黒鉄重工

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北米project 4 ~Is the order a warbird? その12【2016/03/04~10】

2017-04-30 20:50:10 | 海外旅行記

2016年3月4日(金)16時23分
カリフォルニア州ロサンゼルス USSアイオワ記念館 艦橋構造物

いよいよ艦橋にやってきました。まずは写真の赤枠で囲まれた部分、指揮艦橋を見ていきます。USSアイオワの艦橋は3種類あって、今から見る最下層の「艦隊指揮用艦橋」、その上にある窓が貼られた「航海用艦橋」、屋上の「戦闘指揮所」となっています。



中に入ると・・・意外と狭いぞ、ていうかなんだこのクソ分厚いの。



この鉄の塊のような円筒形の壁は装甲司令塔。厚さ(垂直装甲)はなんと17.3inchつまり439mm(A級装甲)もありまして、下手な戦艦の装甲よりも厚いのだ。これが艦橋3段をブチ抜いて置かれています。
アメリカでは昔から採用されてきた構造で、私が確認した限りではニューメキシコ級という誰やねんワレみたいな戦艦あたりからこの形態のようです。ただし、ニューメキシコ級からノースカロライナ級までは装甲司令塔がむき出しなだけで、そこにちっさな窓がついているだけという艦橋とは?と一考させられる構造でした。
その後のサウスダコタ級からなんだか艦橋前部の窓みたいなもので覆われ始め(それでも後ろ半分は裸のまま)、アイオワ級でようやく装甲司令塔がすっぽりと覆われるようになったのです。ただし、1944年までは覆いが無く、装甲司令塔剥き出しという外観だったそうです・・・(タミヤのキットを見る限りそんな感じ
ちなみに日本はどうなのかというと、別に調べてもしょうがないので放ったらかしにしているのですが、大和型には装甲司令塔があったようですね。アイオワ級見たく覆われているのではなく、艦橋構造物の下の方から出っ張っている円筒形のような部分がそれらしいです。大和型から急に採用されたわけでもないでしょうから、それ以前の戦艦にもあったんだと思います。



自分も書いてて構造が分からなくなってきたので、写真を見返してみました。
青枠で囲んだのが装甲司令塔。円筒形の形状が分かると思います。この角度では見えないですが、甲板から艦橋構造物の天井までブチ抜いています。階の昇り降りは・・・出来んのかなぁ?

で、赤枠で囲んだのが今いるところ。覆いと窓があるのは艦橋後方だけで、前方は装甲司令塔がむき出しになっているというのが分かると思います。そうなると上の写真は左舷後方から撮ったものなのだ、というのを自分も今分かりました。
ちなみに覗き窓が前方左右の3箇所(左側は影になって見えないが)あるのが分かるでしょうか?上の階の張り出している部分のすぐ下に真横にのぞき窓があります。
こんなの、覗けるもんなら覗いてみやがれ!程度の視界でして、果たして実用に耐えたのか・・・?



装甲司令塔の中の写真・・・だと思う(忘れた



どの位置にあったのか最早覚えちゃないですが、CICのようです。正確に言うとアイオワ級のこれは交戦時戦闘指揮所 Combat Engagement Center というんだそうな。
さすがにこれは近代化改修後の装備でしょうな。それにしたって古めかしいが80年代でもこんなもんだったのか。



艦隊指揮用艦橋からひとつ階を上がって航海用艦橋へ。主甲板から数えると5階か。



当然ここにも装甲司令塔が。邪魔だなこれ。鋼鉄の扉だってあれ開け閉めに何人要るんだって。
これが真ん中にドカンと置かれているので艦橋内は外から見るのとは違いかなり手狭で、人がすれ違えるのがやっとです。居住性は現代の駆逐艦の方が圧倒的に良い、というふうになります。



この階の装甲司令塔の中には操舵手が乗ることになっています。艦の操舵がやられてはおしまいなので、439mmの装甲で厳重に隔離されているわけです。
なので、某宇宙戦艦なんとかとかハイスクールなんとか機動戦士なんとかを始めとしたフィクション物に出てくる戦闘艦では操舵手も他の艦橋要員と同じ艦橋の部屋にいますが、あれは演出の都合で改変されたものなのだ・・・というのが見えてくるわけです。
ここらへんはやはり実物を見ないとわからない部分なのかなと思います。

操舵輪は突起のない形状です。アメリカではこういうものらしい。そのそもあのステアリングという突起はまだチェーンやワイヤーで舵を動かしていた時代、舵を切るのにえらい力が必要だったので力を入れやすいようにするためのものでした。
それが駆動方法が油圧式や電気式になると、力をいれずともよくなったのであのステアリングは姿を消したということです。

というかそもそも、こんな閉鎖空間でどうやって操舵するんねん!という話ですが、操舵手の前にある計器盤で操舵できてしまうものらしい。マジか。
あとは外からの指示とか操舵手の左右にある天井から出ている潜望鏡(スコープドッグのカメラみたいなやつ)でこちらからも外を確認するとかだそうで。なんだかおっかないよなぁ・・・。



前方を見れる覗き窓も付いていますが、例によって覗けるもんなら覗いてみろ!です。これは司令塔の外から覗いたものです。たぶん司令塔の中へは入れなかったはず(覚えていない



装甲司令塔の前に張り出した部分。けっこうガランとしているな・・・という印象。
ここから面舵~とか3歩進んで2歩下がる~とかいう指示を操舵手に出していたんだと思います。



ボスの座る席。背もたれにアメリカ海軍の紋章にあるハクトウワシの形が刺繍されているのがちょっとしたおしゃれ。



また階を上って表に出ます。艦橋3兄弟の一番上、戦闘指揮所です。真上にはレーダー塔もありにけり。



戦闘指揮所の装甲司令塔。ここでもやっぱり場所を食っています。中は覗けませんでした。
その手前にあるベンチは現役時からあったのか、これ?



