昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

宮城県への島旅 23回目

2013-12-23 04:30:00 | 02北日本・宮城県
何もないところに突如、1軒家が見えてきました。新築されたようです。


(突如、1軒家が)

墓場が出てきました。壊れり、倒れたりしたのを修復されたのでしょうか。


(墓場)

新しい慰霊塔が造られていました。


(新しい慰霊塔)

ここにも1軒家がありました。これも新しくたてられたのでしょうか。家の前には、袋がたくさん置かれていました。何でしょうか。その手前には、ホタテ貝の殻が置かれていましたが。


(たくさんの袋が)

ホームしかない駅がありました。東名駅だったとのことです。


(ホームしかない駅)

震災当時の写真を見せてもらいましたが、線路が飴のようになっていました。この東名駅と野蒜駅は、元の位置より山側へ線路を移し、町そのものも山側へ移転するようです


(震災当時の写真)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 22回目

2013-12-22 04:30:00 | 02北日本・宮城県
来た道を戻っています。左側に松島湾が見えてきました。


(松島湾)

大高森に戻ってきました。行くときには、見えなかった観光ホテルが左側に見えました。営業しているとのことでした。


(観光ホテルが)

右側に湾が見えます。湾内には、津波は大きくなかったようですね。


(湾内の津波は大きくなかった)

排水ポンプ場のようですが、壊れていて、動いていないようです。


(排水ポンプ場)

簡保の宿松島のところを左折しました。


(簡保の宿松島を左折)

左右どちらも何もなく、草がボウボウでした。


(左右何もなく)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 21回目

2013-12-21 04:30:00 | 02北日本・宮城県
野蒜駅に戻ることにしました。途中、稲が黄色くなっていました。この辺りは、高いところにあり、津波が来なかったようです。


(稲が黄色く)

高台移転の工事が始まっていました。


(高台移転の工事)

小学校の校庭には、仮設住宅が建てられていて、運動場として使えないようで、休耕田を平らにして、運動場として使っているようです。


(休耕田を運動場に)

面白い形の建物が見えてきました。縄文村資料館です。見学するために、立ち寄りました。


(縄文村資料館)

この石の上に縄文人が立っていたとのこと。津波で壊されてしまったとのことです。


(この石の上に縄文人が)

入館しようとしましたが、残念ながら、当日は、休館日でした。入り口横に「縄文文化について」の案内板がありました。


(「縄文文化について」の案内板)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 20回目

2013-12-20 04:30:00 | 02北日本・宮城県
高台の家が残るのは、分かりますが、下の方にも何軒かの家がありました。残ったものでしょうか、新築なのでしょうか。


(残った高台の家)

神社がありました。稲荷神社と書かれていました。ここは、津波から逃れたようですね。


(稲荷神社)

岩が削られて穴になっているところは、倉庫として、使われているようです。


(岩穴を倉庫に)

高いコンクリートの基礎で作られたこの民宿は、残ったようですね。


(高いコンクリートの基礎の民宿)

月浜海岸を1周してきました。民宿の復興は、まだまだですね。


(月浜海岸を1周)

高いコンクリートの基礎で作られた民宿の前を通過しました。営業されているようですね。


(高いコンクリートの基礎の民宿)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 19回目

2013-12-19 04:30:00 | 02北日本・宮城県
走っていると左側に大きな建物が出てきました。月浜地区共同海苔工場とのことでした。少しずつ復興への活動が行われているのですね。


(月浜地区共同海苔工場)

その先には、月浜地区仮設住宅がありました。本当の復興という意味では、まだまだですね。


(月浜地区仮設住宅)

その先には、月浜海水浴場の歓迎アーチがありました。少し高台になっているので、残ったのでしょうか。


(月浜海水浴場の歓迎アーチ)

その横には、「歓迎」と書かれた民宿の地図がありましたが、その中の何軒が残っているのでしょうか。


(「歓迎」と書かれた民宿の地図)

アーチをくぐると下り坂になっていましたが、最初の民宿は、健在のようです。しかし、同じ民宿の下の方は、やられたとのことでした。


(残った民宿)

