若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

湘南・江ノ島に遊ぶ

2012年04月15日 | 電車でおでかけ



4月9日(月)妻と二人で鎌倉の極楽寺周辺を散策した後、極楽寺駅から再び江ノ島電鉄に乗り

江ノ島へやって来ました。





春の心地良い潮風に吹かれながら「江ノ島弁天橋」を歩いていきます。

「江ノ島弁天橋」は片瀬海岸と江の島を繋ぐ橋で、長さは389m。

東京オリンピック開催にともない、自動車専用道路の「江の島大橋」が昭和37年に並行して

開通したのを境に、それまで取っていた渡り賃は廃止されたそうです。





江ノ島に近づいてきました。

江ノ島温泉アイランドスパ(えのすぱ)の建物が異国情緒を誘います。





江の島の玄関口「青銅の鳥居」です。

この鳥居は文政4年(1821年)に建てられたものだそうです。





「青銅の鳥居」をくぐって参道を歩いていきます。

干物や海苔、相模湾の海の幸はもちろん、夫婦饅頭や羊羹、貝細工の土産物店をはじめ、

老舗旅館や懐かしい射的場もあります。





老舗旅館の「岩本楼本館」です。

800年というときの中で、寺院から旅館として移り変わってきた岩本桜。

葉山御用邸が完成するまでは、宮内庁御用達として、皇族の方々も利用され、

古くは、将軍や大名も宿泊し、福沢諭吉や伊藤博文、山下清、早川雪州といった多くの名士も

訪れたそうです。





テレビ、ラジオ、雑誌等でおなじみの、イイダコをそのままプレスした100%タコだけの

丸焼きタコせんべいの店「あさひ本店」です。

鉄板でタコを焼きつぶす音が耳を引く豪快なせんべいだそうです。

平日でもご覧の通りの行列です。





参道奥の鳥居をくぐり、急な階段を上って江島神社にお参りします。

階段がきつい人にはエスカー(エスカレーター)が有料で利用できますが、デパートでも階段しか

利用しない妻の前では、心筋梗塞も覚悟のうえで上るしかありません。(笑)





竜宮城を模して造られたもので「瑞心門(ずいしんもん)」と呼ばれています。

清々しい心で参拝していただけるようにと命名されたそうです。

門の両脇には唐獅子画が飾られています。





江島神社は島内にある辺津宮・中津宮・奥津宮の3宮の総称で、「辺津宮(へつみや)」は

その本社で源実朝が建永元年(1206)に創建しました。

海の守護神・田寸津比賣命(タギツヒメノミコト)が祀られています。

写真のように「茅の輪(ちのわ)」があり、ここをくぐってから参拝します。

具体的な方法ですが、この輪を左回り、右回り、左回りの順で「∞」の字を描くように

3回くぐり抜けて参拝するそうです。





次に行ったのが「中津宮」です。

「中津宮」は、3女神のうち市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)をお祀りしており、

創建は仁壽3年(853年)であり、現在の朱色鮮明な社殿は、平成8年に大改修されたものです。

境内には、江戸時代に歌舞伎関係者により奉納された石灯籠や梅・桜などがあります。

当社の弁財天は日本三大弁財の1つで、七福神の弁財天として、また芸能を司る妙音天女としても

崇敬され、江戸時代は庶民、歌舞伎役者、武士と幅広い階層から信仰を集め、大変賑わったそうです。





江ノ島サムエル・コッキング苑や展望灯台の横の遊歩道を行くと「奥津宮」に到着です。

ここは多紀理比賣命(タギリヒメノミコト)をお祀りしています。

多紀理比賣命は、三人姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様といわれています。

養和二年(1182年)に、源頼朝により奉納された石鳥居や、江戸の絵師・酒井抱一が拝殿天井に

描いた、どこから見てもこちらを睨んでいるように見える「八方睨みの亀」が有名です。





「奥津宮」の境内から伸びる山道に少し入ると、「龍恋の鐘(りゅうれんのかね)」という名所が

あるようなので、ミーハーな二人は寄り道してみることにしました。

相模湾を望む「恋人の丘」と言われる高台にありました。

その昔、海にすむ五頭を持つ邪悪な龍が、島に現れた天女に恋をし、改心の末に結ばれるという島の

伝説(天女と五頭龍)があり、ここで愛する人と一緒に鐘を鳴らすと幸せになれると言われています。

しかし、妻はなぜか一人で鐘を鳴らしていました。

特に深い意味はないのでしょうが・・・(笑)





