若いお二人さんを別途、迎えに来ることになっているようで、私は、チャーター船でオーハ島へ向かいました。
(オーハ島へ)
オーハ島へ近づいてきました。オーハ島の概況を書きます。
「奥武島の東400mにあり、「東奥武」とも呼ばれる島。明治末期、渡名喜島から2家族が入植し、昭和35年には人口134人を数えた。その後、沖縄本島への転出が続き、現在は4世帯が残るのみとなった。変化の激しい現代にあって、今なお昔ながらの生活が営まれているこの島は、久米島の最後の“素顔の島”でもある。」とシマダスには書かれていますが、行った時には、沖縄本島へ移住されていて、無人島になっていると船長が話をしてくれました。また、空が段々と黒くなり、天気が怪しくなってきました。
(オーハ島近く)
とりあえず、上陸してみることにしました。小さな小屋がありました。
(小さな小屋)
小屋に近づくと何艘かの船が残されていました。
(残された船)
サバニでしょうか、木造船もありました。
(サバニ)
小屋の中をガラス越しに見ますと巻き揚げ機がありました。これらの船を巻き揚げるのに使われていたようですね。
(巻き揚げ機)
(写真撮影:2012.10)
(オーハ島へ)
オーハ島へ近づいてきました。オーハ島の概況を書きます。
「奥武島の東400mにあり、「東奥武」とも呼ばれる島。明治末期、渡名喜島から2家族が入植し、昭和35年には人口134人を数えた。その後、沖縄本島への転出が続き、現在は4世帯が残るのみとなった。変化の激しい現代にあって、今なお昔ながらの生活が営まれているこの島は、久米島の最後の“素顔の島”でもある。」とシマダスには書かれていますが、行った時には、沖縄本島へ移住されていて、無人島になっていると船長が話をしてくれました。また、空が段々と黒くなり、天気が怪しくなってきました。
(オーハ島近く)
とりあえず、上陸してみることにしました。小さな小屋がありました。
(小さな小屋)
小屋に近づくと何艘かの船が残されていました。
(残された船)
サバニでしょうか、木造船もありました。
(サバニ)
小屋の中をガラス越しに見ますと巻き揚げ機がありました。これらの船を巻き揚げるのに使われていたようですね。
(巻き揚げ機)
(写真撮影:2012.10)