ロシア留学中・脱力進行中

モスクワ留学滞在記、スポーツ(特にテニス)のこと。他に趣味(漫画や音楽)等いろいろ・・・

ひとつの旅立ち

2007-10-08 23:58:26 | モスクワ留学後記
突然ですが、ブログを移転することに決めました。
リニューアルというやつです。
新ページはこちら→「ロシア貿易中・脱力進行中

行ってみて、何も変わってないやんけ!と思った方、すいません。
バックの壁紙も、慣れてしまって別のやつだとしっくり来なくて・・・
なんとなくの変更です。理由は第1回エントリーに書いてある通りですので。
2年間の長きに渡りこのページを読んで下さった方々、有難うございました。
新しいページもよろしくお願いします。

永遠の苦悩の中で

2007-10-01 23:55:49 | モスクワ留学後記
9月28日(日)、M菱自動車の懇談会及び会食会。
午後5時に本社に訪問し、人事担当の方からあらためて誘われる。
欧州営業本部長のお話を30分ほどの後、ロシアチーム担当リーダーの方の話。
約90分、スライドをまじえながら、同部所が何をしているかを教えてもらった。
午後7時より恵比寿付近にある居酒屋っぽいところへ。
担当リーダー+4~5歳ほど上の同チームの先輩の3人で会食会開始。
この先輩には具体的な仕事内容や、これまでのロシアチームの経緯、
その他駐在時の話などを聞くことが出来た。仕事内容がおぼろげながらも見えてきた。
遅れて欧州営業第一部長とロシアチーム課長職の方が到着。
副社長じきじきにこれからのロシア戦略の発破をかけられていたらしい。
ロシアの市場や自動車会社の状況、アツさをとくとくと聞かされた。
とくに課長職の人は前職が商社マンで経験豊富なお陰か、話もとても面白かった。
11時過ぎたところで解散。タクシーでホテルまで送ってもらい、さようなら。
品川方面に向かいながらプリンスホテルを通り過ぎていくので、
どこのホテルに行くのかと思っていたら、着いたのは御殿山のラフォーレ東京。
1泊2万円オーバーのホテルなんて泊まったことねーぞ!
これだけでM菱へ心が傾きかけた。
でもそんな感動は押しのけて、部屋に入ってまずは便所に直行しゲロ。
タクシーの中でえらい気持ち悪くなってきて・・・
社員の人たちの前ではかなくてよかった。。。
欲を言えばもっと安いホテルでいいから、豪華な朝飯付きが良かったなぁ。


このM菱の人たちの熱い勧誘に気持ちが傾いたのは確かだ、が、
土日と良く考えた結果、T田通商に行くだろうな、と自分でもほぼ感じていた。
悩みは尽きないが、これも人生の岐路だ。断りにくいけど・・・


10月1日、T田通商の懇談会。
10時半に会社を訪問すると、スーツ姿のうら若き女子の一団が玄関口を入っていく。
どうやら今日は内定式らしい。っていうか若い・・・
10人くらい居たが女しか見なかった。いやホント。視界から外した訳ではなく。
入社をすれば配属先となるL&F営業部のグループリーダーの人と、
その部のロシア担当の人の2人から、仕事内容や部の説明を受ける。
2時間後・・・
10月3日付の入社が決まっていた。なんじゃそりゃぁぁぁ!

経緯を説明するとこうだ。
L&F営業部の視点
①この日の夜にカザフスタンから5人のお客さんが日本へ来て(無論カザフ人)、
2日~8日にかけて日本の工場見学や観光をしていくので、是非同行して欲しい。
②通達してあった入社は11月1日付だが、アルバイト待遇で来てくれ。
③ついでのその後も出社して、入社前からバリバリ勉強してくれ。
人事の視点
①そのつもりだったが期間が長くなるので正式採用できるかな。
②今日中に書類が間に合いそうだ、正式に社員として働いてもらおう。
わしの視点
①明日は親戚のおじさんの手伝いでバイトが・・・
②明後日からは東京に行っ4拍5日のテニス観戦が・・・
③来週末はマブダチTかはしさんと3ヶ月ぶりの再会で大阪で飲み会が・・・
④月末にはコンパの幹事も頼まれてるんだった・・・
 ↓
以上、全ての(わし以外の)思惑が交錯し、契約書類を交わす。

しかも!
初出社の3日(水)=T田自動織機の人(この人1年目)と2人で5人(カザフ人)の案内。
4日(木)=グループリーダーと2人で東京へ行き東京の工場?へ5人(カザフ人)の案内。
5日(金)=俺1人。5人(カザフ人)を東京観光ツアー案内。←これツアー
なんと3日目のこの日は午後から自由時間。←これ自由
俺が5人(無論カザフ人)の面倒を見るのかぁぁぁ!!!
しかも昼飯も晩飯もどこで取るか決まっていないらしい。
そして彼らは日本に来るのが始めてらしい。
来年度に大きな受注をしてくれた大事なお客さんらしい。
わしは3日付で入社して、仕事のことを何も知らないらしい。
この時点で1度も本社に出社していないらしい。
そして6日(土)には、「大きな荷物は宅急便で名古屋に送り、1日分の着替え等を小分けで持って1泊の大阪~京都観光に行きますよ」と添乗員の様な説明をし(英語かロシア語で)、
名古屋まで新幹線で送ってきてようやく先輩とバトンタッチだ。

先輩の言「商社の仕事ってのはそんなもんだよ。何も知らない外国に1人で行って、仕事取って来いっていう世界だからね」
勉強になります、先輩・・・orz


ということで明後日から再び社会人です。皆様よろしく。

選択は英雄の特権

2007-09-27 21:14:46 | モスクワ留学後記
帰国以来たらたらと(いや、真剣に)就職活動を続けてきたが、
今週をもって、ようやく一段落した。
月曜日にM菱自動車、そして今日T田通商の2つの内定をもらい、
あとはどちらに行くかを選ぶのみ。
メーカーと商社、東京と名古屋、給料の差。悩ましいところだ。

8月末より面接が本格的に始まって約1ヶ月、
内定までに前者は計4回、後者は計3回の面接を受けた。
4回というのは多い、1社での最多面接だ。
最初は3回と言っていたのに、いつのまにか1回増えていた。
しかも3次面接は当日その場でいきなり、
「今日は計1時間半の予定です。最初の1時間は面接、後半30分はロシア語のテストをさせていただきます」抜き打ちかよ!!
しかも、M菱自動車にはロシア語人材は居ないと聞いていたので、
どうやってロシア語のテストを実施するのだろうかと思っていたら、
業界1位の系列「商事」からロシア担当の人を呼んできていた。さすが財閥・・・
①自己紹介をロシア語で簡潔に②車専門誌のコラムを要約
の2つが課題だったが、①はともかく②がぼろぼろだった。
でもいきなりだから専門用語が分からないのは仕方がない、ということで、
商事の面接官からも上々の評価を貰って事なきを得た。
前の面接の時に、もしかしたらロシア語で自己紹介してって言われるかも、
と思って自己紹介を一度簡単にロシア語訳していたことがあったから助かったわ。


