新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

今度こそ終の棲家に・・・     (とり残された3頭)追記訂正あります

2017-12-07 | 日記

今回はちょっと長くなるのでエドリンのつぶやきは省きます(いつもそうしろって言わないでね

  イーハトーブオーシャンファームの始まり

日本で初めての養老牧場「イーハトーブオーシャンファーム(以後オーシャンファームと略します)は、最初は生産牧場「オーシャンファーム」として1958年、大井昭子さんが創設しました。
彼女はユートピア牧場の創設者の娘で、ヤシマ牧場場長として“ボストニアン、ハクリョウ、そして日本馬として初めての海外重賞優勝馬(ワシントンバースデーハンデキャップ)ハクチカラなどの名馬を生産し「浦河の女傑」と呼ばれた凄い方でした。
そして、ハイセイコーという国民的人気馬の登場などで競馬人気が沸騰した「第1次競馬ブーム」と言われる1970年代、競走馬の供給過剰によって使い捨て状態になった馬達を案じ「馬の余生があっても良いのではないか」という考えから1984年、生産牧場から引退競走馬、乗馬のための養老牧場へと転換したのでした。
この頃の預託馬にはメジロボサツやメジロサンマンなどがいます。
1988年には登別に移動し「ブレーメンの丘 オーシャンファーム」と改称しましたが、1991年現在の白老に再移転して名前も、宮沢賢治が理想郷として名付けた「イーハトーブ」を加えて「イーハトーブオーシャンファーム」となりました。


と、ここまで調べて来て、今から何十年も前にこんな凄い活動をなさっていた女性がいたと云う事に私は衝撃を受けました。
競走馬の関係者には圧倒的に男性が多く、ましてや牧場のお仕事は女性にはきつ過ぎて無理だろうと勝手に思っていた私なので、ただもう「凄すぎ・・・!!」その言葉ばかりが頭の中でとび跳ねていました。

そんなオーシャンファームに初めて訪問したのは、2008年の引退馬協会のツアーででした。
広い放牧地や人懐っこいお馬さん達に心癒されたのですが、私にとって1番驚いたのは“ウズシオタロー”のお墓が存在した事でした。
以前、拙ブログにも書きましたが、益田競馬に所属していた、牝馬でありながら移動時の手違いでタローと言う牡名がついてしまったアングロアラブの競走馬、ウズシオタロー。
1977年に競走馬デビューしてから1987年、14才で引退するまでの11年間に250回の出走歴は当時1962年以降の地方競馬史上最多記録でした。
引退レースに「ウズシオタロー引退記念競走」という名をつけられた程の人気馬で、レース後の引退式に、プロ野球で鉄人と呼ばれていた広島カープの衣笠祥雄選手からの祝電で「渦潮の如く走りし鉄馬かな」との句が贈られています。
私が何故彼女の名前を記憶していたかというと、テレビのコマーシャルか何かで当時の最強馬(今でも最強と私は思っています)シンボリルドルフと比較される形で名前が使われていたからなんです。
「走ったレース、ルドルフ16戦、ウズシオタロー250戦、(総距離だったかもしれませんが計算できませんでした)
稼いだ賞金、ルドルフ6億8千万円、ウズシオタロー432万円」そんな内容がふくまれていたと思います。
その差に唖然とし、以来ウズシオタローと云う名前がインプットされたというわけです。
タローさんは引退後「湘南動物プロダクション(現いちはら象の国)」に引き取られたと聞いていましたがそれ以上は知りませんでした。
その彼女のお墓が今目の前にありました。
場長さんに詳しい事をお聞きしました。
彼女は湘南プロダクションで牝馬を産み、1991年にファンの女性4人に引き取られオーシャンファームで暮らしていたそうです。
そして2007年に老衰で33年の馬生を閉じたのでした。
きっと穏やかで幸せな日々だったのだろうと思ったものです。
何故なら、この牧場の暖かい空気、そして場長さんの馬達に対する大きな愛情が、今日初めてお伺いした私にも感じられたからです。
その1例として、シロちゃんと呼ばれていた葦毛のお馬さんがいました。
場長さんがそのシロちゃんに何か合図すると(何だったかは忘れてしまいました)シロちゃんはグゥーンと首を高く長く伸ばしました。
「こうやって時々遊ぶんですよ」と、その首を撫でながら本当に愛おしそうにおっしゃった場長さんの嬉しそうな表情を今でも覚えています。

そして2004年、「浦河の女傑」は神の下へと旅立って行きました。
彼女亡きあと、その意思を継いだ有志の方達によって牧場は運営されてきましたが、2017年4月、遂にその幕を下ろさざるを得なくなりました。
預託されていたオーナーさんのいる馬達はそれぞれ新天地へと移動していきましたが、3頭の高齢馬が行き場を失くしてしまったのです。
もうそれほど残ってはいないであろう馬生を、穏やかに静かに過ごさせてあげたいと関係者さん達が悩み考えた結果、かつてここで働き自らも養老牧場を立ち上げた浦野さんが、大井初代場長の思いを引き継ぎご自分の牧場に引き取られました。
ただ、いつも言う事ですが、馬をみると云う事は人手もお金も本当にかかります。
ご自分の牧場の馬達の面倒だけでも大変なのに新たに3頭増えるのはどれ程のことか想像に難くありません。
そこで、引退馬協会の対外支援事業である引退馬ネットのサポートを受け「オーシャン愛馬の会」が設立されました。
残された3頭のこれからを一緒に応援して下さる会員さんを募集致します。
この会の主旨、また入会などの細かい事はホームページをご覧になって下さいませ。
また、会員には無理でも何かお手伝いしたいと云う方には、クラウドファンディングに支援するという方法もあります。
これもホームページの方に詳しく載っています。
高齢の彼らの為に無理のないご協力をお願いできたら幸いです。
実はこの3頭の中の葦毛さんはシロちゃんです。
どうぞ宜しくお願い致します。

