カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-779 『心に錦』

2013年05月31日 | 日記








最近、「疲れたあ~」「疲れたあ~」の言葉を漏らす回数が増えてるらしい。そういうと、云ってるね。

「仕事だけでもエライのに、ブログみたいなもん毎日欠かさず目一杯やる意味が、何処にあんねんっ」「お金になる訳やなしっ」

なんて、奥さんが怒りよる。まあ、云われてみれば、其の通りでもあるね。「仕事の積もりかいなっ?」 こいつ、しつこいねん。 



















今日、朝、目覚めると「ぎゃあわわわ」「ぎゃあわわわわ」って、凄い蝉の声が響いてる。ええっ~?おかしいでえ?

慌てて洗面所へ行って奥さんに、なんやねん、なんでこんな早く蝉が鳴くねん? 「ええ?」 蝉が鳴いてるがな。

「なにを云うてんねんなっ、なにも聞こえへんがな」 ええ~? 「あんた、それ、耳鳴りやがなっ、ヤバイでえ」 ええ~?






戻ると蝉の声はやんでる。耳鳴りかよ? 「あんた、疲れてるんや」 そらそうだろうね、こんな早くから、蝉、居らんわな。

アレが耳鳴りというものなんやねえ? 凄い合唱やったで。「ちょっとなあ、休まんと病気になるで。あんた、2年間ぶっ通しやで」

「仕事から帰ったらパソコンの遣り詰め、若いもんの真似してたらエライ目にあうで、ちょっとは、歳を考えっ」ピーチク、パーチクの機関銃乱射。






はい、はい、はい、出しなにガミガミ云うなよ、も~うっ。オレの疲れには、おまえもあるよ。「どおう云う意味やのんっ?」ドバンッドバンッの大砲乱射。





















大層な仕事じゃないけど、一日終われば、それなりに疲れてる。其のあと、ブログを考えながら、深夜遅くまでパソコンから離れない。

確かに、いいはずはないね。気分転換にはなってるけど身体には堪えてるのかなあ? 睡眠が極端に減ってるもんね。身体壊したら元も子もないからね。

生活スタイルの改善を考えるべき分岐点に来ておるねえ? 暫し・・・・・・・沈思黙考・・・・・・・。






熟慮した結果、暫くの間、甚だ不本意ながら、「毎日更新」を、一旦、棚に上げて体調回復に努めようと思います。

毎日、欠かさず開いてくださる皆さんには申し訳ないですが、更新は、其の日の体調に合わせて判断することにします。

長く続けたいので、無理してアウトなんてのは、尚更、意に反しますので、ご理解頂けますようお願いします。






一応、お断りを入れておこう。





















オレも、少しは大人になったねえ~。「どこがや?」 いやいや、本来なら、くたばるまで意思貫徹するとこだけど、此の場合、ただのアホやもんね。

「よおう、解ってるねえ」 しかし、本当は、そうあるべきもんなんだよ。

一旦、それで人さんを釣ったら、何が何でも裏切ってはいかんもんなんだよ。それが誠意だよ。「クソ重たい男やね」 ほっとけっ。 






何でもかんでも、当然だよ、権利だよ、なんてばかり云う奴にロクなのおらん。

其の逆さまの、義理や、義務を徹底的に遣れる人間目指せ、この野郎っ。それが出来てから云え。でも、不思議とね、できる人間になると云わなくなるの。

ボロは着てても心は錦、どんな花より綺麗だぜ、なんて水前寺清子が歌ってたね。「古いねえ~おまえ」 いい歌だねえ。






心で生きて、心で話し、心で人さんに向き合う、そんな人間がいいね。





























カメレオンの独り言-778 『審判の日』

2013年05月30日 | 日記





ずっと夏みたいな天気が続いていたけど高気圧が移動して梅雨前線が上がって来たかな?

週間予報で、雨空が、暫く続くようなこと云ってる。仕方がないね。

空も、屈託無く笑ってばかりは居られないんだろうね。悲しみは溜め込まないほうがいい。泣きたい時は、泣けばいいんだよ。






笑いたいときには、然程の抵抗もなく笑ってんだから泣くのも同じだよ。

笑いも泣きもしない、沈香(じんこう)も焚かなきゃ屁もこかんなんて、面白くもなんともない人間では寂しい。

※ 沈香=熱帯産の沈香から製する天然香料。

「人は悪かれ我善(よか)れ、義理も絲瓜(へちま)も瓢単も、沈香も焚ずば屁も撒(ひ)ねらず」 なんて云うらしい。




















降りそうで降らないね。大阪は、毎年、入梅宣言すると降らないんだね。

なんか蒸し暑くて不快だね。湿気が、かなり高いんじゃないの? なんか身体がダルイよ

今日は、遅くまで仕事だったからパソコンの前に座ったのが、えらい遅い時間になっちゃた。しんどいね。






あまり疲れてなくて気分的に調子のいい時は、1~2日分を書き溜め出来ることがある。






こういう時は、気分的にゆとりかなと思ったけど一緒だね。備えが減ると焦燥感が形変えて気忙しないんだね。「救われんなあ~」

「今、備えは?」 無いんだねえ。「搾り出せ」 

絞り出るときは出るんだけど、頑固な便秘だと出ん。「臭い奴やな」






「家ん中に入って大騒ぎのトカゲかヤモリはどうした?」 話題を提供してくれて有り難いけど知らん。箪笥の裏で干からびておるんではないか?

「干からびるまで、じっとしておるか?」 では、夜中に移動して、水気のあるキッチン辺りに隠れておるかな?

「おまえの水飲みコップの中へ入って滴でも舐めておるかもな?」 それは、オレを脅しておるのか? 






奴等も生きていくのに必死さ。知らねば知らぬままだよ。ただ、コップの中にウンコはするなよ。



















今日の新聞広げたら見開きで南海トラフの地震地図が載っている。ああ、もう終わりだね。

いつ来てもおかしくないらしい。三十数万人の死者を予想してるよ。

地震で生き残っても、後が大変なことになるみたいだね。関東から九州まで総なめに被害を食らう。






津波の高さも半端じゃない、30メートル級の津波が襲ってくるらしい。30メートルって云ったら、ビルの15階ほどの高さになる。

東北の大津波でも仰天してんのに、その倍ほどの奴が陸地を洗う。南無阿弥陀仏。

果たして、臨海の工業地帯、石油タンクなんてのは、どうなるのであろうか? 大爆発の火災が波に押されて内陸部を襲うであろうね?






海面に浮く油を轟々と燃やして猛火の大津波が押し寄せてくる、考えただけでもぞっとするね。






パイプラインはズタズタにちょん切られ、水道、電気、ガスなんて無くなる。食料も無くなる。被災者の収容施設も全く足らない。何百万人が路頭に迷う。

起こる季節も選べない。真冬に来たら凍死する。真夏に来たら喉が渇く。綺麗好きの日本人が、揃って汚れて臭くなる。

これが、果たして予想通りに来たら、とんでもないことになるだろうね。審判のときだろうかね。












「公審判 ハンス・メムリンク作」










日本人が日本人たる気質を堅持して、他を思い遣り、協力して難関を乗り越えられるか試される時だろうね。






各自が、一週間の飲食物を備え持つ必要があるという。一週間、サバイバル生活を否が応でも強いられる事態になるんだね。しんどお~。

パソコンは? 「アホか、そんなもん復興の最後の最後だよ」 退屈ぅ~。

「おまえの得意とする肉体労働が待ってるよ」 アホか、もう歳やで、そんな馬力があるかよ。「頑張ってもらわなしゃあないね」 ダルゥ~。






地震そのものも確かにコワイ、30メートルの大津波もコワイ、でも、その後が、ホントにだるくてコワイ。元に戻るまで、めんどいことだろうねえ~。 

「生きてりゃあこその問題だろうが、アホッ」

























カメレオンの独り言-777 『トリプル7 ・ 映画 ベン・ハー』

2013年05月29日 | 日記








今回、777回目の独り言。始めのうち「休憩」ってのを挟んでいたので、実際は、912回目なんだけど、

其れを含まなければ777回目なの。「それがどうしたの?」 ラッキーセブンが揃ったんだよ、縁起がいいよ。

揃ったんだけど、ネタが、なんにも浮かばないんだね。「777回記念して休めばいいんだよ」 ああ~なるほど。













では、そういうことで777回を記念して、本日はお休みさせて頂きます。「えらい素直やね」 でも、ちょっとだけ書いておこ。










「ベン・ハー」 1959年度作品











Carlo Savina 映画「ベン・ハー」 Ben-Hur ~ Overture ~


















なにも浮かんで来ない日は映画に限る。DVDを引っ張り出して「ベン・ハー」のラスト部分を観た。

自らが打ち付けられる大きな十字架を背負わされてキリストがゴルゴダの刑場へ向かうシーンから観たんだけど、何度観てもいいね。

キリストの最後を見届けて屋敷に帰って来るジュダ(チャールト・ヘストン)