「江ノ島岩屋」や「稚児ヶ淵」なども見たかったのですが、時間もなくなってきたので、

もと来た道を帰ります。

途中、「中津宮」付近からヨットハーバーや灯台を見下ろしたところです。

その向こうに鎌倉の海が広がります。

まさに絶景です。





時間が1時過ぎになっていたので昼食を食べることにしました。

江ノ島駅から歩いてくる途中に目をつけていた「紀伊国屋お食事処」へ入り「海鮮丼」を注文しました。

「この海鮮丼には15種の魚貝類が入っているんですよ」と綺麗な仲居さんが教えてくれました。

味は絶品で味噌汁と生姜とドリンクバーが付いて1500円ですから大いに満足でした。

あまりに美味しそうなので食べることに夢中になり海鮮丼の写真を撮るのを忘れてしまいました。(笑)

そういうことで、この写真だけはインターネットから拝借したものですので、ごめんなさい、悪しからず。

実物もこの写真のとおりで間違いないです。



コメント (1) |  トラックバック (0) | 

鎌倉ー最後から2番目の札所(恋)・極楽寺周辺散策

2012年04月10日 | 電車でおでかけ



4月9日(月)妻と二人で2年半ぶりに鎌倉方面へ行ってきました。

前回(2009年9月22日)は北鎌倉駅から鎌倉街道と若宮大路を歩き、由比ヶ浜海岸を散策し、

江ノ電 長谷駅の踏切を渡って長谷寺と鎌倉大仏を見た後、鎌倉文学館で帰路に着いたのですが、

今回は先日終了したテレビドラマ「最後から2番目の恋」の舞台となった極楽寺周辺と

湘南ボーイのメッカ・江ノ島を見ようというミーハー的な気分で出かけました。





鎌倉駅で江ノ島電鉄に乗り換え長谷駅で下車。

定番の長谷寺と鎌倉大仏は今回はPASSです。





大通りを大仏方面に向かって徒歩約1分で左手に見えてくるのが「収玄寺」です。

「収玄寺」は日蓮上人に帰依した四條金吾頼基の屋敷跡で、文政年間に妙詣尼により

収玄庵として創建されました。

小さいが手入れの行き届いた境内は、四季の草花に囲まれていて、「花の寺」としても

知られています。





「収玄寺」を出て大通りをすぐに左折して「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」へ向かいます。

