木の下で話しましょう

ソトコトとは、木の下で話しましょう、というアフリカ語源の福祉用語です。

ひざまくら

2018-02-10 | Weblog

インフルエンザB型で入院中だったよしこさんが先日退院した。96歳で大腿骨骨折施術後に歩行困難になり認知度が進行し要介護5と認定された。郊外の集合住宅に独りで暮らしている。近隣に50台の独身子息が住んでいて面倒を見ている。その空間時間に初秋より週3回介護に入っている。

最初は、なかなか心を開かず少しでも触れると元気に強気に払いのけた、飲食は自分の手からでないと口にしない。隣国で生まれたよしこさんは、今年105歳になる。既婚で30台頃にこの国に移住してからさんざんな艱難辛苦を体験し強烈な自立精神が芽生え宿ったのだ。生涯働いて来たので根本が明るく愉快である。

ここのところ、すっかり心を開き帰る時間になると「淋しいから帰るな、泊まっていけば良いのに」と優しいことを云う。認知症なのでたぶん私を誰かは理解していないし名前も覚えられていない。姿が見えないと「ねえちゃん、ねえちゃん、どこへ行った」と大声で探している。難聴なので耳元で「いるよ」と言わなければ大声で返事をしても聞こえない。数回は実施したが、いつまでも自立しているのでおむつの交換は身内にしかさせず悪臭を放っていてもじっと我慢して「まだえ~便所へ連れて行って」と訴える、結構な図体で重く、私のか細い腕力では便所迄、抱えきれないので出来ないと告げると諦めて目を閉じて情けなくうつむく。

3人でシフトを回しているのだが、皆さん、可愛い婆ちゃんだと評する。機嫌のよい日は手を叩き拍子をつけて唄う、母国語なので意味は不明だが低音で唄い続けると疲れたとむせ込む。唄うだけでも体力が要る年齢なのである。普段は、出掛けた子息の名前を連呼し続けテーブルを力任せに叩くので漆が剥げて無残な色合いになってしまっている。待っているのかと思えばそうでもなく子息の顔を見ても「あんた誰や?」と警戒顔をする、子息が彼女の頭を両手でつかみ「僕やで~」と顔を近づけるとにやっとして「そうかお帰り」と理解する。

食事は、ドーナッツ、バナナ、菓子などを好むが咀嚼出来ず口に入れてもぐもぐさせた後、ぺっと勢いよく吐き出す。口に入れるだけでも良しとする、飲み物はすんなりと呑み込む。

そんなよしこさんだが、入院中は何も口にせず点滴をすれば引き抜きそれではと足にすればそれも引き抜いた、病状が少しマシになり、病院側も拘束虐待の懸念も見聞するし少し早い5日で退院させた。帰宅した彼女の様子がおかしい、2日連続でシフトに入ったが何も口にしないばかりか目を開けない、見えないのか、暗い、返事は返すが恐怖心が垣間見える、帰ったので安心してよ、ゆっくりしてね、はい、はい、と応える、退院してから「はい、はい」が増えた、何を訊いても言っても「はい」と怯える。

入院前は周辺が感心するほど腹筋が強くあっという間に起床し、さっと寝床に伏したものだ。しかし、今日は、手を添えないと起きられず寝ようとして私のひざにもたれかかりそのまま枕にして寝る、頭とはいえさすがに重いので動くと気づき起きようとする。何も口にしていないので体力が無くなり肉体の全てが一回りほど縮小している、両足を組んで寝るので拘縮予防のためにほぐすと以前には手で強く払いのけたものだが、なすがままにさせる、すぐに脱げてしまうソックスさえ素直に履かせる。介助しなければもう起き上がる事さえ出来ない。顔色は蒼く冴えない、大きないびきも聞こえない、子息の名前も呼ばない。

用事を済ませて帰宅した子息が「退院時より、はい、の言い方が少し柔軟に変化した」と評し「婆ちゃん、もう、アカンかもしれんな、歳も歳やからしゃあない、病院は家で死なせようと退院を早めた」母親のインフルBをプレゼントされた子息の額には介護ストレスで数年の間に糖尿病になったせいかインフル熱のせいか汗が滴っている、「僕もだるいし、しんどいわ」そりゃそうだ、男に介護は無理だというのが私の持論、これまでのこの国の男の有り方使命感からして介護は真逆で社会生活を捨て要介護者の死に直進するのを見届け、金権主義の現代では、計り知れぬ重負荷因となり介護終了後の人生設計が立て辛い。

よしこさんが、ひざまくらにしがみついて来る、よしよしと背中を撫でると安心して眠る、目を開けてといっても暗いとだけ言って開かない、点滴痕で紫斑に染まった手を叩いても震えすれ違ってしまい音が出ない、嗚呼、もう一度だけ子息の名前を大声で連呼し、ねえちゃん、助けて~と叫ぶ声を聞きたい。

 

 2018年2月11日(日)永眠・・・合掌。