あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

モロッコ紀行 83 マス料理

2017-02-20 | 海外・モロッコ紀行

 


エアシ山(3737m)の麓に
広がる静かな街 ミデルト。

その手前

遠くに山々が連なる大平原の中 
ポツンとあるドライブイン的な
ホテルの食堂で 昼食となる。

 昼食は この地名産 マス料理が出された。 

前にも紹介したが 
こちらの料理は 味が淡白で
少々物足りなさがある。

当方にとっては 
大根おろし付の
“目黒のサンマ”と
思いつつ・・・

因みに この地 もう一つの名産は
リンゴですので
ザートは アップルパイでした。

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モロッコ紀行 82 ハチミツ

2017-02-19 | 海外・モロッコ紀行

 

 

更にバスは往く
途中 ミツバチの巣箱を見るが
花らしきものは 見当たらない。

こんな砂漠的な土地で 
養蜂が成り立つのかと思うが。

しかし 農薬に汚染されない
このような土地に自生する
多肉植物などからのハチミツは

特に高級品として重宝とされているそうだ。

モロッコのハチミツは
お土産にも好評で 多く買われている。

当然 モロッコでは ティーやお菓子にと
日常生活では多用されている。

特に ラマダンの一か月間には
一切食べ物を口にしてはいけないが
陽が沈むと食べ物を口にしてもよい。

だが いきなり肉など 胃の負担となるものを
食べたりしてはいけないので 
先ず ハチミツをたっぷりかけた
菓子で血糖値をあげてから
ハラリ(豆と野菜の入ったスープ)など
お粥状のものから
食べるのだそうだ。

 

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モロッコ紀行 81 ザット峠

2017-02-18 | 海外・モロッコ紀行

 

 

イフレンでの休憩を終え

バスは さらに登り 標高2178mのザット峠へ

付近には 放牧のベルベル人のテントも見える。

 

 


往く道路も 冬は積雪や凍結で

交通不能になるそうだ。

先に紹介したスキーができるのは この辺りで

リフトこそないが コースは見て取れる。

アフリカで ウインタースポーツができるとは

想像にだしなかった。

冬季オリンピックで

ジャマイカのボブスレーが

熱帯国の参加として話題になったが

さすがに モロッコは

冬季オリンピックには参加していない。


 

 

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モロッコ紀行 80 イフレン

2017-02-17 | 海外・モロッコ紀行

 

 

ツアー5日目 フエズ 二日目の朝を迎えた。

ツアーバスは 先ず65km先の
「イフレン」へ向かう。

この街は 標高1650mの高所にあって
モロッコがフランスの植民地だった
1929年保養地として建設された。

冬は 雪に覆われるほどの高地のため
真夏でもひんやりと涼しいことから

避暑地として 独立後は国王をはじめ
政府要人や富豪たちの別荘地となっている。

砂漠の国のイメージとは思えないほどで
モロッコのスイスとも呼ばれているが

日本では 軽井沢のイメージが相応する。

この街は 赤レンガの切妻屋根に
統一されているようで その家が建ち並ぶ。

 

 また 大学の街でもある。
1995年 国王ハッサン2世と
サウジアラビアのアブダラ皇子によって
「Al Akhawayn University」が設立され
アメリカ式の教育が行われているという。

 

 

 

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モロッコ紀行 79 カルフール

2017-02-16 | 海外・モロッコ紀行

 


フェズのホテルに戻る前 
ツアー客の意向を汲んで 

フェズ市内にあるフランス資本の
スーパー「カルフール」へ案内してくれる。

カルフールは モロッコでは
代表的なスーパーで店舗数が多い。


店内は コストコのように広く ゆとりがあるが 

商品棚は 食料品から衣料品 電気製品まで
日用の必需品が
びっしり並ぶ品ぞろいだ。

お国柄 アルコール類は見当たらなかったが

別室にて 外国人向けにパスポートを提示すれば
買うことができるそうだ。

買い物カゴは 日本のようなカート式ではなく

キャスター付きの手引きカゴが利用できる。
買い求めた品を ベルトコンベアーに
載せて同一レジで精算する方式。

 お土産物屋で値段交渉して買うより
値段の表示があり予算と相談しながら
買うことができると 
ツアー仲間は
 お土産用に チョコ 紅茶 蜂蜜 

お菓子などを 大量に買い求めていたようだ。

 

 

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モロッコ紀行 78 エディム広場

2017-02-15 | 海外・モロッコ紀行

 

 中央の屋台は 搾りたてサトウキビジュースの店

 

 