途中の路地は何気ない小道ですが、鎌倉らしい風情がただよいます。

開花が遅れていた桜も今日の暖かさでほぼ満開です。





目の前を江ノ電が走る「御霊神社」は、別名「権五郎神社」とも呼ばれ、平安時代の

開発領主鎌倉権五郎景政を祀る神社です。

鎌倉権五郎景政ゆかりの手玉石や弓立の松が敷地内に残っています。





「御霊神社」を出て江ノ電の踏み切りを渡り、極楽寺坂の通りに出る角にあるのが

「力餅屋」です。

元禄年間には峠の茶屋として店を出していたという300年の歴史を持つ和菓子の老舗です。

小さな店ながら、どことなく風格があり朝から多くのお客が足を運びます。

名物の力餅は、もち米を蒸して臼でついた餅を、じっくりと練った餡でくるんだ素朴な和菓子

だそうです。

妻はさっそく「権五郎力餅」を買いこみ、持って来たお茶を飲みながら道中食べ始めました。





「力餅屋」を出て「極楽寺坂」を昇り始めるとすぐ右手に見えてくるのが

「虚空蔵堂(こくうぞうどう)」です。

「虚空蔵堂」は、行基が彫った虚空蔵菩薩が祀られているお堂です。

本来の名は「明鏡山星井寺」と言い、現在は、「成就院」が管理しているそうです。





「極楽寺坂」を更に昇ると左手に「成就院」の入口があります。

ここの石段は除夜につく鐘の数と同じ108段とのことです。

振り返り眼下に広がる由比ヶ浜海岸の風景を眺めながら昇り詰めると、江戸時代後期の建立で、

重厚な山門が左手にあります。

山門に立つと本堂がすぐ先に見えます。





再び「極楽寺坂」に戻ります。

これは「極楽寺」のほうから見た「極楽寺坂」で、右手上方が「成就院」です。






さあいよいよ「極楽寺」です。

二代執権北条義時の三男重時が、深沢に正永和尚が建てた念仏堂を移建し、1267年に重時の子

長時(六代執権)と業時が、当時多宝寺にいた忍性を招いて開山したそうです。

忍性は悩める貧しい人々を救済するために、福祉事業に取り組み、「医王如来」と崇められたと

言われています。





小泉今日子と中井貴一の”大人の口喧嘩”が非常に面白いドラマ、「最後から2番目の恋」の

舞台となった江ノ島電鉄「極楽寺駅」は、「極楽寺」の目の前にありました。

ところで「極楽寺」は鎌倉十三仏霊場巡礼の『最後から2番目』の第十二番札所です。

(前述の「虚空蔵堂」は最後の第十三番札所です。)

ドラマの題名「最後から2番目の・・・」というのはそう言う意味だったのですね。

素敵な駅を背景に、ミーハーな私たちは写真を撮り合い、江ノ電に乗って江ノ島へと

向かいました。



コメント (0) |  トラックバック (0) | 

加須・・・・もうひとつのふるさと

2012年03月21日 | ウォーキング



3月20日(火)妻と二人で愛車プリウスに乗って、埼玉県加須市に行ってきました。

加須市は私たちにとっては近くて遠い町で、今までは通過するだけの町でした。

武蔵野銀行と立教大学観光学部が産学連携事業として「埼玉 地域交流フットパスプロジェクト」

を立ち上げ、「ぶらって○○」と言う、まち歩きMAPを作成してくれているのは

2010年1月31日付のブログでご案内したとおりですが、今回その第4弾「ぶらって加須」が出来たと

言うので、早速その小冊子とカメラを持って、加須の町を散策した次第です。

写真は会の川(あいのかわ)親水公園です。





イトーヨーカ堂に車を停めて、加須市の中心部へ向かって歩き始めました。

会の川を渡る橋ですが「伝承 徒歩橋(かちばし)」という道標が橋の横に立っています。

この橋は江戸時代には龍蔵寺の参道の起点に位置していたので、馬に乗ったままの通行は

無礼ということで禁止されていた為、この橋の手前で馬を降りて歩いて渡らねばならなかったことから

この名が付いたそうです。





徒歩橋を渡ってすぐの交差点を左折すると、左手に「橋本弥喜智商店」です。

加須市と言えば鯉のぼりと手打ちうどんが有名です。

全長100m、重さ350kg、目の直径10mのジャンボ鯉のぼりは、この店の3代目橋本隆氏が

デザイン&設計を担当し、加須市民のべ2000人で製作されたものだそうです。

今年も5月3日(雨天時5月4日)の加須市民平和祭で遊泳するそうです。





県道152号線を東進すると「岡安堂」という和菓子の店があります。

この店は江戸時代に創業され、現在の店主で6代目の老舗和菓子店だそうで 「鯉のぼり最中」が

人気です。

「鯉のぼりで何か名物を!」と考えた5代目が考案し、今ではすっかりお店の看板商品となったそうで

甘いものに目がない妻は早速、御購入致しました。





岡安堂の交差点を北上し、再び会の川に出て会の川親水公園を東に進みます。

これは何でしょう・・・・?

人の影から時刻を知る人間日時計だそうです。

自分の身長に合う足型の上に立って、自分の頭の影の先と広場の時刻表示線から時刻を読み取る

のだそうです。





会の川親水公園から中央2丁目交差点に出て、武蔵野銀行の裏のほうの小径を歩きます。

「ぶらって加須」では「まる石の小径」と呼んでいます。

この小径の突き当たりを左に曲がると・・・





円空の彫った不動明王坐像がありました。(但し仏像を見ることは出来ませんでした。)

円空は江戸時代、諸国を遊行し、その生涯に12万体の仏像を彫ったと言われています。

彼の彫った仏像は「円空仏」と呼ばれ、独創的で力強く、それでいて素朴な美しさに満ちています。

ここにある円空仏は総高29.2cmの杉の一木造りで、頭頂部に蓮華をいだき、

左肩に弁髪をたらし、右手に宝剣、左手に羅索を持ち、岩に座っています。

円空仏は北埼玉地区にはほとんどなく、珍しいものだそうです。





「まる石の小径」を出るとすぐに「千方(ちかた)神社」です。

松の古木がそびえる入口から、結構長い参道が続き、広葉樹の葉が落ちた境内は明るく、最奥に

落ち着いた佇まいの社殿が建っています。

「千方」という社名は、佐野唐沢山城主鎮守府将軍・藤原秀郷の六男藤原千方が、父秀郷同様、

鎮守府将軍の地位に付き、この地方の徳政を行った功績により、鎮守千方大神として祀られたのが

由来と、伝わっています。





千方神社でお参りしたあと「市民プラザ加須」で休憩し、中田病院という大きな病院の手前の道を

東に行くと、「魚進」という魚屋さんがあります。

「ぶらって加須」がお薦めの「とろねぎコロッケ」(1個100円)を夕食のオカズに買い込みました。





加須駅に向かって歩くと、これも「ぶらって加須」がお薦めの「コーヒーイン千珈多」がありました。

アンティークな雰囲気のする、如何にもワタシ好みの喫茶店でしたが、今はお腹が空いてコーヒーよりも

「加須のうどん」が食べたい!!ので・・・・ここは残念ながらパスです。





と言うことで、加須駅前の大通りを北へ進み、加須市商工会館を左折して、辿り着いたのが、

やはり「ぶらって加須」がお薦めの「吉野屋」です。







「朝まんじゅうに昼うどん」と言われるくらい、加須市は小麦食文化が盛んな地域です。

お米が年貢として供出された昔、米の裏作として作られた大麦を混ぜた麦飯が主食とされており、

農家の人にとってツルツルシコシコしたうどんは、お祭りなどの特別な日に大切なお客さまを

もてなすときのご馳走あったそうです。

私は「ネギ南蛮うどん」の温かいのを、妻は「合い盛り」を食べましたが、二人とも大満足でした。


コメント (0) |  トラックバック (0) | 

真壁のひなまつり

2012年02月13日 | ドライブ



2月11日(土)妻と二人で茨城県桜川市真壁町のひなまつりを見に行ってきました。

行田市から国道122号線、館林から国道50号線に乗り筑西市で県道7号線に降りて

片道約2時間半で到着です。

真壁高校の校内に車を停めて散策開始です。

高上町通りを真壁伝承館まで東進します。





最初に入ったのが「石匠の見世蔵(いしくのみせくら)」(平井家住宅)です。

「石匠の見世蔵」とはそもそも、古くから石材業が盛んな町・真壁町で町の住民や商工会、

商店会などが一体となって町に賑わいを取り戻そうと展開しているまちづくりの一環で、

石材業者の有志で設立されたものです。





平井家には筑波大学芸術系の今年度1年の学生がデザインし、石工さんたちによって作られた

石灯篭が飾られています。





「白川菓子店」のお雛さまです。

レトロで、昔ながらの和菓子屋というよりも駄菓子屋、といった雰囲気のお店です。






この店には「お茶飲んでけえ・・・」と、みんなに声をかけるトミさんという優しいおばあちゃんが

いましたが、数年前に突然天国へ旅立ってしまったそうです。

でもトミさんは今でもこうして優しい笑顔で真壁に来る人を迎えてくれています。






登録有形文化財に指定されている「星野家」です。

「星野家」は、屋号を諸川屋(もろかわや)と称し、現在で6代目となります。





江戸末期に、茨城県旧三和町の中心部である諸川地区からこの地に移り住み、

真壁に陣屋のあった笠間藩の御用商人で、乾物屋を営んでいたそうです。





これも登録有形文化財に指定されている「三輪家」(藤屋履物店)です。





「三輪家」は、3代前に現在地に履物屋を構えました。

表札には「語りのある街 藤屋履物店」とあります。





「すし兼」というお寿司屋さんですが、サンプルケースには寿司の姿が見当たりません。(笑)





これは座敷飾りと言って、「すし兼」の2階の宴会場の舞台上に飾ってあります。

寿司を食べなくても2階の宴会場に招き入れてくれます。

手前の吊るし雛は地元小学生の手作りです。





伝承館の前を右折すると、やたらと行列が出来ているお店がありました。

どうやらコロッケが美味しいと評判らしいお店で、2010年2月「ちい散歩」というTV番組で

放送されてから爆発的ブレイクを果たした「宮本精肉店」です。





その隣が「増田酒店」です。

増田酒店は、村井醸造(後述)の全商品と蔵でも商品にされていない酒を販売する、酒類販売店です。





「増田酒店」のお雛様は関西地方(京都)の雛だそうです。

甘酒が用意されており、妻は早速ご馳走になっていました。





下宿十字路の交差点にひと際目を引く白壁の建物が「村井醸造」です。

「村井醸造」は『公明』の銘酒で知られています。

村井家は江戸時代からこの地で醸造業を営んでおり『江戸時代の初期である延宝年間(1673〜1680)