結局両方から内定貰えて好きな方を選べるという嬉しい立場になったが、
贅沢な悩みが一つ。どちらかを断るのが心苦しい。
特に給料面で結構な隔たりがあるM菱自動車だが、
そこの人事の人にはえらく評価をして貰った。
相手は俺がT田通商を受けていることを知っていて、
条件面での隔たりを逆転しようと、明日、会食会に呼んでくれた。
入社予定の海外営業部欧州営業部門の人達との会食会ということで、
交通費及び宿泊費まで出して、入社未定者1人のために社員を呼んでくれている。
その上、条件面での隔たりがあれば、条件を見直して再提示もする、
とまで言ってくれている。正直ここまでしてもらうと心苦しい。
4回の面接で何を評価してくれたのか分からないが、嬉しいと同時にプレッシャーだ。
面接を受けた限りでの面接官の印象は前者、扱う物品も前者、
仕事内容で引き分け、配属部署でも両者ともロシア関連ということで引き分け、
会社の将来性で後者、給料で後者の完勝。
さてどうする?
T田通商も配属先の上司との懇談会を月曜日に開いてくれるそうなので、
明日のM菱自動車との会食会の模様も踏まえて、その時に結果を出そう。

結論は10月1日(月)、またこちらに書きます。

決闘者

2007-09-06 01:06:42 | モスクワ留学後記
9月2日(日)、蒲郡競艇場。SGモーターボート記念最終日。
競艇好きの父ちゃんに連れて行ってもらった。
競艇場2度目、本格的にやるのは初めて。
しかもこの日はSG優勝戦、A1級52名の出場者の頂点が決まる日だ。

3時少し前、競艇場に到着。周りの道はすごい込んでいた。
競艇に興味のない蒲郡市民はいい迷惑だろうなぁ。
とりあえず第1レースから父ちゃんの予想を聞きつつ買っていく。
競馬はある程度は分かるが、競艇は全く分からないので、
モーターやボートの戦績、選手の能力や特徴、枠とレース展開まで、
細かく分析する(のを横でわしは聞く)。
スタート展示や計測タイムなど、競馬にはない面白い要素があって、
しかもメイン前の小さなレースでも、乗る選手は一流選手ばかりなので楽しめる。
6艇なので3連単ばかり買うが、これがなかなか当たらない。
点数多く買えば、払い戻しは通常2,000円程度だったりするので元本割れするし、
かといって点数絞れば裏目が来たりして恨めしい。
前半最後の第6レースで、生涯初の当たりがようやく来た。2,220円。
前半戦は-1,800円で終了。

第9レースからは選抜戦、1週間の調子の良かった選手が乗る。
会場はいよいよ暗くなってきて照明灯にも灯りが燈り、
ナイターレースのいい雰囲気が出てきた。晩飯も食い、これからが本番だ。
第10レース、この日2度目の当たり、払い戻し2320円。
どうも勝ち舟投票券購入額が4,000円に達すると当たるようだ。
第11レースは万舟券をおもいっきり外し、流れの悪くなった所で最終第12レースへ。
SGモーターボート記念優勝戦。これに勝った者が賞金4,000万円を手にする。
この日の試走とレース直前の周回展示から、父ちゃんの予想は
2-4押し。モーターの直線での伸びが違うようだ。
もちろん直線だけでは図れないのが競艇だが、これに乗ることに決めた。
これまでの11レースから学んだことは、1号艇だけは絶対外せないこと。
この日も1号艇が3連単を外したのは、1号艇がスタートで外に出た第1レースのみ。
この初心者にも否が応にも最内の有利さが確信できた。
2号艇の魚谷は前回のナイターSGを勝っていてSG連覇が懸かり気合十分。
一番乗っているということで2号艇本命で行くことに決めた。
ということで2号艇◎-1号艇○から2・4・5の流し。6号艇は外し。

「優勝、かい~し~」の声とともに全艇ピットから発進。
スタートの枠争いは1-2-3-6-カド4-5。
時計が回って綺麗にスタート!(写真)
そして1マークでいきなり2号艇魚谷が美しい差し!
1号艇山本とサイドバイサイドでバックストレートを争うも、
直線の伸び足は父ちゃんの予想通り魚谷が上!
2マークできっちり離して独走態勢を築いた。
3着争いは一時6号艇地元の赤岩が立ったものの、2マークで池田が見事に差して、
磐石の2-1-4フィニッシュ!2,380円→×200円!
計3,000円分も買っていたので、当たった舟券が200円で良かった・・・
魚谷のSG連覇は、わしのSGデビュー勝利ももたらした。
結局合計では3,000円ほどの負けだったが、すごく楽しめた6時間だった。
父ちゃんは何故かあれだけ強調していたのに4番を外し、泣く泣くの外れ。
わしより少し多く負けていた。結局2人して負けているんだが・・・

レースの余韻が冷めず、帰って色々ネットで競艇のことを調べてしまう。
やばい、これからハマリそうだ。

亡命者たち

2007-09-02 23:54:48 | モスクワ留学後記
8月の25日(土)、26日(日)と2日間、
大学時代の寮の友達3人で岡山の友人を訪ねた。
一緒に行ったのは総務省事務官のA堀、三菱重工のT中、
訪ねた先の友達は岡山理科大学の講師で末は教授と噂されるH川、
片やプー太郎の俺。。。
コンパしたら100%俺にはチャンスは巡ってこない組だ。

A堀がネットで見つけた新幹線往復+ホテル代で17,000円の格安チケット。
1時過ぎに岡山駅に着き、昼飯に回転寿司に行って、その後H川の車で後楽園へ。
後楽園とは東京ドームの前の巨人の本拠地のことではなく、
岡山市にある日本三大名園の一つなのでお間違いなく。あとの2つは金沢と水戸。

後楽園はさすが芝生が有名なだけあって、きれいだが日陰がなくて死ぬほど暑い!
適当に見たあと、すぐ隣にある岡山城へと城攻めへ。
その途中、後楽園を囲む堀?に貸しボートがあったので、4人で乗ることに。
ボートに乗る人数=4人。借りたボートの数=4艘。
“4人で乗る”になってねぇーー!!
誰かが、ボート漕ぎで端から端まで勝負しようぜって言って(わしが言ったんだが)、
それを誰かが一人一艘と言い出したから、こんなことになったのだ。
しかもT中は大学1年間ボート部に入っていた経験ありだからノッてきやがるし。
2人で借りれば半分で済むのに、1時間1,000円を4人とも払うことになってしまった。

というわけで貸しボートの拠点から右に行った橋の下から、
左にずっと行った所にある“水辺のももくん”という銅像まで、
4人で手漕ぎボートレース。最下位は全員にかき氷おごり。
スタート展示。4艘がスーッとスタートの橋を越えて、並んで位置に付く。
(いや、実際はスーッとなんて行けず、えらいバタバタみんな漕いでた)
内から順にH川、A堀、T中、俺。
位置取りミスって一番大外に居た俺の掛け声でスタート。
まずは一斉きれいなスタート、おっとここで3号艇T中が大外にふくらみ
4号艇ヒロキアイスとクラッシュ!一度は離れてレースに復帰したものの、
またもやT中がコースを逸れてヒロキアイスにクラッシュ!完全に2人に遅れをとった。
何やってんだ元ボート部!!どうやら競技用ボートとは勝手が違うらしい。
その間にH川とA堀は橋を越えて50mほど先に進んでいた。
橋の上からは「頑張れー!」の歓声が。これにはビビッた。
どうやらアホな事をやっている俺たちを見つけて、通行人が応援してくれてるらしい。
そうこうしてる内にコースを思いっきりズレて悪戦苦闘するH川。
大幅ロスで俺が一気に抜き去るも、堅実に最短距離を進んでいたA堀には届かず。
悔しい2位フィニッシュ。元ボート部T中は序盤の遅れが取り戻せず最下位。
ボート部恐るるに足らず!

T中の奢りでかき氷を食ったあと岡山城を見学するが、
正直ボートの疲れでほとんど覚えていない。ただ入って見て歩いただけ。
大体制限時間1時間のボートを借りて20分で返してるし、
みんな手の皮剥けて痛い痛い言ってるし、完全にボート疲れ。
汗はかくわ川の水でびしょびしょになるわ、散々だったので、温泉に行くことにした。

岡山県北部にあるのは西の横綱「湯原温泉」!
川の横の岩場に出来た露天風呂は、無料で混浴!(写真)
温泉街は老舗が並び、「千と千尋-」のモデルになった旅館・油屋もある!
やたら情緒深い温泉街で、高速を飛ばしてやってきた甲斐があった。
混浴は残念ながら期待はずれだったけど・・・!
温泉の横では関西大学落語研究会が落語をやっていて、温泉客が結構来てた。
湯につかりながら聞いていたがちっとも面白くなかった・・・

帰りの高速はガソリンが無くなりそうでヒーヒー言いながら岡山市に辿り着き、
夜11時から街に繰り出して飲みに行く。適当な店で食って飲んで、
結局ホテルにチェックインしたのは夜中の2時半。なんて客だ。
そのあとも部屋で明け方5時まで飲んで話して、結局次の日は
チェックアウトの11時に遅れる始末、何やってんだ俺たちは。。。

翌26日は3時の新幹線に乗らなければいけないため、
11時にホテルを出てもどこにも行けず、繁華街をお土産探して歩いただけ。
それでも飯を食いながらダラダラ昔の仲間としゃべって楽しかった。
2日間で岡山観光の思い出はボート漕いで温泉行った事だけだったけど、
結構住みやすそうな素晴らしい街だった。温泉かなり良かったし。また行きたい。

過去と現在と未来と

2007-08-11 02:46:34 | モスクワ留学後記
8月の4日(土)~5日(日)、大学の寮で一緒だった友達
(先日富士山へ行った奴らとは別の)を訪ねて
三重県津市まで行ってきた。

このTカヨシ(←Tカハシさんではありません、念のため)という男は、
俺の友人の間でも1、2を争うアホで、「アホな行動」をさせれば屈指の男だ。
その風貌はジダン、その仕草はマラト・サフィン、しかしその実態は酔っ払いという、
3拍子そろったアホな男だ。
他にも「人を勇気付けるアホ」「人のやる気をなくさせるアホ」など
各分野に応じてアホの大家は居るが、「アホな行動」でこいつの右に出る者は居ない。

本来ならこの8月に挙げる結婚式に呼ばれていたのだが、
婚約者の妊娠が発覚したので式を早めて6月に執り行ない、
残念ながらわしは結婚式に出られなかった。結局この約2年の留学中に、
5度の結婚式の招待を断ってしまった。薄情な男が居たもんだ。

津に着いてそのままTカヨシの実家である伊勢に向かい、お伊勢さん参り。
伊勢神宮はわしが日本で最も好きな場所の一つで、行った回数も10回は軽く超えている。
ロシアに向かう直前の一昨年8月、昨年8月と2度とも参り、
「学業御守」を買って、ロシアで勉学が順調に進むよう祈ったものだ。
そして今回。3年連続8月にお伊勢参り。相変わらず神聖な空気だ。
五十鈴川も御神木も本宮もまったく変わらず古き日本の美をたたえている。
で、帰りはもちろんおかげ横丁の赤福本店で「赤福氷」を食う。
キングオブ土産が赤福餅なら、キングオブかき氷はこの赤福氷だ。
これも3年連続。実はお伊勢参りより赤福氷が目的だというのは神様には内緒だ。

津へ帰って2人で駅前の居酒屋に飲みに行く。ロシアの土産話もほどほどに、
結局いつものアホな話を延々続けていた。アホの追求には余念がない。
久しぶりに飲んだからか生中2杯ですげー酔った。その後はカクテルに切り替えた。
帰りはTカヨシの奥さんに車で迎えに来てもらう。新婚夫婦のアパート初訪問。
大学時代以来10年来の付き合いのアホな友人が、何か所帯の雰囲気のある
きれいに片付いた新築アパートに住んでいるのは、なんとも違和感があった。
昔こいつが住んでいた職場の寮の、いかにも男一人暮らしの殺風景な部屋が懐かしい。
こちらが持参したロシアの写真や、6月の結婚式のDVDを見ながら飲みなおし。
その後奥さんが嫁入り道具に持ってきたというシャープのでかい薄型TVを見ながら、
いつのまにかTカヨシは床で寝ていた。

