『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

閑話休題

2011年10月30日 22時08分12秒 | 航海日誌
まあ、ぼちぼち人生でよかろうじゃないか。
マヤ暦の終末日、10月28日も過ぎて。
その日がどうとも思っておりませんでしたが。
自分のなかの神か、先祖か、みんなで静かにお話して。
楽しめたら、そりゃ、最高さ。
文句100万べん、たのしい1ぺん。
あほうはよいです。


モモ その9

2011年10月29日 16時02分32秒 | 「モモ」お金を考える
1900年代初頭に自由貨幣(消滅貨幣、スタンプ貨幣)を提唱したシルビオ・ゲゼルの思想は、ドイツを始め、ヨーロッパ社会の一部のコミュニティに受け継がれたが、世界大戦の怒濤がその萌芽を潰し、強国であることが最大目標となっていった。戦争は最大の産業である。失業者は戦地へ赴けばよいのだ。

だが、自由貨幣の種は残っていた。地域通貨として各地のコミュニティで取り組まれ、現在、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、アメリカ、ニュージーランドなど2000余りの地域で実践されている。ちなみに、コミュニティのcom(互いに) munus(贈り物)の語に由来するとされる。

地域通貨は、ゼロ利子もしくは減価する通貨である。あくまでも物・サービスの媒介だ。地域通貨をどれだけ所有しても、そのものが価値を持つことはない。ゆえに、人と人が互いに物・サービスを贈り合う。まさにコミュニティの血流といえる。

数あるコミュニティの地域通貨で、アメリカの例を紹介しよう。ニューヨーク州トンプキンス郡イサカは、コーネル大学を中心とした3万人学園都市だ。1991年、生協組合のスーパーマーケットで誕生したのが「イサカアワー」と呼ばれる地域通貨だった。組合会員がこのイサカアワーに参加希望し手続きすれば、会員相互で物・サービス・技能を売り買い出来る。自家農園の野菜、手作り品、ガーデニング、ピアノレッスンなどなど。

1アワーは10ドルに相当し、それに見合う料金を互いに決めている。また、イサカアワーに参加している商店で買い物も出来るし、銀行ではローンなどの支払いも出来る。この町でなら、イサカアワーでの生活がかなうのである。今日のパン代に困れば、情報欄をみて、買い物代行でも庭掃除でもすれば、空腹に苦しむことはない。アメリカの法律では、ドル紙幣に似ておらず単位が10ドル以上の紙券であれば合法とされる。日本では地域通貨は違法となるから、まさに夢のようなシステムだ。

この東京で以前、「便利屋」なるものが流行って、よくポストにチラシが入っていた。買い物、掃除、子守り、話し相手なんでもやります。でも、その仕事が活況だと聞いたことがない。見ず知らずの人間を使おうという家庭が少ないからだろう。しかし、イサカの場合はコミュニティ会員相互の信頼関係があり、イサカアワーを媒介して機能している。交流が深まり、人と人の絆が太くなって、コミュニティの密度が高まっている。

最初は疑問視していた地域住人も、実際に参加して、自分に売る物があり、相手に必要とされていることを実感して、今ではイサカアワーは生活を支える柱になっているという声がほとんどとなったという。そうした実感とともにイサカアワーは人々の間を環流し、町が活性しているのだ。

日本で地域通貨は違法とされるが、今後このあり方が高齢化社会に必要とされるのではないか。単なるボランティア活動では限界があろう。時間と体力のある若者が不自由な老人の手助けをして、その代償に得る地域通貨は、スマートなあり方に思える。若者はその地域通貨でランチを食べ、その店は食材の仕入れをし、畑の手伝いにも支払われる。また、農作業アルバイトでもらった地域通貨を使って、老人からバイオリンのレッスンを受けることもある。

