がらんどう 吐毒会

雑感で感じたままに…

上野駅

2011-09-30 14:59:47 | Weblog
入谷改札の外に鎮座するジャイアントパンダの剥製である。どうしても上野と言えば、上野動物園でパンダという連想が出来上がる。ひねくれた私は上野と言えば西郷どんでもなく、聚楽である。その聚楽も今は取り壊され、跡形は隣にまだ残る囲碁センターにしか見られない。

東北の玄関口、上野駅は今でいう下のホーム。夜行列車は一等列車の北斗星しか今は走っていない。名残はそこここに残っている。ただ改札は自動改札で情緒はない。今や上のホームがメインとなり、この入谷改札も大きな意味を持つ。地下ホームの東北上越新幹線に一番近い改札なのだ。

駅ナカは整備され居心地よく、以前とは雲泥の差である。

ただ、やはり買い物となると不忍改札からアメ横へと足が流れる。ここだけは古い下町東京が残っている。場末の飲み屋も健在で安心できる。

ちなみに上野動物園には地下鉄千代田線の根津からの方が空いている上、距離も変わらない。参考まで。

旭山動物園

2011-09-27 22:58:43 | Weblog
新千歳空港から高速使って3時間と考えると、我が地から郡山を超える。私は車を運転するので距離感掴めるが、妻はその辺りも含め方向音痴でわからない。しかし、以前旭川を訪れた折に飛ばしているので、今回はピンポイントで行くことにした。

羽田から朝一番で新千歳へ。レンタカーで到着は13時前。ほぼ読み通り。

たかが動物園と傍観者で過ごそうと決めていたが、引きずりこまれた。見せ方のうまさ、ディテールにこだわった案内板。さらに近く遠くの子供達の絵や研究を多用して見せる手法。どれもが上からではなく、観覧者側の視線になっている心地良さ。

日本最北の動物園に人が集まる理由に納得した。なんでも工夫なのだど痛感した。

個々を取るとさほどではないが、ありふれたものでも並べ方で新鮮に変わるということも学んだ。

観覧時間は一周して、一部アトラクション観て、三時間。意外と時間がかかった。

ちなみに何故旭川動物園ではなく、旭山動物園なのかと疑問だったが、低い標高の旭山が実際にあり、その山を利用した施設と行ってわかった。赴かないとわからないことも、営業含め、多いのだ。

モエレ沼公園

2011-09-23 20:46:48 | Weblog
札幌旅行を家族で敢行している。台風接近で危ぶまれたが、幸いにも天気に恵まれている。今回は全くもって、あてのない旅。飛行機と宿だけ決め後はいきあたりばったりの旅。

写真は今朝突然息子が行きたいと言い決めたモエレ沼公園。イサム・ノグチが晩年手掛けた公園である。

ゴミ山を公園にしたと息子から教わった山が写真右。1990年に処理場としては閉鎖されている。私は運転手ゆえ体力温存のために遠慮したが、家族はそのモエレ山に登り、札幌市内一望に感動したとの話し。

ちょうど10時半から、25メートル上がる水柱を含む噴水ショーが見られた。15分間のショーだったが、柵に止まった赤蜻蛉と一緒に鑑賞した。

とにかくのんびりできるところで、自転車も借り、予定時間以上の滞在であった。

関東地方にはない低いところから拡がる空の青を感じた。

公園内には他に噴水や野球場、別の山、イサム・ノグチが手掛けたガラスピラミッドなどあり、市民の憩いの場は整然としていて、うらやましいと思った。

米山恋人岬

2011-09-19 09:16:35 | Weblog
商社マンと長岡で待ち合わせ。柏崎での商談のためだったが、待ち合わせが早かったため昼飯がてら向かった米山恋人岬。

高速で小一時間。まずは米山で降りてフィッシャーマンズケープという商業施設へ。以前も行ったので、このブログにも書いたかもしれない。海産物が所狭しと並べられた場所。もちろん土産物屋も隣接している。隣接しているといえば道の駅。こちらは発電風車がサインだが、閑古鳥。同じような施設の運営に差があるとも思うが、明らかに立地条件の差だろう。

