「タスマニアの鱒」
〈ロンドン・レイクスの大鱒〉
ロッジは丸太づくりのがっしりした山小屋風の大きな建物だった。表のドアには真鍮製の鱒が取りつけてある。ここがフィッシングロッジだということは誰の目にも明らかだ。
「ロンドン・レイクスへようこそ。さあ,なかに入って」
オーナーのジェイソンが、日本からまっすぐここに向かってきた客をていねいに出迎えてくれた。
玄関ホールはタータンチェック柄の赤い絨毯が一面にひかれていて、その奥には大きな暖炉が据えられていた。すぐに案内された部屋は、やはりタータンチェック柄のベッドカバーが掛けられたツインの部屋だった。
僕はツインの部屋をあてがわれ、どうも落ち着かない。シングル料金しか取られないとわかっていても、空のベッドをもったいなく思ってしまう。そういうときは、ワンベッドの部屋に変えてほしいと頼むのだが、ここではそれは無理のようだった。5部屋ある客室はすべてツイン。つまりここに釣りに来て泊まれる客は10名で、湖での釣りも、その10名に限られる。料金はちょっとしたリゾートホテルの倍もしたが、1泊2日の食事と釣りガイド料も含まれているのだ。
ディナーが始まるまで、僕は片方のベッドに寝ころんで休むことにした。長旅だった。日本を発ち約10時間、太平洋上を飛んでシドニーに着き、それから国内線に乗り継ぎ、メルボルンを経由してホバートに3時間半かかって着いた。空港ではトラブルが待っていた。預けた荷物がターンテーブルに出てこない。しばらく小さな空港をぶらついて荷物を待っていた。
旅行バッグは、結局、1便後の飛行機に載せられていた。胸をなでおろし、空港でレンタカーを借りて、ロンドン・レイクスのある中央高原までの2時間半のドライブをこなしてきたのだった。
長旅の疲れは、すでに麻痺していた。肉体は精神と微妙にずれた状態で、体がワンテンポ遅れてついてくる。僕はあやつり人形にでもなったような調子で、宙を浮きながらディナールームへ向かった。
そこには、ダイニングテーブルに着いた3人の客が、白ワインを飲みながら話込んでいた。僕より20年は歳を取った男たちだった。空いた席に着くとワインを勧められ、見知らぬ者どうしの挨拶程度の自己紹介をした。
「初めてタスマニアに来ました。ここで釣りをするのが夢だったんです」
僕は、少し嘘をついた。夢だったのは、むしろTのほうだ。いつしかTの夢が僕の夢になったのだ。
これでグループに入る儀式は終わりだ。あとは、釣り談義に聞き入っていればいい。
3人の内のひとり、スティーブはシドニーの弁護士で、よく喋った。先ほどから聞き入ってばかりの僕に、話の矛先を向けたのは彼だった。
「私は年間、50週間働いて、そして12月になるとタスマニアに来て1週間釣りをするんだ。釣りは人生の妙薬だよ。これなしにはとても生きられない。君は、日本でどんな釣りをしているのかね」
「釣りは久し振りです。それに、フライフィッシングは初めてで」
自分がまったくのビギナーだということを言うのに、ためらいがあった。ロンドン・レイクスは世界中の腕自慢が集まる場所である。どこかの大統領がヘリでやって来て遊ぶ場所でもある。僕はそのロンドン・レイクスで、フライフィッシングを一から習おうと思ってやって来たのだ。たったの1泊2日だけど。
「ここではフライフィッシングが楽しめるよ。この釣りは、古典的な釣りだが、未来の釣りでもあるんだ。魚との知恵くらべで、とてもゲーム性の高い遊びだし、自然のことも理解せにゃならん。たぶん日本でも、これからフライフィッシングに興味を持つ人が増えてくると思うね」
彼は紳士的に話し、素人を見下すような態度は微塵もなかった。まだ一度もフライの竿を振ったことがない僕は、黙って彼の意見にうなづいた。
メイン・デッシュにチキンのパイ包みをたいらげ、舌がとろけそうな甘い苺ソースのケーキを食べて、ディナーが終わった。席を立ち、皆が暖炉の方へ集まったので後に続いた。3人のお客たちは、ビデオでアラスカのサーモン釣りに見入っていた。僕はコニャックをもらい、薪の爆ぜる炎を見つめていた。
暖炉の炎がちらちら揺れ、いつもの場末の新宿のバーが目に浮かんだ。
Tの声がした。
「そこは釣り師の夢の城だ」
台詞が耳の奥に残った。
コニャックの甘い酔いがまわり、宙に浮いたあやつり人形のようになって部屋へ戻り、ベッドに倒れ込んだ。
闇の中にいた。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
ベッドサイドのライトをつけ腕時計を見ると、午前3時きっかりを指していた。釣りに出かけるのは4時過ぎだ。僕は静かな興奮を抱きかかえたままベッドの中でまんじりともせず、時の過ぎるのを待っていた。
Tがくれた釣り竿を握りしめ、胸まであるゴム製の長靴をだぶだぶ鳴らしながら、ガイドのクリスについて湖の岸辺を歩いていた。クリスは190センチはあろうかという大男で、そのうしろをゴム長を引きづりながら歩く自分が、まるで子供のように思えた。あたりはまだ薄暗く、タスマニアは12月の真夏だというのに少し肌寒かった。やがて森がひらけ、湖面が広がっている場所に出た。クリスが指さすほうを見ると、水面に波紋が残っていた。そしてまたその近くで鱒が跳ねた。大男は僕の頭の上のほうで、
「ライズ、ブラウントラウトだ」
と小さな声で言った。
羽化した水生昆虫を狙って、鱒が水面を割って飛び上がる。鱒はそうして虫を食べていた。その様をジャンプというではなく、ライズと言った。朝もやの中に姿を見せた鱒の黒いシルエットがくっきりと目に残った。
ブラウントラウトだ!
