私色のシンプル感謝道(みち)!

『ありがとう』を忘れなければ、
寄り道・回り道もきっといい思い出になるはず。。
臆することなく人生を楽しみたい♪

知らなかった・・・。

2009-05-31 11:46:15 | Weblog
来月の24日に伊雑宮の御田植祭がありますね。
昨日お出かけした時に何気なく掲示板に貼られていた
ポスターが目に入りました。
広田神社での御田植神事が31日にあるらしい!!



廣田神社は、神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を教え、
皇子(第15代應神天皇)のご懐妊を告げ、安産を守り、
軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた
天照皇大神荒御魂の御神誨により、御凱旋の帰途、神功皇后により
武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に御創建された
ことが、我が国最古の国史書「日本書紀」に記されている兵庫県第一
の古社です。(広田神社HPより)



御祭神は天照大御神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)
御祭神の御名を撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつの
みたまあまさかるむかつひめのみこと)です。



広田神社には何度か参拝に行った事がありますが、御田植神事を
やっているのは今年初めて知りました。


気になって色々調べてみてわかったこと。

『500年以上の歴史のある県下随一の田植神事。たびたびの中断を経て、
平成11年に再復興した。御幣・早苗を授ける神社での神事の後、
参道を通り御饌田へ到着する物忌童女・早乙女・田童・田長・立人・
田人など歴史装束行列がある。能管独奏・民踊・吹奏楽・ヨサコイ踊り
などの芸能が繰り広げられる中、実際に手植えで行われる。』
中断されていて最近復活した神事のようでした。


http://www7.ocn.ne.jp/~atsu-to/z_otaue.htm



ここの神社は以前は斎宮もいらっしゃった格式の高い神社のようです。
気づいてみれば、伊勢・白山以外にも自分の近所で厳かにひっそりと
その土地の神社を守るための神事を続けてくださっている方々が
いらっしゃるのですね。



本当にありがたいと思いました。
また暇なときに御神田の稲の様子を見てこようと思います。



今日は広田神社の写真です。








血はあらそえない(-.-;)

2009-05-30 01:45:00 | Weblog

27日の伊勢白山道のブログのコメント欄で、読者の方の
コメントに他人に迷惑をかける人に無性に腹が立って
しょうがなく、とうとう注意を通り越して激怒してしまいました。
というのがありました。



『うわ~(汗) この人もそうなんや~^^;;』



実はわたくし超がつくほど気の短いところがあります。
ナイショナンデスケドネ・・・
人が理不尽な目にあっていたりすると、自分に関係なくても
メッチャクチャ腹が立つのです



自分のそういうところがあまり好きではありません。
とにかく一旦火がついたら自分の損得も、後先の事も考えず
怒って注意してしまうのです。怒られた相手の方は、何故
私にそんなに怒られないといけないのかわからないことが
殆どのようです。相手にしてみたら、『何の迷惑もかけていない
あなたに言われたくない』って思うのは当然の事かもしれません。



亡くなった私の父親もそうだったそうです。
父が亡くなった後に父の友人が訪ねて来て、話してくれたんですが、
昔、彼と父親が同じ職場で働いていたときに、上司が彼に対して
嫌がらせのような理不尽な仕打ちを続けていたそうです。
それを見ていた父親が、見かねてその上司をシメたらしいです



私が生まれてからは家族に対しては超気短な父でしたが、
他人に対して仏様のように温和に接していたので、そんな事を
するなんて・・・と正直驚きました



それからは、上司は彼に対しては待遇がよくなり、ちゃんと昇給
もしていたそうですが、父親は万年昇給無しで、安月給のままだった
のに、自分の事だと文句一つ言わなかったそうです。



彼は50年以上その事を恩に感じてくださっていたようでした。
父が亡くなった後で私の知らなかった父の一面を知りました。
それと同時に、『私の性格って・・・父親の血だったんだ』
と遺伝のおそろしさを知ったのでした~



話は戻りますが、先ほどの読者の方にリーマンさんが応えて
いらっしゃいました。


『相手の為の、愛情からの注意と(気持ち上でね)は、大事です。
愛情深い人ほど、怒りますよ。』


私の場合これに当てはまるかどうかはチョットびみょ~だけど、
(何せヘナチョコなので^^;;)まんざら悪い事でもないのかしら~
なんて言い訳がましく自分の欠点に納得したパオパオであった


      ↑
 なぜかここが黒文字にならない (TωT)


選択の自由に干渉はできません。(TT)

