とし坊のお祭り三昧

祭りの宝庫、のとの祭り紹介

雨に負けず勇壮な「奴振り」の道中絵巻・珠洲市正院

2024年09月16日 | 日記
とし坊は、地震があってから始めて珠洲まで行きました。知人が被災して仮設住宅に居るので拝顔と言って尋ねました。
15日珠洲市正院の「奴振り」を見てきました。午前中は晴れておりましたが、午後3時頃からポツリとポツリと雨が降り始める。






須受八幡宮も地震で能楽堂や手水場などが全壊、


正院に着くとビニールの被ったキリコが迎えてくれました


次の代の主役がドテラを着て私を迎えてくれました。


海岸の海から神を招く場所、例年この場所には鳥居があるはずが・・・?津波被害で倒壊。
小雨の中お立ちの準備。

「ドテラ」に化粧前掛けをした若者が、手に「シャンガ」と呼ばれる毛槍を持って、掛け声とともに行列をなして町内をくまなく行進するのが本来の姿なのですが、
地震で半数近くが全開で「要注意」の黄色い紙が軒並み貼ってある通りを進みました。










大町通りではシャンガを向かい側の相手に放り出す妙技は見所。
合図の音で、向かい合わせになり、掛け声に合わせ、一斉に向こう側へ高く放り出すと、シャンガは放物線を描き相手方に渡る。粋で勇壮な技です。
大通りから仮設住宅のある場所へ。雨も強くなる、笠をさしているので思うようにアングルを決められない・・・・・・・。
明るい時間に宮入雨で濡れたのか汗で濡れたのか判別できないずぶ濡れ。

宮入時間まで無理・・・?と家路につきました。



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船に乗り川を上って女の神様に会いに行く羽咋神社の「川渡し神事」

2024年09月16日 | 日記
各地では地震の被害から秋のお祭りが中止になったり、道路事情により規模縮小や御神輿の巡幸コースを変更したりとかで被災の程度にも配慮してお祭りを行っているような能登ですが。
羽咋神社の祭神・磐衝別命(いわつくわけのみこと)が、八幡神社の女の神様に会いに通われたとも伝えられる、ロマンティックな祭もお祭りの最大の見せ場の「川渡し神事」が14日(土)ありました。


RAKUNAはくいの建設により長者川の改修により八幡神社の付近は従来ととは様変わりしました。






羽咋神社を出た御神輿は御座船の待つ「紺屋橋」へ。お供の獅子舞も演じられ人出も多い。


御座船に乗せられた神様は上流の八幡橋手前の下船場まで約100メートル。




磐衝別命の妃・三足比咩(みたらしひめ)の待つ八幡神社へ
川の中では松明を手にした威勢のいい若衆らとともに、上流の八幡神社までの約100メートルを行きつ戻りつしながら進む様子を大勢の観衆が見守ります。


ぎっしり見物客が待つ境内で練り、なかなか拝殿に入れてくれない・・・?

長者川の改修で不安定な足下も気にせず御神輿は拝殿に。やっとの思いでお会いできました。











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海上の安全と大漁を祈願する能登町姫の「どいやさ祭り」がありました

2024年08月26日 | 日記
袖キリコが伝馬船に積み込まれる模様は見応え十分。積込み後、台船で港内を巡航する袖キリコの灯りで海面が照らされ、花火が打ち上げられると、2年ぶりに幻想的な雰囲気に。・








まだまだ地震で被災した家屋、道路そして隆起した港の姿に「復興には時間がかかるなぁ~」と姫に到着。
奴凧に似た独特の形状をした「袖キリコ」が迎えてくれました。




キリコに灯が入り昼見るキリコと違う風情。


各家での夕食、来客のおもてなしなど一段落でキリコは諏訪神社に向かう。


諏訪神社を出発したキリコは港に。港では沢山の地元や来客で一杯。




御神輿、キリコが港に到着すると姫子供太鼓のメンバー太鼓愛好者の皆さんによる熱演が港に響き渡る。






御神輿、袖キリコが台船に積み込まれる時、笛・太鼓、祭り役員のかけ声で、台船に少しずつ乗り移る様はどいやさ祭の見せ場。




台船に乗せられた御神輿、袖キリコが湾内に巡幸。夜空に花火が打ち上げられ祭りは最高潮。




巡行が終わり、台船から下船した御神輿、袖キリコは今晩休む仮宮へ

とし坊は、ここで家路につきました。夜が明けると「袖キリコ」は各町内を練り歩き宮入となるとの事でした。

















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川中美幸「二輪草」の記念碑建つ「にりんそう公園」を尋ねて

2024年08月19日 | 日記
17日、東京で写真の仲間が集まりました。とし坊も誘いを受け参加しました。せっかくの上京、会議が終わり翌18日列車の時間までユトリがありましたので
かねてから一度行きたいと思っていた「にりんそう公園」へ行ってきました。


可憐に咲く二輪草は、板橋区の区花です。




朝起きて散歩をしてきました。ホテルから見える「東京タワー」。ロシア大使館の通りにこんな標柱もありました。

ニリンソウは昭和55年に板橋区の区の花に指定され、都市化の波に洗われ自生する環境が失われるなか、行政と市民ボランティアにより保護に乗り出しているとか。
1998年1月1日、シングル「二輪草」発売。1999年5月同曲が100万枚突破したことを受けて、板橋区 “にりんそう公園” にて「二輪草歌碑」が建立されたのです。

「あなた おまえ 呼んで呼ばれて寄り添って・・・」  ご存知、川中美幸の「二輪草」です。
この「二輪草」の歌碑が立つ「にりんそう公園」は、板橋区若木の住宅街の奥まった場所に位置する公園。




北板橋駅から「多分この方向だろう?」といい加減に想定して歩きましたが、住宅街なので木々が見当たらず・・・・・?
でも、矢印に従い歩く。




ありました。ありました。



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想い出の写真から復興への願い-能登半島地震復興支援チャリティ写真展。

2024年08月09日 | 日記
9日、フジカラーギャラリーかなざわで復興支援チャリティ写真展。を見てきました。





各種報道の記事から、7か月経った現在も計画通りに復興が進まないうちに、8日九州・宮崎県、大分県地方で大きな地震が起き、
正月以来、地震、水害の被災のニュースで溢れておりますがフジカラー北陸/X-STATION KANAZAWAの主催で復興支援チャリティ写真展が5日から開催されています。













能登半島地震で能登観光のスポットである輪島市曽々木海岸の「窓岩」、珠洲市の「見附島」は無残な姿になりましたが、地震前の姿をとらえた観光スポットや能登のお祭りなど
の作品が290点が並びました。


会場には一日も早い復興を願い元気を送る「メッセージボード」もセットされておりました。

「地震前の姿を見られないなぁ~」「被災に遭った能登の皆さんは、何時になったら元の生活が出来るのかなぁ~」
「はち切れそうな元気な笑い顔は何時になったらもとの笑顔になれるのかなぁ~」と思い、
とし坊は一日も早い復興を祈りながら家路につきました。



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