新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

12月7日の記憶

2016-12-06 | 日記
 今年もあと残り少なくなってきました。
ちゃんと1年頑張ってこれたんだろうか?
毎年、このくらいの時期になるとそんな思いで一杯になります。
自分の人生を振り返ってみたりするのもこの時期です。
でもだからといって何が変わる分けではないんですよね。
ただ、考えてみるだけ・・・・・そんな薄っぺらな人間なんです、はい。
エドリンです、今晩は。


    
2010年の12月7日、1頭の馬がこの世から旅立って行きました。
エドノドリームという、きっと覚えている人は数少ないだろうレベルの競走馬です。
でも私にとっては決して忘れる事のない馬でした。

まだそれほど馬の世界は知らない頃、土日になると競馬新聞を買ってきては、赤ペン片手に1レースから最終レースまで予想していました。
実際に買うのは2、3レースだけでしたが、とりあえず全レース予想するのがその頃の私の楽しみでした。
そんな風に競馬に励んでいた頃(笑)最終レースに良く見かける名前がありました。
それがエドノドリームでした。
何となく気になって出てくると買い目に加えていました。
1度も取った事はありませんでしたが(爆)。

そして、月日が流れ、馬と云う生き物そのものに心惹かれて、引退競走馬に関わり始めた頃、馬友さんの応援馬に付き合って厩舎さん訪問などしたりしてました。
そこの厩舎さんに何とそのエドノドリームが転厩してきたのです。
不思議な縁を感じた私は、この仔を見失いたくないと考えました。
わずか2戦で、もともと脚元の弱かったエドノドリームは引退と言う形になりました。
それでも幸いな事に、優駿学園という馬の仕事を目指す人の為の学校に練習馬として行く事ができたのでした。
そこでゆっくり脚の治療をしながら訓練を受け、ゆくゆくは学生さん達の練習用の乗馬として第2の馬生を過ごす予定でした。
私も、彼がそのお仕事を引退したら引き取り、天寿全うする時までみていこうと決めていました。
優駿学園の教官さんにもその事をお伝えし、お願いしていました。
それが、わずか半年もしない内に永遠の別れがくるとは、その時点では想像することも出来ませんでした。
その証拠に、亡くなる1カ月前に新しい無口を送ったばかりでした。
後から届いた写真を見てみると、その無口をつけた彼は、どこか元気がなく体調が悪そうな感じがしました。



  
その時の写真です。 担当してくれていた学生さんと。


  



前にも書きましたが、エドが亡くなる1か月前に19年そばにいてくれた愛犬が旅立ったばかりで、その年の11月と12月の記憶は今でも暗闇の中に埋もれてしまった感じです。

あれからもう6年がたちました。
沢山の好きだったお馬達が思い出に変わってしまいました。
目を閉じれば脳裏に、次から次へと懐かしい顔や名前が浮かんできます。
私の生がある限り、私の記憶がしっかりしている限り、どの仔もどの仔もみんな生きていると私は信じています。

私は、エドリンというHNでエドノドリームと一緒に生きている・・・・・そう思っています。


     
   厩舎さんから出発する時のエドです。



  
  優駿学園に入厩したばかりの時です。


  


   
    そして今、エドはここに眠っています。


明日はエドが神様から休暇を貰って帰ってきます。
だから1日中笑顔でいようと思っています!


       
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キョウエイボーガンのこと

2016-12-01 | 日記
私はお豆腐が大の苦手です。
でもマーボー豆腐だけは食べれます。
チーズも嫌いです。
でもピザにはダブルチーズでこってりが好みです。
じゃがいもは全く食べる気がしませんが、ポテトサラダは美味しいと思います。
お魚は好きですが生ものは食べれません。
いくらは嫌ですが筋子は大好きです。
卵焼きはオッケーですがゆで卵はノーです。
などなど、あげていけばキリがないほど駄目な物が多い私の食生活です。
人から言われるまでも無く、自分でも「めんどうな奴だなぁ」と思います。
そんな私が今ハマっているのは、芋けんぴです。
でも当然ながらサツマイモは好きじゃないです。
好き嫌いの基準が、我ながらわからないエドリンです、こんばんは。



新しいフォスターホース

長らくフォスターホースだったトウショウフェノマが8月に亡くなって、物悲しい空気に包まれていた引退馬協会でしたが、新たに3頭のフォスターホースが加入しました。
1頭目は1992年の神戸新聞杯(G2)キョウエイボーガン、2頭目は被災馬オニクン、そして現役引退したばかりのコアレスピューマの3頭です。