月浜海岸にやってきました。防波堤など津波を避けるものは、何もありませんね。


(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 18回目

2013-12-18 04:30:00 | 02北日本・宮城県
次へ移動しました。途中、ダンプカーとのすれ違いがたくさんありました。


(ダンプカー)

月浜地区へ行く途中にここにも1軒の建物がありました。これは、津波から逃れた建物だといわれました。周りには、何もありませんでした。


(残った1軒)

浜辺にやってきましたが、この辺一帯は、防波堤もなく、もろに津波にやられたとのことでした。


(海岸線に)

走っているとタイルのフェンスが一部残っていました。ここには民宿があったとのことです。


(タイルのフェンスが)

排水設備でしょうか。管が壊れたまま残っていました。


(排水設備でしょうか)

その先に、周りは草野原なのに2階建ての建物が残っていました。


(残った2階建ての建物)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 17回目

2013-12-17 04:30:00 | 02北日本・宮城県
海に近づくと大きな建物が建っていました。共同で建てた海苔加工場とのことでした。


(海苔加工場)

少し坂を上ったところに、仮設住宅が建てられていました。


(仮設住宅)

その先は、行き止まりということで、戻ってくる途中に、お地蔵さんや石仏が並んでいました。ここまでは、津波が来なかったようですね。


(お地蔵さんや石仏)

室浜に戻ってきましたが、岩陰になっているので、周りに何もないのに、残ったのか1軒の建物がありました。


(1軒の建物)

海岸線に出てきました。ここから嵯峨渓が始まるとのことでした。


(嵯峨渓か)

その1軒の建物の近くに来ましたが、新しい建物のようで、新築されたようですね。その周りに、海苔加工機械が置かれていました。


(海苔加工機械)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 16回目

2013-12-16 04:30:00 | 02北日本・宮城県
さらに走っていくと右側に「奥松島縄文村歴史資料館」があるといわれました。しかし、そのまま先に向かいました。


(奥松島縄文村歴史資料館)

その先に、郵便局がありました。宮戸郵便局です。この辺りは、入り江になっていて、津波の影響がなかったようです。


(宮戸郵便局)

少し坂を上ったところに建物がありました。「宮戸小学校」と書かれていました。皆さん、ここに避難されたとのことです。


(宮戸小学校)

先に進むと左に坂道がありました。石柱が立っていて、「観音寺」と書かれていました。


(石柱が)

そのまま走り続けました。


(島内散策)

その先に海が見えてきました。


(海が)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 15回目

2013-12-15 04:30:00 | 02北日本・宮城県
その道路を走っていると前に高く「▽T.P+7.2m」と書かれた看板がありました。ここまで堤防を高くする予定だと聞きました。


(数字が書かれた看板)

左側には水溜り見られました。手前は、津波の水が引かないところで、奥は、池だったといわれました。


(水溜りが)

橋を渡りましたが、仮橋だといわれました。


(仮橋)

島内散策を続けました。


(島内散策を)

港には、ホタテの貝殻がたくさん見られました。カキ養殖が行われているようですね。


(ホタテの貝殻)

大高森に近づくと大きな建物が見えてきました。「ホテル・レストラン」と書かれていましたが、やっていないようでした。


(大きな建物)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城県への島旅 14回目

2013-12-14 04:30:00 | 02北日本・宮城県
タクシーには、震災直後の状況(上段)と現状(下段)の写真が掲載された冊子があり、それを見ながら説明がされました。


(震災直後の状況と現状の写真)

堤防の上から眺めると左奥の松林の奥は、海ということで、この辺りは、何もなく、草がボウボウ生えていました。


(堤防の上から景色)

道路は修復されていましたが、松林は、昔は、先が見えなかったのに、スカスカになっているといわれていました。


(道路は修復)

この辺りには、「長音寺」という銅板葺のお寺があったとのことですが、今は、何もありませんでした。


(ここに寺が)

その先に、「墓地分譲中」と書かれた看板が立っていました。新しいので、震災後でしょうか。


(「墓地分譲中」と書かれた看板)

その先に大きな建物が見えてきました。「簡保の宿 松島」とのことですが、現在は、閉館されているようです。


(簡保の宿 松島)
(写真撮影:2013.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする