<あなたへの手紙…!>

加齢と比例し記憶は薄れ身体能力は欠ける日々
模索しながら、頑張って登る八十路坂その生活を備忘録を
ここに綴ります!

三人の孫

2007年07月24日 | 絵画
             

       2003年 孫 兄弟妹<マザー牧場にて> 油彩 F6号

7月24日、雲ひとつない晴天なのに関東地方は梅雨明けはまだと云う・・・!
もう子供たちは、楽しい夏休みに入り,いろんな計画を立てている事でしょう!

私の子育て時代は、夏休み毎日の絵日記の宿題があり、絵日記に色を添えたい為に、
無理に家族旅行を計画した、思い出があります。

私も孫と2005年頃までは、、箱根 軽井沢、那須 と良く一緒に出かけましたが・・・・・
この絵は2003年千葉<マザー牧場>
当時 上は中学1年
   【大盛りの辛味蕎麦食ふ元気よさ 孫の成長見て静かなり】

当時 中は小学2年
   【脳みそを手術してよと前置きし外科医の孫はテスト渡しぬ】

当時 下は幼年長
   【スクールの聖母マリアにする仕草で女孫は祖父の快癒を祈りぬ】

孫の成長は早いもので、この夏<高2・小6・小4>となり、夏休みは進学の為の
塾通いとなるそうです。ゆとり教育が採用され、土曜日が休日となり、
それが良きか悪しきか・・・・?日本の子供の学位が落ちています。

塾流行の問題も指摘すべきですが、子供に夢を持たせ、その目標を育てていく
為には私は、文部省の推す、現在のゆとり教育では駄目・・・・・
塾通いも、いた仕方ないと思います。

   【幼子は進路を決めて塾通い孫待つ駅は月影の下】


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母恋しさに・・・!

2007年07月19日 | 日記
        
                  油彩 蓮 F4号 

印象派の画家クロード・モネ の描く「蓮」はあまりにも有名です。
      一度は 私も蓮の花を描きたいと思い 描いてみました。

蓮の花は、仏教では極楽浄土の花、どこのお寺でも、仏像の光背や台座、
また浄土の絵の中には必ず蓮の花(蓮華)があります。

 【蓮の花天に向かひて咲きにけり老いし母御の眼<まなこ>に映したし】

母の日に、姉から送られてきた写メールに映る母を見て、
いたたまれず、また、母の見舞いにふるさと熊本へ・・・・・!

母は施設へはいっています。施設では2番目の高齢者で98歳です。
看護師の方がそれはそれは手際よく世話をして下さいます。

食事の時間が一番大変そうです。
大きいテーブルの周りに6人が車椅子に座り、そのテーブルの真ん中に
看護師さんが二人はいり 順番に6人の口の中へ食事を運ぶのです。
中々飲み込めない人、直ぐに出してしまう人、口を中々開かない人
早く早くと大声で催促する人。
・・・・もうそれはそれは大変です。

        

許可をへて・・・
行っている間、一番大変な食事時に、毎日私は園に行き、
母の食事の世話をしました。それが終わると母が以前私に教えてと
いって覚え母の18番となった、母の大好きな「命くれない」を私が歌うと
 母は手を叩きにっこりとします。
毎日、ロビーの隅のソファで、母に歌いました。
わずかな期間でしたが、二人の姉に また、お願いして帰宅しました。

 【虚ろなる母の瞳に泣かされて主の娘と見舞いのたびに】

【目も耳も足もはかないこの母を三途の川は誰がみちびく】

 高齢化が進み、考えさせられる課題の多さに、驚きました。

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60数年の歳月で一番哀しんだ日・・・!③

2007年07月02日 | 日記
60数年の歳月で一番哀しんだ日・・・!③

そんな繰り返しの日々紅葉も真っ盛りの午後、私の机の電話が鳴った。
「土曜日2時に見舞いにおいで」 と、それのみで電話は切れた。

課長にだけにその事を話し、病院までの地図を書いてもらい、二時に病室の
ドアを叩いた。
二人の部屋の 窓側に新聞を読む格好で顔を隠し、ベットに寝ていた。
私は持参した、ブーケの花籠を枕辺に置き、「如何ですか?」と問ふた?

「ウン!君が来るので、今朝女房が来てひげをソリ、 洗髪をし 
 パジャマを替えて帰ったよ。」
 「そう!だからいつもの爽やかなオーデコロンが薫ります」

沈黙の後・・・・
照れくさいのか新聞はそのままで、顔を隠したまま・・・・・
「冷蔵庫に入っているものをご馳走してね・・・」と、
            女房がそう言って帰ったという。

私はそのオレンジジュースを、ご馳走になりながら
間を空けない様に、何かしゃべり続けていたようだ。そこの記憶がない!

