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■ 翳りゆく部屋 ~ ユーミン、名曲の変遷 ~

なぜか急にアクセスが増えたので、2024/02/25にUPした「ユーミンの名曲」と合体してリニューアルUPします。

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2023/01/14 UP

ユーミン屈指の名曲、「静かなまぼろし」。
アルバム『 流線形'80』(1978年)収録。

■ 静かなまぼろし 2021 松任谷由実 Yumi Matsutoya


高低差のすくないメロ展開ながら、複雑なコードが奥行きと趣きをつくるユーミンらしい曲。
→→ コード
ラストの「もう 忘れて・・・」の含蓄が深すぎる。


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(2022/12/15 22時過ぎ)
NHKでユーミン特集やってますね。

仕事中にリビングから「翳りゆく部屋」が流れてきて、いきなり気がついて速攻で録画した。
(連れがうかつにも録画しわすれてた(笑))

仕事にケリがついたらじっくり視てみます。

それにしても、この曲のフック感はやっぱりただごとじゃない。
時代を超えた名曲とは、こういう曲のことを指すのだと思う。

荒井由実(現:松任谷由実)の7枚目のシングル(1976年3月リリース)で、オリジナルアルバム未収録。
(1976年リリースのベストアルバム『YUMING BRAND』収録で有名。)

コード
あなた は夕陽 見てた  F#m B Esus4 E
横顔に 漂わせ  F#m Dmaj7 E E7  A
輝きは もどらない  D/E C#m D D#dim

サスフォー、メジャーセブンス、オンコード、ディミニッシュ・・・。
やっぱり日本のドメスティックな音階じゃない。

歌詞のワーディングもほとんど芸術の域で、いまでも聴き手のこころを打つ。
どこからどうみても、やっぱり天才なんだと思う。



この曲、最近やたらにTVで聴く。
この曲がヘビロテされる時代がまさかやってくるとは・・・。
回りまわって、いまの時代が求めている音なのかもしれぬ。


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提供曲も名曲揃い。

■ 松田聖子 - 瞳はダイアモンド(1983年)


コード

私(Bm7-5)はもっと 強いはずよ で(D#aug)もあふれて 止(C#7-5)まらぬ
ハーフディミニッシュ ~ オーギュメント ~ ハーフディミニッシュ
ユーミンらしいキレッキレのコード進行。
ベースはメジャー・セブンスだと思う。

■ 松田聖子 - 制服(1982年)


コード

これを知らないと聖子ちゃんファンとしてはモグリとされる伝説のB面曲。
長調・短調入り混じる複雑な構成の曲。アウトロのインストまで入れるとGメロまである?


こういった難曲を、あっさりと聴きやすく聴かせてしまう、聖子ちゃんの才能やはりおそるべし。

難しい曲を難しそうに歌うのは難しくないけど、難しい曲を難しそうでなく歌うのは難しい(笑)


■ 薬師丸ひろ子 Woman ~Wの悲劇より~(1984年)


コード

雪のよう な 星が降る わ
E♭ Am7-5 B♭sus4 B♭

ああ時の河 を 渡る船 に オールはな い 流されて く
B♭m7 B♭m7/E♭ A♭maj7 Fm7 

個人的にはユーミン屈指の名曲だと思う。
これもたぶんメジャー・セブンス系
しかし、どうやったらこういうコード進行を思いつくんだろう・・・。

この時代に、こういう難曲を歌いこなせる才能があったから、いまの歌手・薬師丸ひろ子があるのだと思う。


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(2022/12/16 2:27)
「NHK MUSIC SPECIAL 松任谷由実~私と荒井由実の50年~」、もの凄い番組だった。

目からウロコ的なコメントが随所に・・・。
あまりに驚いたので、番組中のコメントを引用させていただき、個人的感想をつけてみました。

■ コードは色彩?
「絵を描くことが音楽の勉強になると信じていた。その日、そのとき、その時間の、すべてを包む雰囲気の、タッチや質感を、音楽という形でアウトプットするやり方が性に合っている。だからこそ曲が書ける。」
「下手に音楽理論を学んでしまったら、この自分だけの感覚が失われてしまいそうな気がした。」


ピアノを弾きながら、
「コードって私にとっては色彩で、たとえばこれは紫がかった濃いブルー・・・、これは・・・、そこにちょっと光が差してるみたいな感じ。」
音楽は独学で、美術を専攻したユーミン。
でも、↑のコメントきくと、パレットに色彩をおくように音を紡ぎだしていたのでは。

ピアノでミスタッチして、
「いまみたいに一音違うだけで違っちゃうのが・・・。本当にコードって不思議なんですよ」
コードの大切さを熟知していながらコード進行に拘泥せず、あくまでも自分の感性を大切にしていたということか?


