お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

湯取車の数奇な運命 名古屋祭り(裏)なごやかまつり ひがし 2

2004年10月12日 01時00分38秒 | 名古屋祭り
昔は、「建中寺公園」ではなく、同じく「建中寺」のすぐ近くの
東区役所前でお祭りを行っていました。区役所と保健所はつながっています。
保健所の裏は「建中寺」

 保健所の北側には今も、尾張二代藩主「徳川 光友」公のお墓があります。
といっても、墓石だけで、お骨は「定光寺」に納められたようです。


 昔は、奇しくも光友公の墓に向かって、カラクリ奉納していた形になります。
(こういった解釈は、おそらく私1人でしょう…)


 区役所でカラクリ奉納を行った後は、各山車、帰路につきます。


 そこで、「建中寺」の山門前を「湯取車」のみが

秋風に湯の花を撒き散らしながら、建中寺前を去って行く…


 湯取車は、かつて、東照宮祭で曳かれていた山車です。

生前の尾張藩主は見ていたのです。
(湯取車が製造される前の藩主は見ていませんが…)


 生前に見ていた山車が鬼籍に入った後も見る事になる…


 しかも、東照宮祭の山車は全滅し、古車とはいえ、東照宮祭ゆかりの山車は
ただ、「湯取車」だけ…


 不思議だとは思いませんか?


 「建中寺」前を、秋風に湯の花が舞いながら 湯取車は去って行く 


 絵になりますよね?


 今は、この光景は見る事はできません。写真に収めている方がいたら、うらやましい

 もっとも、5輌が建中寺前にそろったサマも絵になりますがね

 「なごやかまつり ひがし」を「名古屋祭り」とセットでご覧になられましたら、
歴史ファンにはたまらないのでは?

 あくまで、私だけのオリジナルな解釈ですけれどもね。

 是非とも、皆様、名古屋祭り、なごやかまつり ひがし に足を運んでください。


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