翌日、朝飯に実家の名物という奥さん手作りの「めはり寿司」を食い、
TVを見ながら適当な時間でお暇。Tカヨシと津市内や鈴鹿にドライブに行き、
そう観光名所も特にない田舎の道を、アホな話をしながらダラダラ走った。
とりたてて特別なことをするわけでもない。
アホな友人と、普通に大学時代と同じような日常を過ごす。
これがしたかったのだ。Tカヨシも久しぶりにアホが出来て喜んでいた。
公務員だと周りがみんな堅苦しくて、毎日息が詰まりそうなんだそうだ。
俺たちはいつまでもこのアホな精神を忘れず、アホを追求していきたい。

聖地

2007-08-07 23:09:43 | モスクワ留学後記
クソ久しぶりの更新。1ヶ月も間が空いてしまった。
さして書くことがないから仕方がないといえばそうなのだが。
相変わらずグータラな日々を送っております。
早く働き始めんと、マジでニートになってしまう。

7月28日(土)、29日(日)の2日間で、大学時代に住んでいた寮の悪友達と、
富士山へ行ってきた。参加者は8人+その奥方1人で計9人。
ちなみに内わけは29歳×2、28歳×1(←俺)、27歳×2、26歳×1、25歳×2、22歳×2。
俺は隣の市に住んでいる幹事と前日の金曜日の夜から出発。
横浜に居る、今回は参加しないへたれ男の家に押しかけ、休息。。。
のつもりが久しぶりに会ったせいで話し込んで、結局一睡もしないまま翌日を迎えた。
翌土曜日、朝7時半頃富士山須走口5合目へ到着。
駐車場が死ぬほど混んでて車が4台中2台しか停められなかったので、
2台は5合目より2キロほど下のほうへ停めてから人員を上まで輸送。
だいぶ時間のロス。結局8時半頃から登り始めた。

富士山はこれまで高校2年時と大学5年時の2回登った事があり、3度目。
今回は前回と同じルート。前回もどエライしんどかったので、今回は登れるか不安。
しかも登る直前にリュックが壊れるアクシデンツ、持ちにくい。。。

最初の休息所6合目では休憩は要らんとぶっ飛ばし、そのまま登り続けて、
登り始めから約1時間15分後、本6合目へ到着。スゲー辛かった。
何で辛かったかというと、一緒にいる奴らと喋りたおしてたから。
ていうか俺が1人で喋ってた。息がキレギレ。もう黙って登ろう。
約2時間で7合目へ。ここは2900メートル地点。
5合目が2000メートルなので、2時間で900メートル登った事になる。
残りの高さ1キロ。何だ、意外と簡単に行けそうだな。
気合の入った俺は8合目、8.5合目には1番で到着。(写真はその8.5合目より)
皆を見下ろしていたのだが、9合目でガス欠。急に足が痛み出し、
結局ヘロヘロになりながら仲間内では3番目の登頂者となった。
正確には覚えてないけど、午後1時15分くらい。4時間45分での登頂だった。
まぁ年齢分布を考えると、3位は悪くないだろう。29歳に負けたけど。
脱落者は唯一の女性参加者1人と1番の若手(22歳)と幹事(25歳)・・・
幹事が登れなくてどーする!!?
下りは3時間くらいで下りれた。疲れ果てた身体でホテルへ。

ホテルでは晩飯の後、翌日の富士急ハイランド行きをかけて卓球勝負。
絶叫マシンが死ぬほど好きな俺はどうしても「ええじゃないか」に乗りたかったのだが
(それ以上に絶叫マシン嫌いな奴らを乗せたかったのだが)、
幹事の野郎がやたらと卓球強くて、絶叫マシン好きチームは全滅。
結局翌日はパターゴルフや水族館など、当たり障りのないものになった。
だから日記で書くこともなく割愛する。

帰りは名古屋に寄って帰り、今回参加できなかった残り2人の後輩とも顔合わせ。
飯を食ってさようなら。結局今回は大学時代の寮生の後輩8人中7人に会った。
そしてほとんどが普通のサラリーマン生活を送っていた。
(1人だけ法律学校に通い弁護士を目指していたが)
無職は俺だけだー!早く就職しよう。

査問会

2007-07-05 09:55:36 | モスクワ留学後記
前回の記事で「モスクワ留学記」は一応の終わりを告げ、
このブログの存在意義もなくなってしまった訳ではあるが、
(大体既に日本に帰ってきた後じゃタイトル自体が大嘘だし)
数年後のロシア駐在を目指して何かしら書きつらねていこうと思う。
とりあえず何も始めてないニートな時間を過ごしてる今は
「モスクワ留学後記」のカテゴリーで持って日記を書いていこう。

で、日本時間の5日(木)朝未明、嬉しいニュースが飛び込んだ。
2014年冬季五輪の開催地が、ロシアは黒海沿岸の町ソチに決まったのだ、ウラー!

まだ8年も先の話だが、ロシア語やってきた者にとってはいいことではなかろうか?
ロシアに住んでれば見に行くことも出来るかもしれないし、
ロシアが注目浴びて何かと良いことがあるかもしれないしね。あるかも、だけど。
まぁそれよりも何よりもスポーツ好きとして嬉しい。
ロシアはウインタースポーツの超強豪国だし、そして何より!!
忘れてはならぬ5年前の日韓ワールドカップでの悪夢。
とんでもないジャッジの横行したあの大会の二の舞だけは避けねば。
決選投票で韓国の平昌との勝負だったようだが、51票対47票での勝利。
これって僅差なのかどうかは知らないが、とにかくソチが勝って万歳三唱。

この2014年にはきっとロシアにいて、観客でも関係者でもプレスでも
身分は何でもいいから、この五輪を見に行きたい。

歓喜の凱旋

2007-07-01 23:52:09 | モスクワ留学記
6月29日(金)、4時少し過ぎ。タクシーで空港に向かっている最中。
テストセンターに電話をかけた。
「今日の朝にテストを受け直した者ですが、結果は出ましたか?」
「出てるわ。手紙が66%、聴解が84%だったわよ」
「と、言う事は、、、合格ですか!?」
「合格よ、おめでとう。証明書は来週の金曜日に出せるからね」
やったー!!!

1度目は2科目落として不合格。帰国当日ギリギリ再テスト。手紙が合格点ギリギリ。
全てがギリギリガールズくらいギリギリだったが、
何とか合格しました。直接知っている5期40数人のJIC生の中では3人目だ!
1人だけ2倍留学してるけど。1人だけ受け直しなのが気に入らんけど。
まぁ証明書にはそんな事は載らないし。ちと悔しいけど。
でも嬉しい!ドラー!グレート!ディ・モールトー!