   守り続ける命 オーシャン愛馬の会

                  


この大きな空の下にオーシャンファームはあります。



 中に入るとみんなの写真が。



 お馬だけではありません。 ワンコさんやニャンコさんもいます。



 シロちゃんの芸です。



 場長さん、同じ顔してる(爆)



 自由人ポニー(笑)



 わらわら・・・集合


 ここで余生を過ごしたお馬さん達の名前があります。この他にもノースガスト、タケノベルベットなどが余生を過ごしました。



 ウズシオタローさんもいました。


      以上2008年10月です。


新天地で頑張る3頭



 メリーさん(牝)28才



 イブキダイハーン(セン)26才



 ホクトヴィーナス(牝)22才 この仔がシロちゃんです。メリーさんにくっつき虫してます(笑)
   
     以上、引退馬協会さんから勝手にお借りしました。すみませ~~ん。

もう一つのお知らせです。

新たにフォスターホースとしてタイキシャトルが入りました。 
最近、エイシンバーリンさんやウラカワミユキさんの旅立ちで寂しかった引退馬協会ですが、メイショウドトウ、タイキシャトルと新しい仲間が増えて賑やかになりました。
どちらも絶賛会員さん募集中です。
詳しくは引退馬協会ホームページまで。 


 まだまだ若いイケメンシャトル君です。宜しくね。 (こちらも引退馬協会さんから借りちゃいました) 

どのお馬さんもみんなみんな幸せな馬生を全うしてほしい・・・。
馬達の引退後に関心を持ってくれる人がもっともっと増えてほしい・・・願いは一つです。



訂正

ユートピア牧場は栗林さんと云う方が設立し、大井さんは馬を任されていた方で、後にご友人と一緒にヤシマ牧場を立ち上げたそうです。
事実と違った事を書いてしまった事をお詫びして訂正させていただきます。
すみませんでした
  

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2 コメント

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功労馬たちに… (seven)
2017-12-23 02:33:40
オーシァンの三頭への御心配・御協力、ありがとうございます。

功労馬たちを語る上で、大井昭子さんの事を知るべきであり忘れてはならない存在です。
これは、私個人が「そう思います」と留める域ではありません。とても大切な存在でした。

大井さんは、オーシァンの存在を知り全国から訪れた多くの女性を受け入れ、馬を通して様々な事を教え導きました。
中には男性もいましたね。
大井さんは、人も育てていたのです。

功労馬たちに余生を…と、繋養制度や助成金に陰で御尽力なさって今があります。
あれから幾つも年月が過ぎておりますが、繋養制度や助成金は進歩がなく逆に後退しているように思えます。助成金の減額は意味がわかりません!減額の為に牧場を出された馬もいますよね。助成金の申請は該当馬の何割にも満たないのですよ。
…それでも、大きな壁を乗り越えようとしなければ馬たちに明日はありません。
我が国も、世界に向けて引退競走馬についての取り組みを堂々と発信できるようにならなければいけないと思います。

何とかこれまで「生き抜いた」三頭は、亡き大井昭子さんの生き証人です。
最高齢のメリーさんは、オーシァンに連れて来る!と、ずっと大井さんが希望していた馬でした。
クラウドファンディングは、目標額に到達するのは厳しい状況にありますが、何とか達成を願っております。
これまで御支援・御協力を下さった方々の為にも浦野さんと三頭の為にも‥。

オーシァンの写真…色々思い出されます、黒板の馬の似顔絵もありましたよね。

更なる努力が必要です。
引退馬という存在 (エドリン)
2017-12-23 10:53:55
sevenさん、いつも暖かいコメント有り難うございます。

イーハトーブと聞いた瞬間に私の思い出機能にパッとシロちゃんが浮かびました。
引退馬に関わる様になって初めてのツアーで見たお馬と人との絆、それがシロちゃんと当時の場長さんのツーショットでした。
強く強く心に残っていたんでしょうね。
その頃から比べると、引退馬への関心度はかなり強まっていると感じる今日この頃です。
当時はホント「金にもならんこと良くやってるな」そういう言葉を何度も聞かされたくらい、走らなくなった馬に対する目は冷ややかでした。
そんな中から少しずつ、本当に少~~~しずつ変化が起きて来て、今、若い方たちにも競馬と言う遊びを越えて馬そのものに対する思いが強くなってきている様な気がします。
現実に、競馬関係者の中からも引退後の馬の生きる道を探して下さっている方達も増えてきています。
それもこれも全て、大井さんや引退馬協会の代表さん達の思いが人々の心を動かしてきた結果だと思うのです。
私などの出来る事はたかが知れていますが、それでも出来る事をこれからも続けていく、その思いを改めて強く心に刻みました。

オーシャンの3頭に幸せあれ!と祈りながら、命を繋げられる仔達がもっともっと増える事を強く願ってやみません。

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