迎える恋人エスター(ハイヤ・ハラリート)に「父よ、彼らの罪を許し給え」キリストの最後の言葉が聞こえたと伝える。

そして、自身の過酷な運命も何程のことかと思い悟ったと云うジュダに、エスターは、階上に現れたジュダの母と妹に目で誘う。

母と妹の姿に畏れるように目を疑うジュダ。このチャールトン・ヘストンの演技は見事だね。




ライ病に侵された母と妹が、キリストの奇跡の恩恵を受け、もとの美しい姿に戻っているではないか。




























信じられない衝撃と感謝に打ち震えながらジュダは階段を上がるんだけど、ヘストンの真に迫った表情に圧され胸が熱くなって目頭が濡れるよ。

ミクロス・ローザの「ベン・ハー」のテーマがバックに流れ、母と妹の顔をなぞるように確かめつつ、大きな身体で二人を抱き寄せるんだね。













超スペクタクル巨編 史劇「ベン・ハー」の感動のクライマックス。捏ねくり回さず単純でもいい、純粋の感動だね。













前にも、少し書いたんだけど、何度観ても感動するから、また、書いてしまった。

此の作品は、1959年、全米公開後、国内だけでなく全世界でも大ヒットしたんだね。

当時で54億円もの巨額の制作費が投入されたが、この映画一本で倒産寸前だったMGMを一気に立て直したという。起死回生の奇跡の作品だね。

































カメレオンの独り言-776 『導く記憶』

2013年05月28日 | 日記







大阪の市電の写真をむさぼって見てたら、なんか写真を無性に撮りに行きたくなったよ。

今更、此の歳なってから撮り溜めても、懐かしさを愉しむなんて無理だけど、昔懐かしい処へ出かけて写真に収めようかなって思ったね。

そんな思い入れって、自分でしか解らないものだから独り遊びだけどね。





人に話しても解らない喜びってのがある。話したところで、その思い出の味までは伝わらないだろうね。

そんなのを思い出しながらフラフラと撮り歩くのも悪くないね。











「大阪梅田」 昭和35年頃








  007は殺しの番号









前にも、少し触れて書いたように思うけど、十代前半の頃、親父の仕事の配達の途中、市バスの窓から「007は殺しの番号」

(当時は邦題でロードショウしてた)の大きな看板が目に入った。大阪梅田新道辺りだったね。










当時の「梅田新道」 前方が阪急百貨店、右手の梅田大映は、確か、左折した方に在ったように思ってたけどね?







ショーン・コネリーが、ワルサーとグラスを持って格好良く極めてる。

過ぎ行く看板が見えなくなるまで振り返って見てたよ。それから、何処を通って淀川の堤防まで来たのか記憶が途切れてる。





淀川に架かる橋を渡って行くんだけど、どの橋だか解らない。ルートからすると福島、野田をまわって2号線を行ったんだろうと思うんだけど?

大橋の袂付近の道路沿いには、自動車の板金屋さんがあって、クラッシクカーが軒に並んでたのを覚えてる。雑然としていたね。

道路沿いは未舗装?(歩道)で砂埃がモウモウとしていたんだね。その情景が、今の現地と合致しないんだね。





(あとで思い出したんだけど、福島、野田って云ったら自動車部品を販売する商店が寄っているんだね。板金屋さんの存在の裏がとれたね)





だから、ずっと中途半端なままの記憶だったんだけど、市電の古い写真を見ていて小さな写真に目がとまったの。

市電が、2号線の淀川大橋を渡ってる写真なんだけど、あっと思ったね。記憶の喪失部分が埋まった感じだったよ。

あの時、渡った橋は、紛れも無く2号線の淀川大橋だったよ。繋がったら、其のあとのまばらな記憶までが一本に纏(まと)まったね。











「淀川大橋」 昭和40年代(向かって左写真)  昭和30年代(向かって右写真)