こうして地域通貨は環流するが、その通貨が蓄財されることはない。通貨が媒介して人と人のエネルギーが交換されているだけだ。しかも、地域通貨はその富みを外の世界へ放出させることもない。コミュニティ内でしか通用しないからだ。たとえば1000万円分の通貨が環流していたとして、その何倍もの活性を生み、4~5千万円の経済活動が機能している。利子が数字を増やすのではなく、人が物・サービスを交換することの効率効果なのである。

(つづく)


モモ その8

2011年10月27日 00時00分18秒 | 「モモ」お金を考える
たった今、ヨーロッパが悲鳴を上げている。金融危機が米国から回り、そうなった。それは、因果応報の結果である。金融の大本が、米国を「自由経済野放図活動」を許した結果である。

そして、記録的円高となっている。これはどういうことか。

ずっと前に書いたが、世界を回る構造での米国金融危機は、ヨーロッパへいったん戻って、アジアへ向かって来るということで、それでこれまでの近代経済は終焉を迎える。コレは何も私ごときが申しているのではなく、アウトサイダーの経済予測人たちが、1900年代から発言している予測(予言)である。

これは、1600年代、大航海時代が起こった世界模様に酷似しているが、システム規模が違うし、スピードが違う。世界の人口は今月70億人に達した。経済はその総数の規模エネルギーに達している。もう、この経済システムは破綻してしまっている。

エッジ・エイジ。極まった時代に達した。が、それは現行のシステムにおいての話だ。地球は豊かなのだ。その使い方を誤っている。システムを変更するしかない。どう、変わるのか、いや、還るのか。

(つづく)


モモ その7

2011年10月25日 21時38分17秒 | 「モモ」お金を考える
「地域通貨」という言葉を聞いたことがあるだろうか。ああ、商店街などで通用するクーポンのことかと思う人もあるだろう。この日本でも実験的に取り組んでいる商工会議所レベルのものはあるようだ。しかし、アメリカやニュージーランドなどのコミュニティで取り組まれている「地域通貨」は、銀行が参入した地域内経済システムである。

しかし、この日本では余り紹介されることがないから、知らない人も多いのではないか。聞いたことがあっても、商店街クーポンの域でしか理解されていないように思う。だが、地域通貨の持つ意味は大きい。それは前回で書いた、江戸時代までの「米本位制」と通底する、人の営みを活性させる力を持つからだ。地域通貨は、米と同様に、減価していくシステムだからである。

では、「地域通貨」とはどのようなものなのか。これの産みの親は、自由貨幣(消滅貨幣、スタンプ貨幣)の提唱者シルビオ・ゲゼルとされる。1862年にドイツ帝国に生まれ、アルゼンチンへ移住して実業家として成功した人物で、しかし、南米社会の激しい変革と金融暴走に直面して、人々にとって真に必要な通貨政策を追究した。それが自由貨幣だ。

これは、年初に100の価値があるものが、年末には95(-5%)に減価する紙券である。どう減価するのか。紙券の裏に小さなスタンプを貼るマスが52週分あり、毎週そこに郵便切手のようなスタンプを貼る。この紙券の所有者は週をまたぐと、スタンプを貼らないと使用することができない約束だ。スタンプの代金は5%分を52で割った値だから、たとえば1万円であれば、500円に対する9.6円である。

この5%というのは、一見、消費税のようなものと考えられるが、消費税とはまったく異なる性質を帯びている。消費税は使わなければかからないが、自由貨幣はサイフの中に仕舞っておけば、週ごとに減価する。貯め込むと減っていくのだから、人々に率先して使われる。つまり地域内でのお金の回りが早くなり、人々は自分たちの物やサービスを盛んに交換し合う。増税で消費が落ち込むのと正反対に、経済効果は何倍にもなるとされた。かのケインズも、将来の人間はマルクスよりもゲゼルに学ぶだろうと明言していたそうだ。