クリスが、後ろから僕の肩をとんとんと叩いて、竿をかざした。まずは自分が竿を振るのを見ててくれと言った。
ヒュン、ヒューン、ヒューン
竿の先から伸びた太いラインを、2度、3度、前後に振ると、竿のしなりでまるでムチのようにスルスルと飛んでいく。そのラインの先端に毛バリが付けてあり、数10メートル先に、本物の羽虫のようにひらりと落ちた。手品かなにかでも見ているようだった。あまりに華麗なその一連の動きが見事で美しかった。
今度はこちらの番だ。しかし見るとやるとでは大違いだった。ムチのようにラインを振るタイミングがわからず、目の前の水面にラインと毛バリが絡まって落ちた。「最初はこんなもんだ」と呟いた。それから何十回と呟き、竿を振り続けた。そんな調子でもなんとか毛バリが前へ飛ぶようになった。
湖を半周はしただろうか、もう昼間近かで午前中のレッスンは終わった。ブラウントラウトは一度も顔を見せてはくれなかった。ロッジに戻り、サンドイッチを頬張ると、右手の上腕筋にだるい痛みを感じた。それは昔、テニスをやり始めたころの痛みに似ていた。テニスのときもそうだったように、僕は早くプレイを再会したい気分で落ち着かないランチタイムを過ごした。
午後の湖は、姿を変えていた。風がユーカリの木立を揺すり、湖面を波立たせた。水に浮く毛バリが見え隠れしていた。いつ鱒が飛び出すかしれない。ずっと目が毛バリを追っていた。場所を少し動き、毛バリを飛ばし、また見つめ続ける。そうした動作を何度も繰り返し、30分が過ぎ、1時間が過ぎ、頭の中に空白の状態が続いた。ときたま息が切れたように竿を小脇に抱え、煙草に火をつけた。そしてまた毛バリを見つめ続けた。目玉だけが毛バリを見つめているような不思議な感覚だった。僕は目玉になって、湖面に浮いた毛バリを見つめ続けた。
突然、黒い影が、水の中から現れた。
バシャ、バシャ、バシッ
竿が弓になり、一瞬でぷつりと糸が切れ、毛バリごと魚は姿を消していた。手が震えていた。
「ここ何週間かで釣られている魚で、今のが一番大きかったと思うよ」
クリスは、自分のことのように肩を落としてそう言った。
そして、
「今逃げたブラウントラウトは、口に勲章を付けてるんだ。つまり君の毛バリが勲章なんだよ」
と、付け加えた。
「毛バリが勲章か」
僕はひとりごちて、湖の鱒が顔を出したあたりをしばらく眺めていた。さざ波を立てながら風が湖面を吹き抜けていった。
ロッジに戻ると、オーナーの甥っこが、すぐに釣りの成果を聞いてきた。両手を広げて肩を上げて見せると、麻袋の中から立派な鱒をつかみ出して、目の前に突き出した。いぶし銀のような体色に,オレンジがかった黒い斑点が目立った。顔にはギョロリとした目玉があり,顎と口が猛禽類のくちばしのように突き出して先で曲がっていた。生まれて初めて見るその鱒は、獰猛でかつ知恵者という印象を与えた。60センチを超えるブラウントラウトだった。
「初めて釣ったんだ」
少年は瞳を輝かせ、満面に笑みがこぼれた。
彼はハイスクールの夏休み中で、ロッジの手伝いをしながら、フライフィッシングをマスターしようとしていた。そして、9日目にやっとのことで一匹の鱒を釣り上げた。15歳の少年は、この先、ロックミュージックや女の子に夢中になるだろうが、フライフィッシングの聖域は侵されることなく人生に君臨し続けるだろう。
僕がロンドン・レイクスで鱒に勲章を与えて、翌日からは高原に点在する湖を巡り、覚えたてのフライフィッシングで釣り歩いた。島には3000もの湖があると聞いていた。そのほとんどに鱒がいるということだった。
鱒はいっこうに釣れてはくれなかった。夏だというのに、ハイランドの湖は小雪がちらつき寒い思いばかりしていた。だれもいない湖の岸に立ち、飽きもせず、ひとり竿を振り続けた。実のところ素人の自分に、はたして釣れるものかどうか、確信などなかった。ただ、釣れてくれるような気がして、その気分を楽しんでいたといったほうがいい。夜は湖畔のロッジで泥のように眠った。