司令塔の外にも計器がありますので、ここでもドンパチやるにはやれたみたいですね。



戦闘指揮所から前方を見る。正面下方には破壊的な主砲が2基鎮座していて、今なら自分でも街ひとつくらい火の海にできるのでは?とか思ってしまいます。
視界の半分以上が陸地なのがアレですが、良い眺めです。



戦闘指揮所の後ろに聳え立つのがレーダー塔です。ですがこれをいちいち説明するのは大変なので・・・。



説明をつけました。普段は画像加工は面倒なんでやらないんですが、流石に今回は文章で説明するほうが逆に面倒だと思った次第。
下から、箱みたいなのがMk.37射撃指揮装置、その上に乗ってるお椀がMk.25レーダー、おにぎりを横に倒したみたいな箱・・・の奥に隠れているのがMk.38射撃指揮装置、おにぎりの横からはみ出ている小さい箱のようなものがAN/SLQ-32(V)3電子戦装置、Mk.38の上にある横に伸びる四角い棒が測距儀、最後測距儀の上に乗っかっているのがMk.13レーダーです。



まずはMk.37射撃指揮装置 Mk.37 gun fire control system; GFCS から。
USSアイオワの副砲である5inch連装砲用に開発されたものです。水上目標、航空機、対地攻撃時に使われ、目標の方位、高度、距離を光学装置とレーダーで割り出して追跡、艦内にある機械式コンピューターで計算するもの。5inch砲を搭載している艦には戦艦から駆逐艦まで全てに行き渡っていた装備です。駆逐艦にまでレーダーとコンピューター搭載の射撃管制装置があるんですから、日本の駆逐艦が見たら泣くぞこれ・・・。
この箱状のものは射撃指揮装置 Gun director であり、Mk.37 GFCSの一部にしか過ぎません。これの他に艦内には機械式コンピューターのMk.1射撃指揮計算機、各砲に射撃指示を与える装置が付随していて、これを全部ひっくるて初めてMk.37
GFCSになるのです。
射撃指揮装置には7人が配置されていて、横から張り出しているのは測距儀、前方中央の蓋には望遠鏡が2つあります。上面にはレーダーが乗っかっています。
USSアイオワのMk.37 GFCSは4基あって、前後左右に1基ずつ配置して360度をカバーしています。イージス艦のフェイズドアレイレーダーみたいに各方位を分担しているのです。

上に乗っているパラボラアンテナはMk.25レーダー(AN/SPG-25)です。第二次世界大戦時は網目状のMk.4レーダーを搭載していたので、Mk.25は1950年代に装備されたもののはず。
ということはMk.37は1950年代から進歩していないのでは?疑惑が湧くわけで。Mk.1機械式コンピューターも残ってんじゃねえのか?この後紹介するMk.38といい、こんな化石のようなシステムでよく湾岸戦争ドンパチしたよな。



Mk.38射撃指揮装置とMk.13レーダーと測距儀については写真の角度が良くないので、見やすいものが撮れている後部のものでいずれ紹介するとして、今回のところはAN/SLQ-32(V)3をば。
電子戦装置でして、電子戦支援と電子戦攻撃が出来ます。USSアイオワでは1984年の近代化改修で実装されました。
ここで説明されていたのはこっちに向かってくる対艦ミサイルから守るための役割で、ジャミングを発することで対艦ミサイルの最終誘導レーダーを妨害してしまいます。ミサイルをあさっての方向へやってしまうのだ(たぶん
次回出てくるMk.36 SRBOCチャフ発射装置を管制下においていて、場合によってチャフを展開するんだそうな。
・・・正直電子戦に関しては良く分からんのです、ええ。

今日はたくさん書いて疲れたのでここまで。


その13へ→

静鉄のバスと電車の撮影【2016/9/3】

2017-04-29 20:46:26 | バス・航空機撮影記

2016年9月3日。
何かの用事で静岡市街に行ったついでにしずてつジャストラインと静岡鉄道の電車を撮ってました。

新静岡に行ってみると復刻塗装のバスが入るのが見えたんで、出てくるのを待って撮影。
緑の復刻塗装の三菱ふそうエアロスターMP38(鳥坂)です。前回も見かけましたが残念な結果だったのでついにまともに撮影できて満足。



静岡駅前に移動。
唐瀬の日野ブルーリボンシティ。



唐瀬の日野レイボーII。



丸子のいすゞエルガ。行き先表示機の左右が赤い車は初期導入車なのだ。色褪せが少し目立ちます。



唐瀬の日デスペースランナーJP+西工96MC B-I。



唐瀬の日野ブルーリボンII。病院に行く老人に優しいアイバスで、平日の特定の便で運行されます。休日は普通の運用にも入るんですね。
ところでこのバスのホイールは金属地なんですね。



相良の日野セレガHD。



岡部のふそうエアロスターK。

復刻塗装狙いだったんですが一向に現れないので諦めて電車を撮りに行きます。



静鉄電車は新静岡駅を出てすぐのところで撮影。
最初に来たのが1000系の1011Fちびまる子ちゃんラッピングでした。最初は7月までの運行だったはずが延びに延びて2017年3月末までの運行になっていました。



1012F午後の紅茶。



A3000形A3001F。



折り返しも撮影。
これで撤収。



静岡ホビースクエアに寄った帰りにいつもバスが溜まっているところに行ってみると、日本平自動車の日野セレガHDリミテッドエディションがいました。
リミテッドエディションというと聞こえはいいですが実際には通常のバスの廉価版です。外観で目立つ通常版との相違点は、通常は社名の行灯と日野のエンブレムの間にあるオーナメントランプが無いことで(上記のしずてつのセレガには付いている)、おかげでいすゞガーラと極めて酷似するという状態です。このバスは日野のエンブレムがあるので分かりやすいですが・・・。