オキテがまだ現役だった2014年、オキテに会いに名古屋まで行きました。
その帰りに、会いたかった仔達に会いに行きました。
この旅行で私はやっと、念願だった仔に会う事ができました。
その時の話は「津軽海峡飛びこえてオキテに会いに行ってきたぁ!3」に細かく書いてあります。

その仔とはキョウエイボーガン。
1992年の菊花賞、そうです、その年の皐月賞、ダービーと勝って、3冠馬誕生を確実視されていたミホノブルボンが出走したレースです。
結果はご存じのようにライスシャワーが優勝し、ブルボンの3冠馬の夢は破れました。
このレースで大逃げをうち、ブルボンの3冠取りを邪魔した馬と非難をあびたのがボーガンでした。
「あんなくだらない馬がでたおかげで・・・・」などと言った評論家さんもいましたっけ。
そんなこんなでいわれのない非難の矢を浴びせられたボーガン。
逃げ馬が自分のレースをしただけなのに何故そんな事を言われなきゃならないのだろうと、特にファンでもなかったけれど、ボーガンが可哀相で仕方なかった。
それからしばらくしてボーガンが引退し1人の主婦の方が引き取ったと聞いて、本当に、心の底から安堵したものです。
そのボーガンが群馬の乗馬クラブにいると知り、チャンスがあったら会いたいとずっと思っていたのです。

目の前にいるボーガンは、想像よりも小さくて可愛い童顔のお馬でした。
大事に扱われているのが良く分かる、人を信頼しきった穏やかな優しい瞳をしていました。
そして何よりも、そこの乗馬クラブの代表さんが、真のホースマンとはこういう人の事を言うんだろうなぁと、思わず畏敬の念を抱いてしまったほどの素晴らしい方でした。
旅行から帰ってきた後も、誕生日とかクリスマスなどにニンジンを送ったりしていたのですが、まさかボーガンがフォスターホースになるとは思いもしませんでした。
嬉しさと同時に不思議な縁を感じ、すぐにフォスターペアレントに加えて頂きました。
ボーガンももう27歳。
人間で言えばもうお爺ちゃんです。
ボーガンの馬生の片隅に入れてもらえた事、何より嬉しいです。
引退馬協会に入っていて良かったぁとしみじみ思いました。
早世してしまったライスシャワーの分も長生きしてほしいと願っています。
そして年明けの引退馬協会の新年会に行けそうなので、しっかり足を伸ばしてボーガンに会いに行こうと考えています。



  
  2014年、初めて会った時のボーガンです。



  
つい最近送って頂いたボーガンです。 ボーガン君、馬着の合わせがずれてるよ~~(爆)



  
ボーガン爺ちゃんのべ~です(笑)



この3頭のこと、もっと知りたいと思われた方はこちらへ。
彼らの余生を一緒に支えてくれるフォスターペアレントさん募集してま~す。

      NPO法人引退馬協会ホームページ



また、引退馬協会の歴史を沼田代表が本になさいました。
良かったら読んでみて下さい。


         

カレンダーもよろしく~~~~!!
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★★ 落選作   後編 ★★

2016-11-25 | 日記
 まだ11月だというのに真冬の様な寒さが続いています。
そのせい、という分けではないのですが、年賀状、作っちゃいました。
馬友さんが撮ってくれたちょっとイケてる写真、これを是非とも年賀状にしたいと考え、早々と申し込んじゃいました。
作ったは良いけど、まだ書くには早すぎる・・・。
多分私の事だから、しまいっぱなしにしてて期日ギリギリになって慌てて引っ張り出して書くんだろうなぁ。
長年付き合ってる自分の事だからわかるんですよね。
作っただけでもう終わった気分になってるエドリンです、こんばんは。



  幻の9番ゲートの馬  

ところが時として神様は酷い意地悪をすることがあります。
その冠レースの2週間前のレースで、トップハートコンは今までにない程の大差負けをしたのです。
それは最早レースと云った感じではなく、マラソンランナーが息も絶え絶えにゴールする姿に似ていました。
何かが起きた!彼女はそう直感しました。
でもそれが何かわかる前に、トップハートコンの競走馬登録は抹消されました。
たとえ抹消にならなくても、あの大差負けでタイムオーバーとなり次のレースには出られなかったと後で知りましたが、彼女にはもうどうでも良い事でした。
6月21日、彼女は絶望のどん底にいました。
書き込みの仲間が約束通りレースを見に行ってくれました。
トップハートコンのいない冠レース、名古屋競馬第1レース「トップハートコンに賞金を」は定刻通りスタートしました。
 
