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第一回クラブリキと力道山

2007-06-09 07:23:48 | 吉村義雄の波乱万丈紳士録
【クラブ・リキの話】
リキさんが私に言うんだよ。
「ナイト・クラブをやりたいんだが、ヨッちゃん、やってくれるか?大丈夫か?」
「そんなんもやってみなきゃわからないよ。銀座の知り合いの店を立て直したこともあるし、経験はあるけどね」
「そうか、じゃあ、やれるな」
「そのかわり、リキさん。途中でこうやれ、ああやれって言われるんだったらやらないよ」
「わかった、わかった。じゃあ、大丈夫だな」
 そんなふうで私がやることになったんだよ。内装を松井さんという知り合いに相談に乗ってもらってね。そしたら「木と布の内装にしたらいい」と言うんだよね。布張りのことだね。布張りにすればレストランにもいいし、クラブでもいいというんだ。そりゃ、いいなあということで内装は木と布にすることにした。
 それとステージに段差をつけた。3段ですよ。ダンスは一番下。その後ろの一段上にバンドを置く。リキさんに「どうですか?」と聞いたら、う~んと唸って「いいな」と。
 天下の力道山の店だから、一流のコックを専属にしなきゃいけないということで、日本郵船で船に乗っていたレストラン・マネージャーの加藤さんという人を誘った。有名なマネージャーですよ。そしたら「先行き、何年先までやれるという保障はできないけど、やるだけのことはやりましょう」と約束してくれまして、郵船のコックを集めてくれました。ステーキがうまくてね。お客さんの評判は非常に良かった。連日満員状態でしたよ。
(クラブ・リキには有名になる前の松尾和子が専属として歌っていた)
 カズちん(松尾和子)はね。新宿に大きいクラブ「リー」があって、その前に小さなクラブがあった。そこのクラブで歌っていたんだよ。僕も何回も行きましたけど「なんてセクシーな声を出すんだろう。うまいな、この子は!」と感心するくらいでした。
 それでリキさんと一緒に行ったんですよ。そしたらリキさんも「うまい!」と感嘆してね。すぐに「うちのクラブに来い」って引っ張ったんですよ。
 でも、あそこだって自分のクラブの一番の歌手を引っ張られたら大変ですよ。普通は文句を言ってくるもんですよ。だけど、引っ張ったのがリキさんだったから、誰も文句は言わなかったんだ。カズちんはね、当時は、細くてかわいらしい子でしたよ。母親と一緒に住んでいて、遅くなるとよく車で送っていきました。昭和34年1959年)のことだったね。                                              (続く)
【吉村義雄プロフィール】大正14年、東京生まれ。外車のセールスマンから力道山の個人秘書となり、日本プロレス興行に入社。リキ・エンタープライズ専務として力道山を支えた。力道山死後、リキ・エンタープライズ副社長。

ジャンル:
珍人
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1 コメント

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吉村さん (齋藤)
2010-12-12 11:35:30
吉村さん!!

私もお会いしたことがあります。
ほんとに素敵な紳士です。
笑顔がやさしくて、

すごい暖かいオーラがあって、
大好きです。

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