 マンスール門前 
ダール・スメン通りを挟んで
「エディム広場」がある。

メディナの中心的な広場で
中央には大きな噴水が3つあり 

周りには陶器 タジン鍋を売る店をはじめ
どこの広場にあるように 
雑貨屋 ピーナツ売り 果物屋などが軒を並べ

広場には 大道芸人を囲む人垣ができている。

陽が傾きだしたが 
夜にはもっと人が繰り出して
さらに賑やかになるそうだ。 

メクネスでの見学はここだけで
再び「フエズ」へ向けて戻る。

 

 

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モロッコ紀行 77 マンスール門

2017-02-14 | 海外・モロッコ紀行

 

 

メクネスでの第一歩は「マンスール門」
ムーレイ・イスマイル廟へのメインゲート。

イスラム建築物の逸品として北アフリカで
最も美しく有名な門の1つで
馬蹄形のアーチは 青と緑のモザイク彩られ
壁の斜め格子の彫刻が美しく
そのカラフルなモザイクタイルと彫刻が

時間帯によって表情を変えることで知られている。

ムーレイ・イスマイルが 手がけた最後の建築物だが
彼の死後 息子によって1732年に完成した。

マンスール・エルアルージュ門とも呼ばれ
「改宗者の勝利の門」と言う意味。


名の由来は キリスト教からイスラム教へ
改宗したマンスールが設計したためと言われている。


前に紹介したラバトの「ハッサンの塔」のように 
この国の多くの建造物の名は
設計者の名がつけられているようだ。 


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モロッコ紀行 76 古都メクネス

2017-02-13 | 海外・モロッコ紀行

 

街の周りを三重の壁で取り囲こまれ
さらに7つの門を備えた城壁都市
「メクネス」へ。

首都ラバトから
東に130km フェズの西60kmにあり
人口は約55万人。

メクネスという地名の由来は
10世紀にベルベル人の
メクネッタ族が住んでいたことから。


標高500m余 気候と水に恵まれ
ブドウが採れることから
「メクネス・ワイン」の名産地でもある。

しかし この国アルコールは禁酒になっている。

17世紀にモロッコの王朝を繁栄させた
ムーレイ・イスマイルが
築いた城壁に囲まれた古都。


1675年から1728年の約半世紀
アラウィー朝の首都が置かれたが
その後 首都は他に移り衰退してしまった。

しかし 都市を築くにあたり 
古い建物を壊し 近くのローマ遺跡から
石を持ち去るなどし

14世のベルサイユ宮殿に対抗して
数多くの建造物を造ったといわれているが
重要なイスラム文化は残った。

1996年 世界遺産に登録された。
日本の京都ととも。

 

 

 

 

 

 

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モロッコ紀行 75 ム-レイ・イドリス

2017-02-12 | 海外・モロッコ紀行

 

 

ヴォルビリスの古代遺跡から 約4km先 
聖者の街「ム-レイ・イドリス」と呼ばれる街が遠望でき
ザルフォーン山全体に白い家並みが山頂まで広がっている。


資料によれば 789年 モロッコ最初の
イスラム王朝イドリス朝が開かれた街。


創始者ムーレイ・イドリス1世は
4代目カリフのアリーと

預言者ムハンマドの娘ファティマの子供ハッサンの子孫で
アッバース朝に追われて この地に移り住む。

そのムーレイ・イドリスは
モロッコで最も崇拝されている聖者で

街の中心ホルムと呼ばれる聖域にある廟は
緑色のタイル屋根を持つ回廊式の建物だが
街街全体もかつては「聖域」として
非イスラム教徒に閉ざされていた。

今は 毎年夏にムッセムの祭(聖者祭)が行われ
この時期には何千人もの巡礼客が訪れるという。

我々は この街の脇を通り抜け 
次の「メクネス」へ向かう。

 

 

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モロッコ紀行 74 遺跡の文化

2017-02-11 | 海外・モロッコ紀行

こちらは遺跡内の文化面から

 

コリント様式の柱だが

ねじれ模様になっているのは珍しい。

  模様

 

 石に刻まれたラテン語

 

 

 
ローマ時代の街づくりの主役
これら重量のある石材やタイルを運び込まれ

また 運び出されたが その頻繁と重さが
敷石に”轍”となって残っている。

ローマ時代の文化は「石」だとわかる。

 

 

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モロッコ紀行 73 遺跡の生活

2017-02-10 | 海外・モロッコ紀行

 

遺跡内には生活の跡が多くあった。
全盛期には2万人もの人々が
生活していたのでインフラも充実していた。

 

 水洗い場

街全体が緩やかな傾斜になっていることを利用して

近くの泉から水道を通って運ばれてきた水が
家庭や共同の洗い場 浴場に給水されている。

汚水や雨水は下水管を通って主要道路の
地下深くの水落としに集められクルマン川に流れれている。

しかし ローマ人が去った後は
水の管理が怠ったため人々が街を去り廃墟へとつながった。

それほど水のありがたさは
金よりまさリ生活にとって貴重だとわかる。

 

   浴場 ジャグジー 半身浴?