に常陸の国真壁町へ村井重助が醤油・味噌販売の出店を構えたのが,日野商人(近江商人)における

関東出店の最も古い記録である』とのことです。





かつての穀蔵であった脇蔵は,交差点に面して建ち,街並み景観の重要なランドマークと

なっています。

写真は村井醸造内の藍染展に飾られていたお雛様です。





「伊勢屋旅館」は真壁町の中心部、下宿通り沿いにあります。

テレビや雑誌での取材も多い築百年以上立つ老舗の旅館です。

伊勢屋(田中家)は、幕末からこの地にあったそうですが、2代目では「勢州楼」と称し、

真壁で最も名の知られた料亭だったそうです。






「伊勢屋旅館」では大正14年・昭和31年・昭和44年・平成13年のお雛様が帳場いっぱいに

飾られています。





下宿の中央の十字路に、各地への里程が定められていたという『真壁町道路元標』が置かれています。

この角に明治・大正・昭和の初めにかけて「鶴屋呉服店」(潮田家)と言われ、『関東の三越』とも

呼ばれていたという豪壮なタバコ屋があります。





「潮田(うしおだ)家」には江戸、明治、大正、昭和時代のひな人形が飾られています。

中央に、江戸、明治、大正期のおひな様があり、その両側が昭和のお雛様です。

犬をお供にしたお雛様は非常に珍しいものとのことです。


真壁のひなまつりは2003年に21軒で始まったそうですが年々軒数も観光客も増え、最近は

期間中10万人以上の人出があるそうです。

しかしほとんどのお店、お家は商売っ気を見せません。

また昨年3月11日の東日本大震災の大きな傷痕も街のあちらこちらに残っていますが、

今年も「寒い中、真壁に来てくれた人をもてなそう」と、このように素晴らしい「真壁のひなまつり」

を開催してくれました。


コメント (0) |  トラックバック (0) | 

港町・神戸を歩くー北野異人館街

2012年01月11日 | 旅行





12月28日(水)妻と二人で神戸・三ノ宮に来て旧居留地、南京町、元町商店街を見て廻ったあと、

いよいよ北野異人館街に向かいました。

北野地区と旧居留地を結んで南北に走るトアロードは、”神戸のハイカラ文化”発祥の地でした。

神戸の代表的な観光スポットとなっている異人館街はかつて外国人が生活した街、

海岸通り一帯の旧居留地は彼らのオフィス街、そしてトアロードが通勤路でした。








トアロードを北に歩き、途中、横道にそれて生田神社の境内を通り抜け、北野坂を昇ります。

ほどなく左手に有名な「神戸にしむら珈琲店」。

10年ほど前に妻と二人で神戸に来た時に立ち寄った懐かしい店ですが今日は元町商店街の

ドトールで珈琲を飲んだので、ここは素通りです。







北野通りにさしかかり、右折するといよいよ北野異人館街です。

以下、各々の異人館の解説は異人館ネットを引用させていただきます。

先ずは左手に「旧パナマ領事館」です。

白亜の壁に緑の柱や桟が映える建物は、元パナマのカルロス領事の執務室であり、生活空間でも

あったそうです。







北野通りをはさんで「旧パナマ領事館」の向かい側に「英国館」。

イギリス人が建て、イギリス人が住み続けた洋館で西部劇でもおなじみの典型的なコロニアル様式

です。







「英国館」の隣に「仏蘭西館」(洋館長屋)。

2件が左右対称に建つ風変わりな建物です。

元は外人向けのアパートでしたが、現在は展示品をフランスの美術や調度品で統一しているそうです。







「仏蘭西館」の隣が「ベンの家」。

異人館の中でも建築の古さは屈指で堀、壁、窓枠に至るまで、明治35年建築当時のまま残されて