そうかあ、あの日は、孤立して残ってる神崎川の停留所で降りた記憶に繋がっていたんだなあと、不明が解けたんだね。

橋を渡り坂を下り、野里の交差点を通過して歌島から神崎川手前の停留所までバスは走ったんだね。

今の当地とは比べようもない殺風景な、なんにもない寂しいところだったねえ。記憶では、灯りが皆目無かったよ。





思うに季節は、秋も深い晩秋だったんだろうね。淀川を渡る手前の板金屋のクラッシクカーはオレンジの日差しを跳ね返していた。

其処から、神崎川まで然程の距離はない。秋の日はつるべ落とし、みるみる辺りが暗くなったね。

神崎川停留所に降り立ったときには、もう、夜の帳が下りていた。寂しいところだったねえ。





孤立してあった神崎川の停留所の記憶はずっととどまって忘れなかった。この記憶はオレが、いずれは、其処に縁があることを教えていたんだろうね。

感覚的には、無縁に等しいと断じるほどの当地だったけど、その停留所から西へ半キロほど堤防沿いを行けば千船ってところに繋がってる。

何十年後に、オレはそこで13年間マンション暮らしをした。とても苦しい生活だったね。










  現在の神崎川風景










暗くて寂しい何もない情景がやたらと記憶に残っていたんだね。人は、長く人生していると不思議なことを幾度かは経験するもんだね。

先々、自分が辿らねばならない人生の道を、疎(まば)らでありながらも印象的に残った記憶が、其れを教えていたんだろうかね。

まあ、オレって、こんな予知能力みたいなのは、昔から欠片程度は持っているみたいとは、薄々、自覚はあったけどね。





感じても黙ってる事柄が当る確率高いね。語るほどでもない、何か、心に引っ掛かる程度の事柄が、妙に当るんだね。































カメレオンの独り言-775 『暴走市電』

2013年05月27日 | 日記





なんか、上昇気流に乗ってるような趣の時ってのは気分が至っていいんだけど、時折、其の逆で奈落に落ちたような時って、最悪な気分だね。

気分的なもんなんだけど、奈落に落ちると重たいねえ。梯子登って上がらなしゃあない。

仕事も本身が入らん、しかし、本身で遣らんといかん。昨日も暑かったよ。夏の日差しじゃないかよ。蝉が鳴いてもおかしくないよ。





  昨日は、土曜出勤。なんなんだよお~。





この二日ほど、深夜に考えている。自分に科さねば変わらんなあって思う。このままの姿勢では変わりようもない。

時期も良し、そろそろ生活姿勢を改めて、中と外のメリハリをつけた休日の過ごし方を身に付けよなんて、考えている。

どうするか? とりあえずカメラ持って疲れるまで歩く、出しなに「何処へ行こうかな?」なんて考えないこと。




兎に角、出るということが先決。出んことには話にならん。ここが大きなポイントやね。「大層なこと云うとんなあ」

めんどいって思いは、そのぐらいの抵抗力を持っておるんだよ。

昔は、ふらっと、よく出てたんだけどなあ~、人間って変わるんだね。「じゃあ、また、変えろ」 簡単に云うな。















同じ花や鳥ばっかし撮っても仕方ないって思ってしまう、でも、撮ったら、いつものとは違うんだね。「解ってるやないの」

「新鮮なものを常に吸収せんと思い込みが固まってしまうぞ」 同じものでも、毎日、表情が違うんだろうね。「そう」

薄らボケた花の写真を貼るとき、綺麗だなあって思う時があるんだね。そんなときは、よし撮りに行こうなんて思うんだけどね。




「人間は感動を忘れてはいかんぞ」 そうだね、なによりの栄養だろうと思う。「では、外の空気を吸いに出よう」 おまえ、元気だね。




よし、6月からオレは行動的になるぞの予定だぞ。「なんやねん、それ、なるぞの予定だぞなんて、はなから未定の用意をしておるではないか」

オレはな、決定すると病的になるからね、クッションを入れておくんだよ。

まあ、此れから梅雨に入るし、休みが、必ず、晴れなんて期待できないから、ぼちぼち変えていくにはお誂え向きだよ。
















今日は日曜出勤、なんなんだよお~。貴重な休みを盗るなよお~。





大阪市の堺筋を北へ、北浜まで行くと堂島川に架かる難波橋がある。古い橋だね。ライオンの像が欄干の上に居座り行き交う車を見詰めてる。

ネットで昔の市電の写真に眼がとまって、ふっと思い出したよ。道路を市電が走っていたね。子供の頃、親父の仕事の手伝いでよく利用したよ。

なにを思い出したかっていうと、市電がカーブを回るとき、時折、凄い遠心力がかかるんだね。




此れが半端じゃないの。JRの電車が尼崎でカーブを回りきれずに、沿線沿いのマンションに突っ込んで大惨事が起こったね。

自動停止装置が有ったか無かったかで問題になったけど、当時はそんなもの無いもんね。全ては、運転手の腕と判断と運任せだったよ。

いろんな線を利用したけど、この堺筋線の北浜から北へ難波橋を渡って、すぐの桶の上町のカーブと次の鳴尾町のカーブが凄かった。




今は、町名も変わって桶の上町は西天満一東、鳴尾町は天神橋一、松屋町筋との合流地点だね。















ダイヤが遅れたりしたら凄まじいスピードでカーブに入って曲がる。ズラッと並んだ吊り輪が、遠心力で揃って180度振られるんだね。

壮観だよ。対面で腰掛けが儲けられてるんだけど、足を床に踏ん張らないと吊り輪と同じように飛ばされそうになるの。

市電って、おとなしい雰囲気に思えるけど、実際は、そうじゃないよ。運転手の性格が大きく影響しておったね。







  市岡元町辺りらしいです。







港のほうにも凄いところがあった。町名が定かじゃないんだけど、今の弁天町辺りかな? 市岡、朝潮橋辺りだったようなうろ覚えだね。

此の辺りにも凄いところがあったね。道路幅が広かったような記憶だね。次の駅で降りるので立って前へ移動しかけてたの。

十四、五だったかなあ、電車は直線をフルスピード、相当の揺れなの、そいでもってかなりのカーブへそのままのスピードで入るの。




もう、振り回すが如くだよ。吊り輪が揃ってブルンブルンおもくそブランコしよる。















今なら、このときの運転手、投書でクビだよ。凄い遠心力で振り回されたよ。吊り輪をぶら下げているパイプを持っていたのに

安定が図れずに夢中で、もう一方の手が何かを掴んだの。同じく振り回されていた女性の胸だったの。鷲掴みしちゃった。吃驚したよ、声が出なかったね。

女性も吃驚して声が出せないみたい、真っ赤になって「コメンナサイ」って搾り出して誤って着いた駅に降りた。あれは、格好~悪かったなあ~。




最初で最後の痴漢だったね。その女性は三十代前半ってとこだったかな? じっと睨まれた顔を暫く忘れられなかったよ。「コメンナサイ」




でも、市電がカーブ曲がりきれずにどこぞへ突っ込んだなんてニュースは記憶にないね。




堺筋は、オレの人生で馴染み深いね。昔住んでいた日本橋筋一丁目駅から北へ、道頓堀駅、八幡筋駅、清水町駅、この近くにも住んでたね。

長堀橋駅、南久宝寺町駅、本町二丁目駅、平野町駅、ビジネス街で、長い間、商売してた。高麗橋駅、天神橋西筋線、北浜二丁目駅、桶の上町駅

鳴尾町駅、南森町駅、寺町駅、オレが生まれた西天満、堺筋線は、此処から北へ天神橋筋六丁目まで、その向こうに母なる淀川がある。







  日本橋筋三丁目辺りの堺筋







日本橋筋一丁目から南へ日本橋筋三丁目、松坂屋があった、今は高島屋別館。日本橋筋五丁目、三丁目から五丁目に電気屋さんがズラッと並んでたね。

当時は、南区、大阪の南って云えば、千日前、大劇通り、難波、戎橋筋、道頓堀筋、心斎橋筋、御堂筋、どこもかもが自分の庭みたいだったね。

懐かしいね、ほんとに懐かしいよ。





あまりに懐かしいので、市電関係の写真を勝手にお借りしました。ごめんなさい。










カメレオンの独り言-774 『宝くじ』

2013年05月26日 | 日記





ジャンボ宝くじの販売に重なると小遣い使うのを引き締めないとあかんのが辛い。

引き締めて、軍資金を用意して、暫くの妄想の後、ゴミに換えるのは、尚、辛い。

大概にせえよっと、大きな声で怒れないのも辛い。

何処そこで、1等出た、出たなんていうニュースを見るのも辛い。

手元に残る末等300円が数枚、勘定が全然合わんやないかと、我に返るのが辛い。






 熱いお茶でも呑んで落ち着いて。






また、ドリームジャンボの売出しが始まってる。もう~、順番はいつ来んねんっ、そろそろ来てもええんとちゃうのん?

宝くじ買い続けてる人って、裏切りに強いんじゃないのかな? 免疫で応えない精神ができていると思うよ。

「もう、おまえの運は去ったんとちゃうんかえ?」 其れを云うな、それを云うと、買う前から萎える。















前にも書いたけど、もう、10年ほどになるかなあ? 2年のうちにジャンボの1等の組違いが、5本、年末近畿宝くじの特別賞が1本の6本が

当たったんだね。みんな10万円だったけど、賞金よりも、なんで1等の組違いばかり当たったのかが、謎なんだねえ。

6桁が当たって組だけ違うなんて、あんまりやでえ~。ここで、締めが来てもいいんじゃないかねえなんて、思うんだねえ。




「来るんとちゃうか?」 そうっ、その言葉だよっ、その言葉が運を呼ぶんだよっ。うん、実にぃ~素晴らしいっ。「アホやでぇ~」

うちの奥さんの最悪なのは、「そんなもん当たるかえっ」 扱下(こきお)ろすんだね、「もったいないっ」 「当たれへん、当たれへん」

「そんなん買うねんやったら貯めっ」 良くなれって念じて買ってんだよぉ~? それをミソ糞に云うから、此の時点で運は逃げてるよ。




だから、最近は隠密作戦で購入してんの。どちみち、昔から自分の小遣いだけで買ってるんだから、オレが痛い目するだけだからね。

でもね、縁起をかつぐと疲れんの。抽選日まで気づくなって祈ってんのに「あんた、何枚買ったっ?」 もう、この一言で運が飛び去っていくんだね。

この瞬間、このぉ~糞ババアってアッタマくるの。死ぬまで黙っとけよ、ホンマァ~。また、ゴミじゃないかあ~なんてね。















思い起こすとね、最初組違いが当たってから、2年ほどは、奥さん静かだったんだよ。「其の間に6本か?」 そう。「う~ん・・・・・」

オレはね、オレの血が云わすんだけどね、必ず、デカイのが当たるって気が退かないの。第六感なんだろうね。なんか見えてるの。 「ホンマかえ?」

うん、当たって当たり前って感じなの。それも、近いんだね。オレが、こんなの云うときは、ホントに臭いの。「なんか、その気になるね」 だろ?