今日はこんなところでした。おしまい。

カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その5【2015/08/15】

2017-04-26 22:27:43 | 旅行・イベント記

ここら辺からはカナダ軍ではない個人所有のような機体が現れ始めました。なので機体も古いものが・・・。
これはノースアメリカンT-28Bトロージャン。同じノースアメリカンの傑作練習機T-6テキサンを置き換える目的で開発されました。アメリカ空/海軍他で使用されていた練習機です。航空自衛隊でも実験目的で1機だけ購入していました。
なおトロージャン Trojan というのはトロイア人の意味。テキサス人の次がトロイア人というのは急激な変化ですが、たぶんこれは名前の頭文字を練習機 Trainer の頭文字のTと合わせたかったんだと思います。
エンジンがライトR-1820という戦闘機にも使われるようなものだったので無駄に高出力。なので武装して暴徒鎮圧用の軽攻撃機(COIN機)にも使った国があるだとかで。実際これ、ぱっと見戦闘機みたいな姿しているし。
これは個人所有の機体で、C-GTLWというレジ番も取得しています。この後のエアショーで飛行展示も行います。高出力機だと曲芸飛行にも適しているということですかね。
ちなみに塗装はアメリカ海軍のものです。



セスナL-19バードドッグ
1949年12月初飛行のアメリカ軍用の連絡機/着弾観測機。セスナの民間機モデル170を軍用に改設計したモデル305Aが原型。後方視界確保のために胴体後部の設計変更、座席の直上にある主翼の一部を透明な部材に替えて視界を提供するといった変更がされています。
アメリカ三軍で使われていたので、アメリカだけでも陸軍がL-17、空軍がO-1、海兵隊がOEと名前が3つもあります。型式統一後はO-1に落ち着いたそうですが。
全部で3,431機が生産されて朝鮮戦争やベトナム戦争では実戦投入もされました。ただ、ベトナム戦争で450機以上の損失を出してしまったので(恐ろしい数だ・・・)その補充のために後継機が入ってくるとだんだん影が薄くなっていって(?)1974年までに退役しました。

カナダ陸軍でも1954年に29機のL-19を購入してやはり連絡機/着弾観測機に使いました。1973年までにCH-136(OH-58カイオワ)に置き換えられる形で退役しましたが、機体はその後カナダ空軍士官候補学校で使われたんだそうです。
このArmy 713(レジ:C-FHDJ)はカスケード・ウォーバーズ所有で、復元に10年以上かかったとのこと。ちなみにL-19はまだ300機以上が飛行可能な形で存在しているらしいですよ?



デ・ハビランド・カナダDHC-8-100ダッシュ8 (C-GSUR)
きっと3倍の速さが出る真っ赤なDHC-8。これは国家航空監視計画 National Aerial Surveillance Program で運用される機体で、所有も政府の運輸省になっています。
カナダ管轄下の水域・海域を通行する船舶からの汚染を上空から監視することを目的にしています。なんでも公害物質を検知できる機器が積んであるとかで。機体のエンブレムも汚染物質を垂れ流す船を監視している絵です。
航空機は西海岸のバンクーバーと東海岸のモンクトンにDHC-8が1機ずつ、五大湖監視のためにオタワにもDHC-7が1機配置されています。



ラフト モデル200キングエア (C-GCAO)
説明もなくぽんと置かれていただけの謎の水産海洋省の機体。用途はよくわからないですが、職員輸送用辺りですかね?



これもたぶん3倍速いノースアメリカンT-6テキサン (CF-WLO) レッドナイト号。
注目すべきはノーズアートで、「レッドナイト」が描かれています。これは昔存在したカナダ空軍の曲技飛行部隊の名前です。ただ使用機体はT-33のはずで、T-6は使っていなかったはず。



なのでまあ、レッドナイトが好きなんだけどT-33を飛ばすのは難しいから身の丈にあったT-6を真っ赤に塗ったぜ、といったところでしょうか?



またT-6 (N4802E) ガンスリンガー号。レジから見るにアメリカからの参戦か。
塗装は完全に趣味の域で資料性はもう無いでしょう、たぶん。
ちなみに一部では軽攻撃機型のAT-6と記述しているところもあり。



全く知らない飛行機ですが、これはノースアメリカンL-17ナビン (CF-EZI)。
1946年初飛行の飛行機で、元は民間機として開発したもの。それがアメリカ軍でも採用されて、恐らく連絡機に使ったんだと思います。
塗装ですがどうもこんな塗装はなかったようで、これも所有者の趣味なのかな?と思ったほうが良さそうです。
ところで他の航空機もそうですが、個人所有機なのにこんな米軍の国籍マークやU.S. Air Forceなんて文字書いても怒られないんですかね・・・。白か黒かだと黒でしょうから、一応こっそりやってるんだと思います。



なんか奥にデカいのがいるなぁと今までずっと視界に入っていたのですがこれはボーイングCC-177グローブマスターIII (177705)。地球の覇者とは大層なお名前だこと。
2007~2015年にかけて導入されたアメリカ空軍のC-17と同様の大型輸送機。大陸横断や海外展開などの長距離輸送で使われます。これ1機でヘリコプター3機、戦車1両、空挺兵102名を運べますぞ。