2009-05-26 14:07:07 | Weblog
経営しているお店に私が小さい頃から来られている長い
お付き合いのお客様がいらっしゃいます。


同じ市内に住んでいらっしゃって、確か一人息子さんが
いらっしゃったと思います。私が学生の頃はとても朗らかな
明るいイメージの方でした。それが、いつの間にか、様子が
変わっていきました。だんだん神経質になられて、初めは
ご自分や家族の為に商品を購入されていましたが、ある時から
ある他人の方の為に頻繁に買いに来られるようになりました。


そして、そこに郵送する時に、必ずその方の名前の敬称を
『先生』と書くように毎回言われました。
よほど先生と書かないと具合が悪いんだな~と思ったものでした。


何年かするうちに、そのお客様は顔色も悪くなり、欝状態に
陥ってしまいました。その時初めてその方がいつも商品を
送っている相手の『先生様』が霊能者だとその方から伺いました。


相当な金額のお金をつぎ込んでいたようで、とうとう息子さんにも
迷惑をかけるようになってしまったようでした。


伊勢白山道を知る随分前でしたが、見ていられず、その方と縁を切って
御自分の家庭を大切にするように言いました。そして、その時、うちは
その方に売る商品はありませんので、頼まれても送りませんとまで
言ったのですが、彼女は離れるのが恐ろしいと言いました。


離れたらひどい天罰を下してやると脅されていました。
彼女は洗脳されていて恐怖でどうにもできないからやめられない
とおっしゃいました。私は仕方なく引き下がってそれ以上何も
言いませんでした。それからは商品を買いに来なくなりましたが、
私が売らなくても他で似たようなものを購入して送り続けていたよう
でした。


その方から久しぶりに今日お電話がありました。
注文はやはりその先生の為のものでした。どうやら、その先生は
ひどい病気にかかって寝込んでいるそうです。治療費も彼女や
取り巻きの数人の信者が負担しているようでした。
先生のご指名でうちの商品がどうしても欲しいと言ってきました。


私は今回は素直に注文を受けました。彼女はいつも先生に商品を
送った後代金を支払いに直接来られます。
かなりの洗脳でがんじがらめになっているのでどうなるかは私
にもわかりませんが、彼女に伊勢白山道の4冊目の本を購入して
プレゼントしようと思っています。


たった一度の縁を示すこと。
私にはこれしかできませんが、後はそれを受け取るか否かは
彼女の選択だと思っています。勿論どうにか線香供養だけでも
初めてくだされば・・・という希望はありますが、この世はみな
平等に心の選択の自由があります。悲しいかなそれに無理やり
干渉する事はできないのです。



   生かしていただいてありがとうございます

たんたんと続ける線香供養!

2009-05-24 02:02:12 | Weblog


線香供養を続けることがいかに大変なことか。。



苦しみもがきながらも供養を止めずに続けられるのは
ご先祖様を供養していくご縁を持って生まれてきたって
ことなんだろうと思います。。
自分が苦しい真っ只中にいるのにご先祖様に思いやりの
気持ちを持って供養を続けるのは並大抵なことではない
と思います。



苦しむ事が無さ過ぎても供養はなかなか続きにくいものです。
その状況に置かれていることがいかにありがたいことなのか・・・
苦しみや悲しみを経験せずにそれに気づくのも至難の業だと
思います。



そんな状況の中で、供養を続けられる。はじめは気持ちもなかなか
伴わず、形だけのものかもしれません。私なんかはいまだにその
状態から抜け出せずにいるのかも・・・



そんな私も一応1年以上線香供養を続けています。
このズボラな私が旅行で家を空ける以外線香供養を欠かしたことが
ないなんて・・・はっきり言って私自身が一番信じられません~



今日伊勢白山道のコメント欄で、しばらくお姿をお見かけしなかった
方が就職先を見つけて、これから新たな一歩を踏み出されるという事
を知って、なんだかとても嬉しくなりました。



その方とは殆ど言葉も交わしたことありませんが、目頭が熱くなる
ほど嬉しかったです。
大変だった事も乗り越えて、自分自身の心の葛藤も乗り越えて、
そして今があるのかもしれません。



線香供養。これを続ける事がいかに大切な事かたんたんと私たちに
説き続けてくださったリーマンさんが意図しているものが少し
わかった気がします。



線香供養を続けたものだけがわかること。
言葉で言い表せるものでは無いのでしょう。
私はまだまだわかっていないのかもしれないけれど、
この一年を振り返ると案外色んな障害を知らず知らず
のうちになんとか乗り越えてきてたんだな~。



生かしていただいてありがとうございます



ヘナチョコからの脱出を夢見て!

