思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

宝塚歌劇 月組公演「ロミオとジュリエット」を観て

2012年06月30日 | 宝塚

観劇したのは6月29日の大劇場13時公演の月組「ロミオとジュリエット」です。
役替わりのロミオですが、私たちの観たのは明日海りおのロミオの方でした。

席はS席最後部の25列の20番台下手よりでした。その席には通路から何段か登らないといけないのですが、心配するヨメさんに、「大丈夫、行けますよ」と劇場の係員さんが言ってくれたので、それに励まされてチャレンジすることにしました。

当日、少し渋滞したものの、道はおおむね順調で、所用のため10時半過ぎの出発になったにもかかわらず、11時40分には到着しました。
いつもの11時公演では、昼食は劇場内で売っているサンドイッチや寿司を幕間に食べるのですが、今日は劇場内の「カフェ・フルール」でカツ丼と親子丼を食べることにしました。なかなかおいしかったです。


食べ終えて、開場まで時間があったので、劇場外で写真を撮ったりして時間を過ごしました。


この日は金曜日だったのですが、お客さんは多かったですね。団体客もたくさん観劇していて、1階はほぼ満席の盛況でした。2階席も、終了後のエレベーターの込み具合から、よく入っていたようです。

さて観劇の感想です。


まず全体の感想として、本当によかったですよ~♪。
無理して観た甲斐がありました。

私たちは今回の月組版・ロミジュリについては、新トップ・龍真咲のロミオのほうはどう考えてもキャラが合わないと思い、当初から見に行く気はありませんでした。
でも明日海りお版はなんとか観てみたかったのですが、決めたのが遅く、すでにこちらの希望の土日・11時チケットは入手不可能で諦めていました。
それでもヨメさんが執念で劇場に電話してみたら、たまたま売れ残っていたチケットがあり、観劇できたという次第でした。

予想通り明日海りおのロミオ、最高でしたね。もともときれいな容貌ですが、歌もよくなっていて、自然な演技で若々しく純粋なロミオを好演していて、これまで見た3組の中で一番魅力的でした。

明日海りお、本当に歌がうまくなっていました。これまで声帯が弱いのか、公演を重ねるうちに歌声が荒れてきたりしてあまり歌ウマな印象はなかったのですが、頑張って鍛錬したのか、安定した歌で安心して聞くことが出来ました。
歌劇なのに、最近の宝塚はけっこう歌が?なトップさんもいたりするので、歌がうまいだけで嬉しかったりします。(笑)

それに対してティボルト役の龍真咲ですが、これもぴったりだと思いました。
あくまで私の個人的な印象なので、贔屓な方は気を悪くされないようにお願いしますが、彼女のキャラ、なんとなくすぐキレるアブないオニーサンが似合いそうで(笑)、全く違和感なく見られます。逆にロミオはどう考えても合わないと思いますね。
ただこの人、がんばってトップらしくなろうと力んでいるせいか、歌もセリフも独特なクセが感じられて、ちょっと気になります。まあお披露目公演で役替わりというのは気の毒ですが。

逆パターンで、明日海りおもまたティボルトは似合いませんね。敵の面々と比べたら見るからに弱そうで(笑)、多分優等生が一生懸命ワルぶっているような無理無理感があると思います。
恐らく小池センセイは、はじめからこの日の配役を意中に描いていたのではないかと思ったりしました。

ジュリエット役の愛希れいかも思いがけずいい出来でした。かわいらしく演じていて、歌は3組のジュリエットで一番うまかったと思います。明日海りおとのデュエットも聞きごたえがありました。合格ですね。