あまり勢い込んでも駄目なんだよ。自然体がいいんだよ。欲は一切かかない。オレは、当たる、その一言だけを、さも当然のように唱える。

コレを意識しないで買いに行って、買って、帰る間、平常心を保つの。

そして、家ん中の一番高いとこへ置いて、忘れ去るんだよ。本邦初公開だよ。ジャンボ買って、また、しばらく妄想で悦に入ろか。




なんとはなしに、本邦初公開なんて使ってるけど、此れって、邦は国と云う意味で、本邦だから、この国で初公開ってことになるんだね。








カメレオンの独り言-773 『爬虫類』

2013年05月25日 | 日記







なんか落ち着かないね。用もないのに周りを見回すね。

「あんたあ、ちょっと来て、なんやのんこれ?」 奥さんがベランダから呼んでる。「なんや?」 「ちよっと、来てっ」 

用件を云わんのだねえ、うちの奥さんは。顔しかめっ面して、偉そうに呼ぶだけ。






入っていくと、「これっこれっ」って、ベランダのガラスドアに架かるカーテンレールの方に指さして身を引いている。

わっ、最悪っ、オレの最も嫌いな爬虫類やないの。トカゲかあ? ヤモリかあ? どっちにしてもキモイッ。

なんで家ん中に、そんなもんが居るんや? 「あんたっ、獲って、表へ放りだしてっ」 云うのは簡単だけど、オレもコワイがなあ。






ティッシュを二、三枚併せ持ち、この野郎って掴んだけど、ニュルッと抜け出て足元へ落ちた。ドッギャア~、毛が逆立つやないの。

ニュルッニュルッって箪笥の隙間に逃げ込みよった。「何をしてんねんなっ、どんくさいなあっ」 遠くで見てて偉そうに云うな。

わあ~、こらあ、えらいこっちゃでえ。ライトで照らしても居らんがな。「もおおうっ、どないすんのんっ」





















ベランダの網戸少し開けとき、勝手に出て行きよるやろ。「嫌やなあ~」 オレも嫌やがなあ。「勝手に出て行くかあ?」 解らん。

ひょっとしたら、また、違うのが入って来よるかもね。しかし、鬱陶しいなあ、寝てて顔の上這いよったら気ぃー狂うで。

キモイ生きもんやねえ、爬虫類って。金出して飼う奴の気が知れんわ。しかし、なんか、落ち着かんなあ~。






「おまえ、カメレオンも爬虫類やぞ」 ああ、そう云うたらそやね。トカゲやヤモリは友達かあ? 題名、また、変えよかなあ。






高々20センチ程度のトカゲかヤモリにパニックなるなんて我ながら恥ずかしい。

落ち着いて考えてみると、向こうのほうが怖かっただろうね。どでかい奴が迫ってきて掴み獲ろうとする。

どこでもいいから必死で逃げるわな。相手の気持ちを考えると、然程、怖がることもない。でも、キモイのは、どうしょうもない。





















話は変わるけど、オレは、いつからこんなにお宅になったのかなあ? 休みに出かけようかと思うこともなくなって来たよ。

みんな、このパソコンが悪いんだねえ。こいつの前に座ると、他の事が全て消えちゃうね。

常に没頭してるってんでもないんだけど動かなくなるね。恐ろしい吸引力だよ。






写真なんか、もう、底ついて何もないから、同じので誤魔化したり、他所さんのを勝手に拝借したりして忙しい。

いかん、いかんって思いはあるんだけど、そのまま一日は暮れるね。

若くはないんだから、適度の運動も健康のためにやらんといかんとは解ってるのに腕立て伏せ70回だけでお茶を濁してる。






克己心を養わなくてはいかんね。わりと有るほうなんだけどね、パソコンの魅力には負ける。





















ちょっと、切替えの時期に来てるね。話のネタも尽きてくるし、また、壁が立ちはだかったようだよ。

もう、何度、壁を乗り越えて来たかね? ダルイねえ~。

今日は、こんなのでお茶濁しとこ。

































カメレオンの独り言-772 『超高層ビル』

2013年05月24日 | 日記






公園の一角ででかいカラスが二羽、砂ぼこり立ててバタバタ暴れてる。「何しとんかいな?」って、様子を見に外へ出る。

ああ~、弱肉強食の真っ最中だったんだね。大きめのムクドリが、腹を割かれて内臓引っ張り出されているのに、羽根をバタつかせて抵抗してる。

助けてやるには遅かった。カラスは獰猛やね。遊んでるみたいにあしらってる。一撃で殺してやれよ。




空から、番(つが)いの片割れなんだろうね、ムクドリが声張り上げて威嚇して急降下、助けようとしてるみたいだね。

見とれんね。公園に入り現場へ近づくと、カラスがいち早く気づき、抵抗するムクドリを咥えて飛び去った。

もう一羽のムクドリが追っていく。ムクドリにとっては、大変な悲劇だね。彼らは、道路の向こう側の緑地のほうへ消えた。




いつも雀たちと餌を啄ばんでいたね。雀は、常に警戒しているのが解る。ムクドリは、雀ほど神経質じゃなく、のんびりしている。

そう云う姿を、カラスは、電柱や屋根の上から観察して居ったんだろうね。

人間社会も、似たようなもんだろうね。悪い奴は、何処かでじっと下調べをして、隙が生じた時を見逃さず凶行に走るんだろうね。




ことが過ぎれば、何事も無かったような時間に戻ってるよ。喰われて無くなるムクドリのように、あらゆる事象も時間に喰われて無くなるのかねえ?









「ムクドリ」






愉しいこと、嬉しいこと、哀しいこと、苦しいこと、腹立たしいこと、いろいろあるね。

哀しいことや苦しいことは、少ないに越したことはない。

じゃあ、愉しいことや嬉しいことばかりで幸せかって、振り返れば、虚しさが過(よ)ぎるときがある。




何を基点に愉しいのか、何を根拠に嬉しいのか、その辺が、曖昧だと空虚になる場合がある。

哀、苦、怒なんて感情は、不思議と根拠があるね。それを解決すれば安らぎを得れる。発生の源が、目の先に歴然とあるね。

愉しい、嬉しいなんて感情は、意外と刹那的な事柄に多いような気がするよ。その持続を追い求めれば軽薄さと浅ましさが隣に鎮座する。




喜びごとに慣れ込むと苦しみごとに弱い、苦しみごとに身を置きすぎると喜びごとが嘘っぽく見える。

なんなんだろうかねえ? 人が生きて行くってのは、七面倒臭いもんだね。















いい天気だね。少し湿気が多いような気もするけど、梅雨を前にしてんだから致し方ないね。

もう、沖縄は梅雨入りしてんだろうね? ぼちぼち、本土へ上がって来るね。

中国の煤煙はどんなもんなのか忘れてるね。福島の原発の状況もどうなっているのかねえ? 汚染水が溜まる一方ってのは聞いてるけどね。




情報ってのは欠かせない。これが止まると、ホントに忘れてしまうよ。日々、我がごとのことで追われているからね。」

この前、テレビで遣ってたけど、南海トラフの地震が発生すると、超高層ビルの上階は振り子のように揺れるらしい。

片側1m、両側併せて2mの横揺れが10分も続くなんてシュミレーションを織り混ぜて解説してる。




それも、遠く離れた関東の超高層ビルなんだよ。震源に近い関西の超高層はどうなんの? 南海トラフなのに なんで関東の超高層なんかね?




倒れなくても居れるもんじゃないよ。窓からの光景がインパクトがあったね。大しけの海を行く船と同じだよ。

仰向けなったかと思うと空が広がり、今度は、グウ~と下向きに傾いて普段の視界を通り越して、低いビルの屋上なんかが其処にあるんだね。

家具から何から何まで、その揺れに併せて端から端まで室内を飛んだり滑ったり生きた心地なんかしないよ。




こんなシュミレーションを見た高層に住む住人は、どれほどの防災対策を実践してんだろうかね?