ということで日本に帰ってきました。ただいま。
帰国当日の30日(土)最初に会ったのはアチ君。
就職活動のアドバイスやら何やら話して3時間くらい過ごした。
帰国後最初に食った飯がペッパーランチとは痛々しい。
足りなくて、松屋をはしごしてしまった。なお痛々しい。

夜はWタリ君が呼びかけて、新宿で飲み会を開いてくれた。
なっつぁん、マッキー、Kんすけ、Yり、Aさみ(1号の方)が集まってくれ、
懐かしい顔を拝む事ができました。そういや全員1年以上会ってなかったんだよなぁ。
木~金曜にかけて徹夜し、金~土曜にかけては飛行機だった為、
飲み会始まる前から恐ろしく眠かったが、始まったら眠気はどっか行ってしまった。
飲み会前に読んだSBR12巻が面白すぎて眠気が吹っ飛んだだけかもしれないが。
わざわざ集まってくれた皆、ありがとう。
6人中4人が社会人、そして2人も就職を決めていて、
1年ちょっと前との立場の違いを感じた。一番変わっていた大賞は・・・
う~ん、なっつぁんかな?ていうか全員あまり変わってなかった。

11時過ぎに解散した後、1次会に参加できなかったWタリ君と2人で飲み直し。
2時頃になるとさすがに眠くなってきたのでカプセルホテルへ。
翌朝は11時すぎまで寝た。57時間ぶりに横になって寝れた。
7月1日(日)は後楽園ウインズへ。帰りの新幹線代を稼ごうとしたが、
がっちり負けてWタリ君に金を借りて新幹線に乗った。
あ、Wタリ君、お付き合い&お金貸してくれてありがとう。また行こうねー。
新幹線で寝まくって豊橋を乗り過ごしそうになった。あぶねー。
久しぶりの日本、久しぶりの実家は新鮮だ。

夢、見果てたり

2007-06-29 13:48:56 | モスクワ留学記
カテゴリ「モスクワ留学記」の記念すべき100エントリー目は、
「モスクワ留学記」最後のエントリー。
土壇場で「テニス」を抜き、何とか100に間に合った。
合計20ヶ月になるモスクワ留学の最後の週は、
それはそれは忙しいものだった。

24日(日)、イズマイロフスキー・パルクの土産物市ベルニサッシに土産を買いに行く。
スヴェータと最後に会う時間が作れなかったので、もしよければってことで、
買い物に一緒に同行してもらうことにした。
土産にマトリョーシカ8個で2,680ルーブル。
初めてちゃんとしたマトリョーシカを買った気がする。
クラシックのコンサートに行かないかと誘われたが、
翌日はテストなのでお断り申し上げました。


25日(月)テスト(ТРКИ 2-уровень)1日目 午前11時~
・文法=78% 1週間前にぶっつけで過去問をやったところ65.3%。
必要なのは75%。これは無理だと思ったが、ミッティに借りた過去問と
かなり同じ問題が出た。死ぬほどラッキー。自己採点より少し良かった。
・文章読解=80% 簡単だった。辞書を使っていいということだったが、
使用禁止でもいいくらいだった。一瞬1-уровеньかとも思ったほど。
1問、正答を残り2秒で誤答に書き換えたのが悔やまれる。
でも点数を見ると5個も間違えてるのか。どこ間違ったか気になる。
・手紙=55% ①広告を見て知り合いへの紹介②旅行会社へエクスカーションのお礼状
③エッセー形式-先生に求められる素質 ①と③が出来た自信が無い。
まぁその通りの結果になった。終わった後の手ごたえが分からないのが辛いところ。

とりあえず難関と思われた文法が、自己採点で合否ラインギリギリくらいだったので、
少し希望を持って翌日の勉強をした。当初から最も自信なかったのは会話で、
その次に自信のないのが文法だったから。だからこの日は会話の練習(1人で)。


26日(火)テスト(ТРКИ 2-уровень)2日目 午後1時半~
・聴解=56% 前日にミッティから、「聴解死ぬほど難しい」って言われて
怖気づいていたのだが、その通り怖気づいた結果。全く分からんかった。
昔、留学前に日本で受けたロシア語検定では聴解のみ死ぬほど良かったので、
聴解は何とかなるだろと思っていたら激甘だった。これは痛い・・・
・会話=84% ミッティから得た事前情報を元にかなり対策をしたので
(って言っても一夜漬けなんだけど)落ち着いて受けれたのが大きい。
こんな点が取れるとは思ってなかったので自分でもびっくりした。
かのAサミに得点で上回れたのが嬉しい。(他はボロ負けだが・・・)
あ、討論内容は「インターネットの功罪」、一緒でした。ありがとうAサミ。

テストも終わったことなので夜はミッティ、マーサ、その友達の大勢と花火大会。
モスクワ川の河原でビール飲みながら花火をした。
ほとんど花火見ずに喋ってただけだけど。ミッティ&マーサはこの日が最後の夜。
翌日は一足早くモスクワを発って行った。お元気で。


27日(水)ラスト・リリアの授業。いつも通りのトーンで最後って気がしない。
夜はJIC送別会。元同室のヒラシェンコ&Yコヤマ氏と久しぶりに会った。
リョーシャにも1ヶ月ぶり再会。ドゥラカーで負けた者が罰ゲームでウォッカ飲み。
さすがロシア人だけあって、リョーシャは強かった。(酒でなくてドゥラカーが)
結局6時まで起きていたのが不覚の元。


28日(木)ラスト・ニーナの授業。いつも通りの授業で最後って気がしない。
この授業に行く前にテスト不合格の結果を知りショック。やっぱり駄目だったか。
受けなおしを29日の午前中にすることに。って帰国日に2つもテスト受けるのかよ!
夜、部屋の片づけをしているとTかはしさんから電話が。
で、11時からAへ。ラストダンス再び!
ものすごい熱いA&D。俺の帰国を祝っているのか!?
しかし長居した結果勝ち額を大幅に減らし、結局普通の勝ちに収まった。
Tかはしさんは1度失った勝ちをもう一度取り戻す男気を最後まで見せてくれた。
もう思い残すことはない。
そしてTかはしさん、寮の前で別れるときの車内での最後の握手は、
俺にとっては忘れられない一瞬です。もう一度言わせてください、ありがとう。


29日(金)再テスト(ТРКИ 2-уровень) 午前11時~
・手紙 たぶんAサミが受けたテストと同じ問題。1回目よりはマシだと思いたい。
・聴解 1~5課題×5問の計25問だが、真ん中の2~4は1回目よりだいぶ簡単だった。
それでもあまり自信はないところが痛々しいが。
受け直しということで易しいやつを選んでくれたのだろうか。
いや、デッキかカセットかの不具合で始まりが10分くらい遅れて、
その間色んなテープを試していたから、それは考えすぎだろう。。。
結果は本日4時、もし受かったらAキコに頼んで証明書を送ってもらう。
受かってるといいなぁ。無理かなぁ。