います。

かつて英国の狩猟家ベン・アリソンが住んでいて、彼が世界各地で射止めた動物の剥製が展示されて

いるそうです。







急勾配の石段を登るとすぐ左手に「ラインの館」。

この建物は大正4年(1915年)に建築されましたが、木造二階建下見板張りオイルペンキ塗りで、

開放されたベランダ、ベイ・ウィンドなど、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま

受け継いでいます。

唯一、入館料は無料です。

横浜山手西洋館のほとんどが入館料無料なのに比べると神戸北野異人館はほとんど有料ですね。








「ラインの館」の隣が「神戸北野美術館」です。

当美術館は、震災で傷ついた異人館ホワイトハウス(旧米国領事館官舎)を修復し、1996年11月から

新たに美術館としてスタートしたそうです。

現時は、兵庫県出身のイラストレーターで絵本作家、永田 萌さんの作品を、原画中心に常設展示

しています。







北野通りにもどり、「旧パナマ領事館」の横の急坂(天神坂)をハアハア言いながら登ると

右側に「パラスティン邸」です。

白と緑のツートンカラーが優しい印象のこの館は、明治末にロシアの貿易商によって建てられた

ものだそうです。







天神坂を更に登るとあの有名な「風見鶏の館」のある「北野町広場」に到着です。

「風見鶏の館」はかつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏が

自邸として建てた建物です。

また先頭のうえに立つ風見鶏はよく知られ、今では北野町の象徴として欠かせない存在に

なっています。







「北野町広場」で親切なボランティアのオジさんに夫婦二人の写真を撮ってもらって気分を

良くしていると、広場の奥手に見えたのが「萌黄の館」。

明治36年(1903年)アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅として建築されました。

その後、昭和19年(1944年)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となったそうです。







「北野町広場」から「石畳の小径」に入りすぐに左折して急坂を登ると「オランダ館」です。

旧オランダ領事館として使われていた大正中期の寄せ棟造りです。






「オランダ館」のすぐ上に「デンマーク館」。

デンマークにあるバイキングミュージアムやアンデルセンミュージアムの協力を仰ぎ、

北欧デンマークの歴史や文化を紹介しています。







「デンマーク館」の右手には「ウィーン・オーストリアの家」。

作曲家モーツアルトをテーマにオーストリアの文化などを紹介しています。

館内は19世紀後半の貴族の家を再現し、女帝マリア・テレジアの肖像やロココ調の衣装などを

展示しています。








「おらんだ坂」に入り、更なる急坂を登ると「うろこの家」が見えてきました。

「うろこの家」は最初に公開された異人館で、国指定登録文化財です。

外国人向けの高級借家として建てられました。

建物の外壁と多い天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから“うろこの家”の愛称が

生まれ、親しまれています。







「うろこの家」のすぐ隣に「山手八番館」。

塔状の家屋が3つ連なる風変わりな建築(チューダー様式)で入口上部のステンドグラスの

美しさは格別です。