現在はボーイングの製品ですが元々はマクドネル・ダグラスのもの。どことな~くですが同社の旅客機DCシリーズの面影を感じます。



後ろを振り返ってみる。
これだけ種類が多いと楽しいもんですね。しかも好き放題近づける。持ち時間ほとんど全部使っちゃいましたけど。



前を向き直してさらに向こうを見てみると、CF-18とCT-114が待機していました。
CF-18はバトル・オブ・ブリテン75周年特別塗装機で、スピットファイアと同じ迷彩塗装が再現されています。CT-114は空軍の曲技飛行部隊スノーバーズの所属です。
どちらもこの後の展示飛行で登場します。



ちょうどウェストジェットのB737が飛来してきました。CF-18と重なったので一緒に撮影。面白い光景です。



もう地上展示機は無いと思っていたら、まだノースアメリカンB-25Dミッチェルがいました。第二次世界大戦期のアメリカ陸軍の有名な中型爆撃機。D型というのは前期型の型式。B型からエンジンの換装と爆弾搭載量を増やしたもの。これ以上の説明は割愛(手抜き
100機以上といわれるB-25の現存機のほとんどがJ型という中でD型というのは比較的珍しい型式でして、ほぼ同型のC型と合わせても10機あまりしか残存していません。C/D型合わせて約3,900機も生産されていながらこの残存率というのはやはり、戦争で消耗されたのだなと。やはり大戦前期の機体は現在に至るまで保存される例は中々少ないものです。
所有はシアトルの北にあるペインフィールドを拠点にするヒストリックフライト財団で、これの他にも色々と飛行可能機を所有している模様。これも飛ぶんだそうよ。マジかよ。



最初地上展示機を見る時間は1時間あったのにもう飛行展示開始5分前まで差し迫ってしまったので席へと向かいます。
実はまだ個人所有機が何機か地上展示されていたんですが、時間切れになってしまい泣く泣く諦めることに・・・。

もう忘れてしまったと思いますが、私はより近くで飛行展示を観覧できるボックスシート席を課金して確保していたので、そこに陣取ります。
もうめぼしい座席は埋まっているかと思いきや(席は自由席)後ろ側はがら空きで、前側もちらほら空席がありましたので一安心。やはり来場者数が多くはないのです。
ちなみに無課金だと座席はないのですが、みんなピクニックシートとかキャンプで使う椅子なんかを持参していて、手慣れているもんだと思いました。

席に座って一呼吸しているとCP-140が任務上がりなのか飛来してきました。
では次回から飛行展示が始まります。


その6へ→

【ギャラリー】スーパーマリン スピットファイアMk VIII【1/48】

2017-04-24 23:21:00 | 模型ギャラリー

■使用キット:オオタキ 1/48 スピットファイアーMk.8
■仕様:オーストラリア空軍第80戦闘航空団クライブ・コールドウェル大佐搭乗機(1945年モロタイ島)
【製作記】

カナダで手に入れたキット第1弾。
オオタキという今はなきメーカーのキットです。金型はマイクロエースが引き継いで今も再生産しています。ただし成形品の出来はオオタキ時代のものの方がいいといううわさ。
簡単な部品構成で組立てやすく、彫刻も繊細です。当時は傑作キットと言われていたようです。



値段の安い昔のキット、それでいてキットの出来はなかなか良い、ということで素組みだけでは終わらずに飛行形態での展示、さらにモータライズ化してプロペラを回転させるという大改造(個人比)を敢行。
途中で投げ出すこともせずどうにか形になりました。満足感も十分得られました。



横から。機体のプロポーションはよく捉えられていると思います。
機体の仕様は3種類から選べまして、私はオーストラリア空軍のコールドウェル大佐の仕様にしました。前に作ったMk Iはイギリス空軍だったから今度はオーストラリアにしようというだけの理由ですが。
当時のオーストラリア空軍のラウンデルはイギリスの蛇の目から中心の赤を抜いた格好のものだったんですね。
ちなみに組立図では機体の迷彩塗装は灰色と緑色の中後期迷彩だったんですが、記事を書くにあたりネットで彼の乗機を調べると茶色と緑色の前期迷彩の写真ばかり出てきました。オオタキの考証大丈夫か・・・?



後ろから。
Mk VIIIという型式は1942年から1600機ほど生産されました。
高高度型のMk VIIを原型に改良したものでマーリン61エンジン搭載。Mk Vの後釜に据えるつもりだったんですが、なんだか量産に手間取っている間にスピットファイアの完成形といえるMk IXが先に出来上がってしまい、Mk IXの方が主力になってしまいましたとさ。生産数も5900機とこっちの方が断然多い。ちょっと経緯がややこしい。
ちなみにMk IXは、Mk VIIIの量産に手こずっているのを見かねて、やけくそ気味にMk Vの胴体にマーリン61を組み合わせただけの間に合わせの機体・・・。
オオタキはよく比較的マイナーなMK VIIIを製品化したもので(一応Mk IXにも作れたはず



腹側。
スタンドと機体は磁石でくっつけているんですが、スタンドの磁石をもうちょい綺麗に処理したかったですけどそこまで知恵が回らなかったので仕方ない。

このMk IIIからペラの4枚化、ラジエーターの増設(これにより機体が左右対称になった)の改良が施されました。ただし先述の通り、先に世に出たのはMk IX。
あとはこの仕様では胴体下中央にスリッパタンクという増槽を付けています。



細部。
迷彩柄の境界はボケ度なしです。



ラウンデルと尾翼の国旗(?)はデカールではなく塗装で表現しました。まあまあ上手くいきましたがまだ練習が必要ですね。
アンテナ線にはモデルカステンのストレッチリギングを使いました。線に伸縮性があるので金属線よりもテンションが付けやすく、張りのある線に仕上がりました。



そして、モーターのスイッチを入れてプロペラ回転!うおぉ、かっこいい!黄色の輪が見える!
取り付けが甘くてちょっと軸がぶれてしまいますが、初めてにしては上々でしょう。