ところで今回の観劇での最大の収穫は、乳母を演じた美穂圭子でした。
はじめは三枚目を前に出した演出に、少し違和感がありましたが、歌の場面になると大化けで、圧倒的な歌唱力で、客席は有無を言わさず曲の世界にひきこまれていきました。ゴスペルのような迫力のある歌唱法でどこまでも伸びる声、それにたっぷりとジュリエットを思う心情がのせられていて、ついほろりとしてしまいます。最近の宝塚で屈指の出来だと思いました。
観劇しながらつい隣のヨメさんに「うまいなー」とささやいてしまったほどで、気がつくとヨメさんも目をウルウルさせていました。これだけでも今回の観劇の価値がありましたね。

また、うれしかったのはロレンス神父の英真なおき。ご存じのとおり星組で長く組長さんを務めてきた人ですが、温かい人柄がにじみ出た神父さんを好演していて、心が和みました。(笑)
美穂圭子と歌う場面では、互いの歌声の相乗効果で圧巻でした。専科に行っても元気に頑張っている姿を見て安心しました。劇団はこういう人を大事にすべきですね。なんといっても舞台に厚みが出ます。

観終っていまさらながら、この作品の完成度の高さに気付かされました。

使われている曲も名曲ばかり、それでいて覚えやすいメロディで、帰りにはつい口ずさんでしまいそうです。ミュージカルはこれでなくては。
話の展開もテンポよく、それに宝塚の豪華な衣装と凝ったセット、大所帯を生かした迫力のあるアンサンブルとがあいまって、見応えのあるものにしています。
宝塚バージョンで付け加えられた「愛」と「死」がエリザベートを連想させて、いかにも小池作品な味付けになっています。

でも、こういう作品が宝塚オリジナルで作れないものかといつも思ってしまいます。座付き脚本家のセンセイも、もっと頑張ってほしいですね。生徒はいい作品ならそれにこたえて頑張っていい結果を出す実力を持っているのですから。

ともあれ、それほど期待していなかった月ロミジュリですが、観終ってみたら、これまでベストと思っていた星組バージョンより、いろんな点で良かったです。

まだご覧になられていない方は、チケット難で難しいかもしれませんが、ぜひご覧になってください。絶対おすすめです。

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バリアフリーの神戸布引ハーブ園

2012年06月21日 | 日記
これまで私たちは、ゴールデンウィークについては目的地も混雑するし、途中の渋滞もあるため、遊びに出かけたことがありません。せいぜい宝塚観劇ぐらいで、今年は宙組公演を5月3日に見て、あとはどこにも行かず買物程度。

で、そのかわりに毎年出かけるのは連休後の土日です。この時期はみんな連休でお金を使い果たしたのか(笑)、どこにいっても空いていて快適です。

それで今年は久しぶりに神戸布引ハーブ園に行ってきました。
ここは2003年に麻実れい主演の「サラ -追想で綴る女優サラ・ベルナールの一生-」(新神戸オリエンタル劇場)を観た折に立ち寄って以来9年ぶりです。
今回出かけることにしたのは、テレビのニュースで完全バリアフリーになったことを知ったからです。

出かけられた方はご存じだと思いますが、ここはロープウェイで頂上まで上がってから、山の斜面に設けられたハーブの花壇を巡りながら中間駅まで降りてくるというコースです。
歩道は整備されていますが徒歩が前提で、車椅子の通行は無理でした。でも今回車椅子でもOKになったとのことで、出かけることにしました。

やはり予想通り道はガラ空きで、高速道路を降りて神戸市内に入っても全く渋滞なし。予想よりかなり早くロープウェイの山麓駅に着きました。
車椅子でのロープウェイは初めてですが、係員のみなさんの手慣れた誘導であっけなくゴンドラに乗り込めました。このゴンドラ、車椅子に対応させるためすべて新型になっているそうです。





発病以来初めてのロープウェイで、二人とも久しぶりの景色に見とれていました。真下には私たちが下る歩道も見えていました。滝もよく見えます。




早く行ったつもりでも、頂上駅にはすでにたくさんの観光客がいました。
ローズシンフォニーガーデンに植えられたバラはまだつぼみが固く残念でしたが、頂上からの眺めは素晴らしく、写真を撮ったりして満足できました。