2時にローザの点検を受け、10ヶ月慣れ親しんだ1721-2号室を後にする。
これでこの部屋ともこの寮ともモスクワ大学とも仲間ともお別れ。
今までありがとう。日本に帰ります。


モスクワの雪粒…
ひとつほども後悔はしていない………

何ひとつ……

ただ…気がかり…なのは…

女をひとり

中東に残して来た事だけだ

幸せになってほしい…
オレの祈りは…

…………それだけだ

さらば、遠き日

2007-06-25 23:24:12 | モスクワ留学記
22~23日はロシアで迎える最後の終末、いや週末。
当然ながら2日間フルで過ごすのは女の子と・・・
ではなく!マブダチと過ごすことにした。当然の選択だ。


22日(金)、丁度この日はTかはしさんの誕生日。
(何かこれまでT氏とか本名ばらして高橋さんとか書いたりしてたがTかはしさんに統一)
ささやかながらプレゼントを渡し、気合を入れていざ戦場へ。
さすが誕生日、AもTかはしさんを祝ってくれている。
先週と同じく大勝に次ぐ大勝で、この日の勝ち額は円換算で2桁万円を軽く超えていた。
俺はといえば・・・3度目にして今月初の負け。痛い・・・


23日(土)前日の夜更かしが祟ってか、起きたら4時。
Tかはしさんが6時に来るということだったので、全く勉強できなかった。。。
おそらくはこの日が2人のラストナイト。
最後だからロシア料理が食べたいという俺のリクエストに応え、
Tかはしさんが奮発してくれて、高級レストラン「シノック」に連れて行ってくれた。
(厳密にはロシア料理屋ではなくウクライナ料理屋だという突っ込みは受付けません)
ボルシチ、キエフ風カツレツの定番に加え、
(厳密には両方ともウクライナ料理だという突っ込みも受付けません)
なんとキャビア入りロシア風パンケーキ(ブリヌイの事ね)まで!
俺が20ヶ月もロシアにいながら未だにキャビアを食べたことが無いのを知って、
Tかはしさんが大盤振る舞いをしてくれたのだ。
たっぷりキャビアが詰まった小さなブリヌイが6つで、お値段なんと2,150ルーブル!
1皿1万円近くするじゃねーか!
「本当にいいんですか」と3回ぐらい聞きなおしたが、「好きなものを食え」
Tかはしさんの人間の大きさを見た。
店内には中庭のような空間に馬が飼われており、
民族衣装を着たお姉さんが餌をあげている。
本当にここはモスクワのど真ん中にあるレストランか?
カメラを忘れたことをすげー後悔した。
料理はどれも非常にうまく、特にボルシチと、カツレツの付け合せで付いている
ポテトに感動した。(安い舌なので・・・あ、もちろんキャビアも美味かった)
2人でお値段計4,500ルーブル。Tかはしさん、本当にご馳走様でした。

腹いっぱいになったところで俺たちの行く先は決まっている。
ラストダンスはもちろん2夜連続のA。Tかはしさんの車を洗車した後、
満を持してAに向かった。途中、車の中で胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。。。
この日の俺はツイていた。
前日にエンジェル&デビルズがバカ女のせいでプレイできなかったが、
その鬱憤を晴らすようにこの日はそのA&Dで2度のフィーバーイン。
前日の負けを大部分取り戻した。
Tかはしさんは・・・車の汚れともに憑き物まで落としてしまったのか、
前日の勝ち額の75%を失う大敗。
「不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまった」
英雄Tかはし、壮絶に散る。これで晴れて2人ともA引退だ。

最後はTかはしさんの家でTかはしさん結婚DVDを観賞したり、
Tかはしさん新婚旅行写真を見たりしながら談笑した。
長かった2年弱の付き合いもこれで最後。
別れは寂しいが、数年後、必ずモスクワ駐在員として戻ってこようと思っています。
どこの会社かは分かりませんが。
だからTかはしさんは絶対にその時までモスクワ駐在を続けていてください。
言葉では言い表せないほどの感謝をこめて。ありがとう、Tかはしさん。

決意と野心と

2007-06-21 07:21:00 | モスクワ留学記
18日(月)夜7時、ザリーナとデート。
3回とも地下鉄駅チェーホフスカヤでの待ち合わせ。
そして3回とも「銀の滝」は満員で行列が通りに伸びている。
仕方ないので今回は旧КГБ本部裏、ミャスニーツカヤどおりにある
アメリカンなカフェ「Дяди Сема」に行った。
H君とI氏は覚えているかな?
一度3人で入ってハンバーガーを食べたことあるんだけど。

今回も頼んだのはハンバーガー、ザリーナは魚料理。
サラダやスープを頼まなくて良かった。結構な量だった。
前回は俺が日本の風景やら友達を撮った写真を見せたが、
今回は彼女がカフカースに行ったときの写真を持ってきて見せてくれた。
あと、前に話していた「школа ниндзя」という忍者の本を持ってきてくれた。
忍者の修行や技などがえらい詳しく書いてあった。
日本にもここまで詳しく解説してある忍者本はねぇー。

3回目にして初めてアルコールが入った。ちと高くついた。
カクテルを2杯ずつ。ザリーナはアルコールに弱いらしく、
しかも頼んだカクテルが2杯とも結構強かったので、2杯でかなり酔っていた。
改めて、29日で日本に帰ることを話し、改めて彼女を落ち込ませた。
11時過ぎ頃まで店でまったり話し込み、その後恒例の散歩。
酔ってるのを口実にして初めて手を繋いだ。なんとプラトニック。
スーハレフスカヤ駅まで歩き、そこから彼女を乗換駅メンデレーエフスカヤまで送り、
別れたのは1時過ぎ。ボーっとしてたらパールク・クリトゥールィを乗り越して焦った。

