Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

2018 1月の 私の本棚(1月に購入した書籍・CD・DVDなど)

2018-01-27 08:48:50 | 私の本棚

2018  1月の 私の本棚(1月に購入した書籍・CD・DVDなど)

犬から聞いた話をしよう  椎名誠  新潮社  2017/12/20
オッパイ入門  東海林さだお  文芸春秋  2018/01/10
文字に美はありや  伊集院静  文芸春秋  2018/01/10
おらおらでひとりいぐも  若竹千佐子  河出書房新社  2017/11/30
人体 1  NHKスペシャル「人体」取材班  東京書籍  2018/01/11
一流の老人  山崎武也  幻冬舎  2018/01/10
人生は70歳からが一番面白い  弘兼憲史  SB新書  2018/01/15
未来の年表  河合雅司  講談社現代新書  2017/06/20
老人の取扱説明書  平松類  SB新書  2017/09/15
道標  今野敏  角川春樹事務所  2017/12/08
ずんがずんが③ 2018ハイボール熱燗号  椎名誠  椎名誠旅する文学館  2017/12/25
コタおいで ①  村上たかし  双葉社  2017/12/28
ダーリンは72歳  西原理恵子  小学館  2018/01/24


京都 歴史の残香と初詣

2018-01-25 14:25:30 | ゆるゆる旅日記

京都 歴史の残香と初詣

幕末の風の音を聴いて そしてもういちど初詣をと 数年に一度の大寒波が来ると言うのに家人と京都へ出掛けました

【 ほんまもんの京都 [ 睦 月 ]
   明治維新150年記念 幕末の京都と伏見稲荷大社の初詣 】
ひろでん中国新聞旅行 の企画のツアーです
コースは
JR広島駅8:35 = JR京都駅10:16 = 寺田屋 = 大黒寺(薩摩寺) = (昼食)京料理 清和荘 = 伏見稲荷大社初詣 = JR京都駅18:10 = JR広島駅19:55
 JR京都駅八条口から帝産観光BUSに乗り込み約20~30分程で伏見の寺田屋へ着きます

■ 寺田屋
京都府京都市伏見区南浜町263
攘夷派の薩摩藩士が討幕に反対する同藩藩士と乱闘となった“寺田屋騒動”で知られております
所謂寺田屋事件は江戸時代末期の山城国紀伊郡伏見の旅館寺田屋で発生した事件である
  ・文久2年(1862年)に発生した薩摩藩の尊王派志士の鎮撫事件
  ・慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本竜馬襲撃事件 の2つを言います
寺田屋は古くから続く船宿で幕末の風雲児と言われている坂本竜馬の定宿でもあった
現在も旅籠として営業しており内部の見学もできるのです
参観券いわゆる入場券は土佐国銀札の藩札をイメージしたもので遊び心がありますな
寺田屋では坂本竜馬が幕府方に包囲された際に後の妻となるお龍の機転により難を逃れたと言うエピソードもまたよく知られております
坂本竜馬や長州の三吉慎蔵らは深夜の2時に幕府伏見奉行の捕り方30人ほどに囲まれ いち早く気付いたお龍は風呂から裸のまま裏階段を2階に駆け上がり投宿していた坂本竜馬らに危機を知らせたのである
坂本竜馬がお龍を女将のお登勢に預けたのもこの場所です
当時の様子を伝える写真などが展示されており多くの坂本竜馬ファンが訪れております
事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあります
当時そのままの建物であるかのような説明がされているのですが真偽の程は定かではありません でもまぁいいでしょうかね
坂本竜馬襲撃事件に新撰組が関わったとの説もあるが定かではないようです
 寺田屋の近くの商店街は“竜馬通り”と称しておりますが 昭和の商店街のような郷愁を感じさせるものがありました