プロペラを回すと扇風機よろしくちゃんと風が流れてきます。紙飛行機みたいに投げれば飛んで行くんではないかと思います(でも投げない



以上、スピットファイアMk VIIIでした。

【1/48】スピットファイアMk VIII製作 後編【オオタキ】

2017-04-23 22:07:07 | 航空機模型製作記

オオタキのスピットファイア製作の続き。意外と気になるところが出てくるもので、やれる範囲で加工していきます。
主翼の下側に2個ついているラジエーターですが、実機はグリル状の部品があるところ、キットではその表現が何もありません。前から見た時、これは少しいただけないなと。



モールドを罫書くのは大変なので、昔買って余らせていたWAVEの「Uバーニア・フラット長方形」を利用。
ちょうどラジエーターのような彫刻がされているのです。
右下の一番大きいものがちょうどよかったです。



部品の縁を取り去ります。



で、ラジエーターにくっつける。



これでだいぶ見た目が良くなりました。なお裏側は手を付けずに手を抜いた模様。



パイロット人形はてきとーに塗りました。



胴体接着前の最終確認。
モーターとシャフトはゴムチューブで繋げました。
エンジンの空間が広いのでモーターを入れるのは余裕でした。さすが液冷エンジン機ですね。ゼロ戦だとこんなに簡単にはいかなかったでしょう。
機首にモーターで重量バランスが偏っているので、尻尾の方にもカウンターウェイトの錘を一応入れておきました。



モーターの固定は左右からパテで挟みました。なんとかなった。



主脚の加工。
展開して組み立てるのが基本ですので、収納して飛行形態にするには加工が必要です。
普通にキットのまま収納しようとしてもホイールや脚がはみ出てしまいます。



とりあえず脚を短くしましたけどホイールが厚いのでまだはみ出ますね。



収納部の天井(?)をブチ抜いて深さを稼ぎます。



さらに脚も削って薄くします。



どうやらいい感じです。



主翼とほぼ面になりました。もうちょい削り込んで完璧に面にしたら完成。



あとは塗装です。塗料はクレオスのWWIIイギリス空軍機中・後期標準塗装色を使いました。
今回はもう実験だらけの作品にしようと思って、国籍マークをデカールではなく塗装で表現しようと思ったのです。
マスキングテープを円に切り出すためにプラッツのスーパーパンチコンパスを用意しました。サークルカッターはいくつか種類がありますが、プラモデルに使えるような小さなφの円を切り出せるカッターはこのカッターくらいでした。



練習がてらホイールのマスキングを。



ラウンデルをマスキングして塗ります。



ちょっとズレたな・・・。大きい円と小さい円を一度に切り出して貼るべきだったやな・・・。
次から気をつけよう。

塗装も問題なく終えて、デカールを貼ってトップコートを吹いて完成しました。
完成写真はギャラリーにて。

【1/48】スピットファイアMk VIII製作 前編【オオタキ】

2017-04-20 21:04:29 | 航空機模型製作記

そろそろカナダでしこたま買ってそのまま積んであるキットを消化し始めにゃいかんなと思ったので、手を付けました。
日本のキット、海外のキット両方買いましたが、まずは失敗しても痛くない日本製キットから始めることに。そこで選んだのがオオタキの1/48スピットファイアなのでした。
オオタキ(大滝製作所)は1980年代頃まで存在していたプラモメーカーです。意外とネットに情報が転がっていなかったのでどういう会社だったのか分からなかったのですが、自分は聞いたことなかったです。そんなメーカーのキットがカナダの模型屋で熟成されていたわけですから、買ってしまったのです。
ところがオオタキの金型はマイクロエース(Nゲージ模型を主に発売している会社)が引き継いでいて、たまに再生産も行われているようです。実際、マイクロエース(有井)名義で生産された同じスピットファイアが模型屋で並んでいるのを見てしまい「無理して買わんでもよかったやん」となってしまいました。



部品はこう。あと透明の風防ランナーがあります。
これが設計されたのは1970年代だそうで、まあまあ古いキットです。ただモールドは繊細な凹で好印象。最近のキットのような超絶モールドはないですが程よい密度です。ただし嵌合はあまりよくなく、年相応といったところ。
ノンスケールの立ち姿のパイロットフィギュアがおまけで付いているのも昔のキットっぽいですね。なお作らなかった模様。



デカールは3種類分のものが収録されています。すっかりカピカピに劣化していましたが、普通に使うことが出来ました。でも糊が弱くなっていて曲面追従性も良くなかったのでマークセッターとマークソフターは必須でした。



組立図。
最初から海外輸出用だったのか、日本語の他に英語の組立図が入っていました。
「スピットファイアー」とアを伸ばすのが昔懐かしです。もっと古いとスピットファイヤーになるんですけどもね。



まずは形にしてみる。
実機の詳しい形状は分かりませんが、ちゃんとスピットファイアです。いいですね。



腹側。



コックピットは極めて簡素。まあほとんど見えなくなるしと、何も手を加えずに素組み。



ハメてみる。ダイジョブダイジョブ。



昔のキットで特別珍しいわけでもないので、思い切って飛行状態で完成させようと思いつきました。
浮かせて展示するためにスタンドが必要になります。これはバンダイのアクションベースを流用しました。スタンドと機体との接続にはネオジム磁石を使って機体に穴を開けないようにしました。このスピットには胴体下面に取り付けられるスリッパタンクが付いているので、これの裏側に磁石を取り付ける形に。なので場所には困らなかったです。



