「昨日のことだった。軽井沢で喉に何かが詰まったらしく、呼吸困難になって心肺停止した。すぐに人工呼吸をして一度は蘇生したが、ダメだった…」
聞けば、以前から喉に違和感があったようで何かが詰まったように咳き込む事が多かったらしい。2010年8月28日、死去。享年68歳。
僕は小鉄さんには非常に懇意にしていただいた。後楽園ホールに行くと必ず小鉄さんと雑談をしたものだった。いつも「新日本プロレスのレスラーは強くならねばいかん」と道場論を語ってくれた。新日本の初期は鬼軍曹と言われて、若手をしごいて当時は憎まれたようだが「そのおかげで精神的に強くなった」とあとで感謝され、古きよき師弟関係を見せつけてくれたものだった。
ここ10年で小鉄さんを一番取材したのは僕くらいなものだろうと思う。ストロングスタイルが薄まってきた近年、それを危惧して記事を書いてきた。だから、ストロングスタイルを愛する小鉄さんに話を聞くことが多かったのだ。
「理想のプロレスラーとは何でしょうか?」と訊いたことがある。その時、小鉄さんはニヤリとして「コンクリートの上でやれと言われても平気でできる男たちのことだよ」と言った。
ストロングを愛した男のきわめて美しい答えだと思った。合掌。
聞けば、以前から喉に違和感があったようで何かが詰まったように咳き込む事が多かったらしい。2010年8月28日、死去。享年68歳。
僕は小鉄さんには非常に懇意にしていただいた。後楽園ホールに行くと必ず小鉄さんと雑談をしたものだった。いつも「新日本プロレスのレスラーは強くならねばいかん」と道場論を語ってくれた。新日本の初期は鬼軍曹と言われて、若手をしごいて当時は憎まれたようだが「そのおかげで精神的に強くなった」とあとで感謝され、古きよき師弟関係を見せつけてくれたものだった。
09年12月、Super J-Cupにて、男色ディーノの入場に怒る小鉄さん。
こういう昔気質なところが素敵でした。(photo by Mio Sasaki)
ここ10年で小鉄さんを一番取材したのは僕くらいなものだろうと思う。ストロングスタイルが薄まってきた近年、それを危惧して記事を書いてきた。だから、ストロングスタイルを愛する小鉄さんに話を聞くことが多かったのだ。
「理想のプロレスラーとは何でしょうか?」と訊いたことがある。その時、小鉄さんはニヤリとして「コンクリートの上でやれと言われても平気でできる男たちのことだよ」と言った。
ストロングを愛した男のきわめて美しい答えだと思った。合掌。