『アルジェの戦い』 2017年10月
『アルジェの戦い』 1967年公開のイタリア映画。セミドキュメンタリーでアルジェリア独立戦争を描いてる。
此の映画は、たしか御堂筋の北御堂の会場の試写会招待状が当たって行ったと記憶する、此の頃は、ラジオの洋楽ヒットパレードの
番組で応募はがきを出したら、よく試写会の招待状当たって足繁く通ったよ。ドーナツ・レコード盤なんか頻繁に当たってたよ。
いつものお姉さんの綺麗な声でオレの名を読み上げて「〇〇〇〇さんのリクエストで映画ダンディ少佐のマーチ」なんて紹介されて
身体ゆすって聴いてたよ。話しは戻って 「アルジェの戦い」なんだけど紹介しようにも内容を覚えてないんだね。
当時は、アルジェリアって何処にあるの? そんなのナイジェリアなんて馬鹿丸出しだったからセミドキュメンタリーなんて云われても
『アルジェの戦い』
何が何だか解んない。 「招待状返せ」 世相乱れて収拾つかないアルジェ市街の鎮圧にフランスのパラシュート部隊が出動するんだね。
此のパラシュート部隊が、オレの目からすると恰好いいんだねえ。サングラスかけた隊長らしき軍人が
部隊の先頭を行進するシーンは憶えてる。「どこぞの訳の解らんアルジェの市民ども、オレが来たら気ままは許さん」 これだね。
「恥ずかしいだろ?」 なにが? 「そんなので映画観ても何がなんだか解らんだろ?」 ほとんど記憶にナイジェリア。
『アルジェの戦い』 1967年公開のイタリア映画 当時のチラシ
『アルジェの戦い』 1967年公開のイタリア映画
1954年11月1日、仏領アルジェリアのカスバを中心として暴動が起きた。それはアルジェリアの独立を叫ぶアルジェリア地下抵抗
運動者たちの憤怒の声なんだね。激しい暴動の波はアルジェリア全域から更にヨーロッパの街頭にまで及び、至る所で時限爆弾が破裂した。
1957年10月7日、ことを重大視したフランス政府は、マシュー将軍(ジャン・マルタン)の指揮するパラシュート部隊をアルジェに送った。
独立運動地下組織の指導者はサアリ(ヤセフ・サーディ)という青年で、彼はマシュー将軍の降伏勧告に応じようとせず、
最後まで闘う決意であった。日増しに激しさを加えるテロ行為に対処するため、マシュー将軍は市内に数多くの検問所を設け、
現地人の身体検査から、パスポートの検閲まで厳しく取締まった。そしてテロ容疑の情報が入ると民家やアパートを急襲、
『アルジェの戦い』
アラブ人の強制逮捕を行なった。そのたびごとに地下指導者たちは監禁され、ある者は拷問され、またある者は殺された。
しかしサアリは屈せず、女性連絡員ハリマ(ファウチア・エル・カデル)をはじめとする僅かの部下を率いて地下活動を続けた。
パラシュート部隊の執拗な追求の手を巧みに逃れてきた彼も、ある日、街頭でフランス官憲に目撃され、ついに本拠をつきとめられてしまった。
『アルジェの戦い』
彼はマシュー将軍の投降の呼びかけにも応じなかったため、ハリマと共に軍隊の手にかかって射殺された。
サアリの死後三年経た1960年12月、平静だったアルジェは、独立を願うアルジェリア人たちの叫びで再び騒然となった。
まあ、そういう映画だったらしい。「観たんだろ?」 粗筋から遡って思い起こせば、そういう映画だったようだね。
アルジェの戦い 予告編
『名誉と栄光のためでなく』 1966年アメリカ映画。『アルジェの戦い』と時代を同じくして、
アルジェの抵抗勢力の鎮圧に出動したフランスパラシュート部隊とインドシナ戦線でともに戦った戦友が、
今はアルジェ独立戦線のリーダーとなったジョージ・シーガルを相手に苦悩を抱えつつ戦う姿を描いた娯楽戦争大作。
1954年インドシナ戦線で8年間にわたる戦いに敗れベトナムに降伏したアンソニー・クイン中佐率いるフランスパラシュート部隊が
捕虜生活ののち本国へ帰還する。アンソニー・クイン中佐は帰国後、戦死した上官の未亡人ミッセル・モルガンを見舞い、
彼女の計らいで軍務に復帰、任地は、アルジェリアの激戦地。第10パラシュート部隊の指揮官となる。
『名誉と栄光のためでなく』 アンソニー・クイン アラン・ドロン モーリス・ロネ ジョージ・シーガル
この危険な戦闘に志願した者たちは、かつてベトナムのディエン・ビエン・フーでともに戦い生き残った部下たち。
歴史家でヒューマニストのアラン・ドロン大尉、コロンビア大学を出た理想家肌のモーリス・ロネ大尉など、
いずれも気心の知れた連中ばかりであった。隊名も“リザード(のらくら者)”とつけたアンソニー・クイン中佐は