ローマ時代には欠かせないのも豊かさの象徴だ。

ガリエヌス帝の浴場は 低温 高温 冷温の
3室のサウナ施設だったそうだ。

 
トイレ

 

 オイル絞り

 この地は オリーブの栽培が盛んで 
これは そのオリーブオイルを絞り受けるものだそうだ。


石臼と同じように 窪みに実を入れ 取手のついた重石で絞り
絞って出てきたオリーブオイルは 溝から流れ出ていき
オイルを溜める所へ集められたそうだ。

これらの恵みにより潤っていた『ヴォルビリスの古代遺跡』
街並みからもその豊かさが伝わってくる。

 

 

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モロッコ紀行 72 大通り

2017-02-09 | 海外・モロッコ紀行

 

 

 

カラカラ帝の凱旋門から先 

「デクマヌス・マクシムス通り」が

一直線に
東門のタンジェ門まで伸びている。

この街のいわゆるメインストリートで 


両側には 貴族たちの邸宅が

いくつも残されている。


左手前から 列柱の邸 騎士の家

ヘラクレス功業の家 等が

右手には 北の浴場 青銅像の邸

等が 連なっている。

この通りの下には 下水が通っていたそうだ。

この通りの当時の混雑具合を

思いながら歩いてみた。

 

 

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モロッコ紀行 71 カラカラ帝の凱旋門

2017-02-08 | 海外・モロッコ紀行

 



こちらは「カラカラ帝の凱旋門」

カラカラ帝と言えば
ローマで見た カラカラ浴場が有名だが
この門 幅19m 奥行き約4mで
建材は モロッコ産の石灰岩製でできている。

 西暦212年 カラカラ帝は 
「アントニヌス勅令」を発布し

全ての人々にローマ市民権を与えた為
属州民に課していた「属州税」が徴収できなくなり
ローマ本国滅亡の原因の1つとなったと言われている。

しかし ローマ市民増やして税収増やそうとした
カラカラ帝の思惑と違って 
属州のヴォルビリスの財政が豊かになった。

このことから カラカラ帝への感謝から 

カラカラ帝没 217年の60年後 277年に完成し
「カラカラ帝の凱旋門」とよばれている。

中央円形には カラカラ帝のレリーフが見える。

 

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モロッコ紀行 70 礼拝堂

2017-02-07 | 海外・モロッコ紀行

 

 紺碧の中にそびえ 遺跡の中では
最も大きなモニュメントであるバリシカ礼拝堂

 

 

バリシカ礼拝堂の右手はキャピトル


バリシカの前に フォーラムがあるが

フォーラムは ローマ都市では 常に街の中心で
街の南北と東西の幹線路が 交わるところに置かれ
市民の集会所となっている。

また その周りには 
礼拝所  浴場 市場 ジュピターなど

主要な神々を祀る神殿が 置かれているのも通例だ。

 バシリカは ローマ時代に裁判や公的な会議集会
時には 市場としても使われた。

 ローマが衰退し キリスト教が入ると教会施設となった。

 バジリカとは 裁判所や取引所に
用いられた集会施設のこと。

このバジリカは 紀元2世紀初めの建造物で 
縦42m  幅22m 中央広場と10の側廊があり、
コリント式の柱で区切られている。
裁判所・文書局・元老院などもあったという。

 バリシカの隣には 神殿である「キャピトル」
6本の柱がしっかり立って残されている。
ここにはジュピター(ゼウス)が祀らている。

 

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モロッコ紀行 69 モザイク

2017-02-06 | 海外・モロッコ紀行

 

 遺跡内には 豪奢な建物に彩りを
与えていた見事なモザイクが
今も30近く残されている。

イタリアで作ったものを
ここまで運んできたという。

野ざらしの中であっても 
今でも種々の模様やモチーフの絨毯を
敷き詰めたようにあった。

 

  オルフェイスの家 

 神話の中では悲劇だらけの
オルフェイスの竪琴の技は 非常に巧みで

彼が奏でると 森の動物達が集まって耳を傾け
木々までが 魅了されたという。

その様子が 描かれている。

 

デザルターの家


ギリシャ神話に登場する「デザルター」は
馬から馬へ飛び移りながら
同時に馬を操る男の事をいう。

後ろ向きに乗った様子がわかる。

 

 ヘラクレス功業の家

 メダイヨンと呼ばれる円形の
枠の中に描かれているのは

英雄ヘラクレスが 怪鳥や牡牛などに勝利した
12の神話上の武勇伝が 描かれている。

10枚は肉眼で判別可能

 

 

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