1900年代初頭に自由貨幣(消滅貨幣、スタンプ貨幣)を提唱したシルビオ・ゲゼルの思想は、ドイツを始め、ヨーロッパ社会の一部のコミュニティに受け継がれたが、世界大戦の怒濤がその萌芽を潰し、強国であることが最大目標となっていった。戦争は最大の産業である。失業者は戦地へ赴けばよいのだ。
だが、自由貨幣の種は残っていた。地域通貨として各地のコミュニティで取り組まれ、現在、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、アメリカ、ニュージーランドなど2000余りの地域で実践されている。ちなみに、コミュニティのcom(互いに) munus(贈り物)の語に由来するとされる。
地域通貨は、ゼロ利子もしくは減価する通貨である。あくまでも物・サービスの媒介だ。地域通貨をどれだけ所有しても、そのものが価値を持つことはない。ゆえに、人と人が互いに物・サービスを贈り合う。まさにコミュニティの血流といえる。
数あるコミュニティの地域通貨で、アメリカの例を紹介しよう。ニューヨーク州トンプキンス郡イサカは、コーネル大学を中心とした3万人学園都市だ。1991年、生協組合のスーパーマーケットで誕生したのが「イサカアワー」と呼ばれる地域通貨だった。組合会員がこのイサカアワーに参加希望し手続きすれば、会員相互で物・サービス・技能を売り買い出来る。自家農園の野菜、手作り品、ガーデニング、ピアノレッスンなどなど。
1アワーは10ドルに相当し、それに見合う料金を互いに決めている。また、イサカアワーに参加している商店で買い物も出来るし、銀行ではローンなどの支払いも出来る。この町でなら、イサカアワーでの生活がかなうのである。今日のパン代に困れば、情報欄をみて、買い物代行でも庭掃除でもすれば、空腹に苦しむことはない。アメリカの法律では、ドル紙幣に似ておらず単位が10ドル以上の紙券であれば合法とされる。日本では地域通貨は違法となるから、まさに夢のようなシステムだ。
この東京で以前、「便利屋」なるものが流行って、よくポストにチラシが入っていた。買い物、掃除、子守り、話し相手なんでもやります。でも、その仕事が活況だと聞いたことがない。見ず知らずの人間を使おうという家庭が少ないからだろう。しかし、イサカの場合はコミュニティ会員相互の信頼関係があり、イサカアワーを媒介して機能している。交流が深まり、人と人の絆が太くなって、コミュニティの密度が高まっている。
最初は疑問視していた地域住人も、実際に参加して、自分に売る物があり、相手に必要とされていることを実感して、今ではイサカアワーは生活を支える柱になっているという声がほとんどとなったという。そうした実感とともにイサカアワーは人々の間を環流し、町が活性しているのだ。
日本で地域通貨は違法とされるが、今後このあり方が高齢化社会に必要とされるのではないか。単なるボランティア活動では限界があろう。時間と体力のある若者が不自由な老人の手助けをして、その代償に得る地域通貨は、スマートなあり方に思える。若者はその地域通貨でランチを食べ、その店は食材の仕入れをし、畑の手伝いにも支払われる。また、農作業アルバイトでもらった地域通貨を使って、老人からバイオリンのレッスンを受けることもある。
こうして地域通貨は環流するが、その通貨が蓄財されることはない。通貨が媒介して人と人のエネルギーが交換されているだけだ。しかも、地域通貨はその富みを外の世界へ放出させることもない。コミュニティ内でしか通用しないからだ。たとえば1000万円分の通貨が環流していたとして、その何倍もの活性を生み、4~5千万円の経済活動が機能している。利子が数字を増やすのではなく、人が物・サービスを交換することの効率効果なのである。
(つづく)