新兵たちに激しい訓練をほどこした後、ジョージ・シーガルの率いるテロリストが出没するアルジェのガフェス地区に向かった。
戦闘は苛烈をきわめて双方ともに死傷者が出る。激情的なモーリス・ロネ大尉とヒューマニストのアラン・ドロン大尉は、
捕虜の取扱いをめぐってたびたび対立した。
『名誉と栄光のためでなく』 クラウディア・カルディナーレ アラン・ドロン
そうした或る日、アラン・ドロンは街でクラウディア・カルディナーレという美しい娘と知り合うんだけど、彼女は抵抗武装派リーダーの
ジョージ・シーガルの妹だった。クラウディア・カルディナーレに恋情をよせていたアラン・ドロン大尉の絶望は深かった。
やがて、クラウディア・カルディナーレは、兄ジョージ・シーガルの助命をアラン・ドロンに約束させ、かわりに彼等の居所を告白した。
ただちにアンソニー・クイン中佐の一隊はジョージ・シーガル討伐に向かい、激しい戦闘に突入して互いに多くの死傷者を出す。
爆風で視界が利かなくなったジョージ・シーガルをアラン・ドロン大尉が射撃を制止するが激情的なモーリス・ロネ大尉が非情に射殺する。
戦闘は終わりをつげ、本部中庭でアンソニー・クイン中佐以下パラシュート部隊の面々は表彰をうける。そんな光景を窓から見下ろす
アラン・ドロンは、名誉と栄光の名のもとに非人間的な行動を強制される軍隊に別れを告げるのだった。と、云うような物語だったね。
ロスト・コマンド 名誉と栄光のためでなく 予告編
片やセミドキュメンタリーで描かれたアルジェは、文字通り記録フィルム風に物語が進行して、其処らの市民と変わらぬいで立ちで
ゲリラ的にテロを行っては市民に溶け込み、またテロを繰り返して市民の顔に戻る。
似たような顔立ちは誰が誰やら判別しにくいから馴染みも薄い。死んで転んでも情が湧かないから個人的には迷惑ばかりが目立つ。
鎮圧の責を負って軍服で行動するものは、威圧を与えるけども標的になる弱さも相持ってる。怪しげであれば疑い危険を排除せねば狙われる。
個々の存在は軍服を軸に同胞、仲間意識が出来上がってる。撃たれて倒れれば仲間がやられた意識は我が身に変えて恨みが増幅する。
そういう有り様の中で互いに悲劇が悲劇を生んで止めどない憎しみが煮えくり立つんだろうね。
時代の流れが大河に至れば海に通じて解放されるまでに時間を待たない。アルジェも互いの人の血と涙とともに、そうして流れ下ったんだろうね。
『名誉と栄光のためでなく』 アラン・ドロン
片や娯楽戦争大作、時代は同じくしてアルジェの戦いが舞台、格好いい奴らは、兎に角、格好いい。「なんやねん、それは」
白人の世界で兵役積んで軍隊衣装が身に着いたジョージ・シーガルは、軍服姿で独立運動派のリーダーなんだけど
その他諸々の配下はターバンや民族衣装で誰が誰やら解らない。つまり、誰が死んでも意識にとどまらない撃たれ役に徹してる。
迷彩色の戦闘服に身を固めたアンソニー・クイン、アラン・ドロン、モーリス・ロネなんてのは恰好良さで正義の味方だよ。
毛むくじゃらのターバン男などハチの巣だよ。「わ、わたしの夫があ~あ~」 隣で笑ってる奴と一緒だよ。「えっ そうかしらっ?」
此の二つの映画を対比すると作為に満ちた映像の魔法に惑わされる。
『アルジェの戦い』は、現実的ではあるけれども、其の流れたるや個性が薄れて時代の点と点の集合体でしかないようにもとれる。
『名誉と栄光のためでなく』は、矢鱈と個性を打ち出して、そうそう有り得ない恰好良さが集って平気で嘘の時代を創り上げる。
オレは、見た目が格好良ければ全て善しだよ。「ちょっと、おかしいんではないか?」 オレの視覚的に合格なんだよ。
『名誉と栄光のためでなく』 クラウディア・カルディナーレ アラン・ドロン
アラン・ドロン大尉が街でクラウディア・カルディナーレと知り合うシーンがある。敵対するような男がクラウディア・カルディナーレを
追い払うようなちょっかいを出すんだけど戦闘服に身を固めたアラン・ドロン大尉が男を制止して彼女を庇う。
そん時のアラン・ドロン大尉の全身像が恰好良すぎるっ。有り得ないっ。其れだけで、充分、正義の味方だと信じて疑わないっ。「アホッ」
『名誉と栄光のためでなく』 クラウディア・カルディナーレ 戦争屋に徹して情なしの男だけど格好いいモーリス・ネロ
無理して二つも書いたから内容は、全然、責任持たないと付け加えておこう。後から見たら間違いだらけだと思う、ゴメン。