『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

輪廻転生

2014年05月18日 08時35分24秒 | 航海日誌
今夜は、前々から観たかった「クラウド・アトラス」という、トム・ハンクスの映画を観ました。過去と今と未来を同時に進行させるストーリー展開。しかし、どの場面にも、トム・ハンクス扮する主人公がいる。リーインカネーション(輪廻転生)が、深層に流れている物語です。

キリスト教世界はこの2000年余り、歴史の時間は、過去から未来へ一方へ流れ、終末で締めくくる物語として固定し、人間を教化してきました。コンスタンチノーブルで、コンスタンチン帝が、宗教会議を開き、輪廻は無いと決め、新約のキリスト教を創り、それが世界宗教だとしました。

珍しく、この、ハリウッド映画は、その禁を犯し、輪廻をテーマに物語を映像で見せています。あのハリウッドでよく解禁された? グノーシス派の復活? まさか。反キリストの復活。キリストを使い、それをいま転覆しようとしているのだろうか。弁証法が見え隠れ。敵を欺くにはまず味方から。

かんたんに書けば。。。2000年の計略は、もう、終えようとしている。最後の晩餐、審判、世界の終わりを物語ろうとしています。そうとう焦っていますね。作ったストーリーは、そのようになってくれないと嫌だと。ところが、生命の物語は、また、繰り返し、円環の時が命のうえに流れます。信じられない新しい、世界が生まれます。

正直者は馬鹿をみない、或は、嘘つきは泥棒の始まり

2014年05月10日 00時20分25秒 | 航海日誌
いま、日本酒を飲みながら。

尼子武将、山中鹿之介氏の談義をば。毛利に攻められ、出雲尼子家武将、山中鹿之介は、武勇猛々しく、戦うも、最期は毛利方に捕られ、岡山の河原で殺害された。山中氏は、かの秀吉が惚れ込み助けたいと想うも、援軍を差し向けられぬ事情があった。なぜ、秀吉が惚れたか。下克上の戦国にあって、御家尼子を決して裏切らぬ武将の姿への憧憬であった。

その山中鹿之介の嫡子は、武士の時代を終え、四国へ落ち、再起して、しかして、商人を志した。いまの神戸へ渡り、酒蔵の丁稚になった。その数年後、有る夜、仲間が旦那の叱責に腹を立て、腹いせに濁り酒に灰を投げ込んだ。それが澱を取り、清酒が生まれていた。それまでの酒は濁り酒しかなかったのだ。清酒の誕生である。

それ以来、灘の酒は清い酒となった。その酒で、財を成し鴻池が誕生したのである。金が集まり、鴻池は大名金貸しとなったが、欧州の連中のそれとは違い、正直商売であった。160年、鴻池は、山中鹿之介の末裔とは明かさず、大名を助けた。なぜ、明かさなかったか。戦国末期の山中鹿之介末裔と知られれば、その先祖の恨みを想われ、誤解を生むと、家訓で明かさなかった。

それが、正直商売の源流である。嘘ではなく、語らないのだ。我よしとしない。商売の本流は、酒にもある。そういう歴史がある。

日本国民に、そういうことも、少しも伝えない罪を想う。

だから私は、ヤマザキパンのようなバテレン追随者を、卑俗と申すのだ。すでに彼らは日本人ではない。

ビジネス、ビジネスと日々、人々が騒がしく云うが、日本の商売のあり方といかに異なるかを感じ入る。痛恨の極みである。

そんなことをするなら、生きている意味の話は亡い。

卑俗を思い知らせ改心させるしか、やる仕事は無いのである。

鼻血

2014年05月01日 23時45分53秒 | 核の無い世界へ
最近、311以降、鼻血が出た。福島ではたくさんの人が鼻血を出した、として、鼻血が語られ始めている。

そこで、話題にのぼっているのが「美味しんぼ」苅屋徹氏が、福島を訪れ、話を聞き、鼻血を漫画にして、物議をかもしている。

風評被害。その象徴が鼻血となっている。

鼻血がでるのは、高濃度放射能物質でないとありえない、とか。体内被曝ならあり得る、とか。

鼻孔内粘膜は弱い皮膚組織だから、ちょっとした傷でも、出血するという。

我が家の話をしよう。2011年5月初旬のことだ。突然、妻と息子が鼻血を出した。シャツが血だらけになるほどの出血だった。それが数日続いた。

驚いた。そんなさまを初めて見たから。妻も息子も鼻血など出したことが無かったからだ。一方、私は、子どもの頃、毎日のように鼻血を出していた。広島生まれで被爆二世だからひょっとしたら白血病かもと思っていた。6年のとき友達が白血病で死んだ。子どもながら、自分もと不安に思い、自分の鼻血を不憫に思っていた。いつになったら鼻血が止まるのだとうと思っていた。だから鼻血について、私はスペシャリストだ。

だから、家族のさまをみて、これは!と思った。

ところが、家族は否定した。耳鼻科へ行ったら、鼻をいじって傷がついたからでしょうと言われたようだ。耳鼻科の医師にも分からない。

しかし、あの鼻血の出方は尋常ではない。鼻血少年だった自分にはわかる。あんな出方など、ナイフを鼻奥へ突っ込まない限り出ません。小学生のとき、ケンカして鼻をなぐられ、鼻血が出て、悔しいからもっとだしてやろうと鼻に力を込めて下を向いて血をながしたことがあったけど、そんなにも出なかったという、自分の体験がある。

ふつうのことではそんなに鼻血は出ないのだ。それがここぞとばかりにどばーと出る家族のさまを観て、尋常ではないと思った。

311以降ネットを調べていると、鼻血を出しているという人がけっこういた。被爆医師の稗田先生が、初期被爆で鼻血が出ると語っていた。

そうなのだろうと思った。

ところが、他では、放射能との因果関係はわからないとするばかり。因果は、証明できないから、助かったのか。誰が?

鼻血は象徴である。誰が観ても、ハッキリわかる。

突然、出たら、異変だ。

それを否定する。

なぜか。

怖いから。

だから、私は、10歳のとき、小学校の廊下でケンカして、鼻から血を流して、人は血を流すということを伝えようとしたのだ。いまでもハッキリ覚えている。殴ったら人は血を流すのだと、伝えたかった。それでも、廊下に流れ溜まった血は、手のひらほども無かったのが悔しかった。もっと血をながしたかったのだ。保健室に連れて行かれ、そういうことをしてはダメと先生にいわれたのも覚えている。でも、私はそうは思わなかった。人は血を流すのだ。涙はその後、流れる後悔の水だ。