土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

恐怖の鈍化

2021-07-17 | 随想

中学の修学旅行で江ノ島へ行った。島の中央部にある塔に元気よく登った。ふと足元を見ると床の隙間に下界が見えた。急に立ちすくんで縁に捕まらないと歩けなくなった。この塔、いま調べると二子玉川の「落下傘訓練塔」を移設して作られた「旧江の島展望灯台」らしい。ネットにも記憶通り床は板で作られていたとある。いまはシーキャンドルというモダンな塔に取って代わられているようだ。
ここに限らず高いところは怖かった。川を渡って対岸へ遊びに行くというようなこともしていたが、鉄橋は足下に川床が見えるので上級生に背負われたりしてた。列車や転倒、二重に危ないのだが。
それが中年になってからは高所恐怖が薄れた。奈良の八木と新宮を結ぶ紀伊半島を縦断(?)するバスに学生を引率して行ったことがある。高速道路以外では日本で最も長い路線バスである。途中に長くて高い「谷瀬の吊橋」があってバスは停車してしばらく歩かしてもらえる。ウィキに「全長=297.7m、幅=2m、高さ=54m」とあるが、中央の踏板の幅が80cmで下の河原がよく見える。学生はみんな竦んだが意外に僕は全然怖くないのである。(といっても地元の人は自転車に鼻歌で渡るのだが。)いや山へ行っても滑りそうな斜面も前ほどは怖くない。
なぜそうなったかを考えた。一つ考えられるのは、身体能力が向上して無意識の自信がついたことがあるだろう。それよりもちょくちょく酒を飲むようになって頭が少し壊れた事もあるのだろうか。例えば夜の古屋敷に入るときもアルコールがあると怖くなくなる。ウィスキーを引っ掛けて運試しをするなんてのはアメリカ映画の定番だから。臆病な僕にもそれが慢性化したのだろうか。
しかし最近もっと立派な理屈を発見した。「トキソプラズマが人の脳を操る」というやつだ。こいつは本来猫の寄生虫だが、いろいろな動物の生肉を食うと感染する。しかし猫以外に感染したやつは早く本来の宿主:猫に乗り移らなければ成熟しないのだ。ネズミに寄生している場合はうまい手がある。ネズミの頭を操作して恐怖を感じにくくするのだ。恐れを知らないネズミは猫からソシアル・ディスタンスを取らなくなり、調子に乗っているうちにネコの腹に収まる、トキソさんは本来のところを得るという寸法だ。人やブタだとせいぜい崖から落ちて死ぬぐらいで、トキソさん、儲からないが。とにかくそういう作戦で生き延びてきたらしい。(愉快な説明がここにもある。)僕もそういう空元気が出るものを飼っているのだろう。
かってノンセクト・ラジカルで鳴らした腕利きの仏師(仏像の彫刻家)がいる。彼には困ったところがあった。車が轟々と続く1号線に差し掛かるとそのまま悠然と渡りはじめる。車は仕方なくズラッと止まる。むろん横断歩道などではない。彼は僕に向かって手を挙げ「おおい、早よ来い」とやる。僕はウィスキーを煽ってもいないしトキソも足りなかったが、致し方がない・・・


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