このスタンプ式紙券は、1930年代にドイツのシュヴァーネンキルヘンという炭坑町で採用され、大恐慌で死に体だった町が復活している。しかし、地域貨幣に脅威を感じたドイツ帝国銀行により法令成立後、禁止された。オーストリアの人口4300人のヴェルグルでも32年に採用され、同様の効果を上げ、町は見違えるほど活性化し、町の税収も8倍になったとされ、「ヴェルグルの奇跡」として国内外から注目を集めている。しかし、これも中央銀行の訴訟により裁判で敗訴。住民の願いは聞き届けられず、その後、ヴェルグルは30%の失業者を出した。

ゲゼルの思想は、具体的な効果を現し、それが国家と金融界から脅威とみなされたのだ----羊飼いとヒツジの関係が壊れる脅威----ゲゼルはドイツの思想家シュタイナーに受け継がれ、イギリスではケインズに「健全なる経済システム」と高い評価を受けたが、何かが大きく引き裂かれたしまった。その後、世界は大戦へ突入していく。

シュタイナー思想の影響を受けた作家ミヒャエル・エンデは、世界の不和が何からもたらされているのかを問い続けた。エンデもまた、ゲゼル思想を支持し、モモを黒服と戦わせたのである。だから、このブログのシリーズで書いている「モモ」というテーマは、世界不和を何が生み出しているのかを問うシンボルである。人類すべての禅問答のようなものだ。

なにが人々を苦しめているのか・・・
それはお金か・・・
それともお金を動かす者か・・・
そもそも、お金とは何か・・・

私たちは余りにもお金に無知なのではないか。

『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』川邑厚徳+グループ現代著 講談社

現代の地域通貨の取り組みについては、提案と共に次回以降で述べていきたい。

(つづく)


モモ その6

2011年10月22日 15時14分53秒 | 「モモ」お金を考える
江戸時代まで、日本の統治は幕府がおこなうが、独立自治権をもつ藩政であった。藩はそれぞれ国であり、租税は年貢である。たとえば僕が生まれた広島は、40万石の石高だった。それは村請制度といわれ、各村から集められた年貢米の総計である。一石(約150kg)は当時の人が1年間に食べる米の量とされるから40万人を養う財政といえる。

ところで、これを貨幣価値に置き換えると、どのくらいか。一石は1両といわれる。小判1枚の価値は、現代で10~20万円とされる。間をとって15万円として、4人家族であれば、年間に60万円が米代となる。これをそのまま今の物価感覚で捉えることは出来ない。高いとか安いの話ではない。とにかく、お金に換えたらそうなる。それで一年間、人が生きていた。

(この記事を書いていたら、知り合いの農家のMさんに頼んでおいた米が届いた。半俵(30kg)で1万円。安いねえ。有り難いです)

さて、一応そういう話をしたが、ここでの主題は、米という糧についての意味だ。日本国経済の根本は、米相場で動いていた。明治になって諸外国と付き合うようになってからは金(きん)に変わった。金(銀)本位制である。では、江戸はなんといったか。米本位制という言葉はないが、意味はそうである。

米本位制として、これはどういうことか。豊作不作で相場が動いて経済統制が毎年てんやわんや、という話ではない。金は価値を失わず、コントロールされ、貯め込むことができる。ところが、新米は1年で古米となる。蔵に蓄えても、米はその価値を失っていく。どんなに豊作でも、その米の価値は下がっていくから、価値を蓄えることが出来ない。すると、市場へ出さなければどんどん損益が増すから、米は世の中へ出回る。豊作で国全体が活性する。

つまり、貯め込むことが出来ない米が本位ということは、富みの集中がおこなわれにくいということになる。なに、紀伊国屋文左衛門などは蜜柑を運んで大儲けしたではないか。そういう商人規模の話ではない。価値がキープできない米という本位は、動く性質を持つということだ。ここが重要なのである。

よく、金が回ると経済が豊かになるというではないか。ところが金は回りにくい性質を帯びている。貯め込む(コントロール)できるからだ。米はその反対に貯め込むと価値が下がっていくから、動くのだ。

