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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

加藤庸二氏「島旅見聞録」第5弾 佐渡島・善知鳥(うとう)神社祭礼 1回目

2008-01-11 04:19:25 | 06北陸・新潟県
今回は、佐渡島の善知鳥神社の祭礼に出かけました。
まず、渡島した島々の概略を掲載します。


佐渡島:新潟市の西約45kmの日本海にある、わが国最大の離島。面積は東京23区の15倍にも達する。北の大佐渡山地と南の小佐渡山地に挟まれた中央部には、広大な国仲平野が広がる。沖を流れる対馬暖流の影響で、冬は本土より暖かく、夏は逆に涼しい。積雪もほとんどみられない。島の歴史は古く、無土器時代の遺跡が発見されている。8世紀初めに成立した史書「古事記」の国生み神話には「大八州」の一つとして登場し、奈良時代初期には越後と並んで1国に建てられ、のちには国府と国分寺が置かれた。万葉歌人の穂積老が都から配流され、8世紀初頭には伊豆や隠岐などとともに「遠流」の地に定められた。以後、鎌倉時代には順徳上皇、日蓮、室町時代には能楽の世阿弥など多くの著名な人たちが流され、都の文化をもたらしている。この頃、越後から最短距離にある松ヶ崎が佐渡の国津として栄えた。佐渡の金山はすでに平安時代に開かれていたといわれているが、本格的な開発が始まったのは近世に入って徳川氏の所領となり、佐渡奉行が置かれて幕府直轄地となってからのこと。最盛期の17世紀初めには、相川の町は4万の人口を有し、世界有数の産出量を誇る金銀鉱山として発展、江戸末期まで幕府の財政を支え続けた。この間、南端の小木が金銀の積出港として、また北前船の寄港地として栄え、新しい文化流入の窓口となった。佐渡の文化には流人たちがもたらした国仲地方の「貴族文化」、役人たちが江戸から持ち込んだ相川地方の「武家文化」、商人や船乗りが伝えた小木地方の「町人文化」の3つの型があるといわれ、これらが渾然となって本土側の越後地方とは異なる独特の文化を伝えている。能楽が盛んで、鬼太鼓やつぶろさし、文弥人形、のろま人形など芸能の奥行きは深く、工芸の文弥でも竹細工や裂織り、無名異焼などが全国に知られている。現在、農業では年間100億円以上を生産する米作を中心とし、他にもおけさ柿やシイタケ、葉タバコなどが生産されている。水産業では、年間約2万トンの漁獲量を誇り、カキやワカメの養殖も盛んである。佐渡の大半が佐渡弥彦米山国定公園、小木海中公園、外海府海中公園、相川海中公園に指定されている。国際保護鳥トキのわが国最後の生息地としても有名で、関係者の献身的な努力により、人工繁殖などで数十羽にまで増え、トキと共生する環境づくりも始まっている。昭和の大合併以降、1市7町2村が存在していたが、平成16年3月1日に合併、1島で佐渡市が誕生した。

相川地域 新潟から航路で約67kmの日本海に浮かぶ、佐渡島北側に位置する地域。世界有数の産出量を誇り、徳川幕府の財政を支えた佐渡金山と民謡佐渡おけさで全国にその名が知られている。佐渡弥彦米山国定公園の中心で、旧町域のほぼ全域が公園区域。文化財、名勝も多く、66kmにわたる海岸線も変化に富み、海中公園も2か所ある。これら数多くの史跡と自然景観が地域の重要な観光資源になっている。また中心部には国や県の地方事務所が置かれ、島内の行政の中心地となっていた。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から