2009-05-23 10:31:41 | Weblog



今日の伊勢白山道ブログのタイトルが
『自分自身を見捨てるな! 』でした。



毎日感謝想起や線香供養を続けていても、生きている
限りは色んな災難や嫌な事も降りかかってきます。



私の場合はよくよく考えれば殆どが自分が起こした
言動が原因だとわかります。多分100%そうなのだと
思います。



以前はそんなことすら気づかなくて、何でこんな事に
なるんだろう?と疑問に思うことばかりでした。



モチロン私自身が自分の言動について、無関心で、
無意識で悪気なくしていたので気づきにくかったと
言う事もあったのかもしれませんが、もう一つの
理由は、自分の作った『因』に対して『果』として
戻ってくるのが早くなったせいかもしれません。



逆に言うと、気づいた時点で上書き修正すれば、
その効果も戻ってくるのは早いという事になるのかも。。



毎日自分の『心の癖』と葛藤して、悪い『因』の芽を断つ
努力も必要なのかなって思います。
それと同時に気づいたら『上書き修正』の癖をつけたほうが
良さそうです。



先日リーマンさんが『流れが変わりました』とおっしゃって
いましたが、鈍感な私は『そうなの~!?どういう風に??』
程度にしか思っていませんでした。



それからまだ数日ですけど、どう変わったのか知りたかった
ので、自分の様子をいつもより事細かに観察してました。。
今までの自分の癖・習慣で直したいと思っていたことが原因で
滞っていたものを無理やりしないといけない方向に持って
行かれてるような気がしてます。しかも急激に強制的にそう
なってきています。



正直ズボラな私にとっては、結構大変で辛いです
ただ、これを克服しないと自分の成長もここでストップして
しまうような気がして。ある意味、今が自分を見捨てて
諦めて現状に甘えてしまうか、今を良いチャンスと思って
自分の良くない癖を克服して一歩先に進んで行くか。。。



現状に甘んじて努力せず誰かに依存するのも自由。
辛くてもこの流れの変化で戻ってくる自分の『因果』
次へのチャンスとするのも自由。



ヘナチョコからの脱皮を夢見て頑張りたいと思います



急がば回れ。

2009-05-21 01:25:55 | Weblog

今日の伊勢白山道リーマンさんのコメントで気になったコメントが
2つありました。



『観た形象に拘ったり、意味を詮索しては駄目です。
意味が無いのです。

過去は過去。今は今。
絶えず霊性は変化します。上にも下にも。
他人よりも自分の心に関心を持ちましょう。』




『根源神=あなたの心に居ます。
これを知るには、神霊への祭りと感謝が効果すると言う
言語表現できない事があります。
最高神を預かる故に、分神たる神を求めて知るのです。』

(伊勢白山道ブログ『不要なハンディを憑けない事』 
                 2009-05-20 コメント欄より) 





今の自分の状態、色んな気づきや感覚に理由を求めたり、
答えを求めたい気持ちは誰でもあると思います。
その気持ちが悪いなんて思いません、私も興味あります。




求める方向性が、人や外に向かう事さえ気をつければ・・・




結局答えは自分の中にあります。そして、それを見つけられるのは
自分自身です。自分の心鏡と共に自分の霊性も上下する。
常に変化しているものだから、自分の心の動きから目を離さないよう
気をつける努力はしているのですが、うまくいってるのかどうか・・・
ヘナチョコパオパオには油断は禁物です~




神様は自分の内に内在神として宿っていると私は信じています。
日本は八百万の神が御座す(おはす)国です。
その神々を全て含んだ根源神の分霊を預かっているのが私たち
人間だとしたら、自分の内在神の事だけ考えて自分の良心の
赴くままやるべき事をたんたんと続けていれば、自ずと答えは
見えて来るのではないかと私は考えています。




道の過程を飛び越えて結末を知ろうと人に意見を請うても、
結局歩く道の距離は縮まらない事を経験から知りました。
所詮はみな別々の道を歩んでいます。何事も鵜呑みにしないで
参考にさせていただいて自分流にアレンジするのが良いかも
しれません。




ただただたんたんと。。いつゴールが見えるかわからない
道のりも一歩一歩進むしかなさそうです。
『感謝想起』と『線香供養』と共に。。




最後の感謝。

2009-05-19 22:03:49 | Weblog


10日ほど前の事です。
遠い親戚の伯母が97歳の大往生で亡くなりました。
彼女は私の祖母の従姉妹に当たる方です。



私がはじめて彼女に会ったとき彼女は80歳を過ぎていました。
父から見ても伯母さんなので、相当年老いたおばあさんらしい
女性を想像していましたが、私の目に飛び込んできた彼女の姿は
とってもハイカラで華やかで、とてもお若く見えました。