前の記事で、物々交換の時代は、人が生きるためのエネルギー交換だったと書いた。その肩代わりをお金がするようになって現代があるが、お金は貯め込むことが出来、つまり富みを膨らませることが適い、貧富の差を生む。ところが米のような価値が減資していくものを本位とすると、そうはならない。

そうはならない国が江戸時代までの日本だったのではないか。もちろん、幕府(政府)と藩発行の通貨はあったが、9割が農民だった日本人にとって、通貨は日常使うものではなく、依然、物々交換的な生活を営んでいた。お金に支配されていない暮らしだ。

幕末に日本を訪れた外国人らは、世界にも稀な高い教養と品性を身に付けた日本人の姿を見聞して、驚いている。トロイの遺跡発見で知られるシュリーマンは、1865年に日本を訪れている。その旅行記の一文が、江戸文化の一面を紹介している。

「主食は米で、日本人にはまだ知られていないパンの代わりをしている。日本の米は非常に質が良い」
「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」
「彼ら(日本の役人)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも、現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである」(『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫)

江戸まで日本は封建社会で人々は搾取されていた・・・といった歴史観を戦後教育で身に付けてしまっているが、実は大変な勘違い(思い込み)をしてしまっているのではないかというのが僕の意見である。日本の豊かさは、米が本位であったことからもたらされていたと思うのである。それは、何度も書くように、減資していく性質が富みの集中をさせず、世の中に回り動くことからの活性である。

なぜ、そう思うようになったのか。それは次回、ふたたび「モモ」の世界に戻り、作者ミヒャエル・エンデが残した『エンデの遺言 根源からお金問うこと』で語り継ぐ「地域通貨」の話で紹介したい。

(つづく)


モモ その5

2011年10月19日 22時24分28秒 | 「モモ」お金を考える
シンプルに素朴にお金とは何かを考えてみたい。今の経済思考を排除して、出来なくても努力して。

お金って、まず、思い浮かぶのがエネルギーだ。毎日、太陽が降り注いでいただけるが、それがエネルギーの源泉だ。それから、空気。それから水。それから人体が必要とする栄養素。つまり、生物が生きるために必要とするエネルギーだ。

それらがお金に還元されているのが現代だ。つまり、自然からいただいているもののすべてがそうなっている。もちろん、泉から湧く清水をすくって飲んでもお金を取られることはないが、ペットボトルから飲めば代金が必要となる。

人が介在して、自然からもたらせられるものを手にすれば、お金になっている。なぜか。自然物を運んだり、加工したり、なにがしかの手が加わることで金銭化されるのが、長年の習慣だからだ。なぜか。そこに人のエネルギーが使われたからだ。そのエネルギーの代価として、お金というものが肩代わりしている。

お金というものがなかった時代、または地域では、物々交換で、エネルギー交換がおこなわれた。つまり、物々交換の代わりにお金が使われだしたときに、お金というものは、物の価値と等価か、等価と認められるなにかだった。

その価値は、一過性であって、主体は物であり、お金そのものに物以上の価値は無かった。つまり、そのときのお金は主体ではない。あくまでも、人と物との約束であり、それ以上のものではなかった。

だから、お金をいくら持っていても、物を持たなければ生きていくことはできなかった。お金は単なるトランプのカードと変わらなかった。トランプのカードを何百枚持っていても、その人がそのカードに変わる物を持っていなかったら、誰も何とも交換してくれない。カードは一過性のものであって、仮にカードを渡しても、それに変わる物を与えないと、もらったものと等価になることはなかった。つまり、約束手形のようなものがお金なのだ。

お金は、そもそも地球エネルギーの一時的な肩代わりでしかないのだ。だから本来、お金はその価値をキープする能力を持っていないものなのだ。だから、そこへゴールドという持ち運びが困難なエネルギーを代替えとして裏支えさせ、金預かり業を発展させて銀行業を興し、現代を作った。それが今だ。