展望レストハウスやショップ、ハーブの見本園などを見て、いよいよ下ることにしました。

それで歩道のほうに車椅子を押していくと、「危険なので一般の車椅子は利用できません」という表示! 「ええっ、バリアフリーなのに?」と驚きましたが、よく見ると電動アシスト車椅子を無料貸し出ししているとも書いてあります。

それでとにかく貸出手続きのため、展望インフォメーションコーナーに行きました。


居合わせた係の女性が手続きしてくれ、しばらく待っていると電動アシスト車椅子を持ってきてくれました。
実はこの電動アシスト車椅子(長いので電動車椅子にします^^;)、以前から見たいと思っていたものです。というのは、普段の買い物程度なら別ですが、例えば万博公園のような広くて高低差のある場所では、車椅子を押すのも結構疲れるのです。
万博公園の例では、ポピーの丘などはアプローチが長くけっこう勾配もあります。そんな時、押しながら「電動アシスト自転車と同じような車椅子があればなあ」といつも思っていました。

あるときインターネットで調べたら、すでにヤマハをはじめ結構なメーカーが商品化していることがわかりました。でも周囲ではあまり見かけないので、果たしてどんなアシスト効果があるのか不明でした。

なので、今回実際に使えるとわかってラッキーでした。ちなみに我が家の車椅子は、係の人が先に中間駅まで送ってくれるとのことです。よく考えられていますね。

早速車椅子を乗り換えて、下山コースに行きました。かなりの勾配なので、座席ベルト着用です。(笑)
でもこの電動車椅子、予想以上によくできていましたね。








一般の車椅子では下り坂では介助者がブレーキをかけますが、左右の車輪でブレーキの利きが違うため、どうしてもまっすぐには進めず蛇行してしまいます。今回の場合のように長い急な坂道だと、ブレーキの過熱も心配です。
ところが電動車椅子では、プリウスなどと同様、減速時は駆動用モーターを発電モードにした「回生ブレーキ」で減速するので、ほとんど手動ブレーキは使わなくてもいいのです。しかも前後方向とも「回生ブレーキ」が効くので、急坂で前のめりになりそうな場合は後ろ向きに下がればいいとのこと。
逆に坂道を登るときは、車椅子の介助用ハンドルのグリップが押す力を検知してアシスト量をコントロールするので、特に意識せずにアシストしてくれ、ほとんど押す力はいりません。急な登り坂でも軽々で便利なものです。

実際このブレーキシステムは便利で、意識せず普通に坂を下っていけます。
コース沿いのよく手入れされたハーブの花壇を見ながら下っていくと、ガイドツアーの一行に追いついたので、私たちも加わりました。
ガイドの方がハーブの名前や効用などを丁寧に説明しながら葉などを切って配ってくれたので、私たちも香りの体験が出来ました。
このガイド担当の女性、ツアー終了時に私たちの写真を撮ってくれるなど大変親切でした。


天気も良く、気持ちよく下ってきて、ちょうど中間地点にあるグラスハウスのミントカフェで昼食。私はカレーにしました。
休憩の後、再び下りのコースに戻りますが、グラスハウスからは少しの間登りになっています。しかし、全く楽チンでした。モーターのおかげで車椅子を押す力は全くいらず、自分一人が登っていくような感じでした。


これならどんな場所でも疲れないと思いますが、問題は重量ですね。使った電動車椅子のメーカーサイトでは22kgとなっています。ふだん使用しているアルミ製車椅子が10kg程度ですから2倍です
10kgの車椅子だと、プリウスに乗せるときそれほど負担にはなりませんが、22kgになるときついですね。腰を痛めそうです。今のアルミ製車椅子の前に使っていたのは13kgの鉄製のものでしたが、この3kgの差が大きかったです。