坂本竜馬が愛した寺田屋そして彼を好んだ宿の女将のお登勢は多くの勤王家を世話したとして死後に贈位を受けた
そしてお登勢の養女のお龍は坂本竜馬の死後に放浪の末には人の妾になるなどして明治39年に66歳で生涯を閉じたそうな
 坂本竜馬が没して150年 日本国が無事にながらえば先々1,000年後にも青年坂本竜馬の存在は語り継がれるであろう
『泣き虫ではいかんきい』と実姉から鍛えられた少年が僅か32年の生涯で人間業とは思えない程の“歴史の要”の役を果たしていることを思う時 その生きざまを垣間見たような気がした
 この旅籠の前を流れる川のように年月はやって来てはただ過ぎ去っていくのでしょう
その中に生きる我々人間は死して後世に名を残し歴史と言う物語は紡がれていくのでしょう

■ 大黒寺(薩摩寺)
京都市伏見区鷹匠町4
大黒寺(だいこくじ)は京都府京都市伏見区鷹匠町のある真言宗東寺派の寺院である
通称は“薩摩寺” 元は“長福寺”と言われておりました
元和元年(1615年)に薩摩藩主島津義弘の守り本尊「出生大黒天」に因み薩摩藩の祈祷所として大黒天を本尊に寺名とした
西郷隆盛 大久保利通の会談の部屋 ゆかりの書や歌 肖像なども保存されております
寺田屋事件で命を落とした薩摩九烈士の墓があり西郷隆盛筆の墓碑が立っております

たとえ僅かな時間でもその地に足を踏み入れたもののみが歴史の真実を知ることができるのでしょう
結果としての歴史を知ることのみならず純粋な愉しみをも感じとれるのが旅物語でしょう
さいわいにも京の都には150年経っても京の都の残香の風が吹いているような気がするのです


◎昼食 清和荘
京都伏見の料亭の清和荘では数寄屋造りの部屋で日本庭園を眺めながらの昼食です

BUSは伏見に向かいます
京都の南に位置する伏見は豊臣秀吉の時代には伏見城の城下町として栄えました
1625年(寛永2年)江戸幕府によって伏見城は解体された
“安土桃山時代”の“桃山”とは 豊臣秀吉が晩年に住んでいた伏見城のことです
そのあたりに桃林があったことから“桃山”と呼ぶのだそうです
江戸時代には高瀬川による船運で京都中心部につながり そしてまた淀川を通う三十石船が大阪との間を結んでいたそうな 
京都伏見は歴史にも度々登場する人の往来と交通の要衛だったそうです
良質な軟水を湧出し兵庫県の灘と並ぶ酒造地として知られ今でも古い酒蔵が立ち並ぶ

さて初詣です!
元日の京都はあまりにも混雑で お願い事が不十分(?)だったような気がしますのであらためての初詣なのです

■ 伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区深草にある神社
旧称は“稲荷神社” 稲荷山全体が神域なのです 本殿右には稲荷神名水がある
全国に約30,000社あると言われる稲荷神社の総本社である
初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集めるそうです(国内では4番目です)
眼にも鮮やかな朱塗りの稲荷造りの荘厳な社殿は室町時代の建造
大鳥居をくぐった先に在る桜門は 天正17(1589)年に豊臣秀吉が寄進したもと伝わる
本来は農耕の神様なのですが 家内安全 商売繁盛などなんでも叶えてくれるそうで庶民の人気を集めているのでしょうか
平日なのに参拝者が多い 観光の外国人も多く眼につきます
桜門から徒歩直ぐに本殿があります
食べ物を司る宇迦之御魂大神を中心に5柱の神様・稲荷大神を祀っております
本殿から千本鳥居を通り奥社奉拝所までは徒歩10分くらいでしょうか
ここには「おもかる石」があります
叶えたい願いを頭に思い浮かべながら石を持ち上げて 軽いと感じたら願いは叶うと言うものです
そしてまた「キツネの絵馬」が並んでおります

伏見稲荷大社の狐が銜えているものは?
伏見稲荷大社の境内には狐がたくさんおりますな
狐と言っても生きているキツネではなく狛狐ですぞ
狛狐は眷属(けんぞく)または白狐(びゃっこ)と言うのだそうです
様々な狐が色々な物を銜えているようです
・玉(宝球) : 稲荷大社の霊徳の象徴とされている球鍵信仰に由来
        また 玉を穀物の倉庫とする説もある
・鍵 : そのみたま(玉=霊徳)を身につけようとする願望の象徴とされている
    玉鍵信仰に由来
    また鍵を倉庫の鍵とする説もある
・稲穂 ・ 稲荷神が五穀豊穣の神である食糧神に由来するためと言われている
・巻物 : 知恵を象徴していると言われている
の4種類なのだそうですが由来の本当のところはよくわからないのでしょう