本来、人が人として生きるためのエネルギーが、交換されるのが生活なのだ。お金を介在させる必要は、西欧社会ではここ500年くらのことで、日本でいえば、ここ100年くらの話である。生活の有り様は全く違うのである。それを知らないだけだ。

それではこの日本がなにを糧に生きていたかは、1年で価値を失っていく、米である。日本は石高(こくだか)を基本に、生きてきた国なのだ。

(つづく)


モモ その4

2011年10月16日 17時02分31秒 | 「モモ」お金を考える
ファンタジーはいわば妄想から生み出された物語と思われるものだ。はたして、そうだろうか。たしかに、ファンタジーのような、見たこともないような何かが突然に出現したりはしない。ネッシーだとか、雪男だとか、口裂け女が大勢の前に出てきて驚かすとこなどない。宇宙人なんか、いつも噂で終わっている。

でも、黒服男はいる。子どもの前に現れることはほとんどないが、お金を持っている人間の前には現れる。ピンポ~ン。仕事だからね。貯めたら利子が付くと。それが将来を豊かにするとね。もう、そんなことを何十年もいっているのに、誰が豊かになったか。

そう説いても、お金と利子のふしぎ。誰も納得ができないでいる。そう、時は金なり。人生80年、50年働いて3億円。ところが、その半分は税金と借財の利子として払っていて、手元に入ったのは1億そこそこと。それもあっという間に消えて無い。

そんなに税金払っていないと思っていても、実は物の価格に中に組み込まれている。消費税以前の話。ニューヨーク金融街でのデモは、切迫した民衆の叫びにほかならない。

グローバルというのは金融システムの加速化の話であって、ローカルは、個々人の暮らしのリズムの話なのだが、どうも。あいだの開きが巨大過ぎる。コロンブスが船団束ねて太平洋へ乗り出したのは、黄金を収奪するのが目的であったが、個人的には冒険人生が望みだったから、ダブル・ミッションだ。個人は善良であっても、組織行動は戦略的なのだ。大方、そこが誤解されている。人は個人的感情で大半の人生を過ごす。

それが悪いわけでも何でもないが、その個人を大きく束ねる何かが狂っていれば、個人生活にとって禍害となる。民主主義とは戯れ言か。

(つづく)


モモ その3

2011年10月15日 00時06分45秒 | 「モモ」お金を考える
また、忘れていたことを思い出した、乞食少女のモモのことが好きだった。みんな、村の誰もが、モモを欲しがるのに、家に帰るとそんなことを忘れて、そうだぞうだ、時間貯金をしないと、貧しくなってしまうと相談し合う。で、モモを忘れる。トントンとノックをする黒服の声を聞いて、自分の時間を差し出す。何倍もの時間になって返ってくると信じる。

ところが、時間はなにかに吸い取られて、薄くなっている。なにが時間を吸い取るのか。機械を使ったシステムによって。電子チップが吸い取りマシーンだ。あずかり知らない機構によって、時間は吸い取られていく。

むかし、影を売って魂を無くした男の話があったにもかかわらず、それを忘れて時間を売っていたのだけど。そんなこと忘れて、だから忘れることが問題といえば問題なのだが、忘れていることを忘れているのだから、問題にもなにもならなかった。

(つづく)


モモ その2

2011年10月13日 21時52分38秒 | 「モモ」お金を考える
瞬時に文章が送信できるファックスが会社に導入され、それからしばらくして、今度はワードプロセッサーが入った。確か1986年だったと思う。1台150万円くらいの高価なものだった。そのワープロを使える人間は会社に一人しかいなくて、事あるごとにその人にお願いして打ってもらいながら、段々に使い方を覚えていった。