ということで、バッテリーをリチウムイオンにするとかして、なんとか15kgぐらいに軽量化してほしいですね。でなければ電動アシストユニットを簡単に外して車に搭載できるようにしてほしいです。メーカーさん、ぜひ実現をお願いします。(でも見ていないでしょうね。)(笑)

さて、快適に「四季の庭」とか「滝のパティオ」、「オリエンタルガーデン」などさまざまにデザインされた花壇や庭園を見ながら中間駅に着きました。
電池のゲージは満タンから1メモリ減っていました。今回は下りが大半ですが、ふだんよくいく公園などのアップダウンのある場所での航続距離がどのくらいになるのでしょうか。今回はもう少し回生ブレーキで充電するかと思ったのですが。

中間駅にはちゃんと自家用車椅子が届けられて待っていました。往きと同様手慣れた係員さんの誘導で安全にゴンドラに乗り込めました。
人気スポットなのでここはふだんもっと人出が多いのでしょうが、連休翌週とあってこの日は往復の道も現地も空いていてよかったです。

というわけで、神戸布引ハーブ園への挑戦は成功でした。

これまで行けないと思っていたところが行けて本当にうれしかったですね。ぜひまた訪れたいと思いました。そして、思いがけず電動車椅子についても体験できたのが良かったです。

関西に在住の車椅子使用の方はぜひ行ってみてください。楽しいです。


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壊れた温水洗浄便座

2012年06月18日 | DIYな日々
2002年に、たまたま量販店に行った際に見て、以前から興味があったこともあり、「うちもつけて見ようか」と購入した温水洗浄便座ですが、とうとう壊れました。


それ以前から、使用後洗浄ノズルが完全に引き込まれなくなって、ノズル洗浄用の水が飛んできて体にかかるなどの不具合が出てきていました。
濡れるのを防止するためすぐフタをしめるなどでしのいできたのですが、先週木曜日(6月14日)、とうとうノズルが出てこなくなったのです。

なくても用をたせますが、慣れもあってやはりないと困ります。

すぐネットで手配することにしました。電子レンジのこともあって、もうパナソニックはやめるつもりでしたが、
1.他のメーカーだと給水用ホースの既設分岐金具の交換が面倒
2.TOTOやINAXのほうがパナの同機能の商品と比較して高価
ということで、懲りずに(笑)パナ製品のDL-WE20-CP 色はパステルアイボリーにしました。
このシリーズの下位と上位機種間での機能の違いは、フタの自動オープン機能や、温風乾燥機能の有無で基本性能は同じです。ヨメさんと相談してどちらも不要・安いほうがいいということで、この機種に決定、金曜日にオーダーをかけました。

機種選定で一番こだわったのは、前製品同様、シャワーが保温タンク式ではなく瞬間湯沸かし方式であることだけです。
まあ選んだ機種も新しいだけにいろいろ節電機能もついて、少しは省エネも期待できそうです。
費用は全部込みで34,000円以内でした。

指定通り土曜日の朝10時すぎに配達されました。この日はヨメさんのリハビリで午後から出かけなくてはいけないので、急いで設置作業開始です。

作業の手順としては、便器の形状の確認から始まりますが、これはメーカーのサイトなどで事前に確認できます。
つぎは給水ボースの取り付けですが、これが最大のポイント。トイレ内の水道栓に分岐水栓を取り付けて、洗浄便座への給水ホースを取り付ける必要があります。
同時に、水栓タンクへのジャバラパイプも再接続作業が必要です。

ところがここで問題発生!