新しいことをやろうとすると色々考えついてしまうもので、飛行形態で展示するならいっそのことモータライズしてプロペラを回転させてしまってはどうかと考えてしまいました。
スピットファイアは液冷エンジン機で機首が長いため空間には余裕があります。たぶん行けるだろうと踏んでモーターを買ってきました。
モーターはタミヤの楽しい工作シリーズ「ミニモーターセット」を使いました。普通のミニ四駆のようなモーターだと大きすぎて収まりませんでした。ところでお値段240円というのは安いですね。子供のお小遣いでも帰るような値段設定なんでしょうか。大人にとっても有難いことです。



モーターとシャフトをどう繋げるかで試行錯誤します。
いろいろ考えましたが、ピニオンを1段噛ませるような回りくどいことはせずにゴムチューブで両者を直接連結してしまうことで解決しました(後述



プロペラ軸の部品。
軸の部位を取ってしまってそこに穴を貫通させてシャフトを通します。軸と胴体が触れる所はグリスを塗って摩擦を低減します。


ぼちぼち本組み立てを始めます。胴体を接着する前にコックピット内を塗装しておきます。
ところでここにきて大切なことに気づいたのですが、このキットにはパイロットのフィギュアが付いていません。飛行状態なのにコックピットは無人・・・というわけにもいかないので、どっかからフィギュアを調達してこなければなりません・・・。困った、フィギュアのストックなんて無いぞ。



あった、ありました。
知り合いから貰ったエアフィックス製1/48スピットファイアF.22のキットにフィギュアが入っていたのでこれから流用しました。
ちょっと体勢がきついですが大丈夫です。



外から見る分には収まりがいいのでこれでいきます。よかったよかった。



風防を嵌めても大丈夫でした。
ちなみに風防は厚みが薄くていい感じでした。

長くなってしまったので今回はここまで。
製作記を複数回書くなんて何年ぶりでしょうかね。

後編へ→

カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その4【2015/08/15】

2017-04-18 20:19:25 | 旅行・イベント記

まだまだ続くぞ、地上展示機。
次はボンバルディアCC-144チャレンジャー (144614)
CRJじゃん・・・と思いましたが、機体の愛称からも分かる通り正確にはビジネスジェット機「チャレンジャー」を原型とした輸送機です。CRJはチャレンジャーを原型にしたリージョナルジェット機なので似ているのも道理なのです。
機体の用途はVIP輸送です。カナダ総督、政府高官、国賓、首相などなど。ビジネスジェットを使っているので納得。
機体の所属はオンタリオ州トレントン基地の第412輸送飛行隊。トレントン基地には他にも輸送機を装備した飛行隊がたくさん・・・というか輸送機しかいない。



レイセオン・ビーチ(ラフト)CT-156ハーバードII (156114, 156109)
パイロット養成用の初等練習機です。元はアメリカのT-6テキサンIIを輸入したものです。T-6は、この目の前にいるラフトさんのT-6(ニ代目)と博物館の常連ことノースアメリカンさんのT-6(初代)の2種類がいるのですが、何せ初代が有名すぎるのでニ代目は影が薄い。
なお両者とも愛称は「テキサン」で、ニ代目はたまたま型式が初代と被ったので初代の名前にあやかって命名したんだと思います。ついでに脱線すると先代の機体の名前を襲名(?)する時は先代と今代とで同じメーカーである場合が多いんですが(ロッキードのライトニング、ヴォートのコルセア、マクドネルのファントム......)、T-6の場合ノースアメリカンとラフトとメーカーが異なっています。これは単純にこの時既にノースアメリカンは消滅していたからですね・・・ショッギョ・ムッジョ。

カナダでは型式と愛称をCT-156ハーバードIIに変えています。その内愛称のハーバードIIというのはT-6テキサン(ノース・アメリカンさんの方)のイギリス連邦での呼称「ハーバード」にちなんだものです。



小さな胴体に大きなコックピットのキャノピーが特徴的です。
この機体達は第2カナダ軍飛行訓練学校の機体です。



箸休めに昔の軍用車両の展示。コモックス空軍博物館の所蔵なんだと思います。
これは超おなじみウィリスMB(1945年式)。いわゆるジープ。アメリカ陸軍に1945年3月13日に納品された車両です。後ろには荷台も連結されています。



こっちはダッジM43 CDN救急車(1952年式)
ダッジM37 CDN 3/4トントラックを原型にした野戦救急車です。409台が製造されてカナダ陸軍と空軍で1970年代まで使われました。本国の他に在独カナダ軍や国連軍にも配備されました。
この車両は1952年6月5日に納入され、1990年にここにやってきました。



デ・ハビランドDH.100バンパイアMk III (17031)
第二次世界大戦中にイギリスで開発されたジェット戦闘機です。最初期のジェット戦闘機で、グロースター「ミーティア」やメッサーシュミットMe262と同世代です。もちろんカナダ軍のではなくて博物館の持ち物。
1943年に初飛行は済ましたものの量産型が納品されたのは1945年4月20日ともうドイツが降伏寸前でして、結局実戦配備は1946年3月までズレました。終戦で気が抜けたんでしょう。
カナダでは1948年から導入が始まり、バンクーバー、シーアイランド基地の第442飛行隊「シティ・オブ・バンクーバー」などに配備されました。全部で86機配備されましたが、1958年までにF-86セイバーに更新されて退役しました。いやはや寿命短いな・・・。

この機体は第442飛行隊所属だった機体で、退役後は個人所有を経て2000年にこの博物館が取得したんだそうです。今は多分もう飛べないと思いますが、少なくとも1980年代までは飛行可能な状態だったようです。そのせいか機首の機銃が姿を消すなど手が加えられているようです。
ちなみにMk IIIというのは聞き慣れないサブタイプですが、たぶんF.3型のことだと思います。F.1型の設計を改良したもので落下式増槽を付けられるようにしたものだそうな。



