黒鉄重工

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そこはスチームパンクの世界だった その1 【2015/06/20】

2016-02-24 23:40:24 | 旅行・イベント記

それは確か2014年12月、バンクーバーへ行くために乗った路線バスから車窓を眺めていた時のこと、私はそれらがひっそりとしかし確かに佇んでいるのを見た。鉄道車両の保存車である。
ビクトリア近郊に保存車両が残っていたのかと最初は目を疑った。後で調べてみるととある保存協会の敷地内にありそこが保有しているらしい。
意外な物件を見つけはしたが、訪問するのはかなり後の夏期まで待つことになる。路線バスの経路沿いにあるとはいえ近くにバス停が無いので歩いていくのがしんどく、また冬期は開館時間や公開物件が少ないためだ。
そして程なくして6月にサマーフェアが開催されることを知り、その日に突撃することを決めたのだった。



というわけで、意外な物件ことサーニッチ歴史的道具協会 Saanich Historical Artifacts Society; SHASを訪れました。和訳するとかっこ悪いな。HictoricalだとかHeritageだとかはどうも上手い和訳が決まらない感じですわ。日本だとこういうのはどうしてるっけ・・・?
来る前は小道具なんかを保存している団体かなと思っていたんですが、かなりわくわくするものを所有しておりたまげました。
上記したとおりアクセスしやすいバス停はなく、最寄りのバス停(Mt Newton Cross at Patricia Bay)は約2km先ですがこれは本数の少ない81系統で利便性が低いです。本数の多い72系統・75系統利用だと更に遠い約3km先のバス停(Saanichton Exchange)になります。まあ歩けない距離ではないですが、私は72系統でサーニッチトンまで乗ってそこからは自転車で行きました。本当に楽ですね、自転車とバスの組み合わせ。

で、入場料を払って最初はここに来るきっかけとなった保存車両を見学します。おそらく保存してある耕作機械の実演なんかに使うんじゃないかと思われる空き地の奥に鎮座しています。看板代わりに置いてあるのかもしれませんが、道路から奥まった位置にあるので運転手は見えないんじゃないかなと思います・・・。
置いてある車両は手前から操重車、長物車(操重車の控車)、客車、車掌車となっています。操重車なんてのは珍しいんじゃないでしょうか。そして意外にも機関車は保存されていません。



一両ずつ見ていきましょう。まずは操重車。初めに言っておくとこれら保存車の素性は一切不明です。協会の公式サイトには解説が見つからないんです。見つけたら教えてほしいくらいです。
でまあこっちの鉄道の知識も少ないので、これも蒸気機関で動く操重車なんだなぁとしか言えません。クレーン操縦室の後部にボイラーが縦置きされているのが分かるかと思います。
スコーミッシュの鉄道博物館で見た操重車と酷似していて、同形式なんだと思います。なので製造は1910年代ごろでしょうか。この頃造られた蒸気式操重車は物持ちがよく使い勝手が良かったので中々ディーゼル式に置き換えられることなく(積極的に置き換えるような車両でもないですし)、実に1980年代まで使われ続けたといいます。これもその頃に廃車になったものを引き取ったのでしょう。
バンクーバー島内で使われていたのか?とも思いますが他の車両を見るにそうとも言い切れないむしろ島外からやって来た可能性のほうが高いんじゃないかとも思えてきます。さすがに塗装だけでは分からん。



操縦室も覗いてみますが下からしか見れないのでよう分からんでやんす。



操縦室を前から。
動力をどのようにクレーンワイヤーに伝達しているのかはやっぱりよう分からんでやんす。クレーンブームと本体との接続は案外華奢というか頼りないですね。
このタイプの操重車は一応ながら自走も可能なようです。台車は普通の貨車用の台車に見えるんですけどねぇ。



クレーンブームと控車。
ブームは、模型化するときに面倒そうな形してるなぁという印象くらいしか気付くところがなかったです。
控車は長物車を転用したもので小屋は建っていません。上にはレールやらガラクタやらが載っています。
控車は、操重車を他の機関車や車両と連結するときにクレーンブームが連結する車両に接触しないようにするために連結される貨車です。クレーンブームを収納する役割もあるので長物車が使われます。



3両目は客車。例によって解説無しなのですが車体表記を信じるならばグランド・トランク・ウェスタン鉄道 Grand Trunk Western Railroadの4863号車Southworthです。
GTWは五大湖のアメリカ側などを走る鉄道で、現在もカナディアンナショナル鉄道の子会社として運営しています。なんでカナダの反対側から客車がやってきたのかさっぱり分からないわけですが・・・。
客車は1910年台から製造された重鋼製客車 Heavyweight carと呼ばれるグループ・・・だと思いますよ。二重屋根と3軸ボギー台車と鋼製外板だったらおおかた間違いない・・・と思いますよ。これ以前に製造されていた木造3軸ボギー客車の外板を鋼製に変えたくらいで内装は木製のまま、つまり半鋼製客車だった・・・と思いますよ。まだ自信ないわ。
二重屋根の目的は屋根の間の段差に採光用の窓を設けることなのですが、他に車内の換気もありました(あとは車内の天井が高く見えて開放感が出るというのもあるのかも)。ところがトンネル内では蒸気機関車の煤煙を取り込んでしまってこりゃイカンとなってしまい、早々に使われることはなくなったそうな。その代わり、その構造的余裕は20世紀初頭にエアコンが客車に装備された際に、エアコンの空調ダクトとして機能したんだそうです。そんな時期からエアコンが・・・と驚くしかありませんな。これもエアコンを装備していたかもしれませんが確証はないです。二重屋根の窓が潰されている=冷房車と言えるのかどうかというところですね。実例が少ない。