設置作業を始めてから設置説明書の当該箇所を読むと、なんと「専門業者に頼め」とのこと。


先述の通り、またパナにしたのはこの作業が同メーカーなので簡単だろうと思ったからですが、新しい機種は給水ホースの径がまったくことなり、太くなっているのです!
このため分岐金具の使いまわしが出来なくなっています。 これではパナにした意味がありません!
ちなみに太くなったのは洗浄シャワーの圧力に水道圧を使うようにしたからだそうです。ポンプでの加圧を減らして省エネ化したのでしょうね。



で、業者に頼めという作業の内容ですが、いま付いている旧機種用分岐水栓を外して元の止水栓に戻し、それに同梱の専用分岐金具を取り付けるだけです。これなら前回も自分で作業をしたので、部品さえあれば自分でできますね。でも、改造前の止水栓パーツは捨ててしまって残っていません。お手上げです。

とにかく午前中に作業を終えるため、急遽近くの(といっても、車で往復30分程度かかります)ホームセンターまで買いに行きました。

で、戻ってきて、家の前の水道元栓を閉めて旧型の分岐金具を外し、買ってきた部品と付属の分岐金具を取り付け、同梱の給水ホースとジャバラパイプをそれに接続して作業完了。




水漏れがないことを確認して、リモコンや人センサーに電池を入れて取り付けて全作業がなんとか終了しました。ちゃんと作動しました。


結局リハビリ講座にもまにあってヤレヤレでした。

使用してみた感想ですが、旧型は他社製品と比べてシャワーの水圧が低かったのがやっと追いついた感じです。あと、ノズル位置も調節機能も付いていて(当然ですが)便利になっていますが、コストダウンのせいか全体に作動音が安っぽくなっているのも目立ちます。

さて今回の製品はどれだけ持ってくれるのでしょうか。

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アウターヘブリディーズを訪ねて その4

2012年06月10日 | 旅行


トイレ休憩を兼ねて入ったのはKildnan centreという、元は学校だったところを改装した博物館でカフェも設けられていました。学校だったというのは帰国後ずっと後になってわかったことで、その時はだだっぴろい駐車場(校庭だったところです)の殺風景な建物だなあと思いながら車を停めました。
この地方の文化や歴史を展示した博物館ですが、常時開館しているのではなく、事前に了解を得てからでないと見られないようでした。もともと人口密度が低く、観光客もあまり来ないので、常時人を配置できないのでしょうね。

ちょうどオープンしたところで早速チーズケーキとチョコケーキとココア、紅茶を注文しました。ケーキは少し甘いものの大きさはほどよく、おいしかったです。
運営しているのは地元の婦人たちのようで、なごやかな家庭的な雰囲気でした。私たちの後にサイクリングの一行も入ってきて俄かににぎやかになりました。
見渡しても他に何の建物もない幹線道路沿いなので、誰もがまず目にする施設です。

しばらく休憩して暖をとった後、出発しました。ミルトンというところのフローラ・マクドナルドの住居遺跡を見ることにしました。
フローラ・マクドナルドは、インバネス近郊カロデンでの戦いに敗れたボニー・プリンス・チャーリーがユイスト島に逃げてきたのを助け、フランスへの逃亡に力を貸したことで有名な女性です。
無事王子をフランスに逃がしたものの、自身は逃亡に使った船の船頭に通報されて政府軍に捕まり、一時ロンドン塔に幽閉されました。
でも彼女の正直で勇気のある振る舞いがロンドン市民に称賛されて短期間で仮釈放になり、翌年には晴れて自由の身となりました。
彼女は後年夫とともに渡米して独立戦争に巻き込まれ、イギリス側に立ったため無一物となってまたユイスト島に戻り、最後はスカイ島で生涯を終えるなど、小説顔負けの波乱万丈の人生を送りました。

私たちが行った幼少期の住まいだったといわれる場所は、どこまでも真平らな草原にポツンと石組みだけの廃墟が残っているだけ。その中に、日本の山で見られるケルンのような素朴なモニュメントが立てられて、横に簡単な説明板が設置されていました。




