今週は聖週間なので、黙想の小さな助けになれればと願い、毎日のミサの聖書朗読から少しずつピックアップして書いてみたいと思います。
きょうは受難の月曜日。
福音の朗読はヨハネ12章1-11節、過越祭の6日前のできごとが書かれます。
ヨハネの福音書は、大きく分けて3部構成になっています。
(1)序(1章)
(2)しるしの書(2-12章)
(3)栄光の書(13-20章)
なお、21章はあとから付け加えられたとする「補遺」となっています。
「しるしの書」には7つのしるしがあって、最初のしるしはカナの婚礼(2章)、7つ目のしるしがラザロの生き返り(11章)となっています。
聖書で7という数字には完成という意味があります(天地万物の創造が7日間のできごとであったことに呼応して)。
7つ目のしるしが死んだラザロを生き返らせることだったのは、栄光の書で明らかにされる最大にして最高のしるし、すなわち、イエス・キリストの死から命への過越しの完成を、前もってあらわすしるしであったからと言えます。
12章は、「しるしの書」の総まとめであると同時に、13章から始まる「栄光の書」へのつなぎの役目を持っています。
それで、「過越祭の六日前に」と始まるわけです。
「六日前に」とわざわざ書いているのは、神の栄光のしるしである十字架の死が6日目に成し遂げられ、7日目に安息され、新たな「週の初めの日」(20章)に、復活という、まったく新しい時代と世界の創造が始まったことを予感させます。
こうして、旧約の時代は終焉し、新約の時代へと入りました。
私たちは、過越の神秘によって新たに創造された世界で、人(アダム)が神によって鼻に息を吹き入れられて生きるようになったように(創世記2章7節)、キリストによって「息を吹きかけ」られ(ヨハネ20章22節)、永遠のいのちに生きるものとされたのです。
この息こそ、聖霊です。
写真は、聖堂裏のユキヤナギ。満開です。
きょうは受難の月曜日。
福音の朗読はヨハネ12章1-11節、過越祭の6日前のできごとが書かれます。
ヨハネの福音書は、大きく分けて3部構成になっています。
(1)序(1章)
(2)しるしの書(2-12章)
(3)栄光の書(13-20章)
なお、21章はあとから付け加えられたとする「補遺」となっています。
「しるしの書」には7つのしるしがあって、最初のしるしはカナの婚礼(2章)、7つ目のしるしがラザロの生き返り(11章)となっています。
聖書で7という数字には完成という意味があります(天地万物の創造が7日間のできごとであったことに呼応して)。
7つ目のしるしが死んだラザロを生き返らせることだったのは、栄光の書で明らかにされる最大にして最高のしるし、すなわち、イエス・キリストの死から命への過越しの完成を、前もってあらわすしるしであったからと言えます。
12章は、「しるしの書」の総まとめであると同時に、13章から始まる「栄光の書」へのつなぎの役目を持っています。
それで、「過越祭の六日前に」と始まるわけです。
「六日前に」とわざわざ書いているのは、神の栄光のしるしである十字架の死が6日目に成し遂げられ、7日目に安息され、新たな「週の初めの日」(20章)に、復活という、まったく新しい時代と世界の創造が始まったことを予感させます。
こうして、旧約の時代は終焉し、新約の時代へと入りました。
私たちは、過越の神秘によって新たに創造された世界で、人(アダム)が神によって鼻に息を吹き入れられて生きるようになったように(創世記2章7節)、キリストによって「息を吹きかけ」られ(ヨハネ20章22節)、永遠のいのちに生きるものとされたのです。
この息こそ、聖霊です。
写真は、聖堂裏のユキヤナギ。満開です。
今日から聖週間、大好きなお酒は、私も7日目にとっておくことにしました(オットも巻き込もうとしてます)。7つ目のしるしのお話、とても深いですね。私たちは今7日間の周期で生活していますし、とても身近に感じている数字だと思います。他にも聖書には、いくつか意味のある数字があるのでしょうか。
じっさいは、そんなに大きくはないユキヤナギですが、ずずっと寄って撮ってみました。
聖書の中の象徴的な数字にはいろいろとあるようですが、いちばん有名なのは、やっぱり「12」でしょうね。
これも、暦(天文学)に関係していると思いますが、円環のイメージでしょうね、完全さをあらわします。
「イスラエルの12部族」や「12使徒」は、その使われ方の代表ですね。