5日目の午後だった。湖というより大きな沼のような場所で、鱒が、僕の毛バリをくわえた。弾丸のように水中に潜ったかと思うと、次の瞬間、鱒は宙を跳ねた。野生の生命は数分の間、爆発したかのような活力を見せた。その動きに翻弄され、竿を持っているのが精一杯だ。それでもなんとか岸辺に寄せて、メジャーで計ると45センチほどのブラウントラウトだった。この土地では決して大物と呼べるサイズではなかったが、僕にとっては夢のような鱒だった。
やっと釣れたこの鱒はビギナーズ・ラック、幸運の賜物だ。脳の中の、空白だった部分に、赤い血が一気に流れ込んだような新鮮な感触が味わえた。流れ込んだ血は、僕のなかでずっと眠っていた野性の血とでも呼べそうなものだった。
僕は、足元に竿を置き、顔を赤く上気させて、冷たい水が打ち寄せる湖のふちにしばらく立ち尽くしていた。
○
蒸気船のやさしい揺れが好きだった。フロントデッキの上で、しばらく僕は浅い眠りに落ちていたようだ。蒸気船は出航した河口の桟橋に向かって煙りを吐き続けていた。同じ川を逆戻りしているわけたが、景色は違って見えた。初めて歩く道で、行きと帰りがまったく違った道に見えて戸惑うことがよくある。川もまたひとつの道ということか。いづれにしても道に迷うわけでもなし、また違った景色が見られるのだから、そのほうが良かった。流れゆく世界をぼんやりと眺めて、水辺の風景を楽しんでいた。バターカップの黄色い小花が、土手の草原に点々と咲いていた。男の子がそのなかに腰掛けて釣り糸を垂らしていた。絵のなかのような、のどかな風景だった。
デッキで風に吹かれ、沈黙のまま座りつづけている僕に、ピーター船長が話かけてきた。
「ホバートの街の前を流れるダーウェント川は見たかい。あの大きな川では、捕鯨が行われていたんだよ。海から上がってきたクジラの潮を吹く音で眠れないほどだったんだ」
その話は、無口になっていた僕の気を充分に引きつける内容のものだった。
「クジラが見られるの?」
「もうずいぶん昔の話さ。クジラの潮吹きがうるさいってのは、タスマニアの初代総督が日記に書いていたものだよ」
クジラの話は、150年も前のことだった。クジラが大挙して潮を吹き上げる姿がビジュアルになって、頭の中を悠然と泳いでいった。
満月の夜、クジラたちが仲間どうし唄を歌い合いながら、湾からダーウェント川へクルーズするのだ。それは愛の歌といわれるが、どんな歌なのだろう。人間が聴いて、その旋律に心がときめくだろうか。その歌と、時折、吹き上げる潮の息が、植民地の港街に鳴り渡る。巨大な水の生き物の存在が、闇のなかで空気を伝ってやってくる。ベッドの中で息をひそめ、その音を聴くのだ。
この土地の天気は変わりやすかった。1週間いつもそうだった。晴れのち、どりしゃぶり、ときに雪、そして虹という天気。気温も8度から20度まで上下した。にぎやかな天候に一喜一憂しつつ、それを旅として楽しんだ。豊かな雨が、森にしみ、湖に湧き、川となって流れ、大海へと続く。そこに鱒やサーモンやクジラたちが群れ泳ぐ。オーストラリア内陸の砂漠とはまったく異なる水の世界。タスマニアは、水の国だった。
またもやポツリ、ポツリと大粒の水滴がデッキを打ちはじめ、やがて大粒のシャワーとなった。しばらく僕はデッキの上でそのまま雨に打たれ、水と遊んだ。川下の遙か上空には青空がのぞいていた。
船室に入り、シャツを脱いで手すりに掛けた。ポタポタとしずくが木の床に落ち弾け、小さな水たまりを作っていた。やがて水滴の量が水たまりとなり、床の低い方へひと筋の線を描いて流れていった。僕は曇った眼鏡をバンダナで拭き、窓越しに川を眺めた。川いちめんに、雨が無数の波紋を打っていた。湿った冷たい風が、川面を渡っていった。蒸気船は相変わらずのマイペースで、白い煙りを吐きながら、水性動物のようにゆったりとヒューオン川を下っていった。
(1991年)