昼食に海鮮定食頂き、少し土産買って向かったのが、この施設の奥にある恋人岬。

野郎三人で行く場所ではないが、そこは物見遊山成らぬ遊岬。絶景であることには変わりなし。初秋の日本海の海風を浴びた。

今回は商社マンの言葉が面白かった。この地の柵に、土肥の恋人岬同様に南京錠を恋人同士はかけているが、売店で売っているハート型のプラスチック板に甘い言葉を書き、吊してある。それを見て商社マンは、
「この内、8割は別れているだろうな。」
そういいながら、持っていたポストイットに「他」の文字を書き、写真の案内板の「恋」の上に貼った。

おりからの海風に数秒耐えて、紙は飛んでいった。

鮎沢パーキングエリア

2011-09-16 10:28:16 | Weblog
東名高速を東京から下ると、秦野中井を過ぎた辺りで4車線になる。以前の渋滞のメッカ、都夫良野(つぶらの)トンネルを上下線使い、今は左ルート、右ルートと分かれているのである。ちなみに現在の上り線は新たに3車線道路になっている。

その左ルートに鮎沢パーキングはある。写真はそこから見た富士山である。右ルートを行くと以前の上りの鮎沢パーキングの廃墟が拝める。

鮎沢パーキングでは自家製カレー頂いたが、満足した。

夏の富士山は登山のイメージだが、写真のように雪を抱いていないと気持ちが理解できる。神秘さが薄れるのであろう。どうしても雪を抱いた神秘な山のイメージは、関西出身者には拭えない。

この日は御殿場の新しい客先を訪れたが、道を上って行くと、白い客先の向こうに雄大な富士山で、思わず持って行ったデジカメに風景を納めた。

次は雪の残る初春に行きたい。そのためには仕事を作らないとと思った。

ちなみにこの日は帰り、中央道回りで帰宅したが、ずっと天気良く富士山に沿って走った感じで、感覚的に「得した」感じだった。

たまにはいい日もあるものだ。

文化住宅

2011-09-13 08:59:40 | Weblog
大阪特有の住まいである文化住宅。落語によく出てくる長屋(長家)と思って頂いていい。庶民的民家である。

もちろん今だにあちこちに健在で、まだまだ近所付き合いある、良き歴史的住まいだ。さすがに若い世代はいない。お歳を召された方々が、寄り添って住んでおり、協力しあっている。

成り立ちについては諸説あるが、正直、数をこなすにはどうすればいいかの大阪的合理性だろう。縦に長く、入口か裏勝手口に台所があり、だいたい3部屋くらいが縦に並ぶ構造である。たぶん、京都もそうだが、間口の広さに寄って税金かけられたことが古くにあり、その名残でうなぎになったかもしれない。

我々が子供の頃は、ちょうど核家族化が始まった頃で、大阪では盛んに文化住宅が作られた。もちろん2階建ても存在したし、アパートの原形と考えてもよいと思う。

プライバシーの概念は当時あまりなく、向こう三軒両隣、醤油や味噌を借り合う仲の時代であった。

我が家は文化住宅の隣の一軒家で、その文化住宅の人達に風呂を貸していた。いつも声をかけに行くのが私の仕事だった。

やはりプライバシーが優先される時代なのだろう、震災後の仮設住宅の方が文化住宅よりしっかりしているように見える。たぶん仮設といいながら、半常設住宅に見えてしまうのは、そういう大阪の人々の生活見てきているだけにしかたない。

上を見ても下を見てもキリがなく、妥協点の設定でしかないと、私は見ている。

節電その後

2011-09-10 10:10:39 | Weblog
かなり暑くなった昨日11時現在の東京電力の電力消費量は、供給能力の70%と表示されていた。

昨日で9月23日までの予定だった電力使用制限令は解除された。東京電力管内の人々の努力で、大規模停電は免れた。

ちなみに車両や弱電企業で行われている、木金休み土日出勤は23日まで予定通り行われると、担当会社にうかがった。このまま行くと私の危惧は杞憂に終わり、ウィンターシーズンも通常営業になりそうだ。

私もそうだから、同じ人が多いだろうが、無駄な電気を消して回る癖がついた。それは家計にも直結する。

すなわち節電の習慣が各人についたに他ならない。銀座を週末歩いたが、震災以前に比べて少し暗いものの、かなり回復したは栃木の方の言葉ゆえ、有力だろう。無論、夜の電力はもとより心配なかった訳ではあるが。