 競馬は淘汰の歴史です。
少しでも速い馬、強い馬を作る為に関係者の方達は日々研究し努力されています。
そんな方達から見たら「全くお話にならない」レベルの話です。
「甘い事いうな!」と怒られるかも知れません。
馬は経済動物だとはっきり言いきる方もいます。
でも、現在の競馬は多面体のエンターティンメントとして老若男女を問わず楽しまれています。
そうであれば、彼女のようなファンがいてもおかしくはないと思います。
強い馬だけにみんながみんな引き寄せられるわけではありません。
後ろで必死になって走っている馬達に思わず「がんばれ!!」と声をかけたくなる人もいるのです。
競走馬としては全く駄目馬だったトップハートコンですが、彼女にとっては、トップを応援する事で体調の悪さで暗く沈みがちな心に光が灯り、ともすれば自信を失い生きる事さえ辛くなる自分を励まし、「トップだって頑張っているんだ」と力を与えてくれる、そんな大切な存在だったのです。
サラブレッドが人を楽しませるために作られた生き物なら、トップハートコンはその役目を立派に果たしたと言えるでしょう。
競馬では1円の賞金も稼げなかった馬が1人の人間に与えた力は、数字では表す事のできないプライスレスの価値を持っていた、馬にはそういう能力もあると証明してくれた、そんな気がするのです。
トップハートコンとの出会いは、彼女に生きる勇気を与え、素晴らしい宝物としてこれからも彼女の心で輝き続けていくと思います。
「たとえ賞金は稼げなくても、私は、トップのひたむきに走る姿が好きだったのです」
彼女はレース後の掲示板にそう書き込んでいます。

 名古屋競馬第1レース「トップハートコンに賞金を」は、彼女だけに見える9番ゲートの馬がゴールし、いま、静かに終了しました。

               終わり




読んで下さって有り難うございました。
彼女は今、「トップハートコンに賞金を」に出ていた仔達の応援を頑張っています。


 
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★★ トウカイパルサー追悼★★    そして落選作・・・・中編 ★★

2016-11-21 | 日記
 昨日、コバン牧場・eの場長さんから「パルサーが倒れた」とメールがきました。
ショックは受けましたが「テイオーの仔だもの、きっと大丈夫!」と回復を願っていました。
でもその願いも虚しく、今朝、亡くなったと連絡がありました。
生きとし生けるもの、必ず別れは来るとわかっていますがやっぱりたまらなく寂しいです。
それでもパルサーの余生は、間違いなく幸せだったと言える事が救いです。
あの広い空の下で、庭付きの馬房で、仲良しのポニーちゃんと一緒にのんびりまったり暮らす日々。
無口をつける必要がないほど信頼している場長さんに見守られて、自由に生きた日々。
きっとパルサーはこの世での幸せを味わいつくしたのかも知れません。
だから、祖父や父に会いたくなったのかも。

そして今日は何と、牧場の名前の由来であるスズカコバンの命日なのだそうです。
コバンが呼びに来たのかな?


    
      父テイオーに良く似たパルサー(2013年6月)


    
      パルサーのお部屋です。 このまま庭に出られます。


    
      お腹一杯になると庭に出て、ポニーちゃんをからかいます。


    
     牧場さんから送られた最近のパルサーです。


パルサーお疲れ様、そしてありがとう。
貴方を忘れない。 



  幻の9番ゲートの馬  

 いつか年が変わり、トップも4歳の古馬になる頃、彼女の心に大きな不安の渦が巻きだしました。
それは、未だ1勝もあげていないどころか、1円も賞金を稼いでいない彼がいつまで競走馬を続けていられるかという事でした。
トップを追いかけ始めてから、馬の世界に関して彼女なりに調べ、勝てない馬は淘汰される宿命にあると知った彼女には、トップの行く末は想像がつくものでした。
今では彼女にも、トップハートコンの競走能力がどの程度のものかということはわかっていました。
出来るものなら引き取って天寿を全うさせてあげたい。
その思いは心を突き破りそうなくらい強くありました。
でも、30年近く生きる馬の寿命。
自分の年齢を考えると最後まで見守る事は難しく、ましてや自分の体調すら思うようにならず仕事も出来ない現状では、馬の面倒を見る事など不可能でした。
彼女は苦悩しました。
悩み過ぎて競馬が嫌になったりもしました。
でもトップがレースに出るときは応援せずにはいられませんでした。
悩んで苦しんで諦めてたどり着いたのは、せめて今だけでも自分に出来る事をしてあげるという月並みな答えでした。
ただ彼女の眼は、少し違った方向を見ていました。
それは、この先いつまでトップが競走馬でいられるかはわからないけれど、このまま賞金ゼロで終わらせたくない。
たとえ微々たるものでも賞金を取らせて、競走馬として頑張った証しを残してあげたい。
彼女はそんな風に考えていたのでした。
その為にはどうしたら良いのか?
そんな時、名古屋競馬では個人の申し込みで冠レースが出来ると知りました。
ならば自分がトップのレースを作れば良いのでは?
名古屋に来てからは何度か掲示板に載った事もあるのだから、もしかしたら5着の賞金くらいは取れるかもしれない。
そう思った彼女はすぐに行動を開始しました。
名古屋競馬に冠レースを申し込み、所属厩舎の調教師さんにトップの名前を使う許可を得ました。
今までのレース間隔から計算し、トップが出られる可能性のある6月21日に日も決めました。
調教師さんにもその旨を連絡し、出走できるようにお願いもしました。
そしてそのレースを 「トップハートコンに賞金を」そう名付けました。
 準備は整いました。
後はトップが出走して、何とか5着までに入ってくれる事を祈るだけです。
ネットの掲示板にもレースの事を書きました。
実は最近になって1人、2人とトップを応援してくれる書き込みが増えていたのです。
名古屋から遠い彼女に代わり、当日レースを見に行ってくれるというコメントを見た時、彼女はすべて上手くいくような気がして、久々に心が晴れやかになったのでした。
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★★ 落選作…前編 ★★