 伏見稲荷大社の本殿の背後にある稲荷山への頂きへと数千基の鳥居が連なっております
“千本鳥居”と呼ばれその幻想的とも云える朱色のトンネルが観光客にも人気なのです
この鳥居は 願い事が「通りますように」 または「通りました」と言う祈願と感謝の証として江戸時代から鳥居を奉納する習慣が始まり広がっていったものだそうです
そしてまた稲荷社の鳥居は何故に朱色なのか
山に隠れ森に宿っていた神々が大陸伝来の金銅仏の輝きに刺激されて自らの存在を証明しようと選んだ色が朱色であったとか
神々の激情がその理由であるとするならば漲る力にも得心するであろう

 初詣には定められた規定はとくにはないようです
年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事 であることから年内ならばいつ参拝に行ってもよいらしい
一般的には正月三が日に参拝することを初詣と言っているのですが1月中の参拝も初詣とする考え方もあるようです 
回数に関する規定もとくにはないのです
多数の神社仏閣に参拝すれば色々なご利益があると言う説すらあるのだ
その場合神社仏閣をとくに問わないのだそうです
“三社参り”と言って正月三が日のうちに複数の神社に参拝するのが習慣になっている地方もあるのです
 なんと今年は“三社参り”をしてしまいましたかな
それではあらためて新年の抱負New Year’s resolutionを!
ところで君の新年の抱負はなにかな

   

    

      


独酌独話 “ 和らぎの水 ”

2018-01-11 14:49:32 | のんびり歩いて

独酌独話 “和らぎの水”

加齢とともに去りぬ と言う訳にはいかないのです
年齢を重ねると酒量が減ってきました
そして簡単に酩酊してしまいます
少量の飲酒で気分よく酩酊するようになって経済的なのだ などと喜んでばかりもいられない
年頭 お正月だと言うことで和酒を飲んだのですが加齢とともに弱体を実感

その原因 Ⅰ
加齢によって肝機能が低下し アルコールの分解能力も低下していること
若年の頃と比較すると仮に等量の飲酒でもアルコールを分解するスピードが遅い為にアルコールの血中濃度が高くなってしまう
具体的に分解スピードがどのくらい落ちていくのか 仔細なデータはないようです
加齢によって肝臓も年老いていくのでしょう
 アルコールはアルコール脱水素酵素(ADH)の作用でアセトアルデヒドに変わり アルデヒド脱水素酵素(ALDH)の作用で酢酸に変わります
ALDHの働きが弱い人では悪酔いや顔を赤くする原因物質であるアセトアルデヒドの分解が遅い為にアセトアルデヒドが体内に残りやすい - とまぁ教科書にもある「お酒に弱い人」の解説ですが 過度の痛飲の過去を持つ身としては頭が痛い!ところです

その原因 Ⅱ
加齢によって体内の水分量が低下していること
ヒトの体内の水分比率は新生児期には約80%であるが 加齢とともに水分比率は低下していきます 高齢者になると約50%台になってしまいます
飲酒によりアルコールは体内の水分の中に溶け込むのですが水分量の減少により血中のアルコール濃度が高くなりやすい
そしてまたアルコールには抗利尿ホルモンの分泌を抑制する作用がある
利尿作用により尿量が増加して脱水が進み血中アルコール濃度は上昇してしまう

さてここで朗報(?)水分補給です
和らぎの水はどこにある
“和らぎ水”とは簡単に言うとチェイサー 「お酒を飲む際に酔わないようにするために合間に飲む水」でしょうか
チェイサーは「chase」(追う)er つまり“追い水”と邦訳した方がよいのかも知れません
“和らぎ水”日本語の文字通り和らぐ言葉だと思います
良い“和らぎ水”としては各酒蔵には仕込み水を“和らぎ水”として販売しているところもあるそうですので調達してみたい
 とは言ったものの肝機能や体内水分量を若年のレベルに引き戻すのは不可能であることから酒量を減らしていくことが対策なのでしょうか
加齢とともに去りぬ とはなかなかいかないのですが