デートに向かう前に、何日かぶりにСнежанаにメールを打った。
久しぶりだがすぐに返信が来たのは嬉しかった。
お陰でダークサイドに落ちずにすんだ。

動乱への誘い

2007-06-16 20:14:17 | モスクワ留学記
ロシアは12日(火)が「ロシアの日」という休日だったので、
11日(月)の授業を9日(土)に振り替えて、日・月・火が3連休だった。
9日(土)の授業のあとラムストルに寄ってロスティクスで昼飯を食ったが、
そのときに食べたハンバーガーが生焼け気味で赤かった。
ラムストルで買い物をしてメトロに乗ったあたりからものすごく体調が悪くなってきて、
メトロを降りて寮に向かう道を歩いているときはマジで倒れそうだった。
ラムストルで大量の買い物をするんじゃなかった。。。
寮について体温を測ってみると、38.9℃・・・そら倒れそうなはずだわ。
とにかく寝た。
この日の夜にミッティ&マーサとカレーパーティをやる予定だったが、
残念ながらキャンセル。色々と聞きたい話し合ったんだけどなぁ。
何よりも不安なのは、生焼け肉食ったことで鳥インフルエンザにかかったんじゃないか、
と頭によぎったこと。ロシア南部で流行ってたし。
でもネットで鳥インフルエンザについてを調べる余裕もなかった。
結局今でも調べてないが、結局アレって人に感染するのかな?
寝て寝て寝まくったら次の日の朝起きたときには熱が37℃台まで下がっていたが、
代わりにものすごい腹痛に半日悩まされることになった。
下痢の腹痛ではなく、かつて経験した腸閉塞のような痛みだったので、
飯を食ったら余計に危険だ、と何も食わず何も飲まず夜まで過ごした。
病院に行きたかったが、SOSクリニックまで地下鉄使って1時間以上かかる。
そこまで辿り着く自信はないし、タクシーは高いし・・・行かなかった。
夕方ごろ、意を決して少し飯を食った。大丈夫そうだったのでもう少し。
しばらくして恐ろしい腹痛は治った。ただ腹が減ってただけだったのか!?
20時間以上何も飲み食いしていなかったから、それが駄目だったのかも。
この日の夜、Kみこちゃんとシチューを作って食ったら見事に全快した。
果して原因はクリミア旅行の疲れだったのか、はたまた鳥インフルエンザか?
とりあえず治ってよかった。めでたし。

11日(月)は体がまだ本調子じゃなかったので外に出ずにボーっとしていた。


12日(火)、ようやく外出。結局3連休は何もまともに出来ずに終わってしまった。。。
この日は4月末に初めて会ったザリーナとのデートの約束があったので、
体調がまだ本調子じゃなく、イマイチ気が乗らなかったが、7時にプーシキンスカヤへ。
「銀の滝」は例のごとく満員御礼だったので、大ドミートロフカ通り沿いの日本食屋へ。
日本食屋というよりは普通のレストランが寿司も作ってる、というような店なんだが、
2月にアーニャと行った時に、意外に寿司が美味かったので覚えておいた。
少なくとも隣のアジアカフェよりはこっちのほうが美味いはず。行った事ないけど。
ザリーナは箸を使ったことがないらしく、持ち方を頑張って教えた。
寿司は巻き物を3種類ほど頼んでにぎりを注文するのを忘れる失態だったが、
すごい気に入ってくれた。特にうなぎの巻き寿司。味噌汁も気に入ってたみたい。
箸はかなり苦戦してた様だけど。。。

その後、恋愛の話に移り、互いの好みのタイプなどを話していたが、
どうも様子が・・・変だ!
「私はロシア人とはもうあまり付き合いたくない」とか、
「ネットで知り合って会うのはあなたで6人目だけど、これ以上別な人と会うことはない」
とか言っている。(↑注・ちなみにネット通じて知り合いました)
意を決して聞いてみた。
「俺は君の事を気に入っているけど、君も気に入ってくれているのかな?
今ここで交際を申し込んだらOKしてくれる?」
「もちろんOKよ」ドカーン!
禁断の領域に踏み込んでしまった。俺にはСнежанаが居るというのに。
しかも6月で日本に帰らなければならない。時間が全くない。
このことを伝えたら、ものすごく動揺してしまい、10分ぐらい会話が停まった。
あなた本気ですか。。。
嬉しいけど悩ましい。時間もないし、なにより・・・
とにかくこの事についてはそれ以上深追いせず(させず)、店を出た。
店を出てから他愛もない事を話しながら2時間くらい歩いていたら、
いつの間にかツベトノイ・ブリバールに着いていた。どんだけ歩いてんだ。
1時10分前、終電ギリギリチョップ。
必ず帰る前にまた会おうね、と言って別れた。
散歩の間、結局手も握らなかった。
このままプラトニックにさようならしようか。どうしようか。

終わりなき別れ歌

2007-06-11 23:44:02 | モスクワ留学記
7日(木)朝5時40分頃、キエフ着。
結局3時間ほどしか眠れなかったので死ぬほど眠い。
駅前のマクドナルドに行って朝飯。1時間ほどつぶす。
マクドナルドで朝からコニャックを飲むВиктор。。。
その後益の西側にある教会前の広場に行って、
トランプをしたりしゃべったりしながら更に2時間をつぶす。
СнежанаとИринаにトランプ手品を見せたらえらいウケた。ラッキー。

9時20分頃、ようやく待っていた女性(名前は忘れた)が到着。
本当は女の子と呼びたいが、えらい貫禄があって女の子では似合わないので女性と呼ぶ。
この女性とСнежанаとИринаの3人は、これから仕事でヨルダンに発つのだ。
なぜにヨルダン!?と言い争いになりそうだったが、
まぁ彼女が決断したことなので我慢することにした。3ヶ月の予定ということらしい。
まぁウクライナに居ようがヨルダンに行こうが、どうせ俺は6月末に日本に帰るので、
結局これ以上会えないことには変わりないんだけどね。

で、その女性が合流したところで再び朝飯。マクドナルドの向かいにあるピザ屋へ。
俺とСнежанаはサラダとビールだけだったが、ИринаとРомаはピザを食べていた。
某女性は1人でピザとサラダとビール。そりゃ太るわ・・・
まぁそれはいい。そこまではいい。
Викторが注文したものはシェイク3杯。1人で3つも飲むのかよ!
前の晩コニャックしこたま飲んで、徹夜で朝からコニャック飲んで、
その後シェイク3杯とは、さすがにわしも真似できんわ。恐るべしウクライナ人。

その後さらにバスの時間の1時半まで、駅の待合室で2時間ほど時間をつぶす。
ИринаとРомаが2人で寄り添って寝て、俺がСнежанаの横で寝ている間、
ВикторはずーっとСнежанаと話していた。というかВикторがずっと話していた。
お前、徹夜じゃなかったのか??タフな奴。。。さすが21歳だ。

電車内で知ったことだが、実はВикторはСнежанаの事が好き(だった)らしい。
今でもかどうかは知らない。学校が同じで、ВикторはСнежанаの2年後輩。
当時から気になっていたが先輩に話しかけるのが恥ずかしくて見ているだけだったそうな。
Снежанаは当時はそのことを全く知らなかったらしいが。
で、半年ちょっと前にИринаとその彼氏Ромаを通じてお互いに知り合った後、
Викторから何度も誘いがあったそうだが、Снежанаは年下には興味なく。。。今に至る。
ということで彼の目の前でいちゃつくのはあまりよしたほうが良い、
とСнежанаから言われたのだが、何か無性に気持ちよかった。
おぉ、このウクライナ人に勝ったのか!って感じで。性格悪いかな?
いや自己満足です、スルーしてください。