ぼくが勤めていた会社は、雑誌の編集制作会社で、当時、原稿は手書きである。鉛筆で書いて、そのまま印刷所に入稿していた。ワープロで打つものは、契約書か住所録など。だから普段は、ほとんどワープロの必要がなかった。きたない鉛筆書きの文字が、ワープロで打つときれいな印刷文字になってプリンターから出てくることに感動を覚えた。以前は、印刷所からゲラが出てきて、自分が書いたものが印字されていて、感動していた。入稿して3,4日経って見ることができる印字が、すぐ目の前で出てきた。

編集の先輩が、ワープロが普及すればオフィスで使われる紙の量が減るといった。だから環境にいいのだと。ところが、書き損じで、何度も印字しているのだから、紙の量は逆に増えていった。どうも、予想とちがっていた。数年後、各人にワープロが与えられた。みんな画面に向かって黙々と仕事をするようになった。

90年代に入り、パソコンが普及し始めた。文字を打つだけならワープロで充分だったが、やがてマッキントッシュが導入され、インターネットが引かれ、仕事環境がみるみる変わっていった。ぼくは何台目かのワープロが壊れるまで使い続けていたが、周りからパソコン覚えないと仕事にならなくなるぞといわれ、マックを使うようになった。ワープロで打った原稿をフロッピーに入れて、出版社へ持っていったのが97年くらいだったか、それを最後に、パソコンへ切り替えた。

(つづく)


モモ その1

2011年10月11日 22時13分11秒 | 「モモ」お金を考える
ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだのは20歳の頃だったろうか。本好きの友人に勧められて本屋へ行き、箱入りの分厚い本を手に取った。

家に帰って、一気に読んだ。モモという女の子が村に現れ、村人の心を癒す。黒服が現れ、村人に「時間を貯金すれば、将来何倍にも豊かな時間が」と、時間貯金を勧める。モモが、黒服の男達を、時間簿泥棒だと教え、村人を救うために戦う物語・・・

ぼくは、その物語を単なるファンタジーとして読んだが、直感では、これはなにかとても深いところを語っているのだろうとも思った。

26歳くらいの時だったろうか、勤めていた会社に初めてファックス機が入った。急ぎの文書は一瞬で送ることが出来ると皆、喜んだ。それから暫く使って送ることに慣れていくうちに、ふと、思った。前だったらこれ、急ぎで直接、手渡しするために持っていったな。届けるのが夕方になったら、その人と酒場に行って話し込んだこともあったか。

そんなことを段々に思ううちに、「モモ」を思い出した。そうか、これって、時間泥棒ではないだろうか。行かないですむぶん、次の仕事が増えて、ちっとも時間が増えない。時間が圧縮されてしまって、ますますキュウキュウだ。

周りの仕事仲間にそのことを話してみたが、どうもピンと来なかった。でも、やっぱり便利だよ。いちいち行かないですむのは便利か。面倒臭いときはあるが、行って酒飲んで話をしたほうがいいときも多々あった。そう思った。その頃のぼくは、どうも釈然としない感情だけを抱えていた。

(つづく)


意識進化

2011年10月09日 23時24分26秒 | 核の無い世界へ
夏の終わりまで、このブログでずっと原発禍害について書いてきました。世の中に様々な事件が起こっていますが、いま、これ以上巨大な事件はないからです。政界やら財界、あれやこれやの事件など、どうでもいいくらい。とはいえ、実はそれら社会の諸々が、原発禍害に繋がっているのですが。私にはそう見えます。

先の戦争で、広島・長崎に原爆が投下されて大勢の人々が亡くなりましたが、そのときに撒き散らされた放射線(セシウム)を1とすれば、福島第一原発では、その700倍と云われます。法律では年間被爆量1ミリシーベルトとされていますが、今は20ミリシーベルトに引き上げられています。もう、以前の規定では対応できなくなったからです。関東以北、福島周辺は環境が変わってしまった。海外から日本を観れば、チェルノブイリと同様か、それ以上に映っているようです。

