散歩しよう。

気ままに写真&気ままに楽しみます。
良い写真が写せたら良いな!!

赤詰草・白詰草

2006-05-22 | Weblog

☆幼子の白詰草の首飾り     はる   
☆道端の赤詰草に朝日さす
    この時期には何時も懐かしく思い出すのはこの花、赤詰草


母の日記より抜粋(82歳)

2006-05-18 | Weblog

『母の82歳の時の思いを』(1)


父と母は北海道へ行くとき父の妹と三人で記念に撮したものと思われる
婚約当時の父と母、隣は父の妹
北海道での生活・馬そりに乗って
北海道の生活・雪道は馬そりを使って買いだし


そろそろ母の書き残してあった古いノートの82歳の時の日記をPCへ
整理してみた。PCは本当に便利である、母から見ると孫になる私の
子供もお世話になったので何時かおばあちゃんの事を思い出す日もあ
ろう。今でなければ残して置いてあげられないと思うので、ポチポチ
と整理しておこうと思ったのである。
母もきっと忘れてしまったことを一生懸命思い出して、頭の体操と思
って綴ったものであろうと思う。(娘記)


  1988年1月1日   ( 金曜日)
穏やかなる元旦なり、82才を迎え今年は日記に我が生涯を毎日少しづ
つ思いだして綴って見ようと決心する。これが果たして何時まで続く事
か三日坊主にならないようにと思う。
明治39年2月26日上田にて出生、四才にて常入幼稚園に入園7才で
上田尋常小学校入学・大正7年4月上田の女学校へ入学、三人娘だった
平林君子さん、よし路さん、と自分の英、 君ちゃんは横須賀に嫁いだ
いつ子ちゃんと同居70才半ば他界、よし路さんは一生涯独身をとうし
他界、我のみこんなに長生きしてしまった。

  1月5日   ( 火曜日)
一日中曇り憂鬱な日なり。こんな日は書くべし、書くべしでペン取っても
気分がのらない。函館の温泉で一泊して旅人と別れ、汽車に乗り「諸こつ」
という駅に着いた。主人が北海道の防寒支度にて迎えにきていた。
到着駅は「滝の上」どちらを見ても、美しい白銀の世界でした。夕暮れ
だったので旅館にて一泊する。旅館の女将さんは、とても親切にしてくれ
今はどうしているのか、懐かしさがこみあげてくる。明朝、山下さんが馬
そりで迎えに来てくれた。

  1月6日   ( 水曜日)
今日も一日中寒く訪れる人もなく愛犬(チャミー・クッピイー)と会話・・
さて、私たちの住んだ所は滝の上市街より、約九里山奥にて、三里山に
入るごとに学校があった。滝西国民学校があった所は、郵便局・お店も
あり町であった。三里ごとに分教所があり主人の勤務する所は一番奥の
分教所であった。

  1月7日   ( 木曜日)
気分転換に美容院へ行って来た。前の頭髪が薄くなり先生に毛の生える
美容液を進められた。今日は七草の日にてナズナの粥をいただいた・・・

  1月10日   ( 日曜日)
迎えに来てくれた山下さんは小柄であるが、肥えた雪焼けした健康そうな
人であった。初めてソリに乗り雪の原野を走り滝西小学校正午に着き、
校長夫妻が心よく迎えてくださり、ご馳走に預かり一泊する。滝の上で買い
物をして翌朝、又ソリに乗って白銀の中を走る。


  1月13日   ( 火曜日)
穏やかな一日であった。
あんかを入れた馬そりに乗り、どんな山の中へ行くのかと心細い心境なり。
郵便配達の先崎さんの家にて一休みする。その時馬そりから落ちて、雪の
中にもぐってしまい恥ずかしい思いをした。(その後、先崎さんのお嬢さん
にお裁縫を教え、その時、馬そりから落ちた話で盛り上がる。)
それから一里程行った所に滝南文教所があり、休憩する。名前は忘れてし
まったが、心よく迎えてくださり親切にしていただいた。出発するときは、
日は暮れて、私たちが住む学校へ着いたのが、夜の八時頃、熊が出没する
とのこと鈴をシャンシャン鳴らしながら、飛び飛びの家に明かりが灯り寂
しい山の中でびっくり仰天・・・・・住居は文教所とつながっていて畳半
丈のストーブがあり太い薪を入れてもやした。山下さんの奥さんがヤマメ
のお料理をつくって持ってきてくれ美味しかった。

  1月15日   ( 金曜日)
成人の日、雨の予報であったが暖かい日に恵まれた一日・・・
朋子ちゃんの成人式 美しく飾ったすがたが目に浮かぶ一生の思い出であ
ろう。私たちの時代には成人の日はなかった。

