木の下で話しましょう

ソトコトとは、木の下で話しましょう、というアフリカ語源の福祉用語です。

こちらも命がけです。

2020-04-30 | 社会

御子息が開業医で独居の母親が利用者です

御子息がコロナ感染の陽性になりサービスを2週間ばかり中止していました

久しぶりの再会ですが公共の自粛要請延長により更なる休止状態になり

弁当の宅配も延長にしました

今のところコロナ感染処方に革新的な進展もなく再開の目処も立ちません。

 

他件の独居の婆様は、一連の感染騒動を敏感に受け止めてデイサービスを当分欠席することにしました

普段から高熱気味で検温をして37.3℃だと私の心がざわめき脈が乱れ非接触体温計を持つ手が震え

無意識の内に後ずさりしています

利用者様、あなたの恐怖はヘルパーにも大層な脅威なのです

勿論、37.5℃が限界線だと熟知しておりますが高齢の私は口先婆でいわゆる世間で嫌われる小心者なのです

おまけに狭い部屋での独居で蜂でも寄って来そうな密蜜状態でとてもじゃないけれど1~2mの距離なんぞ

天使も夢見る遥かな距離です

両隣は壁で十分な採光もとれず換気もままなりません

遠くから話しかけると難聴で聞えないし、遠隔操作でおむつ交換は出来ません

3密はヘルパーにとっては禁止用語です

 

料理をして配膳すると私の好きな物ばかりで嬉しい!!とお世辞を言いながら完食されます

元気な頃にはBARを営んでいたらしくて客あしらいは卓越していて決して相手を不愉快にさせまいとの

沁みついた覚悟が垣間見える会話をされます

自己申告によると卯年生まれの昭和5年のようですが実際は今年の誕生日で93歳になられました

つじつまの合わない会話が通常で作話も多いですからここはスルーです

 

仕事を終え挨拶をすると

「ありがとう、また来てね」

両手を合わせて嬉し涙を流されます

「お互いに生きていればまた来週会えます」

今は・・・・確か・・・2020年・・・新緑萌ゆる季節・・・

それなのに戦時中でもあるまいし何時でも何処でも湿っぽいご挨拶ばかり・・・

 

ベテランヘルパーの「ヘルパーは必ず体調を壊して入院する」との箴言がぞわぞわと頭を過ります

去年の夏(69歳)午前3時の丑三つ時のトイレタイムに起き上がろうとしましたが

強烈なめまいに襲われてストンと倒れました、景色が揺れるために開眼さえ出来ません

やっとの思いでガラケーで電話をして救急車で運ばれ良性発作性頭位変換症と診断され5日間ほど入院しました

めまいが治まらないため寝返りも出来ず45~60°傾斜の半座位・ファーラー位で過ごしました

 

 

食事が喉を通らず点滴だけの4日間で最後の朝食のみ完食出来ました

医師・看護師の皆様には、生まれて初めて心より感謝をしました

初めての入院ではありませんが本当に有難く親切な対応の日々でした

 

退院してから身体の不調が多くなり経験すらしなかった蕁麻疹が少しの疲れで悪魔のように顔を出します

ぽつんとニキビのように単独で現れあれよあれよと縄張りを拡大して気づけばDVされた皮膚のように赤く腫れます

その殆どが首筋に現れまるで過激なキスマークの仕様です 

幸い朝のシフトに出向く頃には閉店間際のネオンのように点滅しながら消滅するので助かります

恐らく、休まず怠けず働くように仕組まれた遺伝子をご先祖様から受け継いだのでしょう

 

以来、随分と仕事量を減らしたのですっかり貧乏になりました

まさかのコロナ感染騒動で不謹慎ですが、これも何かの啓示だと部屋にこもりいびきをかいて寝ています。

 

 


人を戀ふる歌

2020-04-09 | Weblog

人を戀ふる歌

 

明治38年7月6日発行の『鉄幹子』による本文 
(三十年八月京城に於て作る)

人を戀ふる歌

妻をめとらば才たけて
顔うるはしくなさけある 
友をえらばば書を讀んで
六分の俠氣四分の熱

 戀のいのちをたづぬれば
 名を惜むかなをとこゆゑ
 友のなさけをたづぬれば
 義のあるところ火をも踏む

 くめやうま酒うたひめに
 をとめの知らぬ意氣地あり
 簿記(ぼき)の筆とるわかものに
 まことのをのこ君を見る

 あゝわれコレリッヂの奇才なく
 バイロン、ハイネの熱なきも
 石をいだきて野にうたふ
 芭蕉のさびをよろこばず

 人はわらへな業平(なりひら)が
 小野の山ざと雪を分け
 夢かと泣きて齒がみせし
 むかしを慕ふむらごころ

 見よ西北(にしきた)にバルガンの
 それにも似たる國のさま
 あやふからずや雲裂けて
 天火(てんくわ)ひとたび降(ふ)らん時

 妻子(つまこ)をわすれ家をすて
 義のため耻をしのぶとや
 遠くのがれて腕(うで)を摩す
 ガリバルヂイや今いかん

 玉をかざれる大官(たいくわん)は
 みな北道(ほくどう)の訛音(なまり)あり
 慷慨(かうがい)よく飲む三南(さんなん)の
 健兒(けんじ)は散じて影もなし

 四たび玄海の浪をこえ
 韓(から)のみやこに來てみれば
 秋の日かなし王城や
 むかしにかはる雲の色

 あゝわれ如何にふところの
 劍(つるぎ)は鳴(なり)をしのぶとも
 むせぶ涙を手にうけて
 かなしき歌の無からんや

 わが歌ごゑの高ければ
 酒に狂ふと人は云へ
 われに過ぎたる希望(のぞみ)をば
 君ならではた誰か知る

「あやまらずやは眞ごころを
 君が詩いたくあらはなる
 むねんなるかな燃(も)ゆる血の
 價すくなきすゑの世や

 おのづからなる天地(あめつち)を
 戀ふるなさけは洩すとも
 人を罵り世をいかる
 はげしき歌を秘めよかし

 口をひらけば嫉みあり
 筆をにぎれば譏りあり
 友を諌めに泣かせても
 猶ゆくべきか絞首臺(かうしゆだい)

 おなじ憂ひの世にすめば
 千里のそらも一つ家
 おのが袂と云ふなかれ
 やがて二人(ふたり)のなみだぞや」

 はるばる寄せしますらをの
 うれしき文(ふみ)を袖にして
 けふ北漢の山のうへ
 駒たてて見る日の出づる方(かた)