さて、これからどうなるのか、日本は。半年経って、恐らくもう考えても仕方がないといった人々も多くなっている気がします。考えても方策がないと。そうですね。取り留めがない。そうですが、目には見えぬ放射線という存在が、今まで意識もしなかった一般人の意識の中に入っている。たとえ西日本の人であっても、意識に刻まれている。考えてもみなかった状態にいる。すぐに癌になってしまうわけではないだろうが、健康被害がどう出るのかと頭のどこかで思っている。すると、なにがどうなるのか。メメントモリ(死を想え)です。精神に大きな影響を与えている。

このことは必ずしもネガティブなことでしょうか。生きていて、死を想うことは、生を強化する。表現が極端で受け入れ難いかもしれませんが、たとえば「死生学」ではそう解きます。生きている実感がどこから湧き起こるか。死からです。クライマーズ・ハイというものがあります。岩壁を何時間も掛けて登り、いつ落下するかといった緊張の中で頂上に登り着いた瞬間に、ハイ(精神高揚)となるのです。死と隣り合わせで生を一気に感じる。私も登山でそれに近いことを体験しているので実感できます。

それと同様に語るには無理があるかどうか。いま環境が変わってしまったこの関東以北で生きていくことは、以前の感覚ではなくなっている。麻痺してしまえば、表層は以前に戻るかもしれませんが、意識に変化が起こって人生観が変わる人々もいるかもしれません。なにか、大きく人間が変化していく時代が訪れたように思えます。ひょっとして、意識進化が起こるのかもしれません。なにかとてつもなく。ニューエイジが現れるのはこれからかも。とにかく私たちは稀な体験と共に、この時代を寿命の限り、生きて抜いていくのです。


やっとひと仕事

2011年10月08日 17時23分34秒 | 航海日誌
この半年近く取り組んできた「米粉ビジネス実例集」の編集仕事が終わりました。5月から企画に入り、6月の巻頭ロング対談を皮切りに、7,8月と取材を重ね、編集、校正、デザイン入れ、144p分をコツコツ。昨夜、校了となり、やっとこれで肩の荷が下りる~

と、思いきや・・・夜7時を過ぎても印刷所さんから校了紙を引き取りに来ない? 手違いで便を出し忘れていたようです。編集者にとって校了というのは特別な時です。手塩にかけた子を送り出すような、これで責任を果たせたといった安堵も。

連絡して待つこと2時間。温厚な私もさすがに腹が立っていましたが、担当さんが受け取りに来て、一言。「これまで何度も校了を経験しましたが、便が忘れられていたなど初めてのことですよ。でも、初めてということは、始まりということですね。どうぞよろしく」

生きていると色んなことがありますが、幾つになっても初めての事というのはあります。そのときどう感じるか。ありえない~と怒るか、初めてに何か思いを馳せるか。私が感じたのは、「いよいよ始まるな」でした。

さて、今回、編集した「米粉ビジネス実例集」は、米粉の製粉や食品加工に取り組む人々の物語です。皆さん米粉に夢を託して何年も取り組んできて、米粉が日本の食事情を改善する食品になると信じておられます。米粉は水溶けがよく、吸油性が低いのでヘルシー。揚げ物もあっさりカリッと揚がります。発芽玄米の米粉ならギャバ(アミノ酸の一種)が豊富で、健康に良い。小麦アレルギーの方も安心して食べられることも特記すべき点です。

小麦粉の8割以上を輸入に頼っていますが、米粉に切り替えることで自給率がアップします。休耕田を使えば50万トンの増産が適い、数千億円の内需拡大ビジネスになります。今は値段が小麦粉の培ですが、量産されれば値段も同等になります。国民が米粉を使えば、そうなります。米粉が持つ意味は大きなものがあります。

と、そういう内容の本を編集しました。そして、その想いを込めて、背表紙に書いたコピーは、
 黄金に実る稲穂から
 一粒万倍こぼれ出し
 米粉になって百万石
 瑞穂の国の宝物
 米粉ビジネス真っ盛り