台車はこの時期ではお馴染みの3軸台車。板バネ、コイルバネ、イコライザー、リベット留め(一部ネジ止め)と、なんとも重そうな台車だこと。
ちなみに日本にも3軸台車がかつてあったのですが、そのうちTR70型台車(と他数型式)はなんだかこの台車と部品構成や配置がそっくりでして、もしかしたらTR70はこれをパク・・・もとい真似たのかもしれません。



デッキに上れたのでそこから車内を拝見。う~んこの・・・。車内に見るべきところはないですかねぇ。ここまで原型ないと元が何の用途車だったのか分からんですな。たぶん座席車だったと思うんですけど・・・。
ところで車内中央部の二重屋根の部分が出っ張っていますが、あれが冷房装置でしょうかね?空調ダクトって、日本の電車みたいに車両全体に通してあって二重屋根の空間は埋められているのかとおもいきや、意外にも剥き出しのようですね。まあこの客車だけじゃ確証に欠けるので断言はできません。あれが冷房だと決まったわけでもないし。
あとは埋められた二重屋根の採光窓の位置も分かりますね。ドーム状になっていて意外と凝った仕上げですな。



最後は車掌車ことカブース。塗装からBC鉄道のカブースであったと分かります。本当、寄せ集めの保存車たちですね。
これだけはなぜか詳細な経歴がネット上にありまして、それによると元々は1914年製の36’有蓋車で、1972年にカブースへ改造、1983年にここへ寄贈されたそうな。まあ話半分程度に。
かなり後年に改造されたようなのですっきりとした外観に仕上がっていますが、これよく見ると外板は合板です。マジかよっていう。なおキューポラ(屋根に出っ張っている監視窓)は鉄板。
カブースって日本の車掌車と較べても大型で人が住むには良さそうだし、これを改造して造った家とか離れとか詰所みたいな建物が転がってそうですけどね。



これも車内を外から覗くことが出来ました。客車同様内装は弄られているようで集会所か談話室かのような使われ方をしている模様。
ただし間取りは改造されてないようです。キューポラへもよじ登れそう。



保存車を反対側からも見てみようと移動すると、あらま。これは7.5インチ鉄道の線路じゃないですか。まあ園内に入る時点で7.5インチ鉄道の大きな扇形車庫の横を通るんで、そこで気づいてたんですけどね。
こういうのもやってるんだなぁと思いきやこれはSHASではなくVancouver Island Model Engineersという鉄道模型クラブの管轄でした。和訳するならバンクーバー島鉄道模型機関士クラブとでもすればいいんですかね。多少意訳を入れないと意味が通らない。



程なくして列車がやって来ました。先頭はスイッチャーですがなんだかゲージに対してオーバースケールなような。



蒸気機関車も来ました。これはファインスケールのようですね。
金持ちの趣味だなぁって思います。機関車1機で1万ドルくらいするんだろうか。こんな金の使い方をしてみたいもんだぜ。
なお基本的にはクラブ会員のための施設ですが、年に十数日は一般人に開放していて(公式サイトに開放日が記載)、後ろの貨車に試乗することが可能。その時に寄付金という乗車賃を払うんですが、寄付金に頼らずとも運営できるようなお金持ちでないとこの趣味やってられないと思うんですけどね(僻み



バイム記念橋。2007年竣工。
クラブのサイトにある配線図を見てもらうと分かるんですが、設立当初のレイアウトプランは8の字だったと思われます。それが2007年あたりに線路をドンと延伸したようです。その時に架けられた橋ということですな。鉄橋はここ以外にもう一箇所あって、長い総延長と合わせていったい建設費いくら掛かったんだこれ。
この本線の総延長は約1230mという笑ってしまうような長さで、これだけでもう日本のどの7.5インチ鉄道よりも長いと思います。他に側線だ連絡線だもうひとつある小ゲージレイアウトも合わせた総延長は約3000mだそうです(配線図に書かれている数字が計算が合わないのが気になるけどまあいいや)。なんちゅう長さや・・・。これも公式サイトにあるんで見てみるといいです。
なおこの後実際に乗ってみるんですが、楽しかったです、ええw一周するのに10分くらいかかりました。ほんとうに長いのね。みんなも開放日に行ってみるといいかも。



これがもうひとつの鉄橋。上のバイム記念橋が足場に線路を載せたくらいの安っぽい橋だったのに対してこちらは本物の鉄橋に似せた造りをしています。この鉄橋は延伸前からあったものです。
左に見切れている高架は小ゲージのレイアウトです。ちなみに本線も三条軌になっていて、ここでも小ゲージの運転もできるのが分かります。