館内は彫刻と版画と仏像を3本の柱にした名観で、芸術の香り高い館です。







「山手八番館」の奥が「北野外国人倶楽部」です。

開港当初、外国人居留地に建ち、外国人たちの社交場として賑わいました。

その名残は、暖炉や豪華な家具調度品にとどめています。

屋外には欧風庭園が広がり、一角には瀟洒なミニチャペルが建っています。








「外国人倶楽部」の裏手に廻ると「旧中国領事館」があります。

中国の政治家・王兆銘 (1883〜1944年) が1940年、南京に親日政府を樹立したとき、

中国領事館として神戸に建てたものだそうです。







ここからは不動坂を下ります。

左手に「イタリア館」(プラトン装飾美術館)です。

当異人館は大正の初期に建てられた歴史的伝統建造物です。

日常生活空間の中に本物の絵画、彫刻、家具、調度品などの展示品は全て18〜19世紀の

アンティークです。

又、南庭にはプールを中心とした南イタリア風のテラスがあり、19世紀頃の大理石の柱や

古い砂岩石のコラム花と彫刻物のなかにカフェテラスも併設しています。







「イタリア館」を更に下ると「石畳の小径」との境目に豪邸があります。

1892年(明治25年)にチャン氏の自邸として建造された西洋館ですが、1985年まで居住していた

ユダヤ系シリア人貿易商デヴィット・サッスーン(1910年〜1991年)の名をとり、一般に

旧サッスーン邸と呼ばれています。

現在、一般公開はされておらず、館内に設置されたチャペルと100坪の芝生庭園を使ったウエディングの

会場として利用されています。








異人館巡りもいよいよ大詰めです。

北野通りにもどり、北野坂を下り「異人館通り」を西に歩きます。

まもなく右側の石垣上に「旧グラシアニ」が見えてきます。

明治41年にフランス人貿易商グラシアニの自邸として建設されたコロニアルスタイルの西洋館です。

現在は広い中庭に面するガーデンテラスを利用したフレンチレストラン、喫茶店として、一般に

公開されています。







更に歩くと「シュウエケ邸」です。

「シュウエケ邸」は英国の建築家A・N・.ハンセルによって1896年に設計・建造された邸宅です。

現在もシュウエケ家が建物の二階部分を使用していますが、地域の催し物やチャリティなど、

特別なイベントが行われる時に限って、一階部分と庭園が一般に公開されています。







トアロードにもどり、三ノ宮駅方面に向かうと、ほどなく右側に立派な中華料理店が見えてきます。

東天閣(旧ビショップ邸)は現存する最古の神戸異人館(1894年築)です。







これで私たちの北野異人館街めぐりは終わりです。

最後に風変わりな建物がありました。

「北野工房のまち」という旧北野小学校の校舎を利用したもので、館内にはアンテノール、

ゴンチャロフ、UCC、ベニール、モロゾフ、神戸美人ぬか本舗といった神戸ブランドの著名店が

20余り入居しており、販売を行っているほか、各店で革小物や化粧品、ピッツァ、珈琲、パン等の

製作を体験できます。







かつてトアロードは神戸のメーンストリートでした。

進取の気風に富んだ神戸っ子は、トアロードを行き来する当時の外国人のライフスタイルを

積極的に自分たちの生活に取り入れ、多くのハイカラ文化を日本中に発信してきたのです。

「北野工房のまち」は往時の繁栄をもう一度と、トアロードの復権を願う商店会の皆さんや神戸市、

地元業界団体などが協力して平成10年に開設したものなのです。



人気ブログランキングへ
コメント (0) |  トラックバック (0) |