1時半、時間になった。いよいよお別れのとき。
РомаもВикторも空港まで3人の見送りについていくが、
俺は電車の時間の関係で行けないのだ。
ということで空港行きのマルシュルートカに乗る5人を見送った。
意外にあっさりした別れだった。
お互いもう少し悲しむと思ったが、まぁ実際はこんなもんだろう。
次はいつ会えるだろうか。彼女が日本に来てくれることを願って止まない。


身が軽くなったところで、5時初の電車まで2時間半ほど時間があるので、
キエフの街中を見ることにした。キエフも実に7年ぶり。
地下鉄テアトラーリナまで出た後、フレシチャーティク通り~ネザレージュノスティ広場
~聖ミハイル修道院~ソフィア大聖堂~黄金の門~ウラジーミル通り~キエフ大学
~ウラジーミル聖堂~駅、と歩いて回った。
特にネザレージュノスティ広場は見ておきたかった。
3年前、まだ日本に居たとき、ウクライナ大統領選の際のオレンジ革命で、
オレンジの旗が広場にはためいていたニュースを見て、
おぉ!ここはかつて訪れたネザレージュノスティ広場だ!と感動した覚えがあるからだ。
でも行ってみたら大した事なかったってのはよくある話だ。
それよりもフレシチャーティク通りやウラジーミル通りの洗練された美しさにびっくりした。
ロシアとは明らかに違って、緑が多く、乱雑でなく、都会的でしかものどかな、
ヨーロッパ的な雰囲気のとっても気持ちの良い通りになっていた。
(※注↑決してこれはロシアを駄目といっているのではなく、
ヨーロッパ的になりきれない田舎くさいロシアが俺は好きなんだー!)
金もなく時間もないし学生証も荷物預けに忘れたので、
ソフィア聖堂は結局外から眺めただけ。7年前に行ったしまぁいいや。
それよりも時間があったら是非ペチェールスカ大修道院に行きたかった。
きっとキエフにはまた来る機会があるだろうことを祈って次回にとっておこう。

街中を散策中、Снежанаからさよならメールが来たが、
携帯のお金が切れて返せないのがなんとも痛々しい。
ウクライナではМегафонのカードは売っていないのだ・・・不覚。

電車の時間まで少し時間があったので駅前の市場をちょこっと見た後、
昼飯を食っていなかったので、電車に乗る前のマクドナルドを食べ、
さらに持ち帰りでマックラバシュを1つ電車に持ち込む。

5時3分初モスクワ行き。これでウクライナともおさらば。
電車内泊含め計7泊8日、一瞬で過ぎ去った最後の旅だった。
さようならСнежана、元気で。また会えることを祈ってる。

愛に斃れ

2007-06-10 19:20:54 | モスクワ留学記
5日(火)アルシタでの3日目最終日。
少し早く起きて午前中にビーチに行こうと言っていたのに、
俺が起きたのは(起こしてもらったのは)またもや10時過ぎ。
前夜にСнежанаが寝てる横で1人でTVでローラン・ギャロスを
遅くまで観ていたせいだろう。寒くてなかなか寝付けなかったし。
最後の飯は残り物の野菜を使ってのサラダと前夜の残りのジャガイモ炒め。
毎度毎度わしが寝てる間に用意をしてくれてありがとう。

当初の予定では午前中にビーチに行き、1時過ぎに帰ってきて荷物をまとめ、
3時頃に部屋の管理人にこの日でおいとまする旨を言い、お金を返してもらい、
4時半発クリヴォイ・ログ行きのバスに乗る、という予定だった。
転機も3日目にして初の快晴だった。ただし予定は未定、俺の場合は特に。
朝飯の後2人でうだうだしてたらいつの間にか11時を過ぎてしまい、
これからビーチに出ても往復50分以上はかかるので日光浴の時間が全くない。
ということで結局3時過ぎまで2人でまどろみながらうだうだ過ごした。

その後部屋の管理人に電話をかけ、急遽帰らなければいけない事になった旨を告げ、
270グリブナを返してもらい、3時半過ぎ、宿泊部屋を後にした。
管理人は内心はどうか知らないが快く早期の退出を許してくれ、
お金もほぼきっちり3日分返還してくれた。
部屋も食器以外は悪いところなく気に入ったので、
また来た時はここに泊まりたいねとСнежанаと話した。
果たして彼女と再びクリミアに来る機会は来るのか・・・?気になるところだ。

帰りのバスは予定の4時半を15分ほど遅れて到着。
しっかり飲み物を仕入れ道中8時間の予定に備える。
移動の際は常に寝ることを信条としている俺だが(そんな偉そうに言うことでもないが)
しっかり睡眠をとったせいか、全く寝付けないので、
ずっと窓の外を眺めるかСнежанаと話すかしていた。
昔の友人でアホなエピソードの多さにかけては右に出るもののいない、
通称「ア堀」の事を話して聞かせたらウケていた。
ウクライナ人からも笑いを取れるとは、「ア堀」恐るべし・・・
中間の4時間ほどの場所で1時休憩。行きの際にも停まった同じ休憩場所。
ここで自家製クリミアワインをお土産に買い、シャウルマで夕食。
後半4時間はほぼ寝ていた気がする。お腹が一杯になったせいかな。

夜12時頃、クリヴォイ・ログのСнежанаの家に到着。
7年前の初ヤルタ旅行以来の夢だったクリミア旅行が終わってしまった。
お母さんのボルシチを食べて、シャワーを浴びて就寝。疲れた。


6日(水)、11時頃起きて朝飯兼昼飯をご馳走になる。
その後、何をやってたか分からないほどだらだらとノンビリ過ごした。
出発の準備をしたり弟のАндлюшаとゲームで遊んだりお父さんと話したり。。。
で、晩飯を食ってシャワーを浴びて、8時過ぎにタクシーで駅へ。
夜9時発のキエフ行きの電車に乗った。
同行はСнежанаの友人Ирниаとその彼氏Рома、彼氏の友人Виктор。
計5人でプラッツカールトヌィの一角を占領し宴会が始まった。
Викторが持ち込んだコニャックをРомаと俺との3人で2本あけ、
СнежанаとИринаはビールとワイン。
12時頃にさすがに気持ち悪くなって俺が寝た後もまだ他の4人は起きていたらしく、
結局俺とСнежана以外の3人は徹夜だったようだ。タフだなぁ・・・


7日(木)以降は次回に続く