木造トレッスル橋。これも橋ですが地形的には全く不必要で、わざわざ地面を掘り返して建設したというのが見え見えです。開業当初はこれがささやかなレイアウトのハイライトだったのかもしれません。他にも踏切もあります。



ライブスチームは後回しにして園内を進んでいくと昔のバスが。これは相当古いぞ。
調べたところ、1959~1986年に製造されていたゼネラルモーターズのNew Lookというバス。6枚の曲面ガラスを組み合わせた路線バスにしては無駄に凝ったフロントガラスが特徴で、その形状からフィッシュボウル Fishbowlつまり金魚鉢というあだ名が付いていて、こっちのほうがマニアの間では通りがよいみたいです。
44,000台(!)が造られたとかいう金魚鉢の中でもこれはTDH-4519型という型式で、Tは路線バス(2ドア)ボディTransit、Dはディーゼルエンジン車Diesel、Hはオートマ車Hydraulic transmission、45は最大座席45席(車体長は35ft)、19はモデル名を意味します。分かりやすい。それに比べて日本のバス見てみろよ。さっぱりだぜ。
他の区分としては近郊形用(1ドア)ボディのS、ガソリンエンジン車のG、マニュアル車のM、33席(30ft)、53席(40ft)と言った具合。
今の北米のバスって恐らくほぼ全車オートマ車なんですが、こんな昔からバスのオートマ車化が進んでいたんですね。さすがAT帝国アメリカだ・・・。それと昔はオートマチックトランスミッションと言わずにハイドラリック、油圧変速機と呼んでいたんですなぁ。というかAT車はもともとGMが最初に開発・実装したんですね、知らんかった。

あとはまああれだ、全体的な形状が日本の当時のモノコックバスと似ていてですね、ああやっぱりアメリカのバスをパクt・・・もとい参考にしたんだなぁというのが分かりました。



側面。窓は引き違い窓いわゆるメトロ窓と呼ばれるもの。進行方向へ向かって傾斜しているのでスピード感がでています。このスタイルの窓も確か当時日本にパクr・・・取り入れられていたと思います。昔のバス写真でこういうのを見た記憶が。
ところでバスヲタ以外では通じないらしいメトロ窓という用語の由来が分からないんですが、なんなんですかね?

車内は日本で言うところのツーステップ車で、座席は2+2列のクロスシート。
構体はアルミニウム外板にモノコック構造で、軽量化とそれに伴う燃費改善に重点を置いているなというのが伺えます。バスにアルミを使うとは珍しいですな。
構体といえば、このバスの保存状態ってすごく良いといっても過言でないくらいめちゃくちゃ綺麗です。外板はツヤツヤに磨かれていて、目立った部品の欠損も無し、内装も綺麗、ナンバープレートもついてるんでおそらく自走も出来るでしょう(なんかのイベントで他の金魚鉢と一緒に敷地外で展示されてた写真がネットに転がっている)。
これだけ状態良いのはそうそういないんじゃないでしょうか。



後面。やっぱりどこか見覚えのあるデザインだ。
当時のバスにはまだ大きなリアウィンドウが付けられていたんですね。今のバスだと小さい窓かあるいは最早窓が付いてないという場合もありにけり。まあ運転上必要ない装備ですしぃ・・・。

この個体767号車は1967年製で、BCハイドロ交通 BC Hydro Transit所属だったもの。BCハイドロはBC州の電力・水道公社なんですが、昔は公共交通もやっていたのですよ。東京電力が東電バスを走らせるようなもので、訳わからんですな。

ついでなんでさらに遡るとビクトリアの公共交通の起源は1890年に設立された国営電気軌道・照明社 National Electric Tramway and Light Co.(和訳自信なし)で、1897年には運営がBC電気鉄道 BC Electric Railway (BCER)になりました。BC電鉄は路面電車やトロリーバスや都市間旅客鉄道を運営する今で言うライトレール鉄道で貨物を運ぶ本線級の鉄道とは違います。親会社はBC電力だったので電気はそこから供給してもらっていたんでしょう。電力公社の運営する電鉄会社はこの頃から始まっていたわけです。
1961年にBC電力はBC電鉄ともども州に買収されて公営企業のBCハイドロとなり、そして最後に1983年にBCハイドロ交通はBC州各地の公共交通機関と共にBCトランジットに再編されて今に至っているわけです。ああややこしい。

閑話休題。
というわけなんで、年式的にはBCトランジット移管後も現役だったと思うので一旦はBCトランジットの赤と青の塗装に塗り替えられていたと推測されますが、保存時にBCハイドロ色に復元されたんでしょう。
白いボディに青と緑の帯というのはBCトランジットの新塗装と似たようなパターンで、もしかして新塗装はこれを元ネタにした先祖返りなんじゃないかとも思えます。なんだか素っ気ないと思ってた新塗装もそうだとすればちょっといいなと思えますが、ネタが古すぎて伝わらないんじゃとも。私もこのバスに出会わなければ一生分からなかったでしょうw


今日はここまで。次回からSHASの真の実力が明らかに。


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