新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

人と馬の絆が演じるドレッサージュ

2017-02-14 | 日記
話は遡るのですが、群馬から帰ってきて職場で「もうすっごい雪だったよ」と騒いでいたら、仲間に窓の外を指さされました。
そこには見慣れた雪景色が・・・。

        

そうでした。
ここは大雪の本家本元、北海道でした。
積雪が当たり前すぎて、初めて雪を見た気分になっていました。
目の前しか見えていないエドリンです、こんにちは。

    

2010年12月31日大井競馬1レースを12着で終えた時、ツルマルヨシカゼの競走馬生命は終止符を打たれました。
6月にデビューして半年、まだ2才でわずか4戦だけの競走馬暮らしでした。
そしてそのまま家畜商へと送られました。
新馬デビューしてもこんな風に短い競走馬生活しか送れず、人知れず消えていくたくさんの馬達。
ヨシカゼもそんな中の1頭でした。
ただ、彼には何かがついていました。
その家畜商は、ある乗馬クラブの直ぐ近くで、偶然ヨシカゼを目にしたクラブのオーナーが彼を買い取ってくれたのです。

その乗馬クラブとは、群馬県にあるアリサ乗馬クラブ。
そうです、今は引退馬協会のフォスターホースとなったキョウエイボーガンが暮らすクラブです。
私達がお伺いした時、そのクラブのオーナー、中山先生はちょうどボーガンから2つ隣の馬房のお掃除をしていました。
中にいた栗毛の馬は、先生がその仔の首の下をくぐったり、片脚を持ち上げたりして掃除しても嫌がって暴れたり、齧ろうとしたりもせず、ただじっとなすがままで、ただ眼だけは先生の動きを追っていました。
「この仔はね気難しいとこがあって、今まで僕しか扱えなかったんですよ」
先生が私たちの方を見ながらおっしゃいました。
「そうなんですか。おとなしそうに見えるのに」
「今は大分穏やかになりましたけど、こんな風に出来るのはやっぱり僕だけなんですよ」
あまりの寒さに話しの続きはハウスの中で、と先生もお掃除を終了なさいました。

ストーブの暖かさにホッとしながら、私たちは雪がおさまるまでDVDを見せて頂きました。
それは、先生と1頭の馬がまるでダンスをしているような映像でした。
「これがドレッサージュです」
そうなんだ。
これがオリンピック競技にもある馬場馬術なんだ。
馬と云えば競馬しか思い浮かばないような情けない私でも、馬場馬術という名前くらいは知っています。
「いいですか、良く見ていて下さい。 だんだんと馬の尻尾の根元が上がってきます。これは馬が乗ってきたと云う事なんです。」
そう説明されてじっと見ていると、確かに少しずつ音楽に合わせるように尻尾の付け根が持ち上がってリズムをとっているように見えてきました。
「馬が楽しんでいるでしょう」
確かに、馬の踏むステップがノリノリの感じがします。
ふと疑問に思った事を聞いてみました。
「先生は何の指示も出していないのですか?」
お馬は軽やかにステップしているのですが、上にいる先生の体はピクとも動いていないのです。
「いや、ちゃんと指示していますよ。ただ外からはわからないでしょう」
「どうやっているんですか?」
「臀部の筋肉を動かしています」
って、お尻の筋肉を動かすだけで馬には何をすべきかわかるの・・・?
「ただし、それが出来るのは彼だからなんです」
そんな微妙な動きにしっかり反応できる凄いお馬、それがあの栗毛のヨシカゼ君だとその時知りました。
「彼って凄いんですね」
「いや、本来どんな仔でも出来るんですよ。 教える技術と時間、根気と愛情さえあれば。現にこのヨシカゼはみんなからこんな駄目馬とか、馬鹿馬とかさんざん言われていたんですよ。」
「そうですよねぇ」
今までニコニコと見ていらした奥様が、先生の話を引き継ぐように話しだしました。
「あれだけヨシカゼの事を馬鹿馬、馬鹿馬って言ってた人が、ヨシカゼの演技を見て“是非売ってくれないか。金なら幾らでも出すから”って。どんな顔して言ってるんだろうと先生と思わず顔を見合わせましたよ」
「本当にあの時は目が点になったね。どれだけ札束を積まれても売る分けがないですよ」
先生がヨシカゼ君を手放すはずがないのには、実はもう一つの理由がありました。
「ヨシカゼは私の命の恩人いや恩馬なんですよ」