年齢に関わらず タフに生きていくためには時々なにかに酔わなくてはならぬことがあります
そして酩酊(泥酔ではない!)と言うのはその瞬間は人を助けてくれるものだと思う
自己陶酔で救われることが間々あるのです
現実逃避なのかも知れないがそれで新しい活路が見えてくることがある
まして心優しい相手と酩酊できるのは至福のひとときと言うものだろう
君は どう思うでしょうか!


なにはともあれ新春!京の初詣

2018-01-03 09:26:56 | ゆるゆる旅日記

なにはともあれ新春!京の初詣

 今年もよいことがありますように と初詣に出掛けて来ました
京都定期観光バス の 新春!初詣コース 都七福神めぐり のBUSツアーです
  【 新春!京の初詣と京風おせち弁当 】
初詣のコースは
北野天満宮[学業成就] = 神泉苑(昼食 神泉苑平八) = 下賀茂神社[縁結びと開運招福]千支参り

■北野天満宮
京都府京都市上京区馬喰町931
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は京都市上京区にある神社 旧称は北野神社
通称として“天神さん” “北野さん”とも呼ばれる
混雑で本殿まで辿り着くまで一苦労です
北野天満宮は福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で 学問の神様として多くの受験生の信仰を集めているのは知られたとおりです
  延喜3年(903年) 菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後に都では落雷などの災害が相次いだ 
これが菅原道真の祟りであるとされ御霊信仰と結びついて恐れられたのである
そこで没後20年目に朝廷は菅原道真の左遷を撤回して官位を復し正二位を贈ったのである
天慶5年(942年) 右京七条に住む多治比文子という少女に託宣があり5年後には近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があったそうな
それに基づいて天暦元年(947年)に現在地の北野の地に朝廷によって菅原道真を祀る社殿が造営された

 北野天満宮や菅原道真は 梅 及び 牛 との関連が深い
     東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな
                     - 菅原道真 拾違和歌集
菅原道真は梅をこよなく愛でて 大宰府左遷の際に庭の梅に上記の和歌を詠んだことや
その梅が菅原道真を慕って一夜のうちに大宰府に飛来したと言う伝説により梅が神紋となり約20,000坪の敷地には50種1,500本の梅が植えられているのです
 牛は天満宮に於いては神使(祭神の使者)とされておりますが そのことについては「菅原道真は牛に乗って大宰府に下った」「牛が刺客から菅原道真を守った」「菅原道真の墓所(つまり大宰府天満宮)の位置は牛が決めた」等など伝承にすぎないので本当のところはわからない これらの伝承に因み北野天満宮には臥牛の像が多数置かれておりますなぁ

北野天満宮の文化財で国宝は
「紙本著色北野天神縁起8巻」
天神縁起を題材とした鎌倉時代の絵巻
各巻それぞれ縦52.1cm 全長は8.419mから12.116m
天神縁起絵巻は菅原道真の栄華と左遷そして菅原道真の怨霊による都に於ける変異と北野天神の利生記で構成され天神信仰の成立に伴い数多く制作された
延長8年(930年)6月16日の清涼殿に於ける落雷の様子を描いた巻六の場面では中央に黒雲と雷神を配してその左右に清涼殿の内部や庭に於いて倒れ逃げ惑う公家の様子を描いた特徴的な構図が指摘されます 
これを見ることは叶いませんでしたが教科書にも出てきましたなあ

 北野天満宮では期間限定?の授かりもので 招福の梅の枝「思いのまま」を求めました
北野の境内領域で育った梅の小枝に厄除け玄米入りひょうたんがついたものです

 北野天満宮の門前 御前通りに「たわらや」の看板が眼にとまりました
江戸時代から店を構える老舗手打ちうどんの店です
驚く程太くて長い「一本うどん」です  以前に家人と訪れましたなぁ