  1月16日   (のち 土曜日)
文教所の一夜が明けた。雪は大変なもので雑木の枝が雪の上からチョコン
とでていた。これからここで暮らすのかと思ったら上田の事が思い出され
てならなかった。翌日から学校生徒が三〇数名、ソリで来る生徒、スキー
で来る生徒、まことに元気な雪焼けした元気な生徒であった。

  1月17日   ( 日曜日)
テレビにてチベット登山隊の一人が死亡 風速強く頂上に行く事出来ず
下山の途中とのこと。

  1月18日   (強風 月曜日)
今日の句会は体調悪く欠席する。
登校生は三八名、主人と私で教えることになり、私は国語・地理・裁縫
を受け持つことになる。生徒達のお弁当は、蒸かし馬鈴薯・南瓜であった
私も生徒さんからいただき、とっても美味しかった。実に純真・純朴な
子供達ばかりで可愛かった。

  1月19日  (  火曜日)
暖かい一日、手川さん遊びに来る。雑談して気分転換になる。

  1月20日   ( 水曜日)
手川さん宅で民謡を教えていただき、声をだす事も運動である。
書きおくれたが、私たちの住居には電気がなくランプ生活であった。
毎日降雪にて窓が隠れてしまうほどの、積雪には実に驚きであった。
生徒はスキー、馬そりで登校し元気である。

  1月22日   ( 金曜日)
手川さんへお邪魔して、お茶をいただく。
北海道の生活は、毎日雪降りにて遊びに行く事も出来ず、毎日が読書
にふける。新聞は一日遅れの配達となり、郵便屋さんの来るのが楽しみ
となり手紙が届いた時は本当に嬉しかった。野菜の貯蔵は雪のなかへ
埋めておく(今の冷蔵庫変わり)。野菜は農家の方にいただき、大きな
鍋で大根、南瓜、馬鈴薯を煮て大切にして、美味しくいただいた。
生徒は南瓜をよく食べるので手のひらが黄色くなっていたのには驚きでした。

  1月24日   ( 日曜日)
智くんの結婚式。千鶴子、朋子、私三人で上尾の結婚式場へお祝いに行く。
盛大な結婚式であった。若いカップル誕生・おめでとう。木村さんにきて
もらって帯を結んでもらった。本当に助かりました。その夜は興奮のあまりか
眠れぬ一夜なり。

  1月25日   ( 月曜日)
雪の生活も慣れて雪解けが始まる。どこへでも自由自在に歩く事が出来る
ようになった。目覚めると小鳥のさえずり、うぐいすのさえずり何ともい
えないのどかさ心もはずむ。モンペの作り方を教えてもらい初めてはいて
子供達と裏山で、休み時間にソリに乗り遊んだ。

  1月26日   ( 火曜日)
北海道にも春が訪れ、川の名前は忘れたが上流に行くと、山女魚イワナが
釣れるとの事、日曜日には主人と釣りによく行った。
女の私にも半日釣っていると、100匹は釣れた、まこと嘘のようであった。
熊の現れそうなところなので、鈴を鳴らしながら歩き、蕗は我が背丈ほどに
て驚くことばかりでした。村の人達に若先生夫妻が、釣りをしているという
事が噂になり、帰って来ると炭火をたいて待っていてくれた。釣った山女魚
を串にさし焼きかたを教えてもらった。乾燥魚にして故郷へ沢山送った。
美味しいので喜ばれたものだ。

  1月27日   ( 水曜日)
プラザの老人会、民謡・カラオケ・詩吟・色々の芸が鑑賞でき楽しい一日
でした。山本さん、手川さんと一緒にて、山本さんはご機嫌なり。明日は
安楽寺にて句会なので早く休むことにしよう。

  1月30日   ( 土曜日)
眼科(大宮西口)へ白内障のお薬をもらいに行く。大成町の新井宅を訪ね
たが留守にて帰宅、帰って来たら千鶴子の友達、一井さんよりふわふわの
セーターいただき、うれし涙なり。

  2月1日   ( 月曜日)
民謡のお稽古、雑談多くこれも気分転換なり~~~この頃は老化がひどく
字の忘れがはげしい事。

  2月2日   ( 火曜日)
さて記憶をたどることにしよう。
五月に入りようやく雪が解け農家は忙しくなる。熊笹が一面なり、畑はと
ても広く実に驚けり。馬鈴薯・トウモロコシ・大豆の種蒔きが始まり農家
の人は、大忙し、馬鈴薯切りを手伝ってあげたら喜ばれた。私達もキャベツ
トウモロコシ・南瓜・作ってみた。六月半ば滝西国民学校まで運動会に参加
した。往復二〇キロ歩き疲れも感じなかったものだ。