 ご縁を頂いてこの編集仕事ができて、ほんとうに良かった。支えてくれた皆さんに感謝します。ありがとう御座います。

※この「米粉ビジネス実例集」(3800円)は書店売りではなく、実需者向けの直販本です。大手町JAビル地下の「農業書センター」にはありますが、一般書店では取り扱っていません。念のため。


オレはアイセタカ

2011年10月06日 23時36分07秒 | 航海日誌
俺は今日も、道を歩いた
交差点信号にたまったひとたちにまぎれて
また、道を歩いた
さっきの つり革の、邪魔な男の肩
思い出し、あーっ
気つかってよ
信号に引っ掛かって
そのあと急いでビルへむかう
おはよう
お、はよ
きのう、ガイガーカウンターもって来た男がいた
ココハセンリョウガイガイトヒクイと云って帰った
それまた思い出し
ゆるゆると汚染だと
思い出し
パソコンにむかいてキーを打つ
文字の羅列
なんの意味か
それから、14時間半
いちにちを思い出す
しずかな夜
俺はアイセタカ
今日をぜんぶアイセタカ
愛をめぐる旅つづく


どう生きるのか

2011年10月03日 23時07分31秒 | 航海日誌
このことをずっと問い掛けていますが、それは私自身への問い掛けでもあります。生きるというのは、人生70~80年の日本人の平均寿命の間にある、その人の寿命の間で、どのように自身が納得するかの、有り様のことです。

そして、本当は寿命とは、人生80年が満願ではありません。80年生きることができたから、それで納得できることではありません。18歳で満願の方もいれば、100歳の方もいる。生まれたばかりでこの世を去る方もいます。それが寿命であり、満願です。他者と比較できるものではない。

要は、長さではなく、そのご自身の寿命で何を想い、何をして、どう生きることが出来たのか。それを問うのは誰でもない自分自身だということです。誰も介入できることではない。身体を離れながら、この世の光景を振り返りながら、さまざまな想いがハイスピードの走馬燈のように回転して、問う。

自分はどう生きたのか。

いま、生きていて、それを想うことができるでしょうか? 生きていることが過去形として想像できるでしょうか。メメントモリ(死を想え)とは、そのことを云っています。「後悔先に立たず」。終焉時に、それはリアルな言葉となります。「もっと思い切り生きたかった、もっと人に優しくすればよかった、もっと、もっと、もっと」

ここに書いてあることを理解したくない人は、「人生は1回こっきり」と思い込んでいる人です。だから、長く生きることだけに意味を持とうとするのです。大切なのは、寿命を生ききることです。今日、その生ききることが出来たか、どうか。その感触があるかどうか。それを自分が自分に問うのです。あの世から、「そうだぞ、そうだよ、そうだった」と声が聞こえてきます。


いまの話

2011年10月01日 00時15分28秒 | 航海日誌
この選択が個人に迫られています。現況の、選択をあなたがしなさいと、無言の問い掛けがあります。それは政府発表でもないし、地方自治体でもないし、帰属の会社でもないし、ましてや、親家族でもないのです。あなたがあなたに問い掛ける問答です。

どう生きたいのか。

ただ、それだけです。

3/11の禍害以降、ここで言っている問い掛けが始まったわけではないのです。あなたが、うまれたその時から、実は、ずっとこの問いかけがあったのです。

あなたはどう生きるのか。

誰が問い掛けたと思いますか。

あなたです。

あなたが、あなたに問い掛けて、生まれたのです。

わたしがわたしに、問い掛けて、生まれたように。

そして、今、書いているこのことを、書くと決めていたように。

そのことに時間は介在していません。

後も先も無いのです。

今の感覚が永遠です。

永遠なのに、問い掛けているのです。

何故だろう?

次元間の遊びがあるからです。

頭で分かる話ではあせん。

微かな、感覚感性で、はあ~と感じることができるかどうかか。

それをご自分でみつけてください。

協力はかないませんので。

わたしも同様に、これだけは誰からも助けはありません。