□ Message In A Bottle / Hitomi Wo Tojite (2022 Mix) / 瞳を閉じて 『MISSLIM』(1974年)


■ キャラメル・ママ ~ ティン・パン・アレー
キャラメル・ママにもスポットを当てていた。
ユーミンの曲も歌詞もすばらしいけど、やっぱりこういう質の高いアンサンブルがなければユーミンの曲は成り立たなかった。

サザンに原由子のキーボード&コーラスが不可欠なように、ユーミンサウンドにも松任谷正隆のバックアップが絶対に必要なんだと思う。

□ 青い影「A Whiter Shade of Pale」 - プロコル・ハルム(Procol Harum)(1967年)


ユーミンみずからが影響を受けたと語り、競演も果たした英国のバンド。
青い影「A Whiter Shade of Pale」は代表曲でカノン進行。
名曲「翳りゆく部屋」の原点が、ここにあるのかもしれぬ。

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ぜんぜん違うかもしらんけど、
初期ユーミンならではの曲想を聴いてると、どうも日本のドメスティックな音階から遠く離れたところで育まれた感じがする。
たとえば、シンフォニック・ロックとか、ユーロ・ロックとか・・・ ↓ 

■ Sea Of Tranquility - Barclay James Harvest(1976年)


■ La Fabbricante D'Angeli - Le Orme(1974年)


いまから考えるととても信じられないけど、「プログレッシブ・ロック(プログレ)」というジャンルで包括されたこれら一連の洋楽は、日本のミュージシャンや音楽好きに多大な影響を与えていた。

じっさい、プログレハードとかはめちゃくちゃ日本でも売れてたし。

■ More Than a Feeling - Boston(1976年)


1976年といえば、AORに先行するかたちですでにサーフロックが人気を博していた。

■ I'd Chase a Rainbow - Kalapana(1976年)


そしてこの年、Boz Scaggsのこの名曲がAOR人気を決定的なものにした。

■ Lowdown - Boz Scaggs(1976年)


1976年といえば、ユーミンでいうと『14番目の月』。
「中央フリーウェイ」とか「天気雨」とかですね。

ユーミンの曲とこういう曲たちが巷でアトランダムに流れていた。
だから、ユーミンのメジャー・セブンス曲や16ビート曲に、ほとんど違和感がなかったのかもしれぬ。

□ 天気雨 ~The 14th Moon to acacia~


ベースはLeland Sklar。ドラムスはVinnie Colaiuta......じゃないですわね、めちゃくちゃ巧いけど。
正隆氏のキーボードも負けていない。
こういう西海岸的なグルーヴをこなせるのも、ヴォーカリスト・ユーミンの力だと思う。


でもいま振り返ると、1976年時点の日本での洋楽の一般的なイメージは、メロが立って親しみやすいこういう曲だったと思う。↓
(これはこれで凄いメロディだと思うけどね。)

■ Dancing Queen - ABBA


だから、この頃のユーミン・サウンドの洗練感は、ある意味洋楽(MOR)を超えていたのでは。

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■カノン進行
□ ひこうき雲

↑これ、カノン進行だよね。
でも、ユーミンのカノン曲って応援ソングにもベタ曲にもならず、常に透明感にあふれている。
この”透明感”が荒井由美サウンドのキモだと思う。

■ 愛は勝つ - KAN

↑典型的なカノン曲。応援ソングにばっちりな進行。

カノン進行は「禁断のコード進行」ともいわれ、あまりにインパクトが強烈なのでこの進行曲でヒットすると一発屋で終わる可能性が高い。
しかし、ユーミンはカノン進行のヒットを何曲ももっていながら、どれも既聴感がない。
これも天才ゆえになせるワザか。