2016-11-17 | 日記
 昨日今日と会社の旅行で十勝に行きました。
北海道生まれの私ですが、実は十勝って行った事無かったんです(行った事無いのは十勝に限らず結構たくさんありますが)。
途中、富良野市で食事をとりました。
それもトウカイパルサーの暮らす牧場さんと同じ地域です。
職場の仲間と談笑しながらも心はパルサーにとんでいました。
何につけてもお馬が絡み、我ながら「馬しかないんかい!」って突っ込み入れたくなるエドリンです、今晩は。


前回の記事に書いたように、某雑誌のエッセイコンテスト落選作、発表させて頂きまァす。
原稿を送付してからずっと、引き出しの奥にしまいっぱなしで久しぶりに読みなおしてみました。
読み返してみて、これは落選するのも無理ないわと改めて納得したほどのものですが、こんな駄文でチャレンジした私の度胸に免じて読んで頂けたら幸いです。




   幻の9番ゲートの馬  

 一頭の馬に心惹かれるのには人それぞれ、いろんなきっかけがあると思います。
でも、きっかけはどうあれ、好きになる事に分けも理由もありません。
気が付いたら忘れられない存在になっていた・・・・それはある意味、異性に恋する気持ちに似通っているかも知れません。

 その人の心に飛び込んできたのは、おおよそ競走馬らしくない競走馬でした。
体調を崩して長年勤めていた仕事を退職し、気晴らしにたまたまパソコンで見ていた園田競馬。
門別競馬から移籍してきた、その日が園田最初の2番人気の馬が何故か妙に気になり、単勝を百円だけ買ってみた、それが全ての始まりでした。
彼女の買ったその馬は何という事かスタートしてからゴールまで、12頭立ての12番目のまま、つまりずっと最下位だったのでした。
「この仔、こんなんで競走馬としてやっていかれるのかしら?」
馬券が外れたことより、その事が酷く気になりました。
トップハートコンという名の3才の牡馬。
そこから彼女の心の中にその馬が、大きな存在となって居座ったのでした。
 2014年5月、門別競馬でデビューしてから園田競馬に移動するまで、6戦して殆どが最下位という成績のトップハートコン。
それでも「その内にもしかしたら・・・」と、彼女はその馬を追いかけだしました。
気になって見離せなかったと言った方が良いかもしれません。
ネット競馬の掲示板に応援コメントの書き込みも始めました。
たった1人の書き込みでした。
何とか一つでも前の順位でゴールして欲しい。
一度で良いから競走馬として先頭ゴールする喜びを味わってもらいたい。
日を追うごとにこんな思いが強くなっていきました。
ところが彼女の思いとは裏腹に、トップハートコンの成績に変化はなく、園田競馬も6戦して今度は名古屋競馬へと移動することになったのでした。
それでも、どんなに負けても彼女はトップの単勝を買い続け、レース後には必ず掲示板に励ましのコメントを書きこみました。
それはいつの間にか、病気で落ち込みがちになる彼女の生活の支えになっていたのです。
名古屋に転厩してから僅かずつながらもトップの成績が上がり始め、4着や5着に名前が載る事もありました。
ただ残念なことに、そのレースはどれも賞金が3着までとか4着までしか出なかったのです。
でも彼女には、競馬場の電光掲示板にトップハートコンと名前が載るだけで、涙が出るほど嬉しく誇らしかったのでした。


          続きます
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