彼女は勉強熱心で、何にでも興味を持っては即行動を起こすとても
活動的な方でした。それはそれで、ご家族は大変だったと思いますが。



数年前私が先祖供養を真剣にはじめたとき、戸籍を取るのと同時に、
先祖の事を少しでも知るために、昔の事を知ってる方に話を聞きに
色んな所に出向いていきました。
その時に彼女に大変貴重な昔のお話をうかがうことができたこと。
それから、私の知らない血のつながった親戚も紹介してくださいました。



その親戚は私の家の目と鼻の先に住んでいました。先祖代々、そこに
住まう一族だったようでした。そして、その一族のお墓参りも果たす
事ができました。ビックリした事は、そのお墓。学生の頃に、毎日
通っていた通学路の電車からよく見えました。



その当時、そのお墓が妙に気になって毎日のように眺めていたのを
その時初めて思い出しました。何故あんなに気になっていたのか・・・
まあ単なる偶然だと思いますが~



あの時、ご先祖様の事をあそこまで調べる事ができたのは、亡くなった
伯母のおかげでした。私はとてもエネルギッシュで自分を生きて輝いて
キラキラしている彼女が大好きでした。



伊勢白山道を知ってからはじめてのお葬式でした。
私はひたすら彼女が生きてくれたこと。私とご縁があったことを
心底感謝しました。葬儀が執り行われている間中、ただただ
彼女に感謝でした。



彼女の遺影はいたずらっぽい目をして、
思いっきり幸せそうな笑顔で輝いていました。
『私は97年間思いっきり生き切ってやったわ!』と・・・
彼女の声が聞こえたような気がしました。



大好きな人とのお別れは確かに寂しいし辛いです。
だからこそ、思いっきり感謝の気持ちで送ってあげたいと思いました。
一生懸命生きて来られた故人を感謝の気持ちでお見送りする事がいかに
大切な事なのか。。あらためて考えさせられました。


  生かしていただいてありがとうございます


当たり前の幸せ!

2009-05-19 01:15:00 | Weblog

今日仕事(本職)に行ったら、母親が珍しくマスクをしていた。



「どうしたん?マスクなんて・・・」



母親が言うには、向かいの家に住んでいる小学生達が学校閉鎖
になって、家から一歩も出てこないらしい。



お隣の奥さんも保育園で給食のパートをしているが、保育園が
休園になって一週間仕事がなくなったそうだ。。。



どうやら実家の街にも患者が出たらしい。



夕方パートの職場に向かうと、みんなマスクをして働いていた。
なんでも、お客さんからマスクしてない人と接触するのは嫌だと
言われて、お宅のような大企業がマスクも着用しないなんて
おかしいとまで言われたそうだ。



みんなとても神経質になっているみたい。。




潜伏期間に大した症状が出ないので、その間に広がってしまう
ようだ。私の職場はそんな自覚症状がない高校生などが集まりやすい
超危険地帯だ。 気をつけてもかかるときはかかるだろう。。




その施設で働いてる人は何千人といるわけだ。あまり沢山患者が
出たら、閉鎖する可能性もあるらしい・・・



私のようなパートは働いた分しかお給料はない。
毎日当たり前のように健康で働く事ができるのがいかに
ありがたいことか・・・ 今思い知らされている。



今はとにかく健康で仕事がある事に感謝しよう。
明日は職場にいけなくなるかもしれないが、それもまた
普段の有り難さを思い知る良いきっかけだと考えよう。



明日も元気で働く事ができますように・・・
この当たり前が一番の幸せなんだな~



たった一言で充分!?

2009-05-16 22:31:14 | Weblog



リーマンさんの『森羅万象1』がもうすぐ発売です!
これからも新しい読者の方が伊勢白山道のブログを
訪れ、コメント欄もより一層賑わうことだと思います。



伊勢白山道のブログも3年目に突入し、ほぼ毎日更新
されていますので、過去記事を遡って読んでいくのは
相当な時間と労力を要する事と思います。



新しく登山者になられた方の質問や、それに対するコメント
などをよく目にします。新人さんのさまざまな質問に、
それに対するセンパイ方のさまざまな反応。。



私自身ヘナチョコで、大したことが言えないのでいつもダンマリ
決め込んでいます~



人にはそれぞれ考えや意見があります。
新しく登山をされる方は長きにわたってリーマンさんの
ブログを読み込んでこられた方の中では常識的な内容でも
知らずに質問されたり、疑問をぶつけてこられる事もあると
思います。



