今日1月13日は、私の母の誕生日でした。
母は、13日生まれの事を「13と言う数字はあまりいい数字ではないから、私はあまりいい人生ではない」とぐちを言っていたことがありました。
私は、そんな母に、「13日と言う日に生まれた人は、お母ちゃんだけと違うで、大勢の人がこの同じ日に、又は月違いの13日生まれの人もいっぱいおられるはずやし、そんな考え方はしない方がよいのと違うか?」と親をなだめたことがありました。
母は、納得したような、それでも納得は出来ないような、あいまいな反応でした。
まぁ、苦労ばかり多くて、決していい人生だったとは、言えないと思いますが…
でもそこそこの生活が出来て、子供3人も、まずまずの子でしたし、あまり上ばかり見なくてもいいのではないか?と私は思っていました。
母は、健康そのもので、スポーツは何でも出来ましたし、私から見る限りでは、言うことなしと思いました。
そんな母が、よく鼻歌で歌っていた「青葉の笛」を聞いてみたくなりました。
青葉の笛 (唱歌) 唄・元旦
母は、13日生まれの事を「13と言う数字はあまりいい数字ではないから、私はあまりいい人生ではない」とぐちを言っていたことがありました。
私は、そんな母に、「13日と言う日に生まれた人は、お母ちゃんだけと違うで、大勢の人がこの同じ日に、又は月違いの13日生まれの人もいっぱいおられるはずやし、そんな考え方はしない方がよいのと違うか?」と親をなだめたことがありました。
母は、納得したような、それでも納得は出来ないような、あいまいな反応でした。
まぁ、苦労ばかり多くて、決していい人生だったとは、言えないと思いますが…
でもそこそこの生活が出来て、子供3人も、まずまずの子でしたし、あまり上ばかり見なくてもいいのではないか?と私は思っていました。
母は、健康そのもので、スポーツは何でも出来ましたし、私から見る限りでは、言うことなしと思いました。
そんな母が、よく鼻歌で歌っていた「青葉の笛」を聞いてみたくなりました。
青葉の笛 (唱歌) 唄・元旦
大事にして上げてくださいね。
コメントありがとうございました。
母は、平成18年5月19日に亡くなりました。
その年の同じ5月の4日だったと思います。3連休の中日に、入院していた舞鶴の病院へ、娘と私でお見舞いに行きました。
その時は、何も変わったこと無く、元気でしたので、「又来るしね」と言って帰って来ました。
今でこそ、京都・舞鶴間は、京都縦貫道が出来、行ったり来たりは、随分時間が短縮されましたが、当時は、片道、約2時間はかかりました。
最初は毎週、週末にお見舞いに行っていましたが、そのうち、こちらが疲れて来て、毎週は行けなくなりました。
母は、H18,5.19の朝、8時~8時半の間に、着替えさせて貰う看護婦さんと、部屋のお掃除に入られるおばさんとの、丁度、間の空白の時間に、誰にも気づかれなく、静かに息を引き取ったそうでした。
もうすぐ、亡くなってから10年になります。
月日の経つのが、すごく早く感じられます。
文面から亡くなっている?とも読めたのですが・・・
失礼しました。
一人で亡くなったのは少し複雑ですね。
10年ですか・・・
お父様はご存命ですか?
私はもうどちらもいません・・・
コメントありがとうございます。
父も、私が高校2年の10月に急に脳梗塞で亡くなりました。
もう父も母もいません。
淋しいですが、いずれみんなこのような状態になるのですから、人生の試練として受け止めなければなりませんね。