この次は以前から訴えているように蓄電設備である。商社の方々においては結構意識あり、既に動き始めているようで、心強い。

自己防衛の最先端であり、今回わかったリスクマネージメントの中心であるがゆえ、どんどん進めて頂きたい所存だ。


(写真…節電理由で消されている、コーヒー自販機の画面。どれほどの電気を食うのだろうか。他にすることがありそうな気がするが。)

野田内閣

2011-09-07 08:45:21 | Weblog
★バランス感覚は国民だけでなく、政治家にもあった。正直感想はそれだけ。海外には全く理解できない結果だったろう。

★雪だるまは暖かいとすぐに溶けるし、ドジョウは冷たい豆腐に潜り込む。寒さが似合う人なのかもしれない。

★黙々と携帯メールを打ちあっていたらしいが、秘密好きの職業らしいと馬鹿馬鹿しく思った。

★無駄遣いを大幅になくしてくれるなは増税には賛成する。被災地救済絡みの値上げだったはその結果を踏まえてであって欲しい。

★驚くような代表選出なのだから、驚くような人事をして欲しいと思っていたが、こぢんまりとした感じがする。岡田に対して体裁取ったのは評価する。多分次にあるかもしれない。私が責任を持つと言って、しっかり人物の下調べをしたのだろうか。既におかしなことをした人を配置しているとてぐすね引いている輩もいる。政治家にまともな人がいないと言ったらジエンドだ。小さなことでのほじくりあいはやめてほしい。

★もちろんしっかり判断してほしいのは、食べられる食べられないの部分。オーバースペックなのかどうかの判断であろう。安全第一と言っても、この期に及んだらぎりぎりの安全確保でよく、もっと言えば、大人は大丈夫、子供はやめた方がいいの区別をしてもいいと考える。

★二匹目狙っている人は既にいるな、間違いなく。


(写真…国会通り)

デコイチ

2011-09-04 22:14:09 | Weblog
しなの鉄道御代田駅近くに保存されている蒸気機関車D51形である。

一般には「デゴイチ」。知り合いの国鉄時代の職員もそう呼んでいたとの話しだが、鉄道マニアには「デコイチ」の通称である機関車だ。

千両以上作られ、全国だけでなく、ソ連や台湾でも走った世界レベルのSLであった。かなりの製造記録は残されていて、その辺りはウィキペディアが詳しい。

生まれてから二十歳過ぎまで、貨物線のそばで過ごし、気分的には枕元をSLが走っていた。それに1円玉を轢かせては、保安員や親に叱られたのが思い出である。

もちろん重連も見たし、単走も見たが、イメージとしては、貨物車や石炭車などを引き、長い編成で後部に車掌車に乗る車掌が手を振るイメージである。

北関東では最近夏に観光用として運行されているが、人気は不動のようだ。運行に際しての検修や運転士の養成が大変であり、ぎりぎりで回していると何かの本で見たが、これから増える要素のものではないので、ハード、ソフトとも維持が難しい状況のようだ。

写真のD51は787号機で汽車製造で作られたものだ。現在全国にこの型だけで178両が保存されており、あちこちで歴史を伝えている。近くにもあるだろうから一度触れてみてほしい。日本が元気になって行く時代を担った汽車ゆえ、感じるものがあるはずである。

東京復活大聖堂

2011-09-01 14:13:41 | Weblog
東京御茶ノ水、神田駿河台にある1891年竣工した日本ハリストス正教会の首座主教の聖堂である。通称はニコライ堂。今、座しているのは1923年に修復されたものだ。

最近で話題になったのは乳癌で38歳の若さで亡くなった歌手、川村カオリの埋葬式が行われたことと、NHKのタモリが真剣に取り組む「ブラタモリ」で、初めて内部を放送したことだろう。後者は珍しく見ていて、鐘を突いていたのが印象的だった。

戦前は広範囲から望めた建物で絵葉書にもよく採用されていた。有名なのは愛宕山からの写真絵葉書や上野駅からのものである。近頃では、日大などの高層ビル群に囲まれ傍に行かないと見られないが、古を偲ぶのにはもって来いなので、東京観光の際は立ち寄ることをお勧めする。さだまさしが歌にした黄色い総武線、赤い中央快速線が止まるJRの御茶ノ水駅、聖橋口から歩いて1分の距離にある。もちろん観光のセットには学生街の安くて旨い食事と、宗教感の薄い方なら湯島聖堂、神田明神を、さらにサッカーミュージアムをセットでお勧めする。