でも、そういう事を繰り返しながら登山者が増え、5%に
近づいていく過程なのだと思っています。



今から学ぼうとする方に難しいことを押し付けても仕方ありません。
そういう方たちへのアドバイスは色々あっていいと思いますが、
本来は一言で充分ではないかと思っています。



『感謝想起』と『線香供養』をとにかく続けてみてください。
・・・と。他のアドバイスはなにも必要ないんじゃないかって
思ってます。なぜなら、それらの実践を続けているうちに、
自分自身の力で色んなしこりが溶けていくでしょうから。。



他者からのアドバイスもとても大切なものです。
しかし、それらも自分がそのアドバイスを理解し、受け入れる
土壌がないと無理だと思うのです。全ては自分です。
自分で溶かして理解していく事が一番のオリジナルなような
気がします。



そうなってきたとき初めて人の言葉が自分にしみ込み、
そこから気づきも得られるようになるんじゃないかと思います。



5%運動も、登山者さんへも、たった一言のアドバイスと
一度の縁を示すだけで充分なのかもしれませんね。
後は本人次第です~



過信は禁物?

2009-05-14 23:05:00 | Weblog


『天は自ら助けるものを助ける』と言います。



『感謝想起』と『線香供養』をたんたんと実践していく事で
家系の霊線はきれいに掃除されて私たちのご先祖さまに対する
感謝の想いが届けば届くほど、ご先祖様からのご加護も強く
なると言うのはそのとおりなのかもしれません。



零脳の私には線香供養をしてから自分の心持ちこそは変わりましたが、
特別守りが強くなったとかそんな事は全くわからず・・・
チンプンカンプンでございます。


今まででも要所要所どん底から何とか這い上がれた事自体が
ご先祖様のご加護だったと思い込んで生きてきました。
今も色々とありますが、以前に比べて動じなくなったせいか、
心穏やかに生活させていただいています。



なんのために先祖供養をしているのか・・・。
先ほど申したように、もうダメ・・・どん底・・・と諦めかけた
時にいつも現れた一筋の光をご先祖様のお導きと勝手に
思い込んで感謝しておりましたので、まあ言えば、その
恩返しをしているつもりなのです。。



ご先祖様が喜んでくれる上に、家系の霊線が綺麗に掃除されて
自分と内在神が繋がるなんて、自分にとってもいいことです。。。
これははっきり言って私にとっては『棚からぼた餅』です!



では霊線が綺麗になって内在神が発露し始めたり、ご先祖様の
守りが強くなったらどうなるんだろう・・・



よくよく考えましたが、私の生活自体が変わる事はどうもなさ
そうです(^^;;
これからも苦しい事や悲しい事が次々とやってくるでしょう。
親しい人、愛する人との別れも、線香供養をしたからと
言ってなくなるわけではありません。
人間には寿命とか色々ありますから。
逃れられない自然の摂理に従って私たちが生きている限り、
いくら感謝想起しようともその事実はやってきます。
何にも変わらないのです。



『線香供養』や『感謝想起』を実践する事で、勿論良い手ごたえを
実感する事はあります。ただ、私のようなお調子者のおバカさんは
いつも注意して肝に銘じておかなければならない事があります。



これさえしていれば、100%ご先祖様や神様が守ってくれるなんて
都合のいいものはこの世には絶対に無いということです。
どこかの教祖様の言うとおりしていたら絶対に助かるとか、この
お守りを持っていたら必ず願い事が叶うとか・・・



私は『感謝想起』や『線香供養』もこれさえ実践すればご先祖様
の守りを得られるとかそういう依存の種にはしたくないな~と
思っています。



可愛い子孫が苦しんでいる時に手助けをしたくないご先祖様など
いないでしょう。みんな助けたいと思います。私の勝手な考え
ですが、例えばそこで私がその問題を解決する直接的努力をせずに、
感謝想起と線香供養に頼っていたらどうでしょう・・・
いくらご先祖様でも努力のない人間に無条件で手助けをする事は
できないような気がしています。



実践している供養を過信しないようにしないといけませんね~。
せっかく待機してくださっているご先祖様もこちらの受け入れ
準備が万全でなければ何もできずに立ち尽くすしかなくなって
しまいそうで・・・



『天は自ら助くるものを助く』 

・・・そして『自ら助くる努力をする者のみご先祖様も助く』




長文を読んでいただきありがとうございます