開運極楽堂

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(50)う、やられた!やっぱ飯塚の蹴りは凄かった!

2009-10-13 18:52:50 | ヤスカクの風まかせ日記~安田拡了
 それにしても、プロレスラーの蹴りは凄かった。ド~ンと蹴られると、こらえる間もなく後ろにのけぞってしまう。本当にプロレスラーのパワーは恐ろしい。相手がコワモテの飯塚だから、とくにそう思う。

 まだ蹴られた胸板に鈍痛を感じる。しかし、悔いはない。
 思えば9・27神戸大会で、飯塚が放送席にいた私のイスをもぎ取り、凶器にしたことがはじまりだった。私はこのブログ、そして週刊プロレスに「自分自身に対する悔い」を書いた。黙ってイスを取らせてしまい、そのイスが凶器として利用されたことに対する後悔だった。
 週刊プロレスでは、こう書いた。
「たとえば、目の前に倒れている人を見たら助けなければならない。決して傍観者であってはならないのだ。しかし、あの時の私はとっさのこととはいえ、イスを渡してしまった。これでは傍観者と同じである。(中略)今度、このような事態になったなら、絶対に阻んでみせる」

 おそらく飯塚は、その誌面を見たのだろう。私は私なりの覚悟のつもりで書いたのだが、挑発されたと思ったのかもしれない。
 飯塚がコールされ入場してきた時から、襲ってくることを警戒していた。今回、飯塚は場外で暴れまわりながら、ふいに横から襲いかかってきた。後ろからキャーッという女性客の悲鳴が聞こえた。周りにも緊張した空気が張りつめた。
 私は飯塚にイスを渡すまいと脚を持った。絶対に離さない覚悟だった。しかし、飯塚の蹴りはもの凄く強烈で、私は後ろにのけぞり、その拍子にイスを放してしまった。
 悔しかったが仕方がない。こっちはズブの素人だ。抵抗を続けていれば、もっと悲惨な目にあうだろう。それこそ、周りのお客さんにさらに迷惑をかけてしまったかも知れない。

 しかし、飯塚に対して恨みなどは全くない。飯塚の行為はプロレスラーとして当然だからだ。

「プロレスの解説をしている者が、そんな大それたことをしていけない。相手はプロレスというジャンルでプロとしてやっているんだから」という人がいることだろう。 
 しかし、私はそうは思わない。レスラーでなくても、プロレスというジャンルで仕事をしている以上、その責任において悪に加担してはいけないのではないか。いくら非力であろうと、悪い行為を見過ごすわけにはいかない。
 さっきも書いた通り、私はズブの素人だ。飯塚と正面切ってやり合う気などない。素人がプロレスラーと同じ土俵に上がろうとするなど、もってのほか。それこそ「大それたこと」だからだ。
 私は解説者だ。解説席のイスは、私の仕事場である。それを悪いことに使われて平気でいられるだろうか? 乱暴の道具に使われたくない、使わせない。そう思うのはごく自然なことではないのだろうか。飯塚がプロレスラーとしての仕事をまっとうしようとしたのだとすれば、私も同様に自分の仕事をまっとうしようとしたまでのことだ。

 この日、若いプロレス記者が「プロレスなんだから、そんなムキにならなくても。大人げないですし。イスなんか渡してしまえばいいじゃないですか。そうすりゃやられないのに」と忠告してくれた。
 ありがとう。心配してくれる気持ちだけ頂いておくよ。
 でも、私からも苦言を呈させてもらおう。君はひょっとしたら「たかがプロレスなのに、なぜ?」と思っているのではないだろうか。もしも、プロレス記者でありながら「たかがプロレス」と思っているのだとしたら、プロレス記者なんて辞めた方がいい。本気で向き合い、ぶつかれる、ほかの何かを見つけた方がいいと思うよ。
 いまのプロレスマスコミは穏便に済ませようとし過ぎる。だから意見を言わない。意見を言っても、あらかじめ安全なことを確認してから言おうとする。そのほうが平和で楽だからだ。でも、そんな「安全な」(それも、発信する側だけに)情報にドキドキするだろうか。ワクワクしてプロレスを見に行きたくなるだろうか。陰があるから光は輝く。陰の部分を描いてこそ、もっとプロレスが輝くんだと思う。マスコミはプロレス団体の広報じゃないんだよ。

 プロレスは人生の縮図である。
 ずい分前にそれをどこかの本で書いた事があるが、最近、武藤敬司が同じようなことを言っているそうだ。
 平和すぎる中で育った人々は、いずれ強い他者が出てきた時、滅びていく。武藤は、ここまで平和にきたわけじゃない。さまざまな苦労があった。だから生き残ってきた。我々も職業の責任において傍観者であってはいけない。それが、そのことを生業とする者のプライド。これはもちろん、どんな職業の人にも言えること。普段から好戦的である必要なんてない。でも、ここぞという時に行動できる人間でありたいと思う。

 とはいうものの…やっぱりプロレスラーは強かった。そんなことはわかっていたし、もうあんなこと、まっぴらごめんだと思う。それが本音だ。しかし、もしまた何かあったら、行動しなければならないのだろうな。

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