日々の生活、日々の愉しみを犠牲にして防災の対策に時間を割くかね? 

日常を犠牲にすることが如何に面倒か、命に関わることでさえ「また、今度」なんて、先延ばしにする。




近いうちに必ず来るって断言しても、来るまでは来ない、来たときに、高層の住まいに居るとは限らないなんて、尤もらしい意見も出るね。




その関東の超高層ビルでは、室内から必死に逃れて階段を利用、1階の表に飛び出したら、「大した揺れでなくて良かったですね」って、

表を掃除してるおばさんが、にこやかに笑って挨拶してる。真っ青になって飛び出した住人は、呆気に捉われてんの。

つまり、遠い南海トラフの地震でも、関東の超高層ビルの上階は恐怖のどん底に突き落される揺れが発生するらしいんだね。




アホと煙は高いとこへ上がるって、云うけど、地震の揺れも高いとこへ行くんだね。ロクでもないね。















昔、「タワーリング・インフェルノ」って、超高層ビルの火災を描いた映画なんだけど、これ観てから、オレは高いとこ絶対に駄目だね。

それと、せまっ苦しい処もご法度だね。狭いすまんだで生き埋めなるくらいならストレートで潰して欲しいよ。

なにごとも映画のようにはいかないからねえ。





下から炙(あぶ)られて上へ逃げても、炎も煙も上へ上へ行く性質のもんだから、どんどん追いかけてくる。

ハアハア息切らして上がっても、いずれは上にも切がある。消防は、超高層の火事を消す能力はない。燃えるか飛び降りるしか道はない。

地震で揺れたら、火災発生の確率が上がる。揺れるわ、燃えるわ、煙いわ、ホンマに地獄だよ。




「タワーリング・インフェルノ」は、超大作って云われただけに緊迫感はあったけど、火災で最も怖いって云われる煙が無かったね。

実際の煙を出したら撮影できないもんね。モクモクの煙の中、台詞だけで済ませれば制作費が安くつくんだけどね。

非常時、人は逃げるのに必死だけど、其処へわざわざ向かっていく人が居る。消防隊は、命がけだね。




消防隊長役のスティーブ・マックイーンが、焼ける耐熱服脱いで最上階のホールに飛び出してくるラストは格好良かったね。








カメレオンの独り言-771 『映画 うしろへ突撃』

2013年05月23日 | 日記





人は、自分が受ける事柄に関しては敏感で、自分の言動から傍(はた)に与える影響に関しては鈍感だね。

人は、言動を発せずとも存在するだけで、何かしらの影響を与え合うもんだからね。

発すれば、形になって自分が出張る、返されれば、同じく受けねばならない。





そのなかで、意図してか知らずか傷つけあうことが、しばしば起きる。大方、お互いさんってことが多いんだろうね。

満足もすれば、なにか不満も残る、笑って忘れて流せれば傷つくこともない。

人に対して満足だけなんて、もとからない。ないものを求めると切がない。立ち止まって自分自身を鏡に映すことも大事だね。





人に求めすぎると、自分自身に盲目(めくら)になる。秤に載せることを忘れてはいけない。秤に載るのは自分でなくてはならない。

「思うこと ひとつかなえば またひとつ かなわぬことの あるが世の中」って、ことわざがある。

仰げば、果てしなく空は高いってことだろうかね。追うものは後ろが見えない、そういう人となりで人生を生きるんだろうね。















どう生きても一生だからね。人は、それぞれ物語を創って一生を閉じる。いろんな人生があるんだろうね。





「おまえは、自分を秤に掛けてるか?」 あっはっはっはっは~、自慢じゃないけどね、恥の重みで振り切って、針がブルブルッ震えているよ。

「情けないね」 情けなくとも、オレが引きずって生きて行くしかないよ。あとは、責任をとるだけさ。

昔、「うしろへ突撃」って、映画があった。また、生まれ変わるんだったら、今度は「前へ突撃」の人生を生きてみたいね。









「うしろへ突撃」 1964年度作品 グレン・フォードとステラ・スティーブンス 






南北戦争を背景にした騎兵隊ものって云うので、当時、期待したんだけど、ドタバタの喜劇だったようで観なくてよかった。

ネットにも写真がほとんど出てないね。ステラ・スティーブンス、懐かしい女優さんだね。

「ポセイドン・アドベンチャー」で年増の彼女を観たね。刑事の奥さん役で、高いところから落ちて死んじゃった。





安っぽい色気って酷評されてたけど、なるほどね、今なら、解るような気がしないでもないね。世の男の女性を見る目は厳しいね。





話が逸れたね。逸れて助かってるんだけど、醸しだされる雰囲気ってのは、その人の生きざまから表れるんだろうね。

隠し切れない本当の自分が出るんだろうね。どう見られようと構わないんだけど品性だけは保ちたい。

人間としての責任と誇りと謙虚を意識にとどめて生き切ろう。崩してはいけない聖域だね。















「もう、肩の凝るようなことばかり云ってないで気楽に生きたらどうだ?」 おまえも、そう思うか? 

此処で書いてるようなことばかり考えてるわけじゃないよ。書くこと、思いつかんから、同じようなことを書いているだけだよ。

自分の生き方を、いちいち確認とらなきゃ忘れるほどアホじゃないよ。もう、身に染みて身の一部だよ。





一匹狼って云えば、類に頼らず独りで生きるってイメージだけど、オレの場合は、独りにさせて貰えないんだよ。

寄って集ってきよるから、その反動で独りになりたいってとこがあるみたいだね。

でも、心の何処かに独りぽっちのオレが居るんだよ。なんでか解らん。そいつが、一匹狼の正体かも知れんわ。





そいつは、強いよ。喧嘩が強いってんじゃないよ。追い詰められたりすると、前面に出てきて支えよおるんだね。

だから、オレは、何処に置かれても一人で立って居れるんだよ。そいつのお陰だね。

「今になって、そいつが目覚めたなんてどういうことなの?」 背中の毛を総立てて立ち上がりよったの。





そいつはね、見えぬものが見えるんだよ。感じぬものを感じよるの。窺っておるね。「なにをや?」 そんなん解らんわ。

鋭い眼光やね。左右に走らせておるね。あっ、「なんや?」 ションベンしとるわ。「なにぃ~?」 あっ、「どうした?」 

ションベンしてスッとしたんかして、ひっくり返って、また、寝てしまったよ。「なんやねんっ、おちょくっとんかっ?」 もう、寝息かいてるよ。





「長々と引っ張ってこれかよ?ただ、便意もようして起きよっただけやないかえっ」 まあ、怒るな、そんなのが、オレの中に居るという話だよ。















しかし、方向転換ってのは、なかなか難しいもんだね。正直、なんにも浮かんでこないよ。真似るようなことは嫌いだからなあ。













カメレオンの独り言-770 『蘇生』

2013年05月22日 | 日記





最近、感じるんだね。自分の中に昔の自分が、まだ居るなって。




なにもかも黙殺して捉われず、真っ直ぐ自分の道を歩くオレが目覚めたかな?