デ・ハビランド・カナダCT-142ダッシュ-8 (142805)
おなじみのコミューター旅客機DHC-8を軍用機として採用した練習機。DHC-8-100に相当する機体です。
カナダ軍航法学校が航法訓練機として使っています。カナダ軍の他にシンガポール、韓国、ニュージーランド、ドイツなどなど他の国も訓練にやってきてこれに乗るんだそうです。国土が狭いと訓練に必要な空域が確保しづらいというのは聞いたことがあります。



後ろから「これまんまDHC-8やん・・・」と思いながら前に回り込んでみると「ギャア!!」となったんですが、なんだこれ、鼻すげー。訓練に必要な機器が詰まっているってことなんでしょうけど、ウソップみたいな長鼻だな。
実際隊員の間でもネタにされているようで、「ゴンゾ Gonzo」というあだ名が付けられています。これはマペットの人形劇に出てくるキャラクターで、CT-142に似た長鼻を持っていることから付けられました。ちなみにgonzoを辞書で調べると「イカれた奴」という意味が出てきて、こっちもあながち外れちゃいないよなとも思ったり。ダブルミーニングなのかも。

所属は第402飛行隊「シティ・オブ・ウィニペグ」。現在はCT-142の運用を専門にしています。その昔はレイサンダー、スピットファイア、バンパイアなどを運用していたバリバリの戦闘飛行隊だったようで。



デ・ハビランド・カナダCC-115バッファロー (115456)
これは初めて見る機体です。デ・ハビランド・カナダがアメリカ陸軍の要求に応える形で開発した輸送機です。DHCでの呼称はDHC-5。DHCシリーズの一員です。
簡単に言うと前任のDHC-4カリブーのエンジンをターボプロップ化したものですので、形状はよく似ています。ただしDHC-5は水平尾翼がT字翼に変更されたのでDHC-4との識別は簡単とのこと。
1964年に初飛行してその後開発は完了したものの、ローンチカスタマーであるところのアメリカ陸軍はその後急速に興味をなくしてしまい、採用は見送られてしまいました・・・。
ところがその後カナダ軍が15機発注してどうにか(?)なった模様。アメリカに梯子を外されたんでカナダに泣きついて採用してもらったような気がしないでもないですが・・・。それでもこれがきっかけとなったのか、他国の空軍でも発注が出てきて最終的に120機ほどが生産されたとか。失敗しなくてよかったな。

この機体は地元コモックス基地の第442輸送救難飛行隊の所属。6機のCC-115と5機のCH-149を運用しています。カナダ空軍でも最大級の救難隊だそうで。
灰色だったり紺色だったり地味な色ばかりのカナダ空軍機の中で救難機はやはり識別性が大事なのか真っ黄色に塗られていて華やかですね。稲妻状の赤帯もナイスです。若干古臭いんですけどね。



第442飛行隊のもうひとつの機体、アグスタ・ウェストランドCH-149コルモラント (149907)
CH-133ラブラドルを更新するために2001年にアグスタ・ウェストランドAW101を15機導入したもの。cormorantというのは鵜の意味。
黄色に塗られていることからも救難機として運用されています。比較的新しい方の機体なんですが塗装のせいで老けて見える・・・。

カナダ空軍のヘリコプター導入計画はグダグダしていて、1987年には既に先のCH-133ラブラドルとCH-124シーキングの2機種をこのCH-149 43機で一気に更新するつもりでした。ところが1993年の政権交代で計画がキャンセルされてしまいました・・・。既にある程度購入契約が進んでいたようで、キャンセル時に1億5800万ドルの違約金を払ったらしいで・・・。
置き換えるはずだった旧型は延命して使い続けていきましたが、1998年に再び更新計画が持ち上がりました。この時はCH-133だけを置き換えることが決まったようで、CH-124はまたも先送り。そして2016年にようやく部隊配備が始まりましたが2017年でも未だバリバリに使われていますね。



もう1機いたアメリカからのゲスト、シコルスキーMH-60Tジェイホーク
沿岸警備隊の救難ヘリでHH-60Jの強化型。日本でも自衛隊がUH-60とかSH-60とかを運用していますがそれの兄弟機ですぞ。
この機体はオレゴン州アストリアに所属している機体だと思われ。



ロッキード・マーティンCC-130Jハーキュリーズ (130602)
前回出てきたCC-130Hの発展型で、現在生産されているのはこのJ型です。エンジン、プロペラ、アビオニクスが刷新されていますが、外観はほとんど変化がない辺りこれの基本設計の優秀さが見えてくるわけです。
従来型と見比べた時に分かりやすいのはプロペラで、4枚→6枚に増えています。まあ飛んでしまうと分からなくなってしまうんですが。あとは主翼より前の胴体が延長されているのも特徴ですが、従来型にも胴体延長型がいるので、まあそうね・・・という感じ。
これの所属はトレントン基地の第436輸送飛行隊です。



コンソリデーテッドPBY-5Aカタリナ
第二次世界大戦時に使われていた飛行艇です。詳細はここで既に書いているので今回は割愛。
3週間前はビクトリアで見たものが今はコモックスにいるわけだから、明らかに飛行してここまで来たんだろうなと。よく飛ばせるものだなと思います・・・。

今日はここまで。地上展示機は次回でひとまず終わります。


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北米project 4 ~Is the order a warbird? その11【2016/03/04~10】

