Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

太宰府のコスモス畑は優しい秋色

2019-11-24 14:44:10 | ゆるゆる旅日記

第34回 日本女性医学学会学術集会
  - 女性の一生を診る -
 2019年11月2日~3日
 ヒルトン福岡シーホーク

今宵の宿は
ホテル日航福岡です
時間がたっぷりあるので以前ツアー観光で九州国立博物館を訪れた際 足を延ばしそびれた大宰府天満宮にお参りしましょう
博多からの途中にはコスモスが咲いて秋の色やさしく迎えてくれました

■大宰府天満宮
 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号

右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に左遷され翌々年の延喜3年(903年)に同地で死去した
その死後 道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え同寺の境内に廟を建立した
境内には牛の銅像があります 
一方都では疾病や異常気象など不吉なことが続き更に6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去した
これらの出来事を【道真の祟り】と恐れてその御霊を鎮めるために醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向し道真の墓所の上に社殿を造営して延喜19年(919年)に竣工したのが安楽寺天満宮の創祀である
それでも【道真の祟り】は収まらず延喜23年(923年)には皇太子保明親王が21歳で死去
狼狽した朝廷は延長と改元したうえで道真の官位を生前の右大臣の官職に復して正二位の位階を追贈した
皇太子保明新王の遺児慶頼王が代わって皇太子となったものの延長3年(925年)には慶頼もわずか5歳で死去したそしてついに延長8年(930年)に醍醐天皇臨席のもとで会議がひらかれていたその時 清涼殿に落雷があり死傷者がでた清涼殿落雷事件である
ついに正暦元年(990年)には本来は天皇や皇族を祀る神社の社号である「天満宮」を併用するに至った
 道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世頃から道真が生前優れた学者であったことにより学問の神様としても信仰されるようになった
 大宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ

飛梅
太宰府天満宮の神木として知られる梅の木の名称 樹齢1000年を超えるとされる白梅で本殿前の左近に植えられております
 「東風吹かば匂い起こせよ梅の花 
  主なしとて春な忘れそ」
現代語に訳すると
東風が吹いたら つまり春が来たら芳しい花を咲かせておくれ 梅の木よ
大宰府に行ってしまった主人 つまり私がもう都にいないからといって 春の到来を忘れてはならないよ ……

一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき その地に降り立ったという伝説があります
 菅家後集では
 家を離れて三四月
 涙を落とす百千行
万事皆夢の如し
時々彼蒼(大空)を仰ぐ
道真は失意のうちに大宰府で病死 59歳だった

境内には梅の木がたくさん植えられているが花の季節にはさぞかし梅花漂うことであろう
大宰府の緑地にはコスモス(秋桜)が風に揺れている
もう立冬なのだけれど優しい花色に気持ちが安らぎます
思えば今年は猛暑と台風が続いて いつ夏が終わり秋が来てしまったのかよくわからなかった
四季の移り変わりは従来の規律を取り戻し穏やかに移っていってほしいものです
寒風の冬の到来は そこまで来ているのだろうか