春の風にフラフラして余所見にかまけるときは過ぎた。

ひたすら、自分の道を歩いて行こう。答えなど要らない。歩き続けて終わればいい。













見てろ、オレの底ちから、一匹狼の血と意地と誇りよ、蘇れ。「何処へ行くんだよ?」 狼に聞いて。















「老けた身で何をしようと云うんだよ?」 若い頃は、身を持って遣れる。しかし、オレも年を喰った。

変わらず健在なのは、精神だよ、歳を喰っても精神は意気軒昂だよ。

ミキサーの中に放り込まれて掻き混ぜられて人は生きている。知らず知らず、あれこれ惑わされて吾を忘れるときもある。




自分を見失わない。オレは、自分を生きていく。ただ、それだけのことだよ。

今日は、なんにも出ないから、心意気なりと一発かまして終わりとしよう。「なんやねん、臭いおっさんやね」 ホットケ。







  熱いコーヒーでも呑んで、ホッ。







べつに、牙むくわけじゃない。生きる姿勢の問題だよ。常日頃の顔は、変わらず、いつも、犬っころみたいな顔して笑ってるよ。






  上下2枚、勝手にお借りします。






「こいつ、ホンマに笑っとおるね」  根が陽気なんだろうね。 「でも、こんな表情する犬おるかあ?」 コレ、写真だから、おるんだろね。

「こいつ、なんか賞もらえるで」 フォトペイントで、弄った形跡ないようだしね。「こんなん、勝手に使ってええのんかあ?」 知らん。










カメレオンの独り言-769 『夢の蕾』

2013年05月21日 | 日記







自分の思いを活字にして世間に晒す行為に、正直、未だに、心の何処かで「馬鹿かっ?」って蔑む思いがある。

ただ、自由に自分を表現出来るのが「おもろい」って気もある。そんな中途半端な気持ちが正直なところだね。

言葉も語彙も貧困で、語る内容も貧困で、晒して解る生活内容も貧困で、昔のバングラデシュみたいなブログだね。






最初のうちは、なにがなにやらサッパリ解らんので、他所のブログをチョロチョロ覗いて歩いたけど早々にやめた。感化されるのが嫌いなの。

時流に乗るなんてのは身の毛がよだつ。テレビから出て来る貞子だよ。「なんだよ、それ?」 リングだよ。「ああ、身の毛がよだつ」

皆が右へ行くなら、オレは左へ行く。比べることをしないから自分が行くほうへ行く。「なんやねん、それ」 道なき道を行くんだよ。






始めてから762日目で、904回の駄文の山を築いた。ゴミの山だよ、名づけて駄文山だね。「築港のほうか?」 いや、南港の沖の埋立地だよ。

オレは、こういう馬鹿らしいこと書いてるときって嬉々としておるんだね。

自分ではおもろくて堪らんのだけど、読んでる人にとってはくだらないだろうねえ。





















最初は、言葉遣いも丁寧に書かねばいかんのかなあとか、調子がのらんなあとか、いろいろと迷ったね。

で、段々、本身でいいんじゃないのって、気づいてから滑りが良くなってきた。

眠れる才能が徐々に開花して 「おいおい」 オレ流が咲き乱れるに至ってきたね。「これでかよ?」 気にすんな、春爛漫だよ。






精一杯書いて、なんとか伝わればいいんだよ。あとは、読む人がホローしてくれる。「人任せだね」 頼ればいいんだよ。

足らぬところや稚拙なところを補って貰えばいいんだよ。書く奴が完全なんて有り得ないよ。

金メダルとった奴の人格が金メダルを汚すのと同じだよ。そう云う風に捉えれば肩が凝らないよ。緊張感は致し方ないね。誠意の問題だから。






ブログで得たことは、自分の思いに聞く耳を持ってくれる人が、必ず、この世に居るってことが解ったね。人は独りじゃないってことが解ったよ。






だから、本当のことを書かねばならんのだよ。恥さらしを疑わしく思う行為であっても、引き寄せて離れない人に嘘は書けないんだね。

弓を引いて矢を放ったんだから、当たった人に責任をとらねばならん。「おまえなあ、それは殺人行為やぞ」 例えが悪いね。「悪すぎるわっアホッ」

失礼しました。餅を撒いて寄り集(たか)る衆に餅を撒き続けねばならん。「それもおかしいやろ。浅ましい表現やぞ、上から目線じゃないかっ」 






失礼しました。矢を放った以上、見事、的を射抜くまで書いて書いて書きまくります。「うん、そいでええ。なんか、十三人の刺客みたいやね?」

「的って、なんの的なの?」 単なる語呂あわせだよ。所謂(いわゆる)、キャッチコピーだよ。「今日は、相当、遊んでるね」

発想ごとは、遊びごころから噴き上がるもんなんだよ。しかめっ面して出て来るもんじゃないんだよ。





















オレが、このブログで、もうひとつ得たのはね、発想ごとを発信することが出来る機会だね。それが愉しいんだね。

拡げたいって欲求があるね。自分の思いを発信することに疑問を感じつつも、局としての居場所に定着できた。

其処から、もっと考えて拡げたい欲求があるんだよ。アイデアだね。次は、アイデアを捻り出したいんだね。






いままで付き合ってくださった方々を喜ばせたい欲求があるね。いつになるやら解らないけど夢の蕾を開きたいって欲求が生まれたことが嬉しいね。






「なんだよ、恥とかなんとか云って続けるのかよ?」 もう、恥かいてしまった後じゃないか、今、戻っても恥は残るよ。 

便器に大糞残こして立ち去るのと同じだよ。「くっさいなあ~他に例えがないのかよ」 すまん。

それに、オレは、遣るって云ったことは遣り通す。昔から変わらん。






窮地に立たされて、此処を死守せねば、多くの人が諸共に死ぬなんて状況だったら、皆が逃げ切るまで、オレは、残って死守する。

可愛いあの娘の写真にキスしてね、死ぬまで引き金引いて戦うよ。「おまえって、昔ふうやねえ」 そらそうだろ、もう、昔の人間だよ。

「誰(た)がために鐘は鳴る」のゲーリー・クーパーも、オレと同じ思いだったんだろうねえ? 「それ云うなら、逆やろ?」 なんでえ?