始めから30分と決めてお見舞いしたので、時計を見て「それでは早く元気になって
出て来て下さい」と挨拶をした。
所長はかぼそい手を差し伸べて「今日はどうもありがとう」と潤んだ目で微笑んだ。

〔細き手の温もりに触れ暇乞い余韻の後のさらに寂しゑ〕

帰り道・・・
私の何十通ものお見舞いの葉書の事は何にも言わなかった。果たして
手元に届いているのかしら?と不安にもなった。


もう晩秋と言えるだろう!11月終わりの雨の日曜日、 電話がなった。
C課長から、「今朝所長が亡くなりました。今夜が自宅でお通やです」と、知らせが来た。

私が見舞いに行ってまだ一月とたっていない。自分のお迎えがそう遠くではないと
分かっていて、私を呼んだのだろうか?

 あぁ!涙が止まらない!    が 夫の手前我慢していると、
それを察してか!夫は心ゆくまで泣けという。

そして送っていくから・・・・・最後のお別れをしておいで、と進める。
雨降りしきる中 課長と待ち合わせの駅まで送ってもらった。
そして所長と最後のお別れをした。
アロエが庭先にあり葉をもいだ後があった。

数日後、本社から社長が来た。あたりに人がいなくなると・・・・・
「所長にお見舞の葉書を送ってくれて、彼には何よりのお見舞いだったようです。
ありがとう!私も感謝しています。」と礼を言われた。
葉書は届いていたのだ

所長は私の葉書を、枕の下から大事そうに出して、社長に見せたと言う・・・!
二度見舞いに行ったが、二度とも枕の下から出して、みんなの様子が
良く分かると見せたと言う。

そんな事をする人ではなかったのに、気弱になっていたせいもあろうが
嬉しかったせいでもあろう。よかった私は嬉しかった。   (完)

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60数年の歳月で一番哀しんだ日・・・!②

2007年07月01日 | 日記
60数年の歳月で一番哀しんだ日・・・!②

ある日課長が「明日、所長はお休みです。忙しいから貴方は休まないで、
下さいね」と念を押された。(あぁ!病院へいかれるのかな?と思った)

その日の退社時、裏の駐車場から車で出てくると、そこにB所長が
小雨に濡れて立っていた。    
ただ普通に「気をつけてね、お疲れ様」と手を振るこんな事は今までで始めてだ。
バックミラーを見ると・・・・・
小雨の中見えなくなるまで立っていた。

5日後に本社から専務が来た。
「彼はすでに末期のすい臓がんである。明日から次期所長が本社から出社する」
衝立から洩れくる情報である。

なんとまぁ・・・!本人は必死で全快をと、頑張っているにも拘らず、次期所長が
決まるなんて無慈悲な・・・会社人事の冷たさを知った。
 温情のなさに哀しかった。ほんとうに哀しかった。

  【つくづくと企業戦士の果か無さを月に映して思い知るかな】


次の日B所長の椅子には、本社から次期所長が座った。温和な優しい方で
三社祭りが大好きらしくお昼休みには、時々祭りの話が出てくる。

私はその日から毎日、昼の休憩時に、病室の所長へお見舞い状の絵手紙を書いた。
              

「今日も○○さんが遅刻です。いつもの様に何か言い訳をします。
 今日の言い訳は自転車のパンクでした???
 梅雨も真っ只中降る雨の量が多く、倉庫前の品に被せる青いビニールシートを
 10枚買い足しました。」

またある日は・・・・・
「○○さんが髪を切りショートのヘヤースタイルに変えて
来ました。とっても似合います。早く帰ってきて見て下さい。
流れ作業のローラーが回らず午前中は、手渡し作業のようでしたが
午後から配電盤が回復し、正常な稼動でした。」

このように、何でもない会社のひとこまを、絵手紙にして病室へ・・・
 会社の帰りにポストへ入れた。

所長は手術はしないで、入退院を繰り返しているらしい!そんな時は
連絡が来る。そして、また入院と知らせを聞くと、絵手紙をポストへ入れる。

時々社用で入院中の所長から電話が来る。
お見舞いに行っていいですか?と聞くともうすぐ退院して 出社するから
来なくていいと、そっけない返事・・・!

そんな繰り返しの日々紅葉も真っ盛りの午後、私の机の電話が鳴った。
「土曜日2時に見舞いにおいで・・・」 と、それのみで電話は切れた。

        (つづく)

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