ネット競馬のコラムでも書かれていましたが今から4年ほど前、先生は心筋梗塞で倒れドクターヘリで運ばれたそうです。
意識のない状態で先生は夢を見ていたとか。
「大きな河があってね、その向こう岸でアリサをはじめここで亡くなった馬達が僕を呼んでいるんですよ。早くおいでおいでってね。で、僕は河に飛び込んで泳ぎ始めたんですよ。そしたら突然ロープの束が飛んできて僕の体に巻き付いたんです。誰だ?と思って振り返ったらヨシカゼがロープを掴んで引っ張っているんですよ。そっちいっちゃ駄目だよ~って。それで僕の意識が戻ったんです。あのままだったらヤバかった(笑)」
「あの時はもう駄目かと思いました。あとでその話を聞いて、ヨシカゼに感謝しました」
そう言う奥様の声は、その頃を思い出すかのように心なしか震えているように聞こえました。
「だから僕はヨシカゼを手離す事は絶対にないんです。」

テレビ画面のヨシカゼ君はますますノリノリで、音楽に合わせて軽やかにステップを踏んでいました。
それは競技と云うより、人と馬があ・うんの呼吸で一緒にダンスを楽しんでいる姿でした。
それを見ている私たちも思わず体でリズムを取ってしまう、そんな楽しさのオーラが溢れていました。

産まれて2年しか生きていないのに、しかもたった4戦で競走馬を首になり死を宣告されたヨシカゼ君。
人を信じられなくなってても当たり前でしょう。
その彼の心をゆっくり溶かし、素晴らしいドレッサージュの競技馬に成長させてくれた中山先生。
その先生への思いがきっと、あの命のギリギリの所で先生を引き戻させたのだと私は思います。
人と馬の心の絆が、見る者の心に透き通った感動を与えるのではないでしょうか。

先生は何度もおっしゃいました。
「駄目な馬なんていないんですよ。しっかり教えてあげられる技術を持った人間が少ないんです。愛情を持ってその仔にあった教え方をしてあげたらどんな馬でも覚えてくれます。それが出来ない、覚えるまで待てない、そんな人がこいつは駄目だと決めつけて切り捨てるんです。」
競走馬名ツルマルヨシカゼは、2才からここにきて賀風になり7年たちました。
7年間の時間をかけて今の賀風がいます。
この時間は、1人の人間と1頭の馬の、強い強い信頼を作りあげた宝物のような時間だったと私は信じています。


         
 奥の栗毛ちゃんが賀風くんです。 手前は梵天丸くん。



        
 この日の先生風邪引きで、本当はもっとダンディでカッコ良いんです、念の為(笑)


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2 コメント

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こんばんは! (Affirmed)
2017-02-21 22:01:25
エドリンさん、こんばんは。とってもイイ話ですね。速いだけが馬の良さではないし、馬の価値ってそんなものではないと思っています。人の心を読む力があるので訓練次第で人を乗せてダンスを踊ることができるという動物は馬だけですから(^^)
Affirmedさん (エドリン)
2017-02-22 09:54:54
お早うございます。

このクラブにキゼンラックという仔がいます。
競走馬引退後にある乗馬クラブへ行ったのですが、体が硬くて動きが重すぎて使えないと出されました。
一旦産まれた牧場へ戻り、縁あってこのクラブへやってきました。
今では、先生のベストパートナーとなって可愛がられています。
「駄目な馬なんていないんですよ」先生の口癖です。
何せ若いころ馬とダンスがしたくって、先祖代々受け継いできた土地を売ってフランス、ドイツと長年暮らしてきた先生ですから(笑)。
本当のホースマンだと私は思っています。

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