 原作は、アーネスト・ヘミングウエィ










この鐘は、弔いの鐘の音(ね)なんだね。

「誰がために鐘は鳴る」という言葉には、他人の不幸に対する無関心への戒め、

同苦(他人の苦しみは我が苦しみ)する心を持たないことへの戒めの意味が込められているという。






なんか話が逸れたね。でも、思いってのは、其のぐらいの重みがあらねばならんのじゃないんかねえ? 自分に嘘がつけなくなるよ。






























カメレオンの独り言-768 『映画 リオ・グランデの砦』

2013年05月20日 | 日記






最近、映画、ご無沙汰してるね。時間があるようでないから、どうしても後回しになる。

心が熱くなるような映画を観たいね。忘れられないシーンを脳裏に焼き付けたいよ。どれだけ心の栄養になることか。

感動を提供する役者に感謝するときがある。貴方がたが居なければ成り立たないんだから。芸の術だね。







ジョン・フォード監督とジョン・ウエィン、大西部の世界を創り上げて永遠だね。

「リオ・グランデの砦」のタイトルに流れる曲は、手持ち無沙汰な時間になると、知らぬ間に、未だに、半口笛で演奏してる。

脳裏には、インディアンの蜂起で避難する幌馬車隊を見送るジョン・ウエィンの騎兵将校の姿が浮かんでいるんだね。

















なんでもないシーンなんだけど、リオ・グランデの砦を思い出すと、脳裏に、まず、このシーンが蘇るの。











「リオ・グランデの砦」 1950年度作品 アメリカ映画







オレが、この映画を観たのは、大阪なんばの南海通りにあったスバル座だったかな?映画館の名前がうろ覚えになっちゃった。

たしか1970年代頃だったかなあ?、リバイバルで封切り映画館での上映だったね。

50年度作品だからビスタビジョンの古い白黒映画だったけど、充分に満足したのを覚えてるよ。遠い昔だね。






当時は、ジョン・ウエィンは、まだ、若かったんだけど、この映画も、同じ騎兵隊ものの「黄色いリボン」でも老け役だったなあ。

考えたら、ジョン・ウエィンは老け役が上手かったね。今になって発見だわ。違和感のない自然体だったね。

西部の男、男の中の男、絶対死なない安心な男、頼もしい男を演じて名を残したね。






いつも同じような役柄でも、文句が出ない。ジョン・ウエィンがジョン・ウエィンを演じてるみたいなのがいい。其のぐらい馴染み深い役者だったね。



























白黒なんだけど、ジョン・フォード監督が好んで撮り入れる雄大なメサが背景に拡がって壮観なんだね。この背景は西部劇の看板になったね。

男たちの夢のあとって感じがするよ。原住民(インディアン)への差別云々の世論の波が起こった頃から西部劇は下火なり、やがて消えた。

星条旗と隊旗をなびかせて大西部の荒野を行進するブルーの制服にイエローラインの騎兵隊の姿も記憶の中でしかなくなって久しいね。



















立場に偏見があろうとも、その時代の開拓者たちを、命をかけて守り戦った彼らが居たのは事実。兵(つわもの)どもの夢の跡だね。



















映画音楽も昔は一作ごとに記憶にとどまる旋律があった。この映画もヴィクター・ヤングが担当している。当時は、この人は売れっ子だった。

デミトリーー・ティオムキンも有名だったね。彼らの奏でる曲は、映画を越えて、その題材となる実際の時代をも彷彿(ほうふつ)とさせるんだね。

古き人が、決まって云う台詞がある。「昔はよかった」












ジョン・ウエィンの妻役モーリン・オハラが綺麗だね。連隊の楽隊に歌をプレゼントされるシーン。









青のズボンに黄の筋の勇士 従う我等の歌声朗らか

愛馬にムチ打ち 今日も行く

彼女にキスして 別れを惜しみ 待っててくれよと願いつつ・・・・・・と、マーチ風の歌を合唱しつつ楽隊が二人のテントの前に現れ

ロマンチックな歌をプレゼントするんだね。娯楽などない荒野の殺風景な砦、彼らの歌は妻の心を癒すんだね。







男らしく生きようって感化された部分があるね。どこか女々しい自分に言い聞かせていたね。

オレが、あまり、喋らなくなったのは映画が影響したね。男は無駄口を叩かないって戒めたね。

其の後、高倉健の任侠映画で決定的になったよ。この人、喋らないんだね。喋ると台詞が棒になって魅力が落ちる。寡黙がいいって思ったね。







でも、おっさんになってから、わりと喋る自分に戻ったかね。話さないと伝わらないからね。







日本の古い映画を観ると、出ている人が全て故人に見える。

あちらの映画は、相当古いのは別にして、まだまだ健在って感じを受けるのはなんでかね?



















映画は、魅(観)せて教えてくれることが多かったね。昔は、今のように凄まじい画面を生む映像技術がなかった。

代わりに情緒をふんだんに盛り込んで、人間味のあるシーンで感動を呼ぶ手法だったね。胸にジーンとくる。

だから、観たあと、余韻が残るんだね。今となれば紙芝居程度かも知れないけど、当時は、感動と興奮を味わえる夢の時間だった。







100連発の説教より、ポイント押さえてポツリと聞かす僅かな言葉が、相手の心に染み入る場合がある。昔の映画は、それと似てるよ。








Rio Grande - 1950




























カメレオンの独り言-767 『火(加)勢』

2013年05月19日 | 日記








晴れて暑い日が続いているね。

今日は、仕事が遅くまであって、パソコンの前についたのが10時回ってる。

時間もあまりないので、どうでもいいんだけど大阪市長の橋本さんのことを書いてページを埋めようか。























「売春婦はまだ日本にうようよいる、韓国人。大阪の繁華街で『お前韓国人、慰安婦』と言ってやったらよろしい。戦いましょう」

橋本さんの脚を引っ張ってんのか? 日本維新の会の西村真悟衆院議員。

橋本さんを擁護するつもりで言ったらしいけど、火に油じゃないか。アホ過ぎて呆れて面白いね。






なんで、ここで「おまえもか?」なんだよ。これは、橋本城炎上だね。丸焼けになるよ。消せるかなあ~? 

味方は居ても愚かな奴では、どうしようもない。上役の云った言葉の趣旨を理解せずに、味方が、露骨に捻じ曲げてしまったよ。

これは痛いでえ。維新から出たんでは、まとめてスカン喰らうで。弱り目に祟り目って云うけどモロやねえ。






橋本さんは、維新旗揚げで躓いてるからね、本人の爆発的反響の予想を大きく裏切られた結果だったからね。ケチの点き始めかも知れん。

しかし、この西村って議員、旧陸軍の不良軍人って感じ丸出しみたいな奴やね。この手の奴って無くならんのだね。

時代が変われば、また、同じ愚かの種は尽きまじで繰り返す。この西村真悟衆院議員が身をもって、それを証明しているよ。






仮に、そんな哀しい時代が、また、来たら、綺麗ごとを盾に騒いでる奴の大方が、見て見ぬ振りして知らん顔なんだよ。

時代、時代で踊る奴がいる。オレから云わせれば、今、踊っているのは、蔑視、蔑視と騒ぐ正義面したこの連中だろうね。

今、同意なんて云って出て来る奴なんて居ないって、この前に書いたけど、とんでもないのが出てきたね。






「なんなんだよ~おまえはっ」って、怒こりたいだろうけど、火を点けたのは自分だから、むけむけには怒り辛いだろうね。























外で煙草吹かせてると背後で人の気配を感じたから振り向くと、目の先に武井咲が笑って立ってる。

おう、学校の帰りやね? 「うん」 どうや、いい調子か? 「どういい調子なの?」 彼氏ができたとかよ? 「居らんわあ~」 

おまえ、写真なんかで比較すると「う~ん」ってなるんだけど、雰囲気かね? 表情の加減かね? 武井咲に、よく似てるねえ。






テレビの動画で観ると、やっぱり似てんだよ。へんに目立って嫌だろうね。だから、云わないようにはしてんだけどね。











  この写真はよく似てるね。











武井咲を、洋風にしたような感じだね。色白で背丈もあるしね。大学の3年だったかな? 

男友達は数人できたって云ってる。そらあ、良かったね。会ったらニコニコしておけよ。「なんでえ?」 男たちが引いてしまうよ。

「そんなん、知らんわあ」 おまえは、ホント、美人過ぎるから、お澄ましされたら近づけんよ。「そんなことないわあ」






オレには、昔ながらのおまえだけど、今、初めて会った奴等は、緊張するで。その中に、好みのが居るか? 「居てない」

何処かで、声かけられずに、お前をじっと見てる奴が居るよ。「コワイ」 アホ、変態じゃないよ、純情なんだよ。大笑い。

今時、そんなの流行らないんかね、そんなの嫌いじゃないだろ? 「うん」 よし、それでいい。そんなのに本物が居るんだよ。






近所に年頃を迎えた娘さんが増えたね。顔かたちは綺麗に越したことはないけれど、見えない内面てのも出るもんだね。

併せ持って美人でなけりゃ、美人が鼻につくってのもある。磨くべきは、内面だろうね。

化粧を凝りまくって見た目に精を出す、解らないこともないけど、バランスのとれてないのがありありの娘さんも多いね。






若さが、其れをカバーして、それなりに売れてはいくみたいだけどね。考えたら女性も大変だね。
































カメレオンの独り言-766 『解らん』

2013年05月18日 | 日記




言葉ひとつで人間性を疑われる。「おまえは?」 積んでは破壊しながら生きてるよ。

定着した人柄から意外な言葉と云うのは衝撃度が大きいみたいだね。

勝手な期待をもたれては叶わない。全く期待されないのも寂しい。話さなければ疎通は叶わない。




なんとか疎通を図って解りあえて、さようなら、なんてのもあるわね。汗かいただけ損したよ。

人間性ってのは隠せないから。自分が知らない自分ってのも出るみたいだね。

性格、性質の上に、日々、積み重ねて創り上げて来たものだから、そうそう、都合よく変えることはできないんだろうね。




話さなくても匂わせるものから感じ取れる部分はある。深い関わりのない人たちは、これで凡そ判じられてしまう。

そんな中、なにかの縁で関わって、その人柄の意外性に衝撃を受ける場合もあるね。

全体に芳しくないイメージを被せられている人が、予想を裏切って好感の持てる場合はいいけれど、その逆は、裏切り者のレッテルを貼られる。




と、云って建前ばかりで固めてしっぽっを出さずに頑張ると、ストレスはち切れて、些細なことで化け物に豹変するしね。「どんなんやねん?」

オレも、時たま、あるね。日頃の自分じゃない自分が顔を出す。でも、それもオレなんだから仕方ないよ。

いいとこだけの人間なんて居ないと思うよ。富士山は日本一の山、万人が認める美しい姿が怒り狂うと、どんなんなるんでしょうか?















