きのう、全日本プロレスの渕正信と会った。ジャイアント馬場時代の全日本の話で盛り上がった。先日、急死したビル・ロビンソンの話も。これもプロレス史の貴重な証言。紹介しておこう。
「75年12月11日に猪木さんがロビンソンとやった(百田家主催による力道山十三回忌追善特別試合、於日本武道館)。それから半年してドリー・ファンク・ジュニアとバーン・ガニアの口添えでロビンソンが全日本のリングに上がったんだよね。馬場さんとガニアは仲がよかったからね。ロビンソンにはレスリングの関節とか教えてもらった。その前に全日本のコーチたっていたのがコシロ・バジリ(シーク)だった。コシロ・バジリが帰った後に馬場さんが「ロビンソンのほうが先生とすればワンランク上だから試合前にコーチしてもらえ」というんで教えてもらった。コーチを受けてみるとコシノバジリとは違うんだよね。関節をガッと極められて折れちゃうんじゃないかと思うくらいにハンパジャないんだよ。怖かったよ。手加減はしてくれているんだけど、体重の掛け方なんて本物中の本物だから、怖くてね。当時、ロビンソンは36,37歳くらいでしょ。元気があったから凄かった」
「園田なんて、ロビンソンの顔を見ると逃げていたし、大仁田は馬場さんの付け人やっていたから忙しくてね。結局、俺がめいっぱい教わっていた。同じ時期に、ヒロ・マツダさんとブリスコが来日していて、マツダさんなんか喜んで練習見ていた。「お前はいい勉強しているな」っていう感じで。ブリスコがまたうまくてロビンソンに教わって、俺が実験台みたいな形だったね。俺はのちにフロリダのゴッチのところにも教わりに行ったけど、その時にロビンソンにコーチしてもらってるから、ゴッチの指導に面食らうことはなかったね」
「途中から鶴田さんも練習に入ってきて、ロビンソンは鶴田にも教えていた。結局、俺は実験台だよ(笑)。ロビンソンが技を教えたあとに鶴田さんが俺にかける。鶴田さんは馬鹿力があるからさ、力の加減もわかんないから目いっぱい極めるんだよ。ロビンソンよりも怖かったね(笑)」
プロレス座談の妙手、渕正信。ワインを飲んでほろ酔い加減。だから、むちゃくちゃ面白かったねえ。(安田拡了)
「75年12月11日に猪木さんがロビンソンとやった(百田家主催による力道山十三回忌追善特別試合、於日本武道館)。それから半年してドリー・ファンク・ジュニアとバーン・ガニアの口添えでロビンソンが全日本のリングに上がったんだよね。馬場さんとガニアは仲がよかったからね。ロビンソンにはレスリングの関節とか教えてもらった。その前に全日本のコーチたっていたのがコシロ・バジリ(シーク)だった。コシロ・バジリが帰った後に馬場さんが「ロビンソンのほうが先生とすればワンランク上だから試合前にコーチしてもらえ」というんで教えてもらった。コーチを受けてみるとコシノバジリとは違うんだよね。関節をガッと極められて折れちゃうんじゃないかと思うくらいにハンパジャないんだよ。怖かったよ。手加減はしてくれているんだけど、体重の掛け方なんて本物中の本物だから、怖くてね。当時、ロビンソンは36,37歳くらいでしょ。元気があったから凄かった」
「園田なんて、ロビンソンの顔を見ると逃げていたし、大仁田は馬場さんの付け人やっていたから忙しくてね。結局、俺がめいっぱい教わっていた。同じ時期に、ヒロ・マツダさんとブリスコが来日していて、マツダさんなんか喜んで練習見ていた。「お前はいい勉強しているな」っていう感じで。ブリスコがまたうまくてロビンソンに教わって、俺が実験台みたいな形だったね。俺はのちにフロリダのゴッチのところにも教わりに行ったけど、その時にロビンソンにコーチしてもらってるから、ゴッチの指導に面食らうことはなかったね」
「途中から鶴田さんも練習に入ってきて、ロビンソンは鶴田にも教えていた。結局、俺は実験台だよ(笑)。ロビンソンが技を教えたあとに鶴田さんが俺にかける。鶴田さんは馬鹿力があるからさ、力の加減もわかんないから目いっぱい極めるんだよ。ロビンソンよりも怖かったね(笑)」
プロレス座談の妙手、渕正信。ワインを飲んでほろ酔い加減。だから、むちゃくちゃ面白かったねえ。(安田拡了)