ココで360度のパノラマ風景が見られます。

しばらく周囲の眺めを見てから、映画「ウィスキーガロア」の舞台エリスケイ島を目指します。

エリスケイ島は、南ユイスト島とバラ島(Barra)の間にある南北約4km東西約2.5kmの小島ですが、2001年に海を埋め立てて建設された堤防道路(コーズウェイ)で南ユイスト島と繋がりました。人口はわずか130人余、小規模な農業と牧畜、漁業が産業とのことです。でも実際はもっと少ないように感じました。家自体もまばらで、どこにも人は見かけませんでしたから。

ところがコーズウェイに行く道を途中で間違えて、ロッホ・ボイスデイルというフェリー乗り場に迷い込んでしまいました。船着場には結構大きなプリンセス号という船が停泊していました。


付近にホテルのような建物もありますが、ここも人影は全くなし。観光地図でもあればと旅行案内所の看板のある建物に行っても、日曜のためか閉まっていました。

早々に引き上げて、次にカルマックのガイド地図ではエリスケイ島への途中にあることになっているカトリック教会(Our lady of Sorrows Roman Catholic church)に寄ることにしました。
よく知られているようにイギリスではほとんどがプロテスタントですが、アウターヘブリディーズではベンベキューラあたりを境に南北で別れていて、南側がローマン・カトリックの教区になっているということで、珍しいので見てみようと思ったわけです。

行ってみたら建物は1965年に建てられた新しいもので、外観は恐ろしく無味乾燥なコンクリートの建物でがっかり。写真を撮っただけで引き上げました。車が2台とまっていたので使われているのでしょうが、ここも人影はありませんでした。


さらにエリスケイ島に近づいてからまたコーズウェイへの道を間違えて、ルーダッグというフェリー埠頭に迷い込みました。よく間違えます。(笑)
でもここは、運よくプレハブの待合所に公衆トイレがあり、いいタイミングで借用できてラッキーでした。(笑)


とにかく今回の旅ではどこに行ってもほとんど無人の原野なので、こういう施設があると大助かりです。(笑)
ここからバラ島へのフェリーが出るのですが、完全予約制で、不定期運航のようでした。

この埠頭からすぐのところに目的のコーズウェイがありました。すごい眺めです。運よくこの辺からちらっと待ち望んだ青空も見えてきて、現金なもので2人とも自然に笑顔です。


まずは、先のボニー・プリンス・チャーリーが、1745年にスコットランド王朝の復興をかけて亡命先のフランスから戻ってこの島に上陸したという場所に行きました。本土は警戒が厳しいのでここに上陸したのでしょうが、フランスからだと大迂回コースですね。
海岸から海を見ると珍しく海から上がってくる人影が見えます。
でもボニー・プリンス・チャーリー!なはずはないですね。(笑)

親子連れらしい2人の男性がウェットスーツを着てなにか漁をしていました。父親が息子に漁を特訓しているという感じでした。私たちはフリースの上にゴアテックスのカッパを着込んでもまだ寒い感じなのに、よくやるなと感心します。

海岸はガイドブックの説明のとおり、真っ白な砂でおおわれ、それだけを見ていると八重山の島々みたいですが、こちらは貝殻が砕けてできた砂とのこと。この海岸で、昨日買っておいた果物とケーキを食べました。



この島が有名になったのは先のボニー・プリンス・チャーリーの上陸と、もうひとつ、貨物船「ポリティシャン」の座礁事件です。
この事件にまつわる騒動はコンプトン・マッケンジーによって1947年に小説「ウイスキーガロア」(のちにドタバタコメディ映画化されました)になって広く知られるようになりました。小説はロングセラーになり、翌々年の映画の撮影時には実際の島民たちがエキストラで出演したとか。

この事件の起こった1941年、イギリスはドイツとの戦争の真っ最中でした。
イギリスの戦費調達はアメリカとの貿易に頼らざるを得ず、大西洋を多数の商船が行き来していました。商船ポリティシャンもその一隻でした。
1941年2月3日、同船はリバプールを出港。積荷には外貨獲得のためイギリスでは統制品となっていた22,000ケースものスコッチ・ウイスキーが含まれていました。
銘柄はおなじみホワイト・ホースやジョニー・ウォーカー、バランタイン、ヘイグ等トップブランドばかり。