■14番目の月(1976年)
自身が転機となったアルバムとコメントしていた。
中央フリーウェイのくだりでは、なんとリー・スカラー(Leland Sklar、LAの腕利きベーシスト)が登場していた。

□ 中央フリーウェイ


そのリー・スカラーが「(中央フリーウェイを聴いて)目を閉じると、パシフィック・コースト・ハイウェイをコンバチで走っているのが見えます。」と語っていた。
中央高速だけじゃなくて、パシフィック・コースト・ハイウェイにも合うのか・・・(笑)

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■ユーミンとリゾート
ユーミンといえばリゾート、リゾートといえばユーミン。
この頃のユーミンの曲は、リゾートにいて都会(あるいは都会にいる人)を想うというシチュエーションの曲も多かった。

たとえば ↓こんな曲。
□ ロッヂで待つクリスマス(Covered) 『流線形 '80』(1978年)


□ サーフ天国、スキー天国 『SURF&SNOW』(1980年)

1曲にスキーとサーフィンを盛り込んでしまった名曲。
リリース当時からの人気曲だけど、『私をスキーに連れてって』でさらに認知度UP。

「悩みごとはとりあえず 帰ってからの宿題」
「煮詰まる恋はこの際 都会に置き去り」
こういうケセラ感があって、それが赦された寛容な時代。

こういう曲は実際にスキーやサーフィンやってないと響かないけど、なんだかんだでけっこう皆やってたもんね。陸(おか)サーファーもいたし・・・(笑)

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■ユーミンとお嬢様
□ DESTINY 『悲しいほどお天気』(1979年)


1988年~のドラマ『季節はずれの海岸物語』で知った人も多いかもしれないが、リリース当時からアルバム曲ながら人気が高かった。LIVEの定番曲でもある。
こういう強気でプライドの高い(でも本当は強気じゃない)女性を描かせたら、ユーミンは敵なしだった。

「ホコリだらけの車に」→「みがいた窓をおろして」
「どうしてなの 今日に限って 安いサンダルをはいてた」
ここらへんの含蓄あることばの置き方はユーミンならでは。

これ、ベースはお嬢様視点だよね。
ユーミンじたいが正真正銘のお嬢様だから・・・。
当時のトレンドは基本、コンサバ、ニュートラ、ハマトラなどお嬢様志向だった。
だからユーミンの立ち位置にシンパシーがあったのかも。

□ One Afternoon By The Sea / Umi Wo Miteita Gogo (2022 Mix)/ 海を見ていた午後 『MISSLIM』(1974年)



ところで最近、お嬢様ブーム?(笑) 存じ上げませんでしたわ。  
○ サロメお嬢様



■「忙中閑あり」
1980年代の日本は活気があったけど、ときどき自分自身を振り返るような、透き通ったバラードがつくられた。
↓ は代表例だと思う。
□ Happy New Year / A Happy New Year 『昨晩お会いしましょう』( 1981年)


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1980年代前後はいささか迷いがあったようなコメント。「もがき」と表現していた。
でも、そんなことないと思うけどね。楽曲のできからすると。
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■ユーミンの母性曲
その迷い?打開したのが1981年の「守ってあげたい」だと思う。
これはユーミンの「母性」を感じさせる曲だった。
ここからの数年間でリリースした「ずっとそばに」「ノーサイド」を合わせて、個人的にはユーミンの3大母性曲だと思っている。

□ 守ってあげたい(1981年)

これもカノン進行だよね。でもベタつかない。

□ ずっとそばに 『REINCARNATION』(1983年)

バックのインストのフレーズどりが神すぎる。個人的にはユーミン屈指の名曲。

□ ノーサイド 『NO SIDE』(1984年)

この時代ならではのフェンダー・ローズの響きがたまらん。

たしかにこの時代(1980年代前半~中盤)、男性が同世代の女性に無意識的にでも「母性」を求める流れがあったのかもしれぬ。
それだけ女性サイドにも余裕があったのでは・・・。

□ YOU ARE NOT ALONE - ANRI 杏里 『Timely!!』(1983年)


□ Cloudyな午後 - 中原めいこ 『ロートスの果実』(1984年)


□ Anytime Anyplace - 当山ひとみ 『Hello Me』(1986年)


