
誰もが知ってる世界のスーパーカーを代表する1台が
イタリアで誕生した「ランボルギーニ・カウンタック」です。
このブログでも今までに何度か紹介しました。
日本では70年代後半から到来したスーパーカーブームで、
当時の子ども達の憧れのクルマとして知られるようになりましたよね。
ボクもまさにその世代の子です。
この「ランボルギーニ・カウンタック」はフラッグシップをミウラに置いていた、
当時のランボルギーニ社が満を持して開発した次世代のスーパーカーでした。
初期モデルはLP400というネーミングでしたが、
いくつかの世界モーターショーを経て、
一般販売として生産開始されたのが1974年のこと。
当時で生産台数はわずかに150台でした。
それを石油王でF1のチームオーナーだったウォルター・ウルフさんが、
自分専用のクルマにという注文に対応して作ったスペシャルモデルがLP500です。
そのオリジナル仕様としては4,000ccから5,000ccへのエンジン排気量アップと、
オーバーフェンダーに大型ウイング、ピレリーP7のタイヤを搭載したものでした。
このモデルに触発された世界中の大金持ちさん達が、こぞって同じ仕様を求めて
生産されたモデルがLP500Sというモデルで323台生産されています。
また1985年にフェラーリからテスタロッサが登場すると、
それに対抗するため、さらにバージョンアップを図ったモデルとして、
5000クアトロバルボーレが開発されます。生産台数は632台。
1988年にはランボルギーニ社設立25周年ということで、
アニバーサリー仕様も登場しています。
この25thアニバーサリー仕様がもっとも生産台数が多く657台作られています。
最終的には1990年にディアブロを投入したことで「カウンタック」の歴史に
幕を下ろすことになりますが、
今なおその人気は高く、お金持ちさん達を中心にオーナークラブまで存在しています。
それだけ魅力的なクルマだったんですよね!
イタリアで誕生した「ランボルギーニ・カウンタック」です。
このブログでも今までに何度か紹介しました。
日本では70年代後半から到来したスーパーカーブームで、
当時の子ども達の憧れのクルマとして知られるようになりましたよね。
ボクもまさにその世代の子です。
この「ランボルギーニ・カウンタック」はフラッグシップをミウラに置いていた、
当時のランボルギーニ社が満を持して開発した次世代のスーパーカーでした。
初期モデルはLP400というネーミングでしたが、
いくつかの世界モーターショーを経て、
一般販売として生産開始されたのが1974年のこと。
当時で生産台数はわずかに150台でした。
それを石油王でF1のチームオーナーだったウォルター・ウルフさんが、
自分専用のクルマにという注文に対応して作ったスペシャルモデルがLP500です。
そのオリジナル仕様としては4,000ccから5,000ccへのエンジン排気量アップと、
オーバーフェンダーに大型ウイング、ピレリーP7のタイヤを搭載したものでした。
このモデルに触発された世界中の大金持ちさん達が、こぞって同じ仕様を求めて
生産されたモデルがLP500Sというモデルで323台生産されています。
また1985年にフェラーリからテスタロッサが登場すると、
それに対抗するため、さらにバージョンアップを図ったモデルとして、
5000クアトロバルボーレが開発されます。生産台数は632台。
1988年にはランボルギーニ社設立25周年ということで、
アニバーサリー仕様も登場しています。
この25thアニバーサリー仕様がもっとも生産台数が多く657台作られています。
最終的には1990年にディアブロを投入したことで「カウンタック」の歴史に
幕を下ろすことになりますが、
今なおその人気は高く、お金持ちさん達を中心にオーナークラブまで存在しています。
それだけ魅力的なクルマだったんですよね!
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