昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

「能登沖 海女の孤島 舳倉島」(一日目(3)) 3回/11回

2007-02-02 04:40:54 | 08北陸・石川県
その後は、車窓観光をし、能登島大橋(1050m)を渡ったが、この橋の形が変わっていて、右側にのみ街灯が33本立っていて、バランスを欄干の幅で取っているとのこと。


(能登島大橋)

右側の湾越えに有名な和倉温泉が見えた。


(和倉温泉)

能登半島を北上し、キリコ会館に到着した。能登地方の夏秋の祭礼には各町内からキリコとよぶ巨大な御神灯を神輿(みこし)のお供に担ぎ出す習慣があるそうである。このキリコ会館では能登を代表する各地のキリコが展示してあった。キリコは「切子燈籠」のことで「切籠=キリコ」と略されたようである。「能登国」と書かれたキリコは、能登一高く、高さ15mでビルの4階建てに相当し、重さ2.5tあり、150人で担ぐとのこと。「能」の字だけで畳2畳分あるとのこと。奥の場所でDVDプロジェクターの迫力ある大画面で、「能登のキリコ祭り」を放映していた。


(能登一高いキリコ)

輪島塗を見学して、一泊目の輪島温泉郷の旅館に到着した。風呂に入る前に「漆塗の部屋」を見学した。天井、屏風、座卓、風呂、トイレなど色々なところに漆が塗られていた。


(天井にも漆が塗られてあった)

夕食時には、仲間の腹話術や手品が行われ、賑やかに過ごした。


(一日目の夕食)

その後、「御陣乗太鼓」を聴きに外へ出掛けた。目の前で聴くと腹から地響きのように太鼓の音が伝わってきて、すごい迫力であった。この「御陣乗太鼓」は天正の時代に、上杉勢がこの地方(能登)に攻め入った時に、地元の古老が一計を案じ、杉皮や海藻などで奇異な装いをし、奇怪な面などをつけ陣太鼓を打ち鳴らし、上杉軍に奇襲をかけ敵を敗走させたのが「御陣乗太鼓」の始まりと伝えられている。


(御陣乗太鼓)
(写真撮影:2004.09)

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