◎昼食は二条城の南側前にある 神泉苑平八でいただきます
この料亭の創始者が煮込んでも煮くずれせず歯触りのよいうどんをつくるため秋田のきりたんぽやすいとん等をもとに造ったという日本一太いうどん元祖うどんちりが名物なのですが

■神泉苑
京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町166
神泉苑(しんせんえん)は京都市中京区にある東寺真言宗の寺院
本尊は聖観音 不動明王 弘法大師
平安京創建時に設けられた禁苑(天皇のための庭)で 天皇や貴族が舟遊びや管弦の宴を楽しみ花見も催した
雨乞いの儀もたびたび行われ 824年に淳和天皇の勅命により東寺の空海つまり弘法大師と西寺の守敏が祈願を競ったところ 空海が祈ると北天竺(チベット)の無熱池から勧請した雨の神である龍神(善女龍王)が現れたちまち雨が降った
それ以降東寺は栄え西寺は滅びたと言う伝承があります
空海が呼びよせた雨をもたらすと言う龍神の善女龍王を本殿に祀る
都に疫病が大流行し東北に巨大地震と大津波があった貞観11年(869年)に清和天皇は神泉苑の南端に当時の国の数である66本の鉾を立て神輿を繰り出し国の平安を祈った これが祇園祭の起源とされる御霊会なのだそうです
歌舞を歌い舞う遊女である白拍子だったとされる静御前が源義経に見染められ愛妾になった静御前と源義経の出会いの場としても知られております
源義経を追って平泉へ逃げる途中で越後栃堀で病に倒れ没したそうな
係留されている龍頭鷁首の舟を眺めて龍神の棲む池で願い事をしたためてみました

■加茂御祖神社
京都市左京区下鴨泉川町59
加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は京都市左京区にある神社 通称は“下鴨神社”
加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は京都市北区にある通称“上加茂神社”とともに加茂氏の氏神を祀る神社であり両社は加茂神社(加茂社)と総称される
両社で催す加茂祭 通称“葵祭”が知られております
本殿には 右に加茂別雷命(上加茂神社祭神)の母の玉依姫命 左に玉依姫命の父の加茂建角身命を祀ることから加茂御祖神社と呼ばれるのだそうな
金鷄及び八咫鳥は加茂建角身命の化身だということである

糺すの森
高野川と加茂川が合流する一帯の樹齢200年を超える木々が茂る原生樹林で下鴨神社の参道はこの森の中を真っすぐに通っております
糺すの森を抜けると鮮やかな朱色の門が現れます 楼門は国の重要文化財です
本来はこの参道からお参りするのでしょうが横の参道からはいりました

下鴨神社には大勢の神々が祀られているそうです
可合神社(かわいひんじゃ)― 女性守護で知られている玉依姫命 美麗の神
相生社(あいおいのやしろ)― 神皇産霊神はあらゆる良縁の結びの神
言社(ことしゃ)― 千支の守護神 自分の守り神をみつけて参拝

御手洗池(みたらしのいけ)
“みたらし団子”の由来になった聖なる池
御手洗池に祀られる御手洗社では土用の丑の日の前後に無病息災を願って足つけ神事が行われる そしてこの湧水の泡をイメージしたのがみたらし団子だそうな
串にさされた団子は人の五体に見立てられているそうな
 下鴨神社もまた押すな押すなの混雑で池まで辿り着くことはできませんでした

初詣とは 年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事とされております
元々は年籠りと言い家長が祈願の為に大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に籠る習慣であったらしい
そう言えば幼い頃に 大晦日の夜の雪道を歩いて大平山秋田三吉神社にお参りしたのは“除夜詣”と“元日詣”だったのだろうなあ
 初詣は祈願と言うことなのですが新年の誓いを立てる機会でもありましょう
英国や米国でも新年の決意New Year’s resolution と言ってこれを立てる習慣があるようです
受験期には初志貫徹などと大書したものですが
新年の抱負は『今年こそは!』と実現が困難なものが多いせいか諦めてしまうことが多い
私などは門松注連縄がとれる頃には抱負自体すら忘れてしまっている
そこで祈願と言うことになってしまうのだろうか
君は初詣に行ったかな