、場合によっては提出時、
土木関係の担当者から業務内容を訊ねられることがあり
「業務内容を説明できる者が届けること」という決まりがあったからです。

私は、社会人経験のない学生でしたし、
建築科の学生でもなかったので造園や設計のことはわかりません。
バイト先の上司から「何とかなるよ」と言われて
自治体に行きましたが、最初は不安でした。
実際に質問されて、「ちょっと上司に聞いてきますので、お待ちください」と待たせて
公衆電話から東京に電話したことが何度もありました。


バイト期間はたしか40日間くらいあり、その間、ほんとにいろんなところに行きました。
最初の行き先は、富山県でした。明日飛行機に乗ってくれと言われ
羽田からYS-11というプロペラ機で行ったのです。旅客機初体験でした。

西日本エリアの担当だったので、北への出張は群馬県あたりまででしたが、
愛知県内のいくつかの市や、大阪、兵庫、岡山、広島、山口、
四国の香川、徳島、高知、九州の福岡、宮崎、佐賀など・・・
1日に3~4箇所は回ってましたから100箇所以上は出かけたと思います。




当時は、スマホの路線検索などありませんから、どうやって目的地に行くかは
ポケットサイズの「時刻表」だけが頼りでした。
効率的なルートを見つけて、電車の時刻を調べて、役所を回ります。
観光をしているヒマはありませんでした。
100箇所以上回っていると、地方の町の構造がわかってきて、地図を見なくても
どこに市役所があるか、わかるようになりました。
また、奇抜なデザインの庁舎をあちこちで見ました。

バイト代はとても少なかったですが、無料でたくさん旅行ができたので
いい思い出でした。

そして、偽会社員として、サラリーマンのふりをしてましたが
将来は自分もこんなサラリーマンをやってるのだろう。と思いました。

自分の父親は銀行員でしたし、父方の祖父は法務省の役人だったそうなので
お役所勤めになったり、会社の営業をやっていてもおかしくなかったですが
なぜか、堅気な仕事には就けず、ふらふらしたままに現在に至ってます。
このまま、ふらふらしながら爺さんになっていくのでしょう。


独立後30年ちかく経った今思えば、
会社員時代、辛いこともありましたし、楽しいこともありました。
独りで仕事をしている今も、楽しいこともありますし、辛いこともあります。
たぶん、どちらの道を選んでも、結果は同じだったのかもしれません。

なんかまとまりがなくなりましたが
自分の30数年間はこんな感じでした。

どうぞ、新入生や新社会人に明るい未来が訪れますように。




おととい撮った氷川神社の桜です。
ほぼ日に載せてもらいました。
こちらのページの日本地図を拡大して、東京港区の赤坂あたりの桜マークを探してください。

それから、カプアンたちも、ほぼ日に乗ってます。
こちらのページの手帳の表紙のイラストの26番と30番のイラストをクリックして
探してみてください。
(スマホからはこちらをクリックしてください)






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カプアンパパ
TTレーサーさん
なるほど!私が会社を辞めたのは平成元年の前年です。
5年違いですね。ということはTTレーサーさんもそろそろ五十路?
ひと昔前は、平成生まれの若者が入社してきたら、ざわざわしましたが、平成元年生まれはもうアラサーですからね。
ところで、前にお話ししたか、忘れましたが、私が勤めていた会社は、TTレーサーさんの会社もクライアントでした。広告賞狙いの広告制作のとき借り出されて、新聞広告作りに参加したこともあります。
広告代理店はクライアントにしょっちゅう伺いますので、どこかで間違えたら、犬猫じゃなくて仕事でお会いした可能性もあります(笑)

若い頃・・・痩せてましたね。それに、髪の毛があります(汗)
TTレーサー
私が会社員になったのは平成元年でした。いわゆるバブル世代です。(その前は新人類と呼ばれていましたけど。)最近、事務仕事のフォローをしてくれる女性が交代したのですが、その女性が生まれたのが平成元年でして、「昭和って何?」という感じのようです。思い起こすと、僕も20代の頃は出張に行くのに時刻表で電車の時間を調べていたし、飛行機も出発時刻のかkれた冊子で調べていました。僕は会社員に向かないと言われながら、学生時代の友人のなかで一人、同じ仕事を同じ会社で続けています。人間はホントにどうなるか解らないものです。
それにしてもパパさんのお若い時の姿、なかなかの男前です。
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