黙して語らず、何も云わず、其処に在るだけで生きて行くことを教えてくれる自然ってのは凄いもんだねえ。

其れを、感じ取れる人間という生き物も凄いもんだね。

「動物たちも感じとっているだろ?」 う~ん、そうだね、言葉ではなく本能で感じ取っているんだろうね。




「爬虫類や虫たちもだろ?」 う~ん、そうだろね、自然とともに生息し・・・・・・あのね、そんなん言い出したら、

みんなじゃないか。生きているもの全てが凄いんだなあって、生き物地球紀行やってんじゃないよ。

人間に絞って語ってるのに、なんで爬虫類が出て来るんだよ。そんなの、どうでもいいんだよ。こいつらも自然の一部だよ。



「独自に生きてるよ」 まあ、そうなんだけど、この場合、拡げてはいけないんだよ。収拾つかんだろが。

花も木も土も、みんな、生きているんだなんて言い出したら止め処がないよ。

第一、あまり広げると、俺の脳味噌がついていけんだろうがっアホッ。















「おまえ随分無理してんだろうね?」 そうだよ。そんなオレが、なんで書き続けているか解るか? 

「なんでなんだよ?」 だから、解る? 「だから、なんでなんだよ?」 解らない? 「解らない」

そう、オレにも解らないんだよ。「なんやねん、それはっ?」




解ることばかりじゃないよ、解らないから書き続けているんだよ。「解らないから書き続ける?」 そうだよ、解らないんだよ。 「う~ん??」

人は答えを求めてるんだろうね。 答えなんて、ホントは無いんだよ。 強いて云えば、明日の自分が答えだよ。

人は、其れを繰り返し、繰り返し、歩き続けて求めているんだよ。「ふ~ん? 解らんなあ」




「おまえ、今言ってることに意味あんの?」 深~い意味があるよ。「そうかあ?」

日本の向こうには外国がある。 地球の向こうには月がある。月の向こうには太陽がある。「えらい飛ぶね」

その向こうにはなんかある。「星の名を云えよっ」 調べるのがめんどいよ。そのまた向こうには何がある? 「解らん」 それと同じさ。




「なんやねん、どういうことやねん?」 解らんと云うことさ。「人をおちょくっとんかえ?」 













人生なんて、真っ暗なトンネルをライト照らして歩いて行くようなもんさ。転んで怪我せぬように慎重にね。

確かなことは、二度と戻ることの出来ない自分が生きて来た道さ。

遥か昔の記憶を遡って、その道を歩く自分が、今の自分を見ていたか? オレは、その頃には、想像すらしなかった自分が此処に要るよ。




解らないから迷う、解らないから怖い、解らないから面白い、解らないから笑って居れる、解らないってことはエネルギーなんだよ。





















カメレオンの独り言-765 『風』 

2013年05月17日 | 日記




風が吹いたんだろうね。春の風だね。吹かれてテルテル坊主が右に左に揺らされて落ち着かなかった。

やがて、いつしか風は遠のき、夢見心地の桜の花も散り終わったね。あちらこちらへと、風は、気侭なもんさ。

春の日の夢に目覚めて、身動きできないへのへのもへのが笑ってる。「愉しかったね」 




舞い散る桜の花びらは、惜しむように手のひらで受けようとはするけれど、地に落ちた花びらまでは拾わない。踏みしめて歩き出そうか。






  






話のネタが切れてくると自分にこけてしまう。自分に関連する事柄になるのは仕方がないけど、

自分自身のことは、あまり重なると厭味になるから、気をつけているんだけどこけてしまうね。

視野を拡げたいんだけど、身近で片付けてしまう。身近なことを考えてると自分のことを書いているね。




あかん、あかんと思いながら、同じことを繰り返す。毎日、書き続けるのは、やっぱり大変だわ。













煙草を吹かそうと外に出ると「★★ちゃ~ん」 某私立大学付属高1の女子が友達と連れもって帰って来る。

やたら。嬉しそうにはしゃいで「こんにちはあ」と、友達の娘さん。おう、この前、来たね? 「ハイッ」 ひさしぶりっ。

「★★ちゃん、完全に切れたでっ」 金色か? 「うん、終わったあ~」 まあ、致し方ないね。スッキリしておるね、





ニッチャラッ、ニッチャラッ解放感に酔っておるね。しかし、おまえら、なんで、そんなにへばりつくの? 身動きがとれないではないか。

おうちで遊ぶんか? 「うん、そう」 遠路はるばるだから時間がもったいないよ。早く帰ってゆっくり遊びな。

「うん、そうするわあ」 「★★ちゃん、さよならあ」 キャッキャッ、賑やかに行っちゃった。





互いの思いが合わさらないんだろうかね。此ればっかりは致し方ないね。なんでも云いたいことを云い合って、気が合ってるように見えたけどね。

肝心なことになると、あんな金色みたいな厚かましい奴でも、云えなくなるのかね? 





人間って、困った生き物だね。意識しなけりゃ自分を平気で出せる。

なのに、意識してしまうと180度裏返って自分を見失うね。なんなんだろうね? 器用な奴も、急に不器用になる。

不器用になると行動も止まる。気楽なほうで息を抜くから誤解を受ける。悪循環だね。













大阪の橋本城に火が点いたね。火が大きくならないうちに消さねば、風が吹き荒れると炎上するよ。

自分の発言の意図を説明して謝罪したほうがいい風向きだね。

慰安婦制度に関した発言は、自身の認識不足だったと謝罪して、沖縄の件での風俗発言は引かないなんてやったら謝罪の効果がないよ。




立場上、建前で撤回して謝罪で終わるほうがいい。鬱陶しい展開になったね。理解の及ばん奴等に、ここは熱く燃えてはいかん。

市長の権限で、腐った役所や、その関連施設に大鉈振るって改善の嵐を起こしたことは、大したもんだけど本当の味方がどれほどいるか、

足元を知らねばいかんよ。大鉈振るわれびびった連中たちは、橋本城炎上を心密かに喝采するよ。




権限で押し通して遣って遣れないことも無いけど、それが暴君に映ったら恨まれるだけだからね。

人心掌握は時間がかかる。これを省いて正義だけを盾に突き進むと、振り返ると後に続くものが居ないなんてことになりかねない。

市長に押し上げた感情的な思いの世間の味方なんて、感情的にコロッと裏返る脆さがあるんだよ。




大阪の奴は、理論より感情を優先する傾向が強いからね。感情的になったら冷めるまで止まらんで。




素直に全面謝罪して引くほうが、人は考えるもんなんだよ。橋本さんの発言にも一理あるってね。

まずは、城に点いた火を消す。そして、単細胞どもの熱を冷ます。そして考えさせろ。

この状態であんたの発言に同意なんて名乗り出る奴は居ない。建前大事、自分も大事な、所謂(いわゆる)大人ばかりだよ。




この状態で自身を曲げずに収拾したら、あんたは、実際、大したもんだよ。心密かに落ち目を期待した奴等が萎えるだろうね。













オレがいつも云ってる事実と云うのは往々にして不快なもんなんだよ。

事実を背負って生きる人々への思いやりかね。世間は、其れを責めてるんだろうね。

そう云う意味では、オレも持論ぶったから謝罪しとこ。オレの場合、もっと侮辱したから土下座しとこ。コめんなさい。





人生には、いろんな風が吹くんだろうね。風に弄ばれて人は右往左往する。やがて、風が去ったあと、人は何かを学び知るんだろうね。









カメレオンの独り言