2017-04-16 21:18:29 | 海外旅行記

再び艦外へ出るとMk.12 5inch連装砲とまたご対面。
この連装砲は内部を観察することが出来ます。



連装砲は上下2つの部屋に別れています。
上は砲を射撃するところ。砲術長以下、観測手、装填手、砲手など14人で運用します。下の方は艦内の弾薬庫から供給される弾丸を上へ運ぶ中継役です。その部屋のキャプテン以下、弾体を運ぶ人、装薬を運ぶ人で合わせて13人で運用します。上下合わせると27人ですか。
副砲と侮っていましたが思っていた以上に人喰い虫ですね。新造時には12基ありましたから(改装時に6基に減少)、計324人で運用していたことに。そりゃ戦艦の乗員は増えるわな。



中はこう。正直良くわからないですが、よく14人も押し込んだなと。



艦首の方。



連装砲の上の方。
ビームが上から張り出していますが、何かを吊ったりしていたんでしょうか?
側面からは測距儀が飛び出ているのも分かります。主砲と同じく、普段は射撃管制装置のもと射撃していたはずなんで、これもいざという時の予備だったと思います。



エアガスのボンベ。使いみちはわからんちん。



順路を進んでいくと柱をくぐりながら通るところがありましたが、柱ではなくてバッテリーから延びる配管のようでした。



目線がまた上がったところでもう一度連装砲を。
上面の中央後ろから出ている箱みたいなやつはサイトチェッカーという要員が配置される場所。この箱から顔だけ出します。



探照灯。



壁に書かれた信号旗。模様によって表す文字が異なるのでそれで表現するんですが、これの場合左から"NEPM"でして、全く意味不明。四字信号というのも無いそうなので、これについては全然理解できなかったです。



煙突とCIWS。

今日はここまで。


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北米project 4 ~Is the order a warbird? その10【2016/03/04~10】

2017-04-14 21:35:06 | 海外旅行記

艦内を少し探検したらまた表に出てきました。
出てきた先は第2砲塔の右舷側でした。砲身の先にはカモメが止まっていて、なんとも平和な光景が。



Mk.12 5inch連装砲。普通に駆逐艦の主砲くらいの大きさありますで。



艦橋。前も書きましたがすごい高さの低い艦橋です。大和とかを見慣れていると驚きの低さ。
大和も確か艦橋自体の高さはUSSアイオワと同じくらいだったはずで、その上に建っているのは指揮所とか観測所とかでした。
で、その艦橋の真下にある扉から再び艦内へ。



入るとそこにはやたらと広い部屋が。いやいや、広すぎでしょう・・・。これで水兵何十人詰め込めるんだって。調度品もやけにいいもの。これは只者ではない人が乗っていたのだろうな。艦長とか。



中には専用の厨房もありました。これも軍艦とは思えない設備です。



実はこの部屋はフランクリン・ルーズベルト元大統領の部屋だったものです。
1943年11月にUSSアイオワはカイロ会談とテヘラン会談へ臨むルーズベルト大統領を乗せてアメリカと北アフリカを往復したのです。大統領なので御召艦とは違いますが、それでも格のある艦だったということでしょう。

展示されている写真を見ると「当時と同じなんだよ!」ということをアピールしているようですが、本当かなぁ?とは思います。就役期間は長いしその間に近代化改装もされてるしですから、調度品は復元だろうと思います。



ルーズベルトのベッド。いやなんだ、ちっちゃいな。脚曲げないと寝れないでしょこれ。



ルーズベルト専用バス。もう家にあるようなフッツーのシャワー室だなこれ。



またよく分からない部屋の写真。



ルーズベルト専用キッチン。さっき見たのとは別の角度からですね。
大量調理できるような設備じゃないんで、完全にルーズベルトとその側近付きの厨房ですね。格差がすごいね。



ルーズベルトコーナーを抜けておトイレ。



延々と続く隔壁。
ここからまた外に出ます。


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大阪→東京 サイコロの旅4 その後【2017/08/10~12】

2017-04-12 20:59:40 | 旅行・イベント記

大阪からサイコロの旅をして東京へ向かっていた一行。豊橋でついにゴールの目を出した。
ところがまだ日の明るいうちに終わってしまったので、豊橋を少しぶらつくことにしたのだった。



2016年8月12日(金)14時59分
愛知県豊橋市 豊橋鉄道豊橋駅前電停

駅前の商業施設でスガキヤのラーメンを食べたら(たまに食べたくなる)豊橋鉄道の路面電車の電停へ。これに乗ります。



ふそうエアロスターの新型MP35。ワンステバスの新型ですね。初めて見ました。



路面電車に乗って、車庫のある終点の赤岩口電停まで来ました。



左から元名鉄モ3200形、元名鉄モ780形、元都電荒川線モ3500形。



更にビール電車仕様のモ3200形とLRVのT1000形もいました。T1000形は定期検査中でした・・・。



駅前へ戻るモ800形。



モ780形は全車が広告車両になっているので、これといった標準塗装というものは無いのですがこれはなんだかそれっぽい塗り分けになっています。



赤岩口から歩いて井原電停へ。この駅で線路が分岐するんですが、この分岐する側の線路のカーブがR11mと日本一急なカーブなんだそうな。
程なくして電車が来たのでそこを曲がる様子を観察します。



確かにえげつない曲がり方をするんですね。台車がはみ出ているぞ・・・。



豊橋駅に戻ります。



東海道線で東京の方へ向かいます。なおいぶき君はお家の最寄り駅で離脱した模様。ゴールしたのでもうどうでもよくなってる。



静岡で音を上げて新幹線課金。数が減っているはずなんだけどよく乗る700系。



小田原で降りてそこから相模原にあるIORI工房事務所で一泊。
恒例マリカーをやって劇場版ガルパン見てました。



翌日、コミケに参加してZBSの売り子をしていました。なお出番がなかった模様。

コミケ終了後はおうちに帰りました。
これでサイコロ4完全に終了。では次回はあるのかないのか分からない5回目で。