行き先はアメリカのニュー・オルリーンズでした。ドイツのU-ボートの攻撃を避けるため、ポリティシャンはアイリッシュ海を北上してスコットランド本土とアウター・ヘブリディーズの間の海峡を抜けるコースをとりました。

しかし夜半にエリスケイ島東部を通過しようとしたとき、戦時下の灯火管制で灯台は灯を消していたため航路を確認できないまま、ポリティシャンは折からの強風に流されて2月5日午前暗礁に乗り上げてしまいました。幸い乗員は島民と救命ボートで全員救助されました。

積荷のウイスキーを巡るドタバタ劇はここから始まります。
小説「ウィスキー・ガロア」のガロア(Galore)は英語で豊富なとかたくさんという意味なので、ウイスキー・ガロアは‘ウイスキー満載’という感じですね。

座礁したポリティシャンからまずウイスキー以外の積荷が回収されました。信じられないことにウイスキーは非課税で多分油まみれで商品価値なしと判断され、船内に放置されました。

積荷のなかにウイスキーがあることを聞いたエリスケイの島民は、無人となったポリティシャンからわれさきにとウイスキーを持ち去りました。輸出優先で統制品とされ、わずかばかりの配給でしか飲めなくなったウイスキーです。話はあっという間に広まりました。
地元だけでなく、隣のバラ島、北のルイス島やハリス島、スカイ島、果てはスコットランド本土から多くの船がやってきてウイスキーを持ち去りました。

この騒動に当局もあわてて回収に乗り出しましたが、結局、22,000ケースのうち、当局が回収したものが13,000ケースだけ。残りのウイスキーのうち不法に持ち去られたものが2,000ケース、船中に残されたものが4,000ケースと何千本ものバラ瓶でした。
大捕物の結果、略奪に加わって逮捕された島民たちのうち19人が起訴され、数か月間投獄されたといわれています。

船中に残ったウイスキーは、座礁した船体の後半部にありました。船体の前半分は離礁に成功して回航されたものの、後部の回収は難航、結局ウイスキーを残したまま爆破処分されました。
船体とともに海底に沈んだウイスキーの中には、今でもまれに大シケのあとなど、付近の砂浜に打ち上げられたりするという話も聞いたことがあります。

でも今は現場にはそんな騒動を伝えるなんの痕跡もなく、静かなたたずまいでした。

その後、見晴らしのよさそうな小高い丘が見えてきたので車を止め、登ってみることにしました。ほとんど道らしい道もなく、草地にたまった水で靴を濡らさないよう注意しながら岩の露出した丘の頂上へ。


さっき通ってきた堤防道路も見えて、いい眺めです。
しばらく360度の眺望を楽しんでから、元の道路A865まで下って、ユイスト島に戻りました。


今度は島の東部に行くことにします。
ガイドブックでは近くにスタンディング・ストーンがあることになっていますが、そこへの標識がわからず、パス。午前中に迷い込んだロッホ・ボイスデール(Loch Boisdall)の近くのハイキングコースに行くことにしました。
でも国道からそのハイキングコースへ向かう道は鉄の柵が閉まっていて通れず。しばらくして、ガイドツアーの一行らしいランドローバーがやってきて開けたので私たちも行こうとしたら四輪駆動でないと無理っぽい悪路です。あきらめて引き返しました。

次にロッホ・アイノート(Loch eynort)のウォーキングコースへ。
こちらはすぐ見つかりました。スタート地点には狭いながら駐車スペースもありました。
フットパスも整備されていて歩きやすく、すっかり晴れてきて気持ちのいいコースでした。






<その5に続きます>



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