こういう路線を敷いたのはやっぱりユーミンだったのでは・・・。


社会の動きとシンクロしつつ時系列的に作品を追っていて、これも素晴らしいディレクションだった。
1981年の『昨晩お会いしましょう』では、ロンドンのアートデザイン集団・ヒプノシスまで出てきてびっくり。

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■1980年代の失恋観
□ ガールフレンズ 『VOYAGER』(1983年)


失恋の歌なのに、あえてこういう曲調に乗せる。
「先は見えている恋」、わかってても突き進む。
「ふられた私につけこむ誰かを 今日はけちらして」

リア充 or 非リア充しかなかった時代だから、誰もが恋愛に積極的だった気がする。
そんな時代ならではの歌詞だと思う。
ベースのカウンター・メロディが効きすぎ。

□ 23:45 - Juliet(2010年)

セツナ系の失恋ソング。
恋愛がよりパーソナルでシリアスなものになっていった時代?

□ 絢香 - 三日月(2006年)

セツナ系。「がんばる」「つながる」がパワーワードになっていった時代。
携帯やメールで、物理的には1980年代よりぜんぜんつながってるのに・・・。

でも、セツナ系はいい曲多かったな。いま振り返ると・・・。

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□ ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU 『LOVE WARS』(1989年)


いま振り返ると日本のメジャーアーティストの多くは、バブル崩壊直前の1988~1989年ごろに「祭りのおわり」的な名曲を残しているが、ユーミンはこの曲だと思う。
楽曲、歌詞ともに文句なしの名曲。

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■1980年代後半~1990年代の大ブレーク
「売れていくってことでの、自分のファンじゃない人たち、世界、社会を、巻き込んでいっていることでの、下に引っ張ろうとする力とかは感じました。」
万人受けするように、もっと曲幅を広げなくちゃいけないっていう、焦りみたいなものもあったのかな?

■春よ、来い(ユーミンのペンタ曲?)
ユーミン屈指の大ヒット曲で、ファン層を一気に広げた。
和調の曲想と捉える向きもあるが、ユーミンは「”和” だけじゃなくて」と語っていた。
各国の民族音楽や民謡を想い起こす旨、語っていた。
たしかにそうなんだと思う。

□ 春よ、来い(1994年)


民族音楽や民謡はたいていペンタトニック(5音階、ヨナ抜き音階)で、個人的にこの曲は「ユーミンのペンタ曲」だと思っている。
ペンタ曲はたしかに万人受けするから、それを捉えて大ヒットとなったのでは。

でも、この曲は「荒井由美ファン」の筆者にとっては、かなり違和感あったな(笑)
なんといっても、荒井由美はメジャー・セブンス(7音階)の女王だったから・・・。

□ ベルベット・イースター(Covered) 『ひこうき雲』(1973年)

↑ 荒井由実のメジャー・セブンスの代表曲。
ファースト・アルバムにしてこの楽曲完成度とは、才能があるにもほどがある。

□ Hello,my friend(1994年)


「春よ、来い」の同年にリリースした名曲。同じ作者とはとても思えぬ。
ここでは、もはや「母性」を超えて「人類愛」さえ感じる。

やはり「春よ、来い」は、意図的に(マーケティング的に)仕掛けたものでは。

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■荒井由美の再評価について
「荒井由美を越えたい、越えたいってずっと思っていて・・・、いろいろな記録を、80年代90年代出しても、何か越えられないエッセンシャル(必要不可欠・必須)なものですから」
「そもそも越えるって考え自体が、間違っているんだけれど・・・」
「そういうこだわりが、ふっと近年無くなったかな。」

たしかに最近のユーミンみてると、肩の力がふっと抜けたような余裕を感じる。

「荒井由美を越えたい、越えたいって」
そんなこと考えてたんだ。云えそうでなかなか口に出せないコメント。
これも肩の力が抜けたからか。

■歌の精?
「ステージに立っている私自身の存在っていうより、”歌”が主役なんですよ。常に・・・。私が歌の化身になりっていう・・・。」
歌の精がユーミンのなかに入り込むのかもしれぬ。
だから、あれだけの唯一無二のステージができるのかと。


□ 卒業写真 -